百二十六日目 瘴気の湖
「なんだ、これ……」
ゴーグルをつけていなくてもわかる程の、悪質な瘴気。間違いない。これが原因だ。
鼻が曲がりそうな悪臭と目が内部から焼かれていると感じる毒素。ここまで濃いものは見たことがない。
『う、うう……』
「ピネ!」
不味い、ピネの体には諸に効いている……!
「リード。ピネを乗せて瘴気の及ばないところまで走れ。いいな?」
「キュア!」
リードは元々魔物だから瘴気は平気みたいだ。
俺はもう少し調べたいことがある。
リードはピネを入れたバスケットをくわえ、直ぐに飛んでいった。それを見送ってからゴーグルをしてマフラーで口や鼻をおおう。
「とりあえず周辺を探してみるか……」
瘴気なんてものはこんなに一気に吹き出たりしない。確かに瘴気溜りは存在するし、出てくるタイミングも不明瞭だ。
だが、ここまで濃く染まることはほぼ無いと言っていい。ホースを想像してもらえば分かりやすいだろう。
ホースの先から瘴気という名の水がでると仮定する。
普段はたまに花に水やりをするためにそれを使う。だが、たまにホースが詰まる。それでも水を蛇口から注ぎ続けるといつかドバッとでてくる。
このドバッと出てきたのが魔物になるんだ。だが、今回のこれだと家庭用の蛇口ではなく消防車に直接ホースを繋いだ、といってもおかしくないくらいの水量になっているんだ。
普通そんなことしないだろ誰も。
それと一緒で自然界でも普通こんなことは起きない。
「あんまり入りたくないんだけどなぁ……」
ぐるっと湖を一周したが、特に何もなかった。そう。湖の中以外は確認した。
アニマルゴーレム達じゃここに入れない。瘴気が濃すぎて回線が切れる。かといって透視系の魔法でも見えない。実際にこの目でみないとわからない。
「ふぅ……」
最悪。想像してみろよ。墨みたいな色の刺激性のある液体に飛び込むんだぜ? 正気の沙汰じゃない。
俺だってできることなら断りたいが。
「仕事だしなぁ……ったく、これ終わったら即行で洗濯だな」
全身丸洗いコースだ。
この服は水中でも使える謎仕様なので錆びそうだなと思った武器と義足以外はそのまま装備して飛び込む。
「うう……やだぁ……」
泣き言いってても始まらないし終わらない。覚悟を決めて深く息を吸い込み、真っ暗な水に飛び込んだ。
ゴーグルのお陰ではっきり見えるが、肌に纏わりつく嫌な感覚がなくなる訳じゃない。
ああー、気持ち悪い……やめときゃよかった。なんかピリピリするし水がねっとりしてて本当に気持ち悪い。あ。あれだ。とろろみたいな感じ。
底まで辿り着くと、何かの石碑が見えた。
「?」
ゴーグルの翻訳機能をもってしても文字が読めない。文字っていうか記号なのかもしれないな。
とりあえずゴーグルで写真を撮ってさっさと上がろう。
いつまでもこんな場所に居たくないし、思ってた以上に深かったから息も持たないし。
ぐっと湖の底を蹴った瞬間、何かに右足を掴まれた。
「%#&*#£⁉⁉⁉」
声にならない声が喉の奥から漏れる。こんな場所に俺以外の生物がいるなんて思ってなかったから完全に油断した‼
「も……が……さ……い」
なにか耳元で聞こえた気がするが、正直パニックになっててなに言ってるのかわからん。
下を見ると、人間の女性だった。しかも平然と何事もないかのように水底に立って俺の足を引っ張ってやがる。
あり得ない。まずこんな深くまで来る前に普通の人間なら死んでる。そもそもあんなに濃い瘴気に触れたとたんに発狂する。
だってここまで泳いでくるのに十分以上は掛かったぞ⁉
濃すぎる瘴気の中で魔法は使えない。つまり素の身体能力でこれをやってるってことになる。
「離してくれ……っ!」
声を出しただけで相当空気が逃げた気がする。もうそろそろ上がらないと冗談じゃなく本気で溺れ死ぬ。
そして女性。笑顔で首を横に振る。
いや、離せよ! 殺す気なのか⁉ そういうことなのか⁉
水の中、しかもとろろみたいに動きづらいところで力が出せるはずもない。
っていうかこの人力強すぎるだろ! 水の中ってことを差し引いても俺が力負けしてるってヤバイぞ⁉
いくらもがいてもほどける気がしない。
絶対やりたくなかったけど、仕方ない。
節制を解除する。羽が現れたのを確認してから空を飛ぶときと同じように羽ばたかせて一気に上昇する。女性の手は蹴り飛ばさせてもらった。
オールの役目である翼を必死に動かしながら水面を目指す。
あああああどんどん羽が汚れてく! これ洗うの大変だからギリギリまでしまってたのにぃいいい!
元々白いからめっちゃ目立つ。エルヴィンみたいに真っ黒だったら目立たないのに!
………え? ………嘘だろ?
あの女性が追い抜いてきて俺の前に浮いている。
どんなスピードだよ⁉ ここ水中、ていうかとろろだぞ⁉
「なっ……⁉」
「ふふふ」
不敵な、それでいて体を芯から凍らせるような冷たさを纏った笑い声が聞こえる。一瞬気後れして前にも後ろにも進めなくなってしまった。
その隙をつかれた。突如タックルされたかと思うと、そのままくっつかれて離れない。
しかも締めつける強さがどんどんと強くなっていっている。
「うっ……ぐっ」
不味い、息が……!
………!!!
「ごぼっ」
飲んじゃったぁああああ! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い‼
喉に無理矢理溶岩流し込まれたみたいな痛さと煮えたぎってると感じるほどの熱に目が回って、苦しさもあって余計に沢山とろろ水(俺命名)を飲み込んでしまった。
なんか目の前も霞んで……
「ふっ……ざけるなぁあああ!」
死んでたまるかこんなとろろ水ごときで‼
今までにないほどに羽をばたつかせると自分でもあり得ないほどのスピードが出た。急に加速したから反応できなかったのか、女性を振り落とすことにも成功した。
そのまま外に飛び出し、飲み込んでしまったものを吐き出す。
「げほっ、ごふっ……」
直ぐに収納から取り出した薬品を口に流し込む。
くっそ不味いが、これは胃の中のものを逆流させる効果があるから飲みきらなきゃならない。
「ヴッ……マッズィ……不味い……」
飲みきった。頑張ったよ、俺。まだ吐き出す作業が残ってるけど。
身体中についたとろろ水を浄化の魔法で綺麗にする。
「羽の中に入って気持ち悪い……」
まだヒリヒリする気がする。
「うっ⁉」
木陰で吐いた。ちゃんと処理したよ。だって相当真っ黒な水がドボドボ出てきたもん。思わずキモッて叫んだよ。
「に、がさない……」
「ゲッ! 忘れてた……!」
女の人が岸に上がってきた。長い髪がとろろ水でべったべたになって貞子みたいになってる……。
「逃がさ……ない」
なに⁉ 俺なにか怨みを買うことした⁉ 仕事とかで……あっ。思い当たりありすぎてわからん。




