表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Fate

作者: 神楽なおき

201x年2月3日

=======


「ちょっと!これ何よっ」

洗面所からヒステリックな声。

ドタドタと走る足音、そして俺の頭に何か置かれた感触。手に取ると、さっき洗濯機に入れた靴下が片方。振り返ると、娘の心美が嫌な笑いを浮かべている。


「ママが、こんなモノを洗濯機に入れないでってさ?」

人差し指と親指の爪の先で、少しも触れたくないのに、無理に掴んでますって、そんな主張が見て取れる。心美はブラブラ靴下を見せると、そのまま俺の足元に投げ捨て、そそくさと自分の部屋に逃げ込む。

俺はいつものことさと靴下を拾い、指定の洗濯カゴへ靴下を入れに行く。

妻の弘美が無言の冷めた目で俺を睨み付けている。

俺は無視して、洗濯カゴに靴下を入れる。

「チっ」

無言で出て行こうとする俺の背中に、特大の舌打ちを浴びせてくる。

考え事しながらだったから、無意識に洗濯機に入れてしまった。たったそれだけのことのはず、でも、この仕打ちだよ。


ご覧の通り、冷え切った家庭。あ、自己紹介が遅くなったけど、俺は倉田隆仁。40歳。もうこんな生活を10年近く続けてる。

辛くないかって?確かに慣れたと言えば慣れたけど、すっかり疲れ切ってるね。35年の住宅ローンを支払うためだけに生きてます、そんな感じ。


愛する家族も紹介しておこうか?妻の弘美は36歳。ちょっとした美人。すこし派手。そんな印象。結婚して最初の2年は幸せと言えば、幸せだったかな?もう記憶も曖昧なもんでね。そして、可愛い娘は心美。ココミって読むんだけど、妻が可愛いからってだけで決めた名前。今年13歳。妻によく似てきてさ、俺もほんと困ってる。


もし、過去に戻ることができるのなら、結婚は違う女性としろって、俺に忠告するね。絶対。


そうだ、俺の悩み聞いてもらえるかな?最近、やる気が起きなくて困ってる。朝も起きる事が難しくなってきてて、昼間やたらと眠い。ちゃんと寝てるんだ。でも、夜中目が覚めるし、早朝にも目が覚めるし、寝た気がしないんだな。


会社で眠くなってしまってさ、最近おかしいんだよな。


会社の健康診断で相談したら、カウンセラー紹介されたよ。何でも心の健康診断が必要なんだってさ。まいったね。まだカウンセリングは受けてない。正直、仕事クビになるかもしれないって、尻込みしてるのは事実。まだ大丈夫って、自分に言い聞かせてる。


201x年4月18日

========


あ、久しぶりだね。


聞いてくれよ。まずいんだよ、すごくね。もう、何もできないし、不安だし、イライラするし・・・自分は誰にも必要とされない、くだらない奴だって、そんなことばかり考えてる。

カウンセリングに行ったかって?


・・・行ってないんだ。やっぱり行かないとダメかな?


そうだよな。俺・・・おかしくなってる。


明日病院行くよ。


201x年4月19日

========


やあ・・・。


病院行ってきたよ。まずいね。うつ病だってさ。2か月仕事休めって言われた。

弘美に言ったらどうなるか、想像しただけで吐き気してきた。


医者には洗いざらい話したさ。家の中での待遇も、何もかもね?


医者曰く「ご家庭内の問題ですね。長年に渡って、蓄積されてきたストレスのせいですよ。この病気はストレス源との関わりを断ち切る、あるいは緩和することが重要です。ご家族内のことですので立ち入ったことも言えませんが、ご夫婦でカウンセリングを行いましょうか?」


これ、無理だよ。10年も同じこと繰り返してきてるのにさ?解決も何も・・・。弘美がカウンセリングなて受けるわけもない。俺、どうしよう。

とにかく、仕事は休もう。


201x年4月25日

========


ついにバレた。弘美もさすがに、休み過ぎだろ?って、問い詰められた。


もう言うしかないから、言ったさ。うつ病だって。2か月休まないとって。

「ハァ?」

と、第一声。

「給料出んの?」

次のありがたいお言葉。


休職だから、会社から給与は当然無い。健康保険組合から、傷病手当ってのが出る。でも給与の7割くらいしか出ないんだ。


「3割カット?どおすんのよ、その足りない分は?」


何も言えねぇ、って、誰か言ってたよね。誰だっけ?


「黙ってんじゃないわよ。何とか言ったらどおなの?」


しょうがないから、俺、言ったさ。家庭内のストレスが病気の原因なんだって。弘美や心美の対応が悪すぎるんだってね。


「私のせいだって言いたいわけ?心美が悪いって?ふざけんなっ」


近くにあったティッシュの箱投げつけられた。

弘美の目…今まで見た中でも…無機質な、冷たい憎悪の眼差し。

ゾッとした。でも、それと別に、胸の奥に湧き上がる感情もあった。


俺だけに聞こえた気がした。プチんって、何か切れる音。

自分でも、何があったか、疑うくらい。弘美が、呆気に取られてる。

そう、俺は怒鳴ってた。うるせぇって。こんなにも大きな声出せるんだ?って、自分でも驚いた。


「な、何よ、そんなにバカでかい声出してさ?近所迷惑よ?」


俺…出て行くよ。こんなところ居られない…。


気が付いたら、そう言ってた。後悔なんてするもんか。そんな気持ち。もっと早く出ていくべきだったんだ。


「あんたにそんなことができるなんて、少し驚いたわ。私は構わないわよ、好きにしたらいいわ。あ、でも慰謝料と養育費キチンともらいますからね?消えてもらったほうが、何かといいわ。ほんと」


弘美は、ちょっとだけ動揺してる。でも、怯むほどでも無い。俺は、わかった、それだけ言って、身の回りの物バッグに詰め込んだ。


俺の物…少ない事少ない事。この場合、楽でいいや。

離婚届は後で送るって言い捨てて、とにかく家を出た。


201x年7月3日

========


家を出て2か月ちょっと。

独りになった効果は絶大で、うつ病の治療は順調だった。

今は減薬の終わりで、そろそろ薬もいらないだろうって主治医に言われてる。

離婚のほうは問題なく片付けた。俺・・・弘美が言う条件、全部飲んだから。


弘美に内緒でやってた株があったから、それ売ってなんとか乗り切った。

少し手元に残ったから、それでFXを始めて、何とか生活できるようになってる。

俺の隠れた才能。弘美はぽんと支払った俺の態度に、どこからお金を出したのか?って顔に書いてあったが、貰うもの貰えたらいいわ、って感じ。


会社の同僚や友達に、離婚は大変だ。パワーがいるぞ、って脅されていたが、全く気にすることも無かった。ほんとあっという間。まあ、うちの場合は特殊なんだろうけど。


そんなことよりも、さっきの事なんだけどさ?聞いてよ。


今まであまり気にもしていなかったけど、歯磨きしてる時に何気なく鏡を見た瞬間、愕然としたんだ。髪はボサボサ、たるんだ頬、そこには初老の男がいたんだ。


俺…?とても40代には見えない…


何とかしなきゃ。素直にそう思った。


201x年8月19日

========


駅から自宅へ向かう。今日はジムに行ってたんだ。


身体を徹底的に鍛え直して、食生活も変えた。


多分、肉体的にはかなり改善できたと思う。体脂肪率も9%まで落ちたし、腹筋も割れ目が見えてる。きっと弘美も心美も、会っても気が付かないかもしれない、そんな風に思えるほど変わったって実感がある。まあ、会いたいとも思わないけどね。


FXの投資も軌道に乗って、無理なく生活できるまでになった。


がむしゃらに身体鍛えて、頑張ってきたからストレスも溜まってる感じがする。

気分転換しなきゃね。


201x年9月6日

=======


いつからだろう?雑誌かTVか忘れてしまったけど、そのとき見た風景が忘れられない。

名前もわからない、どこかの島。どこなんだろう?


気になって、ネットで少し探してみた。


見つけた。それは小笠原諸島の父島だった。東京から船で24時間ほどかかるらしい。飛行機は飛んでない。


生活には余裕もあるし、たまには旅行もいいかもしれない。かなり時間がかかるけど、もう時間に縛られる生活もしてないし・・・


行ってみよう。


201x9月14日

=======


父島へ向かうことにした。今日は週に1回の出港日だ。11:00に出港して翌日の11:00に島に着く。


10:15には竹橋桟橋へ到着できるよう自宅を出た。久しぶりに高揚感がある。


竹橋桟橋付近は生憎の小雨だった。まだ残暑が残っているから、寒くはない。ちなみに、現地は晴れで31℃もあるらしい。


チェックインカウンターで乗船券を引換、待合所で待った。乗船時にはアナウンスが流れるらしい。


東京湾を離れると、携帯が使えなくなるみたいだから、今のうちに確認しておこう。と、いっても重要な物はなにも無いな。誰かからメッセージが来るわけでもなく、電話だってかかってこない。


だらだらとニュースサイトなど見ていると、乗船のアナウンスが流れた。


おがさわら丸は、イメージ以上に大きかった。全長150mだから、大きいのは確かだ。考えてみると、船旅は初めてだ。電車か飛行機、そして車。移動手段と言えばそんなものだ。都心にいると船という選択は普通ないよな。


さすがにスイートは予約しなかったけど、ある程度落ち着けるほうが良いってことで、1等客室を貸切予約していた。追加料金が発生するけど、今回は特別だ。


客室は綺麗だった。想像してたよりも全然いい。TVとソファ、それからベッド。24時間もかかるけど、これなら落ち着いて行けそうだ。


出航してしばらくは小雨だったけど、今ではすっかり晴れてきたので、デッキに出てみた。海風が気持ちいい。思ったほど揺れることもなく、穏やかに進んでいる。船首から船尾に伸びる各国の国旗が、風でバタバタしてるとこや、無数に起きる波が消えたり現れたりするのを、ぼーっと眺めてた。


ふと気が付いて携帯を見ると14:43。結構ぼんやりしていたみたいだ。でも到着まではかなりかかる。


キリが無いので客室に戻ることにした。


201x年9月15日

========


持ってきてた雑誌や小説を読んでいるうちに、いつの間にか眠っていたみたい。時計を確認すると5:26。何時に寝たのかも覚えていない。船の上だからなのか、ベッドが合わないのかわからないけど、全身疲れているようなそんな感じ。


あと6時間弱。特にすることもないので、もう一回寝よう。


びくっとして起きた。心臓がドキドキしている。悪夢を見たような気がしたけど、何も覚えていない。ひどく嫌な気持ちで飛び起きた。一瞬どこにいるのか、わからなくなった。


そうだ、船に乗ってるんだっけ。携帯を見ると10:12。もうすぐ到着だ。顔洗って、降りる準備だ。暑くなってるから、ハーフパンツに履き替えないと。


タラップを降りて、父島を踏みしめる。まだ揺れているような感覚があるけど、問題というほどでもない。


チェックインまで時間もあるし、特に急ぐ旅じゃない。二見港からホテルまで、のんびりと散歩を兼ねて歩いてみることにした。


南国の太陽って感じで、ジリジリ肌を焦がしてるのがわかる。湿気は少ないから、不快ではなかった。それでも、歩いていると大量の汗が流れ落ちるのがわかった。


二見港を過ぎて、ホテルまで少し登っている。ちょうどカーブの手前に女性がしゃがみこんでるのが見えた。キャリーバッグを確かめているようだ。文句を言ってるのが途切れ途切れ聞こえるから、具合が悪いということではないらしい。


すぐそばまで来たので、大丈夫ですか?って聞いてみた。


「え?あの、キャスターが壊れちゃって・・・」


その人はサングラスをずらして、俺のほうを見た。目が合う。長い沈黙。その間、心の隅々まで触られているような、むずむずするような、そんな感覚に襲われた。別に不快な感じではないんだけど。


どこまで行くんですか?と俺。聞けば、同じホテルだったので、運びましょうか?って言ってた。


「ホント?すごく助かるけど、重いわよ?」


そういって立ち上がった彼女は、淡い青のワンピースに白いサンダル。長い髪が風に揺れてた。俺は、軽いもんですよって、さっとキャリーを持って先を歩き出した。身体は鍛えておくもんだね。


少しの登って行く感じだけど、5分ほどでホテルに着いた。俺はボーイさんに事情を話してキャリーバッグを渡す。


「ありがと。ホントに助かったわ」


サングラスを外した彼女は、太陽のような微笑みを浮かべ、ペコリと頭を下げた。どういたしまして、と俺。


そうそう、俺もチェックインしないと・・・。チェックインが終わって、キーを受け取ったときに、俺の肘をチョンチョンって。振り返ると彼女がいた。


「お礼に飲み物でもご馳走するけど、どうかな?」


お礼なんか別にいいんですよって、そんなつもりで運んだんじゃないし・・・って、横目でラウンジを見ると、美味しそうに生ビールを飲むお客さんがちらほら。思わず喉が鳴ってた。


「ほら、やっぱり、飲みたいんでしょ?」


クスクス笑う彼女に、俺もつられて笑ってた。


「荷物置いてくるから、15分後にここで待ち合わせね」


ひらひら手を振って、彼女は部屋へ向かった。んじゃ、俺も部屋に行くか。


琥珀色のビールを一気に飲む。中ジョッキの半分が一瞬で消えた。美味い。ふーっと一息。5分遅刻して現れた彼女は、あまり飲みたくもない感じで、レモンティーの氷をストローでつついてた。


「とっても美味しそうに飲むのね?見てて気持ちがいい」


生ビールが大好きな俺には、いつものことだった。しかも、この熱気と汗だくな状況ではなおさらだ。


「まだ名前言ってないよね。私、サキよ。あなたは?」


ジョッキを置くと同時に、彼女が名乗ったから、俺も慌てて自己紹介した。


「リュウジ?じゃあ、お兄さんがいるのかな?」


俺は長男だった。親父が隆だったから、それに親父の好きな「仁」をくっつけた名前。仲の良い友達にはリュウジンって呼ばれた、なんて聞かれもしないことまで答えて、残り半分を飲み乾した。


「おかわり頼みましょうか?」


俺は昼間っから酔っ払いたくないって、丁寧に断った。まだ、行きたいところもあるからって。


「そう?じゃあ、私も行きたいところあるから、行くわね」


ひらひらと手を振って、伝票を握ると彼女は去った。何となく気になって振り返ったが、もう彼女は居なかった。


201x年9月16日

========


父島での二日目。


今日は少し遠くまで行ってみよう。漠然とした思いに任せて動いてみるつもりだ。バスの一日券を購入した。バスは好きな場所で乗り降りできるらしい。


ゆっくり240号線沿いを歩く。1時間間隔でバスが出ているようだから、いつかバスがくるだろう。のんびり周りの景色を楽しんで、かなり歩いた時、ようやくバスが来たので、手を挙げて乗せてもらう。


日本とは思えない、エメラルドブルーの美しい海岸沿いを走る。少し先に白浜が見えてきた。よし、降りてみよう。運転手さんに聞くと、ちょうどバス停があるらしいので、そこで止めてもらうことにした。


バス停にも記載があって、ここは境浦海岸だとわかった。目を引くのは、浜辺から少し先に沈んだ船が見える。太平洋戦争で魚雷を受けた輸送船だと後で知った。


波が穏やかで、すごく落ち着く。浜辺を歩くと、石に混じって白い欠片が多く見える。これも後から知ったが、白い欠片はサンゴの死骸なんだとか。


その中から、少し歪だけど、ハートみたいに見えるスベスベの白い欠片があった。それを記念にとポケットに入れた。


何をするわけでもなく、波の音を聞いて、ぶらぶらと歩いたり、座って船を眺めたり…気が付いたらかなり時間が過ぎてた。もう昼過ぎてる。腹減った…食事もしたいから、一旦ホテルに帰ろう。


ホテルに戻って、フロントでキーを受け取る。


「お待ちください、倉田様、ご伝言をお預かりしています」


去ろうとしたところで呼び止められた。ホテルのメモ帳に書かれた伝言を、フロントから受け取った。エレベーターに乗り込み、メモを読んだ。


『今日の17時、フロントで待ってます。 沙紀』


女性的な綺麗で流れるような文字。

エレベーターは部屋のあるフロアに到着して、ドアが開いていたが、メモをずっと眺めていた。そして、ドアが閉まりかける瞬間我に返って慌てて降りた。


ホテルの喫茶店で適当な昼食を済ませて、持ってきたノートPCを使って色々と調べてみた。今日行った境浦海岸とか、他行けそうなところ、興味をひくようなところ、あれこれ見ていた。南側まで行ってみたいが、バスでは厳しいように思うし、山道なども多いように見える。


レンタカーでも借りようか?そんなことを思いつつ、時計を見ると16:48になっていた。シャワー浴びよう。午前中の歩きまわった時の汗を流したい。


フロントには、ホテルに戻って来た人や、これから夕食に行くって感じの人で、そこそこ賑わっていた。携帯を見ると17:02だった。フロントにある、周辺案内のパンフレットをもらい、ソファに座った。


さっき自分で調べた内容がほとんどで、特に目新しい物がなかった。パンフレットを置いて、沙紀を探してみる。え、すぐ後ろのソファに沙紀が座ってた。


「何か面白い所あった?」


え、いつからいたの?教えてくれたらいいのに…


「凄く真剣な感じだったから、ちょっと見てた…」


イタズラが見つかった子供みたいな笑顔。綺麗な顔立ちだから、そのギャップが凄いんだな。


で、今からどうするんだろ?


「ホテルの北側行って見た?凄く素敵な所あるの。行って見ない?」


そっちは行ってない…何かあったかな?パンフレットを開いた。宮之浜園地…湾になってる公園だ。ここなの?パンフレットを見せると、沙紀は頷く。


「リュウジン、行こう?」


言い終わる前に、沙紀は立ち上がってた。真っ白なブラウスに、ネイビーのスカート。清潔感ある、洗いたての匂いが、柔らかく漂ってる。沙紀に遅れないように、俺も急ごう。


道は舗装されているけど、木々に囲まれていて、もう日が暮れ出していて、凄く暗い。左右にカーブしながら、15分ほど歩いた。


目の前が開けて、南国って感じのビーチが広がってる。Cの字みたいに、両側から突き出した岬に囲まれてるから、天然のプールみたいに海面が穏やかだ。


沙紀はまっすぐベンチへ向うと、静かに座った。俺も隣に座る。携帯を取り出そうとしたら、ポケットから何か落ちた。カサッと乾いた音立てて、沙紀の足に当たった。


「ハート?綺麗…」


今日の午前中に、境浦海岸で拾ったんだ、良かったらあげるよ。


「いいの?」


たくさん落ちてるから、また拾えるからってだけ言うと、しばらく二人とも無言で海を見てた。映画とかドラマにでもでてきそうな、絵になる風景。夕暮れの少し暗いオレンジに包まれてる。


俺は、いつの間にか話してた。今までのこと。うつ病になったこと、離婚したこと、何故か父島に来たくて仕方なかったこと…


「そっか。リュウジン…生まれ変わるんだね。全部捨ててさ?ここに来て、生まれ変わるんだよ」


沙紀は遠くを見つめたまま、呟くように言った。そして、携帯で俺の写真を撮った。


それから、他愛も無い話しをしてた。でも、無性に楽しかった。沙紀の声に安らぎを感じてた。


「そろそろ、戻りましょう」


そう言いながら、沙紀は携帯を取り出した。


「また伝言するのも面倒だから、メアド教えて?」


お互いのアドレス交換して、ホテルへと戻った。


「何だか疲れちゃった。もう寝るね」


ロビーに着くと、沙紀はひらひらとら手を振って、部屋に戻って行った。沙紀の後ろ姿を、エレベーターの扉が隠すまで見つめてた。


201x年9月17日

========


今日も沙紀と出掛ける。特に何か特別な事するわけでもなく、一緒に歩いて、話しをするだけ。


それでも、凄く充実してた。


そしてまた、宮之浜に来てた。すっかり暗くなってる。


「泳ぎたいな…」


沙紀は立ち上がった。こんな暗いんじゃ、危ないからって、俺も慌てて立ち上がる。


「あっ…」


沙紀は少しよろけると、俺に抱きついてきた。沙紀の少しひんやりとた額が俺の胸に当たってた。沙紀の身体の温もりを、俺は身体の全てで感じてる。


「ねぇ、しっかりと捕まえて。私をずっと捕まえていて」


沙紀は力を込めて抱きついてきた。俺も沙紀をキツく抱きしめてた。


静かな波の音、優しい風の音、虫の声…


空には無数の星が瞬いて、柔らかい光をふりそそいでる。俺、時間が止まってるんじゃないか、そんな風に思った。


どれくらいそうしてたのか、全くわからない。どれくらい時間が過ぎたんだろう?


「明日帰らなきゃ…、私…時間が無いの…」


そう言って、沙紀は身体を離して、波打ち際まで走った。愛おしむように波に触ると、振り返って微笑んだ。暗くてよく見えなかったけど、泣いてたんじゃないかな?


「リュウジン、戻ろう?」


沙紀は俺の手を握ると、引っ張るように歩き出してた。


201x年9月18日

========


俺は沙紀の荷物を持って、二見港にいた。あと少しで沙紀とお別れだ。沙紀は静かに港を見てる。


俺はあと1週間ここにいるつもりだったけど、ひどく寂しい気持ちになってる。


「荷物、ありがとう。そろそろ行くね」


沙紀?また会えるのかな?


「また…メールするね」


沙紀はくるりと背を向け、おがさわら丸へと消えて行った。


ゆっくりと船が出て行く。二見港は見送りの人たちで賑わっている。おがさわら丸に並走して、島の漁船も複数走り出す。


ありがとう!また来いよ!


島の人達は、口々に言って手を振ってる。中には、海に飛び込む人もいる。


俺は、おがさわら丸のデッキに目を走らせ、沙紀の姿を探した。でも、どこにも沙紀の姿は無かった。


少しずつ遠ざかる船。俺も岸壁まで走った。その時、誰かに押されたんだ。俺は岸壁から海に落ちてた。


白い泡…必死で水を掻き分けて、海面に出る。おがさわら丸は、かなり離れていた。一番後ろのデッキに、淡い青のワンピースが見えたような気がした。


漁船に引き上げてもらい、二見港に戻る。

すっかり気が抜けてしまって、漁船にへたり込んだ。


ホテルに戻り、シャワーを浴びた。頭からしばらく熱いお湯をかけてぼーっとしていた。少しスッキリしたかも。


タオルで頭を拭きながら、テーブルの上を見る。濡れた財布、濡れた紙幣、カード類などが並べてある。当然、まだ乾いてはいない。見送りに行くとき、部屋に携帯を置き忘れてラッキーだった。この状況で携帯まで使えなくなると辛い。


携帯を見ると、メールが来ていた。


落ちてるの見たゾ!?

撮った写真送りたいから、住所おしえてね(^_-)-☆

沙紀


すぐに住所を送った。

もう電波が届かない場所だろうから、明日にならないと読めないだろう。まだ夕方だけど、何もする気になれずベッドに横なった。


いつの間にか眠ってしまっていた。


201x年9月25日

========


島は素晴らしかった。沙紀がいなくなって、気が抜けてしまったけど、島で過ごす時間には癒しがあった。自然と足が宮之浜に向かっていて、その大半を宮之浜で過ごすことになった。


のんびりと過ごしたようにも思うけど、気が付いたら今日は帰る日だった。


あの後、沙紀からは一度も連絡がなかった。何度かメールを送ってみたけど、何の反応もないのが気になる。


沙紀にとって、単なる旅行で終わってしまった・・・ってことなのかな?


バッグに適当に服や身の回りの物を詰め込んで、二見港に向かった。


201x年9月26日

========


久しぶりの雑踏。最初に感じたのは、なんてうるさいんだ?って事。人も多過ぎる。

竹橋桟橋に降りた時から、違和感が消えないんだ。

島の感覚に馴染んでたから、都心の人混みや喧騒がとにかくツライ。久しぶりの電車も、何か違うそんな感じしかしないんだ。


自宅にたどり着いた時には、ひどく疲れ切っていた。


二週間も不在にしていたから、ポストの中にはチラシやDMが大量に入っていた。その中に混じって、一回り大きい封筒があった。差出人には沙紀の名前があった。住所は長野県になっている。荷物を玄関に置いて、急いで封を開けてみた。


中には便箋と写真、それからイラストが入っていた。


とっても島が恋しい。またいつか行けるのかな・・・

私が一番気に入っている写真送るね


あなたに逢いたい

でも、きっと・・・もう逢えない


沙紀


便箋には、これだけ書かれていた。写真は宮之浜で撮った1枚。少し暗いが、オレンジ色に包まれた俺がいる。少し微笑んでるように見えて、すごく穏やかな表情。

俺ってこんな感じだっけ?なんだか別人がいるような、そんな感覚に捉われたんだ。


イラストの方はかなり上手いように思える。漫画チックではあるけど、よく特徴を掴んでいて、誰が描かれているのかわかる。俺が沙紀を抱きしめてる場面だった。あの時だ。イラストの下側には、全てカタカナのメッセージが書かれている。


リュウジンノハダノニオイ・・・

ムネノコドウ・・・

ドウカコノトキガ、エイエンニツヅキマスヨウニ


逢えないってどういうことなんだろう。返事がないことはわかっていたが、またメールを送らずにはいられない。


201x年10月3日

========


沙紀からは何も連絡が無かった。もう10月だ。

あれから、電話もかけてみたが、全くつながらないんだ。


気が付くと、手紙や写真、イラストを読み返している。


ふと、封筒の差出人に目が留まる。そうだ、住所は書いてあるじゃないか。行ってみるか・・・


長野県佐久市なら、車でもすぐに行ける。

じっとしていられない。レンタカーを借りに行こう。


平日の関越自動車道路は快適だった。

これならすぐに到着できそうだった。夕方までに自宅に帰宅することも可能だろう。


カーナビもあるし、道に迷うこともない。

封筒の住所をセットすると、迷わず出発した。


途中サービスエリアとパーキングエリアにトイレ休憩をしただけで、あとはひたすら走った。1時間17分で佐久インターに到着した。


もうすぐなんだ。


平屋のかなり立派な家の前に立っていた。塀に囲まれていて、門を通って中の母屋まで道が続いている。特にチャイムや呼び鈴のようなものがないので、入るしか無さそうだ。


玄関で少し躊躇したけど、思い切ってチャイムを鳴らす。


反応が無い。もう一度、押してみたけど反応が無いので、玄関を開けてみる。すみませんって、声を掛けてみると、かなり奥のほうからスタスタと足音が聞こえる。


「あっ・・・」


出てきたのは、昔は美人だったんだろうなって感じの女性。明らかに何か知ってるんだろうな。俺の顔見て、顔色変わった。


俺は名乗って、ここに来た理由を説明した。


「どぅぞ・・・おあがんなんし」


何か暗い感じ。でも、俺が誰か知ってる、それは間違えないようだった。


通された部屋は、20畳くらいありそうな、かなりの広さがある和室だ。低めの箪笥の上には、沙紀の写真。それからなんと、俺の写真が並べて置かれていた。


「沙紀・・・あんけらこんけら待ってても来ねぇよ」


え?と聞き返す俺。いくら待っても来ないってことらしい。何度か聞き返しながらだったけど、次のような事が聞けた。


沙紀は一回戻って来たが、すぐに出て行ってしまったらしい。1週間ほどして、また戻って来た時に、俺の写真を置いていった。この人がもしかしたら来るかもしれない、そんなことを言ってまた出て行ったと。


そして、箪笥の引き出しから封筒を取り出すと、それを俺にくれた。


何も書かれていない封筒。封もされていない。

中を見ると、便箋が数枚あるようだった。


私に必要なのは、淡い希望

淡い希望が私を動かしてる

もしかしたら、何か変わるかもしれない

もしかしたら、誰かが助けてくれるかもしれない

そんな希望があるから、私は行動できる


愛も恋もいらない

だって、それは心を弱くしてしまう


相手がいたら、頼ってしまうでしょ?

私・・・独り強く生きていかなければならないから


父島に行ったのは、私の生まれ故郷だったから

私の両親はもういない

私が産まれた後に、母は息を引き取った

父親は誰かわからない


そして、親戚の今あなたがいるこの家に引き取られた


だから、1度自分が産まれたところを見てみたかった

何かを見つけられるんじゃないかって

でも私の両親のことも、何もわからなかった

期待していたわけでもないのだけど


でも、リュウジンあなたを見つけた

あなたも、何もかも無くした状態で来たのよね?

私も色んな物無くしたんだ

私・・・ALSっていう病気なの


発症したら、2年ほどで死んでしまうって

ねえ?じっとしていたら、気が変になりそうよ

だから、私はいつも何かを探して動き回ってる

あとは絵を描いているわ


絵を描いている時だけは、色んな事も忘れられるし


あなたに渡したい物があるから、鍵を入れておきます


沙紀


追伸:アトリエの住所のメモも入れてあります


俺は何だかわからず、何度も、何度も読み返していた。

ALS? 難病?


沙紀さんは病気なんですか?と、俺。

秋江と名乗った義母は、悲しそうに頷いた。大きな病院でもお手上げだって、ほんとに可哀想だって。


話しを続けるのが難しい状況だったけど、このまま黙っているわけにもいかない。アトリエはどの辺りにあるのか聞いてみた。アトリエは軽井沢の浅間山の近くとのことで、車で30分ほどらしい。


悲しそうな秋江に見送られ、俺は軽井沢へと向かった。

以前家族で軽井沢のショッピングモールに来たことがあったか。

国道18号線から塩沢湖方面へと道を曲がる。美術館が見えてきた。


その少し先には、畑が広がっている。その畑に囲まれた真ん中に、ウッドデッキが見えている。遠くには浅間山も一望できて、眺めが素晴らしい。昼間の明るい時間だと、もう少し景色も違うのだろう。今は夕暮れ時。


店のドアを開ける。豊潤なコーヒーの香りが漂っている。俺はコーヒーに詳しいわけでもないので、どんなブレンドの香りかはわからない。でも、すごく落ち着ける香りだ。


「いらっしゃいませ」


ブラウンのニット帽子、銀の丸い眼鏡に、覆われた髭。絵に描いたようなマスターだ。グラスを磨いていた手は止めず、にこやかに笑っている。俺はここに来た理由を説明する。


「あなたが・・・わかりました。アトリエに案内しますよ」


話しは全て通っていたんだろう。何の疑いもない感じで、マスターは奥に招き入れられた。


持っていた鍵を使って扉を開けた。


ふわっと香りが・・・清潔な洗濯物の香り。

部屋の中は、夕暮れのオレンジに染まっている。日当たりが良く、とても明るい部屋だった。左側にベッド、大きな窓からは浅間山が見える。右側には作業机があり、キャンバスが置いてあった。


キャンバスには木炭で書かれた人物像。とても穏やかに微笑んでる。色は付いてないけど、かなりリアルに描かれていて、すぐに誰なのかわかった。


沙紀からの封筒にもあった俺の写真と同じ構図。


よく見ると、キャンバスの左隅に何か書いてある。


Fate


「この絵をあなたにって。沙紀ちゃん言ってました。10年ほど前からここを使ってもらってるけど、病気になってしまってから、ここに籠ることが増えたね」


俺は事情をほとんど知らないって、マスターに話した。


「私には家族も居なくて、ここで脱サラして喫茶店始めた時だった。沙紀ちゃんは一番最初のお客さん。それから良く来てくれてね。私は腎臓が悪くて、移植すればよくなるって話を覚えててくれて、ドナー登録までしてくれた。残念なことにHLなんとかって型が合わなくて、無理だったけど。そんなことはいいんだ。私にとっては、本当に娘のように思ってるんだ。今どこで何をしているのか・・・」


マスターにも行先がわからないらしい。


「いつも突然来て作品を描いて、またどこかへ行くのを繰り返してるから、気にはならなかったんだけど、病気になってしまってからは、少し心配だね」


話していて気が付かなかったけど、すっかり辺りは暗くなっていた。


俺に何ができるのだろう?

全くわからない。

この部屋、沙紀の匂いが残るこの部屋に、もう少し居たい。そう思った。

とりあえず、どこか泊まるところが無いかマスターに聞いてみる。


「じゃあこの部屋の隣も空いてるから、そこを使ってください。沙紀ちゃんの友達なら大歓迎ですから」


部屋を準備すると言って、マスターは出て行った。

俺はベッドに腰かけて、キャンバスを眺めていた。


机の上に無造作に置かれた木炭、指のよく当たる部分がわずかに凹んでいる。

そっと触れると、無心にキャンバスに向かう沙紀が見えるような気がした。


201x年10月4日

========


よく眠れなかった。まだ明け方早い時間だけど、マスターも開店の準備をしている。俺は邪魔にならないように、そっと店を出た。浅間山を見ながら辺りを散歩した。


どうしたらいいのか?

全くいい考えも思い浮かばなかった。


気が付いたら、島のことを考えていた。一緒に歩いた浜辺、満点の星空。


行くべきところは、他に無いように思った。


201x年10月12日

========


俺はまた島にいた。


まさか、こんなに早く二度目訪れるなんて、考えもしなかった。

沙紀がここに居る確証は無い。


でも、もしかしたら、この島のどこかに沙紀がいるんじゃないかって、いつか会えるんじゃないかって、沙紀の言うように淡い希望に突き動かされ、ここまで来た。


もう俺には失うものなんて何もないんだ。


だから、ここでずっと待ってみよう。そう思った。


201x年10月26日

========


宮之浜のビーチのベンチ。前に沙紀と座って話した場所。

そこに、いびつなハート型のサンゴの欠片があった。

沙紀にあげたものにそっくりだった。


その欠片には、消えかけの薄い文字が描かれていた。


Fate


俺は拾って帰ると、キャンパスの横の棚に並べて置いた。

多分、ここで間違っていない、そんな風に思っていいよね?


明日も、明後日も、その次も、ずっと・・・ここで・・・

待って見ようと思ってる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] さきは自分の衰えていく姿をみられたくなかったのかな?
2016/09/24 21:13 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ