邂逅2
地竜を信頼させるため竜に姿を変えようとしていた森羅は、突然背後から肩を掴まれたかと思うと強引に押し退けられて、したたか腰を打った。
何事かと思考を巡らせるよりも地竜の一撃が弾き返される方が早くて、ただ呆然と目前にある男の背中を見つめる。
項でひとつに結い纏めた金色の髪が不機嫌な猫の尻尾のようにゆらりと揺れる様がやたらくっきりと脳裏に焼き付く。
「な……っ」
闖入者は地竜に対峙したまま、声の出ない森羅にちらりと視線を投げて寄越す。そのあたたかなまなざしにどこか覚えがあるような気がして、尚更落ち着かない心地になる。
「手荒ですまなかった。慌てていたものだから。怪我はない?」
旅姿はくたびれているが、どことなく育ちがよさそうな雰囲気の青年だった。柔らかい印象の笑みは人懐っこい人柄を伺わせていた。
けれども、その笑顔がなぜだか無性に神経を逆なでする。
「……邪魔を、するな!」
落ちている槍を拾い上げた森羅は、その切っ先を青年に向けた。
彼はは少し目を丸め多少残念そうな気配は滲ませたものの、口元に笑みを浮かべるほどで剣呑な視線を気にする様子はない。
「助けられてその態度はないんじゃないかな?」
切っ先を向けられて警戒する気配すら見せない。この槍が玩具だとでも思っているのだろうかとすら考えたところで、彼が竜に向けている剣に目が止まった。
瞬間、ぞくりと本能的な悪寒が背筋を駆け抜ける。
柄に彫られた竜の細工。柄に埋め込まれた深紅の宝玉と、仄かに赤い燐光を放つ幅広の刀身――それは特に竜族を殺傷する目的で、竜の牙や爪、そして竜族の心臓とも言うべき竜玉を原料として作られる竜殺しの剣、ドラゴンキラー。原料ゆえにもとは幻の武器と言われるほど希少だったが、近年この国では竜狩りが推奨されているせいで、にわかに流通し始め、さらに竜狩りを加速させている忌まわしい剣だ。
柄には傷が刻まれ、使い込まれていることを物語っている。
つまるところ、竜狩りを生業とする竜狩人が手負いで逃げた獲物を追ってきて、人間が襲われているとでも勘違いしたのだろう。
ならば近くに仲間がいるのかもしれないと森羅はあたりの気配を伺う。ドラゴンキラーを持っていたとしても人間がひとりで竜に戦いを挑んで無事ではすまないから、竜狩人は殆どパーティを組んでいる。
近くにこの男以外の人間の姿はなく気配もないが、半竜半人である森羅の索敵能力はそれほど高くないため、警戒を怠ることはできない。
「助けを求めた覚えはない!」
背中に張り付く不快感を振り払った森羅は男を睨みつけると同時に向けていただけの槍の切っ先をずいと押し出し、叩きつけるように言い放つ。
確かに一瞬気を失ったりはしたが、見ず知らずの人間に助けられなければならないほど危機的状況だったわけではない。竜に転変して見せれば地竜を説得するか、双樹が到着するまでの時間を稼ぐくらいのことはできたはずだ。
けれど槍を突きつけられて睨みつけられているはずの男はなぜか笑みを深め、目を潤ませたようにも見えた。
『――矢張り、仲間がいたか。謀りおって!!』
さらなる怒りに震える地竜の声に森羅が振り向くと、ゆらりと尾を降り上げている。
『違う! 話を聞いてくれ!』
『黙れ!!』
風切り音を立てて真上から降り下ろされる尻尾を、ふたり揃って後ろに飛びすさって避ける。だが尻尾が大地に着けば、大地を激しく揺らし、木々がメキメキと音を立てて倒れゆく。
「………っ!!」
森羅はその衝撃に備えていたが、それでも想像以上の揺れに立っていることができずによろめく。安定した姿勢を保っていた男がすっと手を伸ばしたが、槍の柄で押しのけ、バランスを取りなおす。
揺れが収まってから尾が降り下ろされた場所を見れば、数メートルの深い地割れが出来上がっている。
「あー、随分と怒ってるみたいだな」
男はその地割れを眺めても飄々と笑っているから不思議だ。
「お前が邪魔しなければ……!」
「そうは言うけど、木に叩きつけられて悠長にお昼寝してたお嬢さんが丸腰でなにか訴えようとしてたら、見ていられなくもなるよ」
痛いところを突かれ、森羅はわずかに口を閉ざした。
竜に転じれば地竜の信頼を得るか、少なくとも双樹が到着するまで動揺を誘うくらいはできたのだと言ってやりたかったが、森羅が半分竜であるということをドラゴンキラーを持っている人間に知られてはろくなことにならないだろう。
「強情だなぁ」
言葉に詰まった森羅を見つめる男が、懐かしいものでも見るように目を細めた瞬間――ちりっと心の隅に激痛が走った。
あの夢を、見た時のように。




