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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
第二部 1章 竜と人
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決別2



 丘の頂上から、一本の煙が細々と上がっているのが見えた。

 街の方から勢いよく上がる幾筋もの黒煙に比べればそれは酷く弱々しく、だからこそ不安はいっそう募る。

 竜の咆哮を背中に聞きながら駆け上がれば、鎖が緩やかに巻き付き黒ずんだ十字架が斜めに立っているのが見える。

 だがそのシルエットに人影は見えなかった。

 代わりに十字架の下に幾人かの人影と、すすり泣く声。


 横たわったままぴくりととも動かないサラは母親に抱かれ、父親はそのふたりを包み込むように抱きしめて、そして泣いていた。


 ぞわりと鳥肌が立って、足が止まった。


 ひとかたまりで泣いている親子の脇に、煤で真っ黒に汚れた男が立っていた。


 駆けつけた私に気がつき振り返ったその男は、父だった。

 どんなことがあっても領民の避難指示だとかそういう領主としての役目を投げ出す人ではないのに。多くの領民が避難をしている真っ最中なのに。なのになぜ、この人がここにいるのか理解できなかった。

 躊躇っていると父は私の困惑などは気にとめた様子なく、沈痛な面持ちで再びサラに視線を落とした。


「……まだ、息はある」


 ぽつりと、懺悔するような痛々しい声で父は告げた。


「だが、この火傷では……」


 父がその先の言葉を続けることはなかった。

 慟哭から我に返ったサラの両親が顔をあげ、私を認めた。


「ヒース様が、竜が現れた混乱に乗じてサラを助けるよう街の有志に命じてくださったんです。陣頭指揮をふるうだけではなく、御手も……」

「街のみんなが火を消してくれて……さっき、ようやく降ろしてもらったんですよ」


 ナタリーさんは眩しそうに目を細めて、ゆっくりとサラを差し出してくれた。


「………サラ………」


 そっと抱くと、かすかに風が鳴るようなひゅうひゅうという音がしていた。


 かろうじて、顔には火傷は負っていない。

 けれどとても綺麗だった蜂蜜色の髪は、ほとんどショートヘアの様相。

 手と腕は赤い蛇が巻き付いたように腫れ、胸からは下になるほどひどく焼け爛れていて、足はもはや、再起できそうにない。


 痛々しい姿に、どんな言葉も出てこなかった。


 だけど、かすかだけれどちゃんと息をしている。体温がある。

 安堵するにはあまりにも淡い希望なのに、ようやく息ができたような気がした。


「……彼女は……ただの一度もお前の名を呼ぶことも、助けを乞うこともしなかった。炎に包まれてなお、一度たりともだ」


 降り注ぐ父の声が、涙に震えていた。


「――……サラ……」


 短い髪に触れると、まだ熱を持つ毛先がほろほろと崩れ落ちていく。


 言葉にならない喪失感に、涙がこみあげ、喉が痛いほど締め付けられ、目頭が熱く潤んでしまう。

 でも、泣いている場合ではないと涙を呑み、父達を見上げる。


「サラは私が連れて行こう。父上達は先に避難を。……あの竜、ここにくるかもしれない」


 頷いた父がちらりと街の方を見やってからサラの両親の肩を叩き、残っていた街の人々に避難の指示を出す。

 避難する人々の殿を務めるために一度踵を返した父は、ふ、と立ち止まった。


「これは、お前に預けよう」


 そういって差し出された手のひらは、指は、酷い火傷を負っていた。ぎこちなく動く手のひらの上に乗っているのは――指輪だった。

 銀の、ユリの家紋が刻まれた指輪。


「返してやりなさい」

「――……はい」


 その指輪を受け取ると、力の限り握り込む。

 腕は蛇が巻き付いたような火傷を負っているが、指先は飛んだ火の粉によって赤い斑点ができている程度だ。

 彼女が目を覚ましたら、これはあるべき場所に戻す。


 決意を胸に刻む間に、父は今度こそ城へと向かった。




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