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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
第二部 1章 竜と人
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破談2



 細い指の上に乗るそれは、紛れもなく私が贈った婚約指輪だった。

 贈り物を嫌ったサラが唯一涙を溜めた目を細めて笑い、受け取ってくれた物だ。

 身につけるのがもったいないとか野良仕事で傷つけたくないとか言って、指にはめることはほとんどなかった指輪――そんな思い出が疾風のように脳裏を駆け巡り、爪先から脳天まで震えが駆け抜けた。


「サラ、私は認めない! そんなこと、絶対に認めないからな!!」


 振り切るように腹の底から叫んだ。

 だがその声は、サラには、父には、全く届かないかのようだった。


「……よかろう。私からシオンに返しておく」

「父上!!」


 サラの強い目をしばし見つめた父は、静かに頷いてその指輪を受け取った。


「嫌だ! 父上、私は絶対にサラを見捨てない!!」


 喉が裂けるほどに叫んでいるのに父もサラも一顧だにしなくて、叫んでも叫んでも、その声は蒸気のように空しく消えていくだけだった。


「サラ!!」


 血が滲むほど強く拳を握りしめ、声が叫ぶ。

 ヒュウと空気が喉を通るだけで痛みが走るほど声は枯れていた。


「……サラ、私を見てくれ……」


 室内は水を打ったように静かだった。

 そこにぽつりと落ちた掠れた声が、痛む喉が、ひやりとした床が、惨めな思いを増幅させる。

 もはやここでどれだけ叫んでもサラを救うことはできないと、理性が告げていた。けれども諦められず、子供のように駄々をこね続けた。


「サラ! 君が本心ならそれを望むなら私を見て、私に言うべきだ!!」


 血を吐くように叫ぶと、サラはかすかに目を伏せて何もない左手を右手で握りしめた。


「……おふたりのこれまでの深いご温情に感謝を忘れたことはひとときもございません。それにもかかわらず、このようなご迷惑をおかけしますこと、大変申し訳なく思います」


 私か父か、どちらに向けたようにも聞こえる――どちらにしろ酷く他人行儀だが――言葉を口にしながら、サラは私のほうを一度も見ようとはしなかった。

 私の声など聞こえないかのように、父としか話しをしようとはしなかった。


「君の言葉で、事情を説明しなさい」


 父の声はサラをいたわるようだった。いつになく穏やかな、私は向けられたことのない類の問いかけに、サラはかすかに笑って首を横に振った。


「先程のお話のとおりです。加えるべきことはありません。しかし、竜を匿ったことは私の独断によるもので、おふたりをはじめ誰にも一言の相談もしなかったと、それだけは王に申し開きしてまいりました」


 父は一度口を開きかけたものの結局呑みこみ、ただ静かに頷いた。

 そう、確かに。サラの決意は否応なく伝わってくる。

 こういう時のサラの決意を覆せた試しがなく、彼女の強情で頑固な性格をうんざりするほど身に染みこませているのは私だけではないだろう。


 けれども。

 サラは今、ひたすらに切なる願いを込めて名を呼び続ける私を見ることだけは躊躇っていた。おそれるようですらあるほどの躊躇が、身を切られるように痛かった。


「――牢は、どこでしょうか?」


 サラは凍えているかのようにかすかに振える声を必死に押さえこみ、ぎこちない笑みを作った。


「……ティナ。案内してやりなさい」

「でも……でも、ヒース様……!」


 呻くような領主の命に、ティナはおろおろしながらサラと私を交互に見比べる。


「ティナ! 君だってサラと仲が良かっただろう? こんな理不尽な――」

「シオン、いい加減にしないか!」


 押さえつける長兄の力が息をするにも不便なほどに強くなり、さらに重い声が諫める。


「これ以上はかえって彼女を苦しめるだけだろう?」


 長兄よりは幾分いたわりの混ざる次兄に畳みかけられて返す言葉が出てこず、ただサラを見つめた。

 サラはふわりと踵を返してティナに向き直り、その手を取った。


「……ティナ、お願い。場所を教えてくれるだけでもいいわ」

「サラちゃん……」


 自ら牢へと駆けこんでしまったほうが楽になれるとでもいいたげな悲痛な願いがその細い背中に滲む。


「私がちゃんと案内するわ。こっちにきて」


 涙の滲んだ目元を一度拭ったティナは隊長とその部下をきっと睨みつけると、そっとサラの背中に手を添えた。


「サラ――せめて、一言だけでいい。ちゃんと私を見て、話をさせてくれ……」


 踏みだそうと足を持ち上げたサラに、縋るように願う。

 サラの肩がびくりとふるえ、踏み出しかけた一歩はその場に下ろされる。

 だが、振り返りはしなかった。


「――ごめんなさい……」


 風が鳴くようなかすかな謝罪を残して、サラは今度こそ牢に向かって足を踏み出した。


 その痛ましい背中を、ただ見つめることしかできなかった。


 迷いのない足音が遠ざかっていくのを聞くにつれて、ゆるゆると力が抜けていき、視線が床に落ちた。


 知らず流れていた涙が床を濡らしていた。



「お前は、しばらく頭を冷やして来い」


 静まり返った執務室に冷ややかな父の命令が重く沈む。



 ちゃり、という小さな金属の触れあう音が、ぼんやりと耳に届く。

 うっそりと見上げれば、兄が父から鍵を受け取っていた。




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