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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
第二部 1章 竜と人
80/101

破談1



「ヒース様、騎士団の隊長殿がすぐにお会いしたいとお見えです……っ!」


 ひとりのメイドが執務室の扉をノックもなしに乱暴に開け放つなり、叫ぶように報告した。飛び込んできたメイドは物心つく前から毎日顔を合わせているティナだが、その血相は見たことがないほど青ざめている。

 報告に父がおもむろに頭を上げて何事かと問うよりも早く――当然、隊長に面会する了承も、会議中の室内に立ち入る許可を与えるよりも早く――隊長と思しき騎士とその部下2名がドカドカと踏み込んできた。

 あまりにも礼儀知らずな振る舞いに父が顔を顰めるのを視界の端に捉えたが、それよりも彼らが引きずるように連れている虜囚に目を奪われた。


「サラ!? なんでサラが――」


 乱暴に縄を引かれて痛みに表情を歪めているサラの姿を見て咄嗟に隊長に飛びかかりそうになったが、父が腕を上げてそれを制した。「待て」と鋭い眼光だけで命じられて、ただ歯噛みしながら彼らの動向を見守ることしかできない。


(……一体、なんの手違いだ!)


 昨日の深夜になってから、くだんの竜はこの国唯一の跡取りであった王子を殺害した危険な存在だという情報が舞い込んだ。おかげで竜が現れた場合の対策会議は紛糾し、避難勧告やその場合の場所や食料の確保といった手配が夜を徹して行われることになった。

 王子の喪に服するために結婚式の延期は確定したことと、なにより森には行かないようにと忠告するために早朝、時間を作ってサラの家を訪ねた。だがサラはすでに出掛けた後だとナタリーさんに教えられただけだった。すぐさま追いかけて連れ帰りたかったが街の人々の避難の用意を疎かにするわけにもいかず、約束通りすぐに戻ってくれることを祈るばかりで今に至っていた。


「随分と不躾な訪問だが、どのような用件か?」


 横柄な態度に辟易している父が、鷹揚に問う。


「急ぎ、この娘の身元を確認していただきたい」


 騎士が探検を頬にぺちりと当てて示されたサラは、部下の一人に乱暴に髪を掴まれ、その細い首筋に剣を押し当てられている。剣を見るだけでも怯えていた彼女は、今この状況に置かれて、怯えよりも疲弊――あるいは絶望だろうか――のほうが色濃い。

 すぐさまあんな雑魚など蹴散らして助けだし大丈夫だと声をかけてあげたいけれど、任務中と思われる騎士団の端くれを殴ったとあっては反逆罪に問われかねない。

 奥歯を噛みしめながらもう一度サラを見る。

 彼女のシャツの一番上のボタンが飛んでいるのが見えた瞬間、それ以上怒りを抑えきれなくなる。


「――サラに、なにをしたッ!!」

「セオス、アゼル!」


 父に名を呼ばれた兄達はそれだけで私を止めろという命を的確に理解し、両側から私の腕や肩を掴み床に押し伏せた。兄二人に押し込まれて身体の自由はきかなくとも、繋がれた猛犬のような怒りは押さえられはしない。


「サラを、離せ!」

「身体検査をしただけだが――彼は?」


 隊長は軽蔑するようにちらりと私を一瞥して短く答えると、父に問いかける。


「私の不肖の息子シオンです」


 軽く謙る言い回しではあったが、しかし父の威厳ある態度は決して相手の下手に出ているわけではなかった。

 隊長はふんと面白くなさそうに小鼻を膨らませる。官吏であればケチをつけたかったのだろうが、領主の息子ともなれば、そう軽々しく謗ることもできないということだろうか。


「彼女の身元であれば、調べるまでもない。この街の花屋の娘で、名はサラ。このシオンの婚約者だが、彼女が何かしましたか?」

「……あぁ、噂は聞いたことがある」


 隊長は偉そうに顎をしゃくり、今度こそしたり顔でのけぞった。


「領主の息子を(たぶら)かしての正妻に居座ろうとしている稀代の悪女だそうだな。確かに美しい――」


 服の上からでもその華奢な線を知っているとでも言いたげな視線が、舐めまわすようにサラにまとわりつく。まわりの騎士たちもにやにやと嗤い、唇を噛むサラの顔色がいっそう青ざめたように見えた。

 所持品検査ではなく、身体検査と言った、その、意味――。


「彼女がなにかしましたか、とお聞きしたのだが?」


 私が叫びそうになる寸前、父の厳かな声が静かに問い、息を飲んだ。

 ……知っている。

 静かだが、威圧感のあるその声音。それは、父が酷く怒っている時の声だということを。

 父もまたサラをとても気に入っていた。不当な扱いは決して許さない、という気迫だけで隊長がたじろぐ。


「決して、手を触れたわけでは……っ」


 隊長ですら気圧された気迫に呑まれた部下の一人がごにょごにょと聞き取れないような言い訳したが、隊長がぎろりと睨みを利かせて黙らせる。


「ならばその婚約、即刻破棄することを勧める」


 隊長が部下を黙らせて父に向き直った時には、横柄な態度が戻ってきていた。


「この娘は我々が討伐中の王子を殺害した竜を匿い、逃がした。検査の際に〈竜の血〉を所持していたのだから、言い逃れはできない」


 適正な検査の結果だと勝ち誇る隊長の態度にはつくづく辟易する。しかし、続けられた言葉はこの隊長に悪態をつくことを忘れさせた。


「反逆罪で明日、火炙りの刑に処せられることが決定している。それまで牢を借りること、あの丘を処刑場として使用する許可をもらう」

「なっ! 裁判もなしに処刑だなんてバカなこと、許されるものか!!」

「シオン、黙っていなさい」


 父に厳しく諫められ、兄達に押さえられ、やむなく言葉を呑む。しかし、烈火のような怒りはくすぶり続ける。

 領主が裁判の件について返事を促すために隊長へと視線を投げ、隊長は不機嫌にふんと鼻を鳴らす。


「残念だが、これはゴーシュ王が直々に釈明を聞きたうえでの決定だ。覆ることはない」


 空気がずしりと重くなり、沈黙が流れた。

 縋るようにサラを見る。

 なにか、弁明をしてくれないかと。

 もしくは助けてと言ってくれはしないかと。

 しかし、彼女はひっそりとまつげを伏せているだけでなにも言わなかったし、私を見ようとすらしなかった。


「ふむ……およその状況は了解した」


 父の静かな声が、重い空気を震わせる。


「王の要請とあらば応じよう」


 その水面のような静けさに父が諦めたことを感じて、知らず涙が頬を伝った。


「しかし、彼女はたとえ縄を掛けなくても、自ら牢に入る決意があるように見える。いくら罪人であったとしても、逃亡の(おそれ)のない限り、そのような非人道的な扱いをするのは刑法に触れよう。あなたも牢へ入りたいのなら構いませんが」


 一瞬歯噛みした隊長に、父はさらに畳みかける。


「彼女は決して逃げないと私が保証する。その縄を解きなさい」


 領主自ら保証すると言えば一介の部隊長が反論できるわけもなく、渋々部下に縄を解かせた。

 縄を解かれた手首を一度だけさすったサラはそのまま父の前に跪き、深く頭を垂れた。


「ヒース様、ありがとうございます。このご温情に反することは決して致しません」


 サラの声は風のような掠れていた。父は口元だけの笑みでそれに応えた。


 顔を上げたサラは睫毛を伏せたままで、左手の薬指に嵌めていた指輪を――いつもなら指にはめずにペンダントのように首にかけている指輪を――愛おしそうに一撫ですると、決意するように震える吐息を一度吐き出した。

 それから指輪を外し、まっすぐに父を見つめて、かすかな笑みを添えて差し出した。


「……これは、お返しいたします」




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