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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
第二部 1章 竜と人
73/101

迷い1


 足を急がせてはいるが、閉門の時間には少し遅れそうだった。

 くすんだ黄土色の焼きレンガを積んだ強固な壁はすでに見えている。だが既に日は落ち、あとは名残惜しそうに夕焼けが消えていこうとしていた。

 昔から森には夜行性の熊など危険な動物が住んでいるため、街のまわりには塀がめぐらされていて、日暮れには門を閉じる決まりになっている。

 リュイナールは街道の街だから門兵に頼めば開けてくれるが、調書をとられたりと手続きが厄介だしなにより通行料が科せられる。この通行料は貴族には大した金額ではないかもしれないが、一般的な平民の生計にはかなりの痛手となる金額だ。これまで何度も間に合わなくて森の畑の脇にある作業小屋で夜を明かすこともある。しかしあの竜の子を保護している現状では、どうしても街に戻らなければならなかった。

 可能な限りの駆け足で門を目指すが、開門時間は門扉の上に掲げられている竜が描かれた国旗と、この領地を治めるイグナス家を示すユリの紋章の旗が既に下ろされているのが遠目ながらに確認できた。

 昼間は輝くような青地に白いユリの紋章が描かれた優美なアーチ状の門が、今は闇に沈み、ユリの紋章だけが剣のようにほのかに浮かび上がっているように見えた。


 罰金はこの際仕方ないと心を決める。

 問題は調書だった。


(正直に竜を保護しましたと証言するわけにもいかないけれど、虚偽の申告をしてそれが発覚すればシオンに迷惑が――)


「………あ、」


 門の袂で門兵と青年が話している影が見えて、思わず歓喜の声が漏れた。

 心配そうに焦れる様子の青年は、遠目だろうと夜目だろうと誰だかすぐにわかるからて、自然と口元が緩んでしまう。


「サラ! 良かった、探しに行こうかと思ってたんだ」


 同じタイミングで彼もまた私を見つけたらしく、慌てて駆け寄ってきたシオンにふんわりと抱きしめられる。夜風に冷えた体に彼のぬくもりが染みて、心までそっと優しく抱きしめられるような安堵に包まれる。


(……?)


 少し強すぎるくらいの抱擁が緩んでふと気がつくと、手元が軽くなっていた。

 見ればいつの間にか彼が花かごを持ってくれている。

 シオンはいつもそう。

 そうやってさりげなく手を差し出してくれる。


 閉門だって、きっと待たせておいてくれたのだろう。

 その気遣いとぬくもりに、苦い笑みを零す。


「シオンったら、心配しすぎよ。そういうのって職権乱用じゃないの?」


 絶大な信頼を寄せられるイグナス家のお坊ちゃんがこんな時間に街の外に出るなんて言ったら、脅しにも似た効果があるだろうに。

 でも――そう言いながらも、待っていてくれたのは嬉しかった。

 閉門もだが、ざわめく森に迷い込んでしまったような不安が、彼の顔を見ると泡沫のように儚く消えていくから。


「今回は特別だ。本当に、心配してたんだよ」


 シオンは私は両手でないと持ち切れない大きな花かごを軽々と片手に抱えたまま、片手でもう一度私をを抱き寄せる。

 ぴりりと張りつめた空気に、嵐の中の木擦れのように胸の中がざわめき始める。


「……なにか、あったの?」

「ああ、森に手負いの竜が逃げ込んでるって話だ。その竜を追って騎士団も動いてるらしいし」


 警戒するように闇に沈んでいく森を睨んだシオンが囁くように告げ、少年の手足がちらりと脳裏をよぎった。


「……竜……」


 呻くようにこぼれ落ちた言葉を追って、視線を落とす。

 胸元に両手を当てて目を閉じ、背中に這い寄ってくる不安を振り払おうとする。


「帰りが遅いから巻き込まれたんじゃないかって、すごく心配した」


 安堵を滲ませながらも、不安を思い出したシオンは抱きしめる腕に力が込めた。


「ごめんなさい。森で怪我をした子を見つけて手当をしていたらすっかり遅くなってしまって」


 後ろめたさから少し早口になってしまった。

 ちゃんと目を見てすらいない。

 だが、シオンは苦笑いを浮かべる。


「また君は……。今度は何? 頼むから熊の子とか言わないでくれよ」

「違うわよ」


 森で動物を拾う癖を黙認してくれているが、見境がないと窘められるのは毎回のことだ。

 むくれて答えながら、ソウジュのことを相談するなら今だと思った。


 思った、けれど――。



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