萌芽1
最初その姿を見たときは、巨大なトカゲかと思った。
森の中にある畑には小さい頃から毎日のように通っているけれど、こんな巨大なトカゲを一度も見たこともなければ噂を聞いたこともなかったが。
そんな怪物に敵意を剥き出しにした爬虫類の目で見つめられ、足が竦んだ。
恐怖に竦む足をなんとか動かして踵を返し、走り出そうとした時――「待って」と呼び止められて、つい、立ち止まってしまった。
それは人の言葉で紡がれた、あまりにも悲痛な願いだったから。
人語を操れるということは言葉を交わすことを望んだ結果ではないのだろうか。
それとも、そうやって人を惑わす魔物だろうか。
何度もその二つを交互に繰り返し考えながらも、その言葉の中に助けてという願いが秘められているように聞こえて、視線は吸い寄せられるように振り返っていた。
巨大なトカゲは草むらの中に伏していてぴくりとも動く様子がない。
震える息を押し殺して、恐々と一歩踏み寄ってその様子を伺う。
(……こども……?)
倒れた拍子にフードが脱げたのだろう、顔が見えた。
それは人の、しかも子供の顔立ちだった。
トカゲならば尋常な大きさではないが、人だとすれば、なんとも華奢で幼い。
大怪我をして、苦痛に顔を歪めて意識を失っている子供――……。
そう思ったら、もう異形の手足のことは意識から消えた。
日頃から森の中で怪我をしている動物を見つけると捨て置くことができない。後先も考えず見境なく保護するものだから両親も近所の人々も、婚約者までが呆れて苦笑いしているのを知ってはいるのだが。苦笑いするだけで止めもしないから、それに甘えて好きにさせてもらっている。
だって、傷ついて倒れている動物を見過ごすなんて、どうしてもできなかった。
まして半分でも人の姿、まして子供の姿をしているのならば、なおさら。
ゆっくりと様子を伺いながら、傍らに膝をついた。
少年は完全に気を失っていて、起きる気配はない。
かなりの血を失ったのだろう、顔色が悪い。経験から、手当をしても助からないかもしれないと思うほどだった。
顔立ちの整った、かわいらしい少年だった。
光を浴びてキラキラと輝く純白の髪。手足はオパールのように虹色に輝く、やはり純白の鱗に覆われている。その先には象牙のような鋭い爪。少し尖がった耳。目は、一瞬しか見ていないけれども、敵意に隠れて恐怖と怯えが滲む目は、それでも秋空のように澄んでいたのが印象的だったことを思い出す。
けれどその爪はちょっとひっかかるだけでも自分が大怪我をしそうだった。
犬猫を手当するのとは訳が違うのだと心の隅で考え、息をのんだ。
けれど、その爪の輝きすらが、とても清浄に見えた。
見ていればいるほど、こんな子供が怪我をしているのを見捨てることができないという思いの方が強くなっていって、ざっと傷の概要を看る。
少年の腹部の一番大きな切傷は剣によるものだ。
無数のかすり傷と、所々に鏃も残っているから矢も射かけられたのだろう。
(この子、人に……追われているんだわ)
どこかの村で悪さをして追われたのか、それとも単に姿を見て怯えた人々が自警のためにしたものなのか――血止めの応急処置をしながらそんなことも考えた。
だが、前者ではないと勝手に決めた。
いつものように作業小屋へと運び込もうと腹を括って抱き上げると、その体の軽さにまず驚いた。まるで鳥のようだった。
そして手当の途中では尋常ではない治癒力にも驚愕した。助からないかもしれないと思ったのに、数時間で傷はにわかに塞がったのだから。
人どころか、この世の生き物とすら思えなかった。
けれど、少年の不安と怯えの入り交じる目を思い出すと、今さら放り出す気にはなれなかった。
たとえ異世界の生き物だったとしても、幼い身で親とはぐれて武器を振り上げた人間に追い回される恐怖はどれほどだろうかと思うと哀れで、わずかでもこの子の救いになればと応急処置を施した。
ほどなく目覚めた少年は、まず見知らぬ環境に困惑し、怯え、警戒した。
追い回された恐怖はそう簡単には拭えない。保護した野生動物達も最初は怯えてなかなか薬も塗らせてくれなかったりするものだ。
けれど、少年は意外なほどするりとその警戒を解いた。
「ありがとう」と言った少年の笑顔には年齢に不釣り合いな哀愁が漂った。抱きしめて慰めてあげたくなるほどだったが、それを思い留まったのは少年が屈託のない無邪気な笑顔を浮かべて自己紹介をしたからだった。
「僕は神竜族のソウジュ」




