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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
2章 かりそめの恋人
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自立



 日差しの厳しい季節の花の水やりは撒かなければならない水の量が増えるので、かなりの時間と体力を要する仕事だ。それでもいつもどおりにひとりで黙々とこなしていたのだけど、傷が癒えて久しぶりに畑仕事の手伝いにきたシオンは珍しくとても不機嫌になった。


「まったく、君はもう少し人に頼ることを覚えるべきだ」


 ぶつぶつと文句を言いながらシオンは袖を肩までまくりあげて、木製ポンプの井戸から水を汲み上げては桶を畑のそばまで運んでいく。

 そのフットワークも膂力も、毎日やって慣れている私よりも何倍も早くて、細身だし優しげな印象だから普段は気づかないけれども、実は精練された力強さを秘めた男の人なんだと改めて気付かされる。


「手伝ってもらわなくてもひとりでもちゃんとできます。シオンこそ傷が塞がったばかりでしょう! 大丈夫だから帰って休んでいてください!!」


 それだけのことにもやもやして、意地になってぐいっとその手を掴みとめた。


「君の言う『大丈夫』ほど信用ならない言葉はないと今改めて胸に刻んだ」


 振り返ったシオンは柳眉を吊り上げて、きっぱりと言い放った。

 あんたは大丈夫と言って無理ばかりするから信用ならない、とは、みんなによく呆れ顔で言われているから咄嗟に返す言葉が見つからなくて、黙り込むことしかできない。

 居心地悪く目をそらし、勢い掴んでしまったままのシオンの腕を慌てて手放した。

 代わりにシオンから木桶を奪い取るようにして畑まで運ぶ。

 その脇を水を張った別の桶を抱えたシオンが軽々と追い越し、畑の脇に置いて悠然と振り返る。


「私はどのくらい撒くのかわからないし、運ぶ方は私がやるからサラは――」

「……私も、男に生まれたかった」

「は?」


 細身とはいえ無駄なく鍛え上げられた彼の腕と私の骨のような細い腕は全然違う。そんな当然のことが悔しくて、溜息混じりに呟いた。


 頑張っているのに。

 力仕事だって毎日しているし、もっと体力も筋力もつけられたらと思う。せめて誰にも頼らなくても、誰にも心配されなないくらいに軽々と水桶を運べるようになりたい。けれど、現実として男の人にはまったくかなわないことが悔しい。


「かわいい顔してるのに、もったいないことを言う」


 シオンは笑うが、王弟殿下を筆頭に貴公子に言い寄られては散々怖い思いをした記憶が生々しく思い出され、これから先を思うと思わず嘆息が出る。


「この顔で困ったことはあっても、得したことなんかないわ」

「――……そうか」


 ぽつりと雨だれのようにこぼれ落ちた呟きには、自嘲と寂しさが滲んだような気がしたが、それは煙のようにすぐに消えていつもの笑みが戻ってくる。


「ティナあたり、それを聞いたら怒るだろうな」

「……う」


 ティナは確かにそばかすを気にして日頃から愚痴をこぼしている。気持ちいいくらい歯に衣着せぬティナのことだから「はぁ?何贅沢なこと言ってんの?」と怒り狂う様子がまざまざとまなうらに浮かぶようだった。


「ティナには、言わないで」

「いや、一度怒られてみるべきだ」

「だって、女の子はできないことが多すぎるのよ!」


 笑って逃げようとするシオンに、小鼻を膨らませた。


「重いものを持つのも手伝ってもらわないといけないし、若い女の子が店を出してしてるっていうだけでバカにされたりなめてかかられたりするし。街の集会に出たり意見を主張することもしちゃいけないし、女は読み書きすらできなくていい、勉強する必要ないなんて言われるし!」

「……一部は、政策の課題として心に留めておく」


 言い訳からつい、勢い今まで胸に秘めていた苦情を次々と口に上らせてしまう。シオンは苦笑いでそれを一通り聞いてから、最後に溜息をついた。


「でもね、サラ。何度でも言うけど、君は少し人に頼ったり甘えたりすることを覚えるべきなんだよ。一人で持てない重いものがあれば、男でも手伝ってもらうだろう?」

「――……でも」


 こぼれそうになった言葉を、慌てて飲み込む。


「でも?」


 続きを促されるが、またシオンのペースに呑まれていたことに気づき、ただ首を振る。

 言わなくていいことだし、言っても仕方のないことだ。


「でも、なに?」


 首を振っても何度も繰り返し聞かれ、ついには根負けした。


「でも、考えずにはいられないの。もし私が男だったら、父をあんなにぎりぎりまで無理をさせずにすんだかもしれないって。私が女だったから店番も満足にさせられなくて、病気をおして無理に働き続けたんじゃないかって……」


 心臓が弱いからすぐに息が切れる父は、人一倍の努力でそれを補った。ずっとひとりで、私と母の生活を支え続けてくれた。そんな父の背中を思い出すと、胸が痛んでそっと手を添える。


「それに……――ううん、なんでもない」


 背中に大きな掌が近づいている気配に気づき、言い掛けた言葉を今度こそ完全に飲み込むと、木桶と柄杓を手に畑に踏み入れた。



 ……それにもし男に生まれついていたら、これほど激しく胸を灼く想いに身を焦がされることもなかっただろう、なんて言えるわけがなかった。



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