黄昏時
街の見渡せる丘の上に腰を下ろし暮れゆく夕日を見つめていると、風が頬を撫でた。
この丘は子供達が遊んだり人々の憩いの場になっている広場だけれど、この時間帯は子供も大人も家に帰り、夕餉の仕度をしている頃だから人は疎らだ。
それがもの悲しく思えるのは、風が冷えてきたせいだろうかと、膝を抱える。
良い薬を買ったりきちんと医者に診てもらえるようになったおかげか父の容態が少し持ち直してきて、母も少し配達を受けてくれたりして、毎日ほんの少しだけれどふたりの時間を作るようになったのは、どのくらい前だったのだろう。
ほんの10分とか30分程度のその時間、天気がよければ街を散策してここまで歩いてくる。道すがらも着いてからもたわいのない話ばかりして、オレンジ色に染まっていく街並みを、青い尖塔が空を刺す雄壮な城を、眺めた。
ふと視界に入った城のあの人の部屋には既に灯りがともっている。きっとまた分厚い本でも読んでいるのだろう。
あれ以来見舞いに行っていないけれど、傷は順調に回復していると聞いている。
胸が軋んで視線を逸らすと、この丘に登ってくる坂道が見えた。
ここに上ってくる坂道を、どちらからともなく手を繋ぐようになったのは、いつからだったのだろう。
あの人が市中視察の他にもヒース様が出席する会議に追従して議録を取らされたりと言いつけられる仕事が増え、遊ぶ暇がないとどこか嬉しそうにぼやいたのは、いつだっただろう。
いつ――……。
無意味な追想に耽っている頭を振って、それらを追い払う。
こんなところでひとりでぼんやりしているくらいなら、香袋を縫うか、刺繍の練習をするか、あるいは薬草を煎じるとか石鹸を作るとか、やることは山ほどあるのに。家に帰ってもそれらが手につかない日々が続いている。
あの時間を、あの人を、どれほど大事と思っていたのかと思い知らされて、身が凍る思いがした。
――サラ……ずっとそばに、いてほしいんだ。
あの人の言葉はいつだって、あまりにも甘く、強烈に誘惑する麻薬のようだ。
溺れていたのだと思う。
怪我をしたと聞いただけで店のことをほったらかして、泣き喚いて。
彼を失うことがどれほどの恐怖なのかを、思い知らされた。
――君でなければ、駄目なんだよ。
悪女だの毒婦だの、果てには魔女と噂する声もある。
耳慣れたそれらの悪評に、ひとり頷く。
あの人に幻想を抱かせ、愚行に走らせているのは、私なのだから。
あの人の抱える淋しさを少しでも埋めたいだなんて、驕りだ。
私なんか、ほんの一時でもあんな才知に溢れた人の傍らに相応しくなどないのに。
「……も…う…………」
もう私のことなんか忘れてください――その一言を口にしようとすると、言葉が喉に張り付いて離れなくなる。
あの人の前では、なおのこと。
「……私、なんか……」
喉は痛み、声が震え、涙が滲む。
抱えた膝に顔をつけ、それらを堪えた。
「……もう、帰らなくては……」
顔をあげると、夕焼け空は群青に染められていた。
いつも帰る頃に街を彩り始めるオレンジ色の窓明かりが温かく見えていたはずなのに、今はなぜだか寂寥に満ちている。
父が、母が、待っている。
私の帰るべき場所。
こんな夢からもういい加減に醒めなければならない。




