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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
2章 かりそめの恋人
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身を立てる術



「よっ……と」


 農夫の格好も似合っていないが、気のないかけ声とともに軽々とクワを振るい上げては畑を耕す姿はいっそ見事というほど似合っていなくて、見ていると思わずくすくすと笑みがこぼれた。

 笑われていることに気がついて振り返ったシオンは、複雑な笑みを浮かべている。


「そんなに下手かな?」

「怪我するんじゃないかってひやひやしなくなっただけ、すごい上達です――」


 シオンは私の言葉に耳を傾けながら鍬を手放して額の汗を拭った。不意にその鍬に血がついていることに気づいて、さっと血の気が引く。


「シオン、血が!」

「あー、マメが潰れたな」


 シオンは自分の両手を眺め、なんでもないことのように呟いた。


「慣れないのに毎日野良仕事なんかするからですよ! 手当するので、手を洗ってください」

「マメくらい剣の鍛錬でもよくあるし平気だよ」

「ダメです。破傷風にでもなったら大変ですから」


 強引にぐいと手を引いて井戸に向かって歩き出したら、彼はくすぐったそうに目を細めた。


「うん、じゃあ頼むよ」




  * * *




「大袈裟だなぁ」


 よく洗ってから手製の薬を塗って包帯を巻く。治療の後片づけをしていると、シオンは両手の包帯を見て苦笑した。

 彼が農夫ならばマメくらいで大騒ぎなんてしない。

 だが包帯を巻き終わった彼の両手にある筆胼胝ペンだこと剣の修練による胼胝は、野良仕事なんて慣れていなくて当たり前の領主の補佐官であることを物語っていた。


「民の生活を身を持って知っていただくことは私達にとって、とても喜ばしいことです。……だけど、ここまで無理することはありません」


 労りから包み込むように手を添えると、唐突に泣き出したい気持ちが溢れて困った。


「……サラ。私が前に家を捨てると言ったのを覚えてる?」


 あれほど衝撃的な言葉を忘れられるはずがないと恨みがましく見上げたシオンは窓の外を眺めて自嘲の笑みを浮かべていた。


「今あれを思い出すと世間知らずの愚かな発言だったと恥ずかしくなる。私は家を捨てても生きていく術を持たない。まして、君や君のご両親を背負うことはできないんだって」

「そんな必要は――」


 シオンが不意に振り返っていたずら小僧のような光が宿る目にまっすぐに射抜かれ、言葉に詰まる。


「だから、ちゃんとできるようになっておきたいんだよ。最悪、駆け落ちした時に君を路頭に迷わせるわけにはいかないから」


 どくんと心臓が強く脈を打って、咄嗟に胸を押さえる。

 心臓が壊れそうなほど暴れ続けるのと対照的に、思考は冷ややかにそんなことできないと告げ、引き裂かれそうな痛みに目を伏せる。


「……あなたに、農夫は似合いません」

「うん、そうだな。農具より剣のほうが扱い慣れてるし、傭兵のほうが実入りも良くて現実的かと思ってる」


 私は痛みを堪えて絞り出すようなのに、彼は飄々と笑った。それが、無性に癇に障る。


「違います。あなたはヒース様の跡を継ぐべきだと言ってるんです!!」


 声を荒げてしまっても、シオンは笑みを絶やすことはない。


「一度は勘当を言い渡したくらいだから、なんとかなるだろう。兄達のどちらかを呼び戻すとか、兄達の子を養子にとるとか、方法はなくもない」


 彼はそう言いながらも、少し遠くを見るようなその目はそれを本心から言っているとは思えなかった。

 彼は最近、言葉の端々に少し前なら想像できなかったほど思慮を感じさせることがある。きっと簡単に家を捨てていい状況ではないことくらい、ちゃんと理解しているはずだ。

 理解していても心の隅に出奔の心積もりを抱かせてしまうことは、どれほど罪深いことだろうかと空恐ろしくて身震いがしそうだった。


「………あなたは、ヒース様の跡を継ぐべきです………」


 もう一度、呻くようにそう呟くのが、精一杯だった。


 家を捨てるような愚行に走らせてはいけない。

 捨てるならば、私を捨ててもらわなければならない。


 そう思うのに、それを口に出すことができなかった。

 



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