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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
2章 かりそめの恋人
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野生の鳥

 サラが管理している畑が街の周りに巡らせた壁の外だと最初に聞いた時は、驚きで肝が潰れるかと思った。整備された街道にはあまり寄りつかないが、森には猪や熊、狼といった危険な野生動物だっている。だからこそ街は高い壁で囲み、朝夕は門を締めて領民を守っているというのに。

 なぜ街中に畑を作らなかったのかと聞くと、サラは苦笑いを浮かべて「開墾したのは父ですから」とうやむやにする。代わりにソラナさんに聞いてみると、壁の中は必然広さが限られているからだと。地価が高いという金銭的な理由もあるのだが、なによりサラの父であるディアさんが、花は農作物よりも獣害――野生動物が農作物を食べたり踏み荒らしたりする被害――を受けにくいからと人に譲った結果だという。

 街が豊かになれば人が増える。増えれば住む場所も畑も必要になってくるものだ。

 これを父に報告すれば、渋い顔で「懸案事項ではある。しかし壁の増設は一大事業だ。そう簡単に街を広げることはできんのだ」という答えが返ってきて、渋々頷くしかなかった。

 しかもサラは簡素な作業小屋に泊まってくることもあるというからやはり竜の肝だと呆れるしかない。



 呆れるしかないのだが――サラが畑で作業を始めればまず最初に鳩が肩に飛来してきた。

 それから、鼻をひくつかせたうさぎが藪の中から様子を伺う。

 作業を中断して身を屈めたサラに「いらっしゃい」と声をかけられたうさぎが私の様子を伺いながらじりじりと寄ってくる。

 うさぎがぴょこぴょこと跳ねてくるあいだにも、もう一羽飛来してきた雀に髪をついばまれ、鹿が――あれも臆病な気性だが驚かせると角が危険だし、獣害の一因でもある――別の藪から顔を出す。

 柔らかな日差しの降り注ぐ花畑の中で動物達に囲まれていくサラの姿は、本当に妖精かなにかじゃないかと真剣に考えたほどだった。


「ずいぶん人慣れしているんだな」


 試しにサラの肩に乗っている雀に手を出してみたが、私の手を避けてするりと逃げ、避難先の近くの小枝から警戒露わに様子をうかがうという反応で、少しがっかりした。


「人慣れしているわけではないんですよ。貴族は遊びで狩りをするから特に嫌いらしくて」


 サラはその寄ってきた鳥達やうさぎを一匹ずつ優しく撫でながら言った。柔らかい毛並みを裏返すと、そこには塞がったばかりの傷跡がある。


「猟師は彼らを無闇に苦しめるようなことはしないけれど、彼らは怯えて逃げまどう動物達の様を楽しむために執拗に追い回すでしょう?」


 よく見ればサラに寄ってくる動物達にはみんな、傷跡があった。つまり彼らは全部サラが森で保護した動物達ということのようだ。


「……なるほど」


 君と同じだと心の隅で思い、苦笑いで答えた。


「でもあなたにはすぐに懐く気が――……あ、ほら」


 サラの腕の中から鳩が一匹ひらりと飛び立ち、私の目の前に降り立つ。

 首を傾げては立ち止まり、様子を伺っては数歩進む。

 じっと待っていると、最後に鳩は膝にちょこんと飛び乗った。嬉しくなって手を差し出すと、指をついばまれた。


「痛っ!……おい――……」


 情けない声で文句言うとサラがくすくすと笑った。


「おいしそうなにおいがしたんじゃないですか?」


 今朝エドガーにサラと一緒に森の畑に出かけるんだと話したら用意してくれた籠を指さされて開けると――一気に数羽の鳩やら雀やら烏やらがどこからか集まり、勝手についばみ始める。

 ばさばさと音を立てて体中をふわふわと撫でる羽がくすぐったい。


「あぁ、こら!ちょっとは遠慮……はは、やめろって!」


 押さえようとしても堪えられずに声を上げて笑ってしまうと、サラも声を上げて笑っていた。




 籠の中のサンドイッチと葡萄があらかた食べ尽くされると、薄情な鳥達はどこかへ飛び去っていった。ようやく鳥の襲撃から解放されて息を整える間も、サラはまだ笑い続けている。


「すっかり懐かれたみたいですね」

「こういうのは普通、懐かれたって言わないだろう?」

「……さぁどうかしら?」


 含み笑いを漏らすサラの視線の先には、鳩がいた。多分、最初にサラの肩に乗っていて私が手を出したら逃げたやつ。

 満腹らしいその鳩は私の肩に乗ってきて、お礼なのかクルルルと喉を鳴らした。手を伸ばしてみたら、鳩はそっと体を寄せてくれた。

 その暖かい体温に心までほっこりと暖かさが染みていくようだった。


「……やれやれ、次からお前達の分を別に準備してやらないとな」


 空っぽになった籠の中を見ながら呟くと、唐突にサラの表情に暗雲が立ちこめた。


「彼らは野生ですよ。必要最低限、あるいはほんの時々にしてください」


 口調が堅く、警告を告げるようにひんやりとした声音に、訝しくみやる。

 サラは自分の腕の中のうさぎを哀れむように眺めてから私と肩の上の鳩に苦い微笑みを向ける。


「彼らの最後まで続けてあげるのは無理でしょう?」


 言葉にできないずしりと重いものが胸の中にわだかまりを残した。

 不穏な空気を感じたのか、鳩は空へと飛び立っていく。


「あなたはとても優しくて、だからこそ好かれる。それはとてもいいことですが――」


 サラは最初に付き合おうと言ったあの時と同じ泣き出しそうな表情で、飛び立った鳩を追って空を仰いだ。


「でも、餌付けに慣れてしまうと自分で餌を取れなくなる。そんなふうに生きていけなくなるくらい甘やかしておいて、途中で放り出すことほど残酷なことはありませんよ」


 寂しげなその背中に、返す言葉がなにひとつとして浮かんでこなかった。




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