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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
2章 かりそめの恋人
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街の暮らし



「本っ当にあの子ったら色気がなくて申し訳ないですよぉ」


 ソラナさんは接客しているサラの背中をちらちら見ながら、私にこっそりとそう呟いた。


「あの子ときたら、坊ちゃんが降りてきてくださってるっていうのに、ろくにふたりの時間を作らないんだから。店番くらい私たちが代わってもいいって何度も言うんですけど、意地っ張りというか仕事熱心というかねぇ……」


 呆れ顔でその背中を眺める様子は、まるで母親みたいだ。


「いいや、これはこれで楽しいよ」


 サラの店は元々街の花屋だと本人が言っていたとおり、生花――切り花はほんの少しで、鉢植えのほうが多い――とドライフラワーが半分ほどで、あとは実用的な香草やスパイスや薬草、それを煎じた薬や香袋サシェ、果てはローズマリーやラベンダーで色や香りのつけられた手作り石鹸まで取り扱っていて、花屋というより植物関連の雑貨屋の趣きだ。

 最初見たときは単純に面白いと思ったのだけれど、本業だけでは商売が成り立たなくて必要に迫られた結果だとわかるとほろ苦い思いを噛みしめた。

 客足が途絶えている時もサラはたいてい香袋を縫っていたり、薬を煎じていたり――たまに時間があれば近所の子供達に読み書きを教えたりしていて、本当に精一杯時間を都合してこの逢瀬の提案に行き着いたのだと理解した。だからこれ以上無理は言うまいとサラに着いて回り、時折畑仕事やら配達やらにちょこちょこと手を出している。さすがに接客は客が引くので、臙脂えんじ色と白のストライプ柄の簡易テントの奥にこうして隠れがちだけれど。

 手伝いといえるほど役に立っているかは定かではない。けれど、花束を作るのはあまりに要領を得なくて任せてくれなかったところを見ると、多分足手まといにだけはなっていないのだろうと思う。

 それはそれで珍しい体験ばかりで、毎日新しいことを知るというのは冒険でもするような楽しさに溢れているから、本当に満足している。


 ぱちりと目を瞬かせたソラナさんは、ばしんっ!と豪快に私の背中を叩いて笑った。


「さっすが、ヒース様のご子息は人ができてるねぇ!」


 派手な音に驚いたサラが振り返ったが、じんじんと痛む背中をさすりながらなんでもないよと手を振っておく。

 サラは後ろ髪引かれていたけれど、客に話しかけられて接客に戻った。


「坊ちゃん、うちの商品で良かったらいつでも好きなだけお持ちくださいね」


 複雑な笑顔でソラナさんは言い、私の腕の中に洋梨を5つか6つごろごろと押し込んだ。


「……うん?」


 叩いた謝罪かと訝りながら左手にまとめて抱え、1個をかじる。


「私にできるのは、こんなことくらいですよぉ」


 柄にもなく、沈んだ声だった。

 サラの背中をちらりと見やる目が潤んで、悔いるように目を伏せた。


「……私たちは、あの子になにもしてやれなかったんです……」


 それは、私に話しているというより、神に懺悔しているように見えた。

 ソラナさんは軽く頭をふると気を取り直して、私に作り損ねた笑みを向ける。


「もともと恐ろしく気の強いじゃじゃ馬娘でしたけどねぇ……お父さんが病に伏せってから、変に意地になったというかねぇ……私たちが援助を申し出ても、あの子は頑なにそれを拒んで、受け入れようとはしなかったんです」

「……父が仕事を頼まなければ、王弟に仕えることも覚悟をしたと言っていた」


 苦々しい気持ちで告げると、ソラナさんはくしゃりと顔を歪め、涙を堪えようとした。けれども結局エプロンを顔に押さえつけて「あぁ、やっぱりそんなふうに思い詰めていたんだねぇ」とくぐもった声を絞り出した。


「正直、嘆願なんか出したところで一市民のことなんか気にかけてくれるはずはないって思ってたんです。でも殿下がいらした時のあの子の怯えようや、貴族の馬車が通る度に息を呑む姿を見ていられなくて。どうにかしてやりたいってその一心でみんなで話し合って。でもヒース様はわざわざ足を運んでくださって――」


 彼女は神に感謝をしめすような目で、私を見上げる。


「あの日のことは忘れられません。ヒース様は嘆願のことなど一言も口にせず、ただ店先にあったユリを一輪手に取って『立派なユリだ』と目を細めたんです」


 ユリは、父にとって思い入れの強い花だ。

 世辞を言うのに引き合いに出す花ではない。

 濃紺に白百合の紋章がイグナスの家紋であることもその理由だろうが、亡き妻が最も好んだ花でもあったから。

 世辞を並べる性格でもなければ、他にも花はあっただろうから、本当にサラの仕事ぶりが気に入ったと見える。


「そして『城の来客用に飾る花の配達と手入れを頼める腕のいい花屋を探していたのだができるか』と。あの子がヒース様の信頼に恥じないよう務めさせていただきますと答えた時の笑顔ったらもう……。私が泣いてしまってみんなを驚かせてしまったほどですよぉ」


 仕事を与えてくれたと父に感謝していたサラの姿が脳裏に浮かぶ。

 おそらくだが、援助ならばサラは辞退するか、援助を受けても引け目を感じずにはいられなかったのではないだろうか。

 父が信頼を寄せて任せると言ったから、快諾することができた。


「私はあの方が治める街に暮らせることがどれほど幸せかと、あの日から毎朝神に感謝の祈りをかかしたことがありませんよ」

「…………そうか」


 これまで、私は父に対してあまりいい印象を持っていなかった。

 物心ついた時から記憶をすべて探しても、かわいがってもらった覚えは一度もない。いつも不機嫌な顔をしていて、口を開いたかと思えば小言か叱責かという、厳しくて冷たくて怖い人だった。

 けれども街に降りるとこういう話を毎日のようにいろいろな人から聞かされ、領主としては傑物なのだろうなという念は嫌が応にも芽生えつつある。


「でもそのきっかけを作ったのはあなたたちだろう? なにもしてやれなかったなんてことはない」

「坊ちゃん――……」


 父に向けていたのと同じまなざしをそのまま私にも向けたソラナさんは、喉を詰まらせて再び目元を拭った。


「無礼な振る舞いでしたけどね、私は嬉しかったんですよ。あんなふうに坊ちゃんに突っかかっていくなんて、昔のサラに戻ったみたいでさ。店を仕切るようになってちょっとは大人しくなったけども、昔は自分が正しいと思ったら男の子だろうが大人だろうが相手かまわずつっかかっていってしまう向こう見ずな子でねぇ。目が離せなくて困ったもんでした……」


 ソラナさんは懐かしそうにサラの背中に視線を投げてふふっと小さく笑ったが、先日恩義のある領主にすらつっかかったと教えたらさすがに肝を冷やすだろうなとつい笑みがこぼれる。


「そんな子ですからね、無理して我慢してるんじゃないかって、いつか潰れるんじゃないかって、ずっと心配だったんです。……だからね、坊ちゃん」

「うん」

「あの意地っ張りの跳ねっ返り娘はたくさんご苦労かけるでしょうけどね、サラを大事にしてやってくださいねぇ……」


 最後にそう言ったソラナさんの笑顔は本当の家族に向けるのと同じで、こちらまでほっこりとしてしまうようなあたたかさに満ちていた。





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