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銀のユリに誓う  作者: 葵生りん
第一部 1章 野に咲く花
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健気な花5



 重い返事を返した私を、サラは心配そうに見つめた。


「大丈夫、出奔はさすがに本意じゃない」


 苦笑いで言い添えながら少し離れて隣に座ると、彼女は安堵の息をついた。信用されてるんだかされてないんだかよくわからないなと苦笑いをかみ殺す。


「だったらせめて、このまま今夜ここに泊まっていかない?」


 その提案にサラはあどけないほどにきょとんとした。驚きが侮蔑に変わる前にと慌てて弁明をはかる。


「あ、いや違うんだ。なにもしない。約束する。ただ、このまま私の愛人のフリを続けてくれないかと思ったんだ」


 必死に両手を上げ首を振って全力で否定してから、安心させようとできるだけの笑顔をつくる。


「不本意だろうけど、そういう噂になれば君に言い寄る男がいなくなるだろう?」


 きょとんとしていたサラの表情が、みるみる困惑と緊張に染まっていく。


「それは……そうでしょうけど……でも、ヒース様が許すとは思えません」


 新緑色の目を丸めて覗きこんでくるサラは私がどこまで本気かと疑っているようだった。


「あの人に怒られるのは慣れてる。サラがいつあんな目に遭うかと心配し続けるほうが耐えがたい」

「そ…んな……ご迷惑を……」


 サラは私の目を見つめたままで目の鼻の先にまで詰め寄った。

 おそらく彼女はいまだシャツの釦が二つはずれたままだということを、今座っているのがベッドだということを――あるいは私が男だということを、きれいさっぱりと忘れているらしい。

 そんな格好で詰め寄られ、潤んだ目で見つめられ――意地の悪い冗談を言ってみたくなる。


「私に迷惑をかけるのが嫌ならば――」


 いたずらっぽく笑いながら、サラの肩に手を置く。

 またしてもきょとんとしたサラの腰に腕をまわして引き寄せると同時に肩を押し、ベッドに倒れ込むとやわらかな寝具がぽふんと軽い音を立てた。

 小さな悲鳴を漏らしたサラが慌てて身をよじって起き上がろうとしたが、ぴたりと覆いかぶさってそれを許さない。

 乱れ落ちて顔にかかる髪を払うと、困惑した表情で見つめ返してくる。


「……シオン様……?」


 そのまま朱に染まる頬を撫で、赤く艶やかな唇を指でなぞると、その柔らかな感触に、ぞくりと体の芯が熱くなる。あまりやりすぎると冗談にならなくなりそうで少し焦りつつもまっすぐに見つめ、額が触れそうなほどに顔を寄せる。


「フリとは言わず、手籠めにしてもいいけど」


 耳まで薔薇色に染めたサラは恥じらいがちに視線を泳がせ、せわしなく瞬きを繰り返した。

 王弟に言い寄られていた時の悲壮さだとか絶望だとか諦めを秘めた態度とは全然違う。

 それさえ確認できれば、満足だった。

 それだけで羽箒でふわふわくすぐられるようで笑みが溢れる。

 けれど冗談だと白状するつもりで目を合わせたサラは控えめに見つめ返してから目を伏せ、意外にもこくんと小さく頷いたものだから心臓が跳ねた。


「――ごめん、冗談だよ」


 苦笑いで暴れ狂っている心臓を宥め賺し、目を閉じて自分に言い聞かせながら、組みしいていたサラの横に転がった。おずおずと身を起こしたサラが、居心地悪そうに覗き込んでくる。


「……でも……」


 信じられないくらい律儀だなと、笑みがこぼれる。


「今日はやめておくよ。弱みにつけこむみたいで平等フェアじゃないから」


 あまり言い募られると決意が揺らぎそうで、言葉を遮った。

 サラはなにかいいたげに一度口を開きかけたが、結局なにも言わないまま目をそらして口をつぐんだ。


「その代わりにひとつお願いがあるんだけど、いいかな?」

「……はい?」


 弾みをつけてひょいと起き上がると、サラは再びぴしりと背筋を伸ばして居住まいを正した。

 改まられるとこちらも緊張してしまいそうになって、誤魔化すために破顔する。


「シオンと呼んでほしい」


 サラは三度、きょとんとした。

 いや、今度はぽかんとしたというべきだろうか。


「私は、君と対等でありたい」


 真剣に言っているのにサラは口元を歪めたかと思うとぷっと吹き出し、それから声を上げて笑いだした。無邪気に声をあげて笑っているのは、もしかしたら今までの緊張の反動かもしれないけれど。


「呼び方を変えただけでなにかが変わるとは思えませんが」

「うん、それでも」


 笑いをおさめたサラは困り顔をしていたけれどごり押しすると諦めたようにもう一度息をつき、ゆっくりと口を開いた。


「シオン…――さ」


 むずむずと戦慄かせた口元にぴっと指を突きつける。驚いて敬称を飲み込んでしまったサラは、眉を下げたままでもう一度笑った。

 その笑顔だけで、もう十分だった。




「ところで、その格好をどうにかしてくれないと目のやりばに困るんだけど」


 はだけた胸元に吸い寄せられそうになる視線を引きはがす。本当にきれいさっぱり忘れていたらしいサラは今さら慌てて襟元をかき集めて背を向けた。


「これは……シオン様が脱げと命じたまま、整えていいと許しを出してくれなかったから――」


 動揺からか幼子のように辿々しく釦を留めながらこぼすささやかな恨み言はかわいらしくてくすぐったい。


「シオン、と」


 断固としてそれだけは譲らないという意志を込めて訂正を要求すると、サラの肩がかすかな笑いに揺れた。


「――シオンがそう命じた結果でしょう?」


 敬称をなんとか呑みこむ違和感はある。けれども引きずられるように口調が少し砕けて、むくれる様子がまたかわいらしい。それだけで足先からじんわりと全身が暖かくなるようだった。


「うん。だから、拒絶して欲しかったんだって。君はとても意志が強そうだから、いざとなれば逃げてくれるんじゃないかと――事情も知らずに嫌な思いをさせて悪かった」


 きちんとボタンを留め終え、ベッドを降りて上着とエプロンを拾い上げたサラが苦笑いを向けた。


「いいえ、私が悪かったと思います。ヒース様の御子息なら私の家庭の事情くらいはご存じの上でおっしゃっているものかと思いこんでいました」


 耳の痛い言葉に今度は私が苦笑いを浮かべた――と、その時だった。

 苛立たしげな強い叩扉の音が部屋中に響いた。


「シオン、開けなさい」


 静かだが有無を言わせない威厳に満ちたその声は、父だ。

 笑っていたサラがびくりと身を竦ませたから、そっとその頭をなでる。


「大丈夫、サラに咎はない」

「でも――でも、シオン様が……」


 見上げるサラは打って変わって泣き出しそうだったが、ついつい笑みがこぼれた。

 まったく、呆れるほど律儀で人がいい。


「シオンと」

「今はそんなことを言ってる場合ではないでしょう?」


 訂正を要求するが、彼女は話を逸らすなと断固拒絶した。

 心配してくれてるんだか、苛立っているんだか。心配してくれているなら嬉しいけれど、などと考えるとそんな姿も愛おしい。


「父上に怒られるのは慣れているから心配はいらない。けど、着衣は整えてから出ておいで」


 父は合鍵を持っているし、城の主に向かって籠城するほどの愚は犯さない。

 待たせる時間だけ火に油を注ぐことになるので、不安げに佇むサラを残して父に今開けますと返事をし、扉の鍵を解いた。




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