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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ウイルスホルダー

作者: ミジンコ

 西暦20XX年世界は最終戦争の炎に包まれ……なかった。

 その代りに地球に住まう生命を脅かしたのは突如出現した新種のウイルスだった。

 それは日本である日突然苦しみだした男が断末魔の叫び声とともにその体を異形の形へと変質させたことから始まった。

 醜くい崩れた顔、巨大な体躯に人の胴体よりも太い異形の手足、耳障りな咆哮を上げ周囲の生命に見境なく襲い掛かるそれはまさに怪物のそれである。

 巨大な体からは想像もできない速さに加え、その巨腕から放たれる一撃はいとも簡単に周囲の人間を挽肉へと変え、樹木をマッチ棒のように圧し折り、住宅でさえも簡単に崩壊させる威力があった。

 唯一の救いと言えば防御能力が腕力などに比べれば圧倒的に低い点だろう。

 怪物が暴れ始めて暫くの時間外経過した後、駆け付けた大勢の機動隊により撃ち込まれた弾丸はその体に易々と喰いこんでいく。

 防御能力は確かに低かったが耐久力が高かった為機動隊にも相当な被害が出たが、何百、何千発と撃ち込まれた弾丸によりようやく怪物は死を迎えた。

 死んだ怪物は国の研究機関に運ばれ解剖、研究された。

 結果判明したことは、目撃者の証言通り元は人間の男性であったこと、そして体内から検出された未知のウイルスが男性を怪物に変えてしまっていたということだった。

 しかし検出されたウィルスの研究は難航した。

 分かったことといえばこのウィルスは人間の細胞のみを変質させ、爆発的に増殖するということだった。

 他の生物、ラットから始まり、魚や鳥、昆虫に植物を使った実験ではウィルスの増殖は確認出来ず、人のみを見境無く生き物に襲い掛かる醜い化け物に変質させることからオーガウイルス、通称O・ウイルスと呼ばれた。

 先の男性怪物化事件は多数の目撃者と被害者がいたことから隠蔽することができず、世間には未知の怪物として発表されることになった。

 そして時折現れるO・ウイルスに感染した元人間の怪物が世間を騒がせている中、その怪物を異形の腕を持って討伐する人間が現れた。

 怪物が暴れている現場に現れたその男は自分の右腕を怪物と同じ異形に変化させ、怪物を殴り殺していた。

 駆け付けた機動隊により捕獲された男は、麻酔銃によって眠らされ研究機関に運び込まれた。

 研究所に運び込まれた時にはすでに異形の腕は元の人間のものへと戻っており、採取した血液等を分析した結果暴れていた怪物と同じO・ウイルスが検出された。

 しかしなぜ男は怪物化することも無く、腕のみで済んでいるのか、なぜ元に戻ったのか等は解明できることはなく、O・ウイルスに対する先天的な免疫を持っているのだろうと仮説が立てられた。

 そして怪物に対抗できる人間が現れて数年後、物語の舞台は日本のとある県のとある市に移る。

 春も麗らかなこの日、高校の入学式を終えた小島(こじま)(いつき)は幼馴染兼彼女である日向(ひなた)(しずく)と共に繁華街を歩いていた。


「にしてもようやく長ったらしい入学式が終わったな。これで俺達も晴れて高校生ってわけだ!」


 高校指定の制服を着て歩く樹は、どこからどう見ても平凡極まる容姿をしていた。中学の時は体育の成績は良かったが勉強の方はさっぱり出会った為、雫に付きっきりで勉強を見てもらい、何とか雫と同じ高校に入学できていた。故に高校入学の喜びも大きく、テンションも最高潮であった。


「そうね、私も樹と同じ高校に入れてよかったわ。せっかく幼稚園から一緒だったのに今更別の学校とか嫌だものね」


 平凡な容姿である樹とは正反対の可憐な容姿の雫。スタイルも良く、道を歩けば10人中10人が振り返るというほどの美少女振りである。背丈は樹よりも少し低く、顔立ちは神が愛したと言わんばかりに整っており、腰まで伸びる黒髪は絹糸のようにきめ細やかで、手で髪を梳いても全く引っ掛かることが無い程にサラサラとしていた。

 そんな二人が楽しげに話ながら繁華街を歩いていると、いつもの如く周囲の人間の視線が雫に集められる。道を歩く男は言うに及ばず、同性の女性の視線もその身に集めていた。


「ふふ♪ えい!」


 周囲の視線を集めている事を自覚している雫は小さく笑うと、勢いよく樹の腕に抱きついてきた。

 その光景に周囲の視線は雫から樹へと移される。先程からも時々雫の隣を歩く樹の姿に誰だこいつ、的な訝しげな視線を受ける事があったが、今は明確な嫉妬と殺意が視線に込められている。しかし普段から殆どの時間を雫と共に行動する樹は前から同じような視線を浴びる事も多かった為今では慣れた物であった。

 そんな2人が歩いている道を塞ぐように3人の男が現れた。

 3人とも髪を金色に染め、耳にピアスを複数着けており、服装や指輪などの装飾品も周囲を威嚇するような物を身に着けていた。どっからどうみてもチンピラと言った風体である。


「ねー彼女ー、可愛いねー。これから俺達と遊びに行かないー? 気持ちい所に連れてってやるぜぇー?」


「そーそー、こんなモブみたいなガキは君みたいな可愛い子には似合わないよ」


「ってことでガキ、怪我したくなかったらとっととその子置いて失せな」


 ギャハハハハ、と樹を見て品の無い笑い声を上げる3人の姿を遠巻きに道行く人が見て見ぬふりをしている。誰もとばっちり受けたくないようで樹達を助けようとする人間は皆無だった。


「だってよ雫。どうすんの?」


「えー? 嫌よ私。こんな人達となんかといるより樹と一緒に遊びたいもの」


「だってさ。わかったらさっさとどっかに失せてくれますか? テンプレートチンピラの皆さん」


 雫が更に抱き着く力を強め樹にその形の良い胸を腕に押し付ける。そして樹が雫の否の返答を相手に皮肉たっぷりで伝えると、チンピラの表情が一斉に凍りついた。

 樹達の周囲だけ一気に不穏な空気が流れ、周囲の通行人たちは巻き込まれてはたまらんとばかりにそそくさとその場を後にする。辺りに樹達とチンピラーズの計5人だけが残され、静寂に包まれていた。

 そして怒りにプルプルと震えていたチンピラーズの1人が我慢の限界を迎えたのか懐から1つの手に収まるサイズの銀の棒を取り出した。チンピラAが手首をスナップさせると、カシュッと音を立てて棒の形が変わり、同じ長さの刀身が現れた。


「テメェ! 女の前だからって調子に乗ってんじゃねぇぞ! せっかく女置いてくだけで許してやろうと思ったのにもう許さねぇ! おいお前等! さっさとこのガキ半殺しにして女連れて行くぞ!」


「「おう」」


 チンピラAの号令に残りのチンピラBとCも同じように懐からバタフライナイフと取り出し樹に向けて構える。樹の返答がよほど腹に据えかねたのか全員目が血走っており、もう頭の中では樹を半殺しにしてから目の前の美少女に自分達の欲望をぶつける事しか考えていなかった。


「俺達の誘いを断ったんだ、もうやさしくしてもらえると思うなよ!」


 その言葉を皮切りにチンピラーズが一斉に襲い掛かってくる。素人同然の動きではあるが、常人からしてみたらナイフを持った暴漢が3人同時に襲ってくるのは十分すぎるほどに脅威である。


「雫、危ないから少し下がっててくれ」


「うん」


 樹は雫を下がらせると、こちらに向かってナイフを振りかざしながら走ってくるチンピラーズに向けて駆け出した。獲物がいきなり接近してきたことに多少の戸惑いを覚えたが、すぐにそれは怒りに上書きされた。チンピラーズは樹に舐められているとそう感じていたからだ。


「死ねやぁぁぁぁあああああああ!」


 その叫び声にも似た声と共に右手に握られたナイフが振り下ろされる。樹が走る速度を上げチンピラに更に接近すると、左腕で振り下ろされるチンピラの右腕を押し、軌道を逸らした。

 突然自分の腕が思い通りの軌道を描かずに空を切った事にギョッとした顔をしたのも束の間、樹の右拳がチンピラの左頬に物の見事にめり込んだ。

 思い切り殴り飛ばされたチンピラAは勢いよく吹き飛び、そのまま地面に倒れた。口から血を流して気絶し、すぐそばには殴られた拍子に折れたであろう奥歯が転がっていた。


「ヤス!? 野郎よくもヤスを!」


「もう殺してやる!」


 左右から同時に繰り出されるナイフによる刺突を半歩下がって躱すとチンピラBとCの腕に手を添え、軌道を逸らす。すると軌道を逸らされたナイフはチンピラBとC、互いの肩に突き刺さる形で止まった。


「ギィヤァァァァアアアアア!! ナ、ナイフが刺さったぁぁあああ!」


「いでぇぇぇええ! いでぇぇえよぉぉおおおお!」


 突然の痛みにナイフから手を離しのた打ち回るBとC。その2人の様子を冷めた視線で眺めていると、樹の視界の隅にピクリと動く者がいた。

 先程殴り飛ばされ気絶していたチンピラAは生まれたての小鹿のようにプルプルと震えながら立ち上がると鬼のような形相で樹を睨みつける。


「ゆ゛る゛ざね゛ぇ……ぜっだい゛に゛ゆ゛る゛ざね゛ぇ……。ごろ゛じでや゛る゛ぜっだい゛に゛ごろ゛じでぇぇぇぇぇぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 口から血の混じった泡を吹きながら怨嗟の声を上げていたチンピラAが唐突に頭を抱えて苦しみ始めた。襲い来る今までに体験した事のない強烈な痛みが全身を支配し、飛び出さんばかりに見開かれた目からは血の涙が流れだしている。

 突然苦しみだしたチンピラAの姿に樹や雫も、それに仲間のチンピラBとCさえも身動き一つできずに立ち尽くしていた。

 そして変化は唐突に表れた。チンピラAの叫び声が人の物ではないような濁り切った絶叫に変わり、肉体が膨張を始める。元々170cm程あった体が徐々に伸び、髪が抜け落ちていく。やがて絶叫が収まるとそこにいたのはチンピラAではなく、2mの巨体に濁った緑色の肌を持ち、その両腕両脚は樹の胴回りよりも更に太かった。


「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ぉ!!!」


 それは生まれ変わった事への歓喜の咆哮なのかそれとも周囲を恐怖に陥れる為だけの咆哮だったのか定かではないが、その醜く成り果てた顔にある歪んだ口からあふれ出す咆哮はあらゆる生物の恐怖心を掻き立てた。

 雫が樹に駆け寄り、その服の裾を握る。そんな雫を守るように徐々に後退していると、怪物の咆哮が止んだ。怪物はその濁り切った瞳を一番近くにいる生物、仲間であったチンピラBとCに向けた。

 ずんずんと大きな足音を立てて先程の咆哮で腰を抜かしていたチンピラBに近寄っていく怪物。なんとか少しでも距離を離そうと必死に後ずさりするチンピラBだが、腰が抜けている為殆ど逃げることができなかった。


「お、おいヤス? ど、どうしたんだよ……、おい、こっちに、こっちに来るなっでぇ!?」


 どんどん近寄ってくる怪物に悲鳴の様な声を上げ、右手を我武者羅に振り回すチンピラBは次の瞬間振り下ろされた怪物の拳によってアスファルトの上に真っ赤な血の花を咲かせた。

 巨大な拳がアスファルトに叩きつけられた音と一緒に水風船が弾けるかの様な水っぽい音が聞こえ、怪物が拳を持ち上げるとそこには拳が叩きつけられたことによるクレーターとチンピラBだった肉片、それと砕かれたアスファルトに浸みこんでいく大量の血液だけが残っていた。


「ヒッ、ヒィィィィィイイイイ!!」


 悲鳴を上げ、股間を小便で濡らしたチンピラCは目の前の非日常的な光景にすでに怯えるばかりで動くこともままならないでいた。

 そんな次の得物を見つけた怪物はその醜い顔に醜悪な笑みの様な物を浮かべると再び咆哮をあげチンピラCに近寄っていく。

 動くことのできないチンピラCをその両手で包むように持ち上げるとまるで甚振るかのように徐々にその力を強めていった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛!! い゛だい゛い゛だい゛い゛だい゛! ヤ゛ズゥや゛べでぐれ゛ぇ! じんじま゛う゛よ゛ぉ!」


 ギリギリと音を立てて締め付けられているチンピラCの顔は涙と鼻水と苦痛で歪みきり、時々バキッと骨の砕ける様な音も聞こえてくる。チンピラCを限界まで甚振っていた怪物は不意にその握る力を緩めた。


「へぇ!? た、助かっ――」


 怪物はチンピラCを軽く上に放ると、落下してきたチンピラCの体を上下からその巨大な手の平で押しつぶす。断末魔の声を上げる暇もなくチンピラCは怪物の手の平に残る肉片と成り果てた。


「な……なんなんだよあいつ……。急に化け物になっちまった……」


「わ、私知ってる。昔ニュースでやってたわ……。極稀に人が化け物になるって……。きっとあれがそうなんだ……」


 目の前の凄惨な光景に震える樹と雫。周囲から事の成り行きを見ていた人々は蜘蛛の子を散らすように悲鳴と共に逃げ出していった。

 怪物は遠くに逃げ去って行く人々よりもより近くにいる樹と雫に狙いを定めたのか、樹達の方に向き直ると醜悪な笑みを強め一気に駈け出して来る。

 走る度地面を陥没させるその姿はさながら二本足の戦車を思わせた。


「雫!」


 どんっと樹は雫を後方に突き飛ばした瞬間、その体に横から巨大な拳が突き刺さった。

 まるでボールやおもちゃの様に軽々と吹き飛ばされそのままビルの壁に激突しようやく止まる。しかし殴られた衝撃とビルに激突した衝撃で樹の両腕と胴体の骨は砕かれ、致命傷を負っていた。


「樹!?」


 吹き飛ばされた樹に駆け寄ろうとした雫の行動はすぐに停止を余儀なくさた。怪物は吹き飛ばした樹には目もくれず、雫の前に立ち塞がったのだ。ペタンとへたり込み、じりじりと後ずさる雫の姿をまるで獲物を持て遊ぶかのように楽しむ怪物。しかしそれは長くは続かなかった。

 じりじりと後ずさっていた雫の背中にドンと壁が立ちふさがる。既に退路はなく、その可愛らしい瞳を恐怖に歪め、涙を流しながらそこにいる怪物を見上げる。

 怪物はその獲物が絶望の表情に染まったのを楽しむかのように笑うとゆっくりとその拳を振り上げた。


(このままじゃ雫が……雫が死ぬ……! 助けないと……なんとか助けないと! 動いてくれ! 動いてくれよ俺の体!)


 必死に心で叫び声を上げながら動こうとするがすでに上半身の骨を砕かれ、内蔵にもダメージを負った体は持ち主の意に沿う事はなく、ピクリとも動くことはなかった。


(動け! 動け! 動いてくれぇぇぇぇぇええええええええ!!)


 目の前で怪物の拳が振り下ろされようとした瞬間、ドクンと樹は体の中が脈打ったのを感じた。今までに経験した事のない激しい鼓動は徐々にその勢いを強めていく。視界が徐々に赤く染まっていくと突然動き出した体は怪物へ向かって一直線に駈け出して行った。


「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!」


 砕かれ動かなくなったはずの腕を振り上げ、力の限り今まさに拳を振り下ろした怪物を殴り飛ばした。

 走るたびにアスファルトに陥没を残していたほどの重量を誇るその巨体は先程の樹の様に吹き飛び、ビルに激突してその動きを止めた。

 周囲を舞う粉塵が晴れると、そこには上半身を失った怪物の下半身だけがビルに突き刺さるように残っていた。


「雫、大丈夫か?」


 樹が雫の身を案じて声をかけると、そこにはいつもの様にやさしい瞳で樹を見る雫ではなく、まるで化け物を、先程襲ってきた怪物を見るかのような目だった。


「雫、もう怪物は――」


「いやっ! いやっ、来ないで化け物!」


 滝の様に涙を流しながらまるで小さな子供の様に自分の体を抱きしめるように蹲る雫。なんとか落ち着かせようと樹が伸ばした右手は――濁った緑色をしていた。

 先程の怪物よりも1周りは大きいその巨腕はどう見ても怪物のそれだった。


「そこまでだ! 動くな!」


 唐突に樹の背中に鋭い声が掛けられた。振り向いたそこには1人の銃を向けたボブカットの長身の女性と多数の機動隊の様な装備をした男達がこちらを見ていた。


「聞こえなかったのか! 動くなと言ったはずだ! 本部、こちら椿。オーガの死骸及び保菌者(ウイルスホルダー)、生存者を発見した。これより行動を開始する」


 その声と共に周囲の男達が一斉に動き出し、怪物の死体を数人掛かりで持ちあげると器用にトラックの荷台に積み込んでいく。残った男達と椿と名乗っていた女性は銃を構えたままこちらに近づいてくると銃を下げることなく事務的な冷たさで話しかけてきた。


「警視庁特殊治安維持課の椿だ。これより貴様には2つの選択肢がある。1つは今この場でオーガとして処分される事。もう1つは我々と共に来て特殊治安維持課に所属し、オーガと戦う事だ」


「ちょ、ちょっと待ってくれよ! オーガっていったいなんなんだ! それに俺のこの腕はいったいどうなってるんだ!」


 半ばパニックになっている樹の質問に椿は嘆息しながら返答してきた。


「オーガとは先程貴様が対峙した怪物の事だ。あるウイルスが体内に入り込むとああいった姿に変わる。全てのオーガは近くにいる生物を次々と虐殺しそれを楽しむ傾向にある。そしてお前の腕はオーガと同じウイルスに侵されながらも極稀に抵抗できた者の証だ。体の一部だけを自由にオーガのそれに変えることができる。ほらもうお前の腕も元に戻っているだろう?」


 樹が促されて自分の右腕を見ると、確かに元の肌色をした自分の腕に戻っていた。何度か握っては開いてを繰り返していると再び椿が話しかけてくる。


「それでどうするんだ? 共に来ないと言うのならオーガとして貴様を処分する。早く選べ」


「そんな銃で怪物を殺せるのかよ……」


 再び右腕をオーガの巨腕に変化させると自嘲的な笑いを浮かべながら椿を見る。しかし次の瞬間樹の目に信じられない光景が映った。


保菌者(ウイルスホルダー)が貴様1人だけだと思っていたのか?」


 その言葉と共に椿の左腕が膨張し樹と同じようなオーガの腕へと変化した。

 樹よりも若干細めの腕だがその分小回りが利くのだろう腕を軽く振ると挑発的な笑みを浮かべた。


「さあどうする? うちには他にも何人もの保菌者(ウイルスホルダー)が所属している。その全員に勝てると思っているのか?」


(あの椿って人の他にも俺と同じ奴がいるのか……)


 そう考えながらチラリと雫の方を見ると、樹を怯えた瞳で見ていた雫と目が合う。しかし「ひっ」と小さく悲鳴を上げると雫は再び恐怖に震えながら体を丸まらせてしまった。

 その姿をみた樹は胸に鋭いトゲが刺さったような錯覚を覚えたが、先程の自分の姿では当然だと思い苦い顔で再び椿に向き直ると決意を口にした。


「俺はあんた達に付いていくよ。だから雫の事をよろしく頼む」


 樹がぺこりと頭を下げるとその姿をまるで面白い物を見たかのように笑う椿。


「自分を助けた男に怯えるそいつがよっぽど大事なんだな。まあ一般人の保護は我々の仕事だ、言われんでもちゃんとやる。まあとにかく……ようこそ警視庁特殊治安維持課へ。我々は貴様を歓迎する」


 未だに怯えている雫に口の中で小さく謝ると椿の下へと歩き出す。そして樹は警視庁特殊治安維持課への所属が決定した。



 そして樹が警視庁特殊治安維持課に所属してから5年の月日が流れた。


 ある日昼下がりの繁華街、この日この場所で楽しそうに過ごしていた人々の顔はすぐに絶望へと塗り替えられた。

 突如として飲食店のテラス席で食事を取っていた1人の男性が苦しみだしたと思うと、すぐに濁った緑色の皮膚をもつ醜悪な怪物へと姿を変える。2mにも及ぶ巨体の怪物、通称オーガは人々に死を振りまく存在として認知されていた。

 周囲の建物のガラスに罅が入るほどの大音声を聞いた人々は悲鳴を上げて逃げ出し辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図に様変わりしようとしていた。このままここに留まっていてはあの怪物に殺されるのは勿論、あの怪物とそれを殺しに来る怪物との戦闘に巻き込まれてしまうからであった。

 オーガが1人の小さな女の子に狙いを定めると醜悪な笑みを浮かべて濁った咆哮をあげて駆け出す。母親とはぐれたのかパニックになって逃げ惑う人々の中泣いている女の子へと向かって人では到底出すことのできない速度で彼我のの距離を縮めているとオーガと女の子の間に1人の青年が割り込んできた。一瞬訝しんだオーガであったが、すぐに殴り殺して女の子を殺せばいいと思ったのか咆哮を上げ、青年に向かってその巨腕から繰り出される大砲の砲弾にも等しい威力を持つ拳を青年に叩きつけた。


 ズドォォォォォォン!!


 周囲に音と共に衝撃波のような物が走りその拳の威力を雄弁に物語っていた。

 そして醜悪な笑みを浮かべていたオーガの顔はすぐに驚愕に引き攣ることになる。止められていたのだ。自分の巨腕から放たれる強力無比な一撃を割り込んできた青年が受け止めた。この事実は人を殺すという本能のみで生きているオーガですら一時的に行動不能に陥るほどに理解しがたい光景だった。


「ふむ、俺とは違って全身強化型か。特化型に比べたら攻撃力は落ちるから受け止めやすくて助かるな」


 青年の言葉を理解できないといった風のオーガは受け止められた拳を戻すと一歩下がる。するとそこには自分よりも一回り大きい右腕を持った青年の姿があった。オーガの腕は青年の胴体よりも太かったが青年の右腕はそれよりもさらに太く、青年の体格が一般的な中肉中背なこともあり、非常にアンバランスな姿であった。


「こんな昼下がりに暴れ出しやがって……! ちったぁ他の人の迷惑考えろや!」


 人間とは思えない速度でオーガとの距離を縮めた青年はその勢いを殺さぬまま顔面を狙ってその巨大な右拳で殴りかかる。今の今まで動けなかったオーガであったが、青年の拳が自分の命を脅かしている事を即座に悟り、その丸太のような腕をクロスして防御の姿勢に入った。


「そんなちゃちなガードで強化型が特化型の攻撃を防げるかーー!!」


 青年の拳がオーガの両腕にめり込むと弾けるようにオーガの両腕が吹き飛び、その顔面に突き刺さる。その勢いのまま青年の拳はオーガの顔面を石畳の上に叩きつけた。

 グシャリという何かを潰す音が周囲に響くと石畳が陥没し、一瞬ビクンと痙攣したオーガはそのまま動かなくなった。


「ふぃー、とりあえず被害者は出てないみたいだな」


 拳を元の人間の姿に戻すと腰につけていたウエストポーチからタオルを取り出してオーガの血の付いた拳を拭う。青年が取り出したタオルで拭いていると不意に左耳に漬けていたインカムから声が聞こえてきた。


『樹、大丈夫? オーガはもう死んだ?』


「ああ、()か。大丈夫だよ。頭潰したからもう動くことはないだろ。とりあえず怪我人もいないみたいだから回収班をまわしてくれ」


 青年――樹がオーガの死骸を見ると、両肘から先と頭部を失い、今なお血を流し続けている。止めどなく溢れる血液は人間だったころと変わらず赤く、蜘蛛の巣状に割れた石畳の隙間を中を流れていった。


『了解。すぐに向かわせるね』


 通信を切ると樹は軽く息を吐き、この5年間を思い返した。5年前オーガに襲われ、その時に保菌者(ウイルスホルダー)になりオーガを殺した。そして現れた警視庁特殊治安維持課に半ば強引にスカウトされて入学したばかりの高校はすぐに退学することになり、様々な訓練の末こうして街中に現れたオーガを狩る者として街の治安維持を行っている。そして2年前、高校を卒業した雫が椿に懇願し特殊治安維持課の本部で樹専属のオペレーターとして働き始める。3年間接触することの無かった樹と雫はこうして再会した。

 樹がオーガの死骸に野次馬を近寄らせないために目を閉じ物思いに耽りながらその場に佇んでいると、不意に樹のズボンを何かが引っ張った。

 気になった樹が目を開けズボンを引っ張った原因を見てみると、先ほどオーガの標的にされていた小さい女の子がズボンを握っているのが目に映る。女の子は近くのオーガの死骸に少し怯えながらもその小さい口を開いた。


「あのね……、たすけてくれてありがと……」


 樹の目は点になった。今まで何体もオーガを始末してきたが、助けてきた人々に恐れられこそすれ感謝されることなど一度もなかったからだ。

 樹は腰を屈め女の子と同じ目線になると右手で女の子の頭を撫でようとするが、一瞬女の子がビクッと震えたのを目にしてすぐに左手に変えやさしく撫でる。


「怖かっただろ? けどもう大丈夫だ。あの怪物はお兄さんがやっつけたからな。安心して帰りなさい」


「うんありがとうおにーちゃん! あ! おかーさんだ! おかーさーん!」


 はぐれていた母親を見つけたのか女の子はそちらに向かって駆け出していく。母親に抱きついた女の子は樹の方を向くと大きく手を振ってくる。母親もぺこりとお辞儀をすると女の子の手を握り街中に消えていった。


 パチパチパチ


 樹が母娘の消えていった方向を見ていると不意に背後から拍手の音が聞こえてきた。振り向いてそちらを確認すると1人の男性がこちらに向かって歩きながら拍手をしているのが目に映る。オールバックにした黒髪にスーツを着込み、一見すると普通のサラリーマンにも見えるが近寄ってきた男の顔に張り付いた笑みを見た瞬間樹は凍りついた。男が胡散臭そうな笑みを浮かべる中、瞳が全く笑っていなかったのだ。それだけならまだしも男の瞳にはどうしようもないほどの悪意が鈍い輝きを放っていた。


「いやー、素晴らしいですね。あの個体を一瞬で始末してしまうとは。あれは中々に強力な個体だったんですがねぇ。流石は警視庁特殊治安維持課の小島樹さんといったところですか。どうです? 我々の元に来ませんか? 待遇は格別の物をお約束しますよ?」


「つか誰だよテメェ。その胡散臭い笑い方やめろ、腐ったドブみたいな悪意が隠しきれてないぞ」


 樹の挑発めいた指摘にもさして動じることなく男は胡散臭い笑顔を顔に張り続けていた。


「おやおや初対面の相手に随分な物言いですね。私のこの顔は生まれつきですよ。それと私が誰か、ですか……。そうですねぇー、あえて言うなら……ただのしがない悪の秘密結社の幹部といったところでしょうか」


「で? その悪の秘密結社の幹部様が健全な一般市民であるこの俺にいったい何の用だよ」


「用ならさっき申したではありませんか。我々の元に来ませんか? と」


「悪の秘密結社とか言われて誰がホイホイ着いて行くんだよ。俺は街に現れるオーガの始末で急がしいんだ。用が済んだらさっさと失せろ」


「おやおや、予想通りの反応ですねぇ。仕方ありません。仲間にならないのなら消せとの上からの命令ですので、悪く思わないでくださいね?」


 そう男が言った瞬間樹達を遠巻きに見ていた一般人の一部が苦しみだしたかと思うと次々とオーガへとその姿を変えていった。

 突然の事態にオーガにならなかった人々は悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑っていく。オーガ達は身の毛もよだつ様な咆哮を上げると近くにいる人々へと一斉に襲い掛かった。


「な……!? なんでいきなりあんな数のオーガが!?」


「我が結社の研究成果ですよ。とある方法により打ち込まれたO・ウイルスをこちらの好きな時に発現させることができるのですよ。さて、あの数のオーガに対処できますかな?」


 男がパチンと指を鳴らすと、近くの市民に襲い掛かっていたオーガは急にその動きを止めるとクルリと向きを変え、他の人には目もくれず樹に襲い掛かってきた。


「ちっ! いくらなんでも数が多いっての!」


 悪態を吐きながらも即座に右腕をオーガのそれに変化させて最も接近していたオーガの顔面を殴り潰す。グシャリと水っぽい音と共に頭部を失ったオーガは糸の切れたマリオネットのように地面に崩れ落ちた。

 他のオーガ達は別の個体が殺られた事を意に介することなく次々とその丸太の様な腕と脚を振るい樹に襲い掛かり1体、また1体と徐々にその数を減らしていくが、ついにオーガの拳が樹に突き刺さった。

 咄嗟に右腕でガードしたもののその膂力は人間のそれとはまったく別次元になっており、いとも簡単に吹き飛ばされた樹はそのまま別のオーガに激突する。地面に足を着く暇もなく更にオーガの追撃があり樹はまるでピンボールの様にオーガ達の間を弾き飛ばされていた。


「くっ、そがぁぁぁぁああああああ!!」


 何度か吹き飛ばされた時なんとか体勢を立て直し殴り飛ばされた勢いを利用してオーガの胴体を殴りつける。勢いのお陰で普段よりも勢いの増している樹の拳はいとも簡単にオーガの胸部を潰した。

 オーガがよろめいた隙に再び拳を今度は頭部に叩き込み完全に絶命させると、こちらに向かって殺意を振りまきながら走ってくるオーガに今度は樹の方から駆け寄り、その巨大な右の拳を叩き込み殺していく。

 最後の1体の頭部を吹き飛ばした後、樹の周囲には実に20体ものオーガの死体が転がっていた。


 パチパチパチ


 再び男の拍手が鳴り響きその音は戦闘で高ぶっていた樹の神経を逆撫でする。若干血走った瞳で男をにらみつけると男は大袈裟な仕草で怖い怖いと言うと再び樹に話し掛けて来た。


「流石ですね。量産型とはいえよもやあの数を皆殺しにされるとは思いもよりませんでした。どうですやっぱりウチに来ませんか? あなたのその力、ここで殺してしまうにはあまりにも惜しい」


「何度も……言っただろうが……。俺は……行かねぇって……」


 先の戦闘で負ったダメージと疲労が樹の呼吸を荒くする。結局自分の誘いに応じなかった樹に男はやれやれといった感じに肩をすくめるとその顔から胡散臭い笑みを消し去った。


「はぁ、では仕方ないですね。あなたの様な危険分子は即刻排除させていただきますよ」


 そう言うや否や男の体に変化が現れる。スーツの下の肉体が急激に盛り上がり耐え切れなくなったスーツが破れ膨張した濁った緑色の筋肉を露にする。5秒にも満たない時間で樹の目の前の男は人間だった頃の原型を忘れ忌むべきオーガの姿へと変貌を遂げていた。


「サテ、ソレデハサッサト終ワラセマショウカ」


 そう言って男だったオーガが先程まで戦っていた個体とは比べ物にならない速度で樹に肉薄する。その勢いのまま繰り出される拳は、疲れていた樹の体を易々と吹き飛ばした。


 そして樹と男の戦いの火蓋が切って落とされた時、警視庁特殊治安維持課の本部は騒然となっていた。

 それも当然である。今までにない規模のオーガの出現とそれを生み出したと自称する男の存在。そしてその男のオーガへの変貌。今までにないことだらけの事態に本部は混乱の渦中にあった。


「小島三尉再びオーガとの交戦に入りました!」


「回収班は速やかに逃げ遅れた民間人がいないか捜索して下さい!」


 オペレーターが悲鳴のような声を上げながら報告や現場への指示を出している。その姿を見ている椿は血が滲むほどに手を握り締めた。


「現在保菌者(ウイルスホルダー)で動けるものは何名いる!」


「現在大矢部、高島、大歩(わご)矢作(やはぎ)の4名です!」


「至急現場に向かわせろ!」


「了解!」


「くそっ、いったいどうなっているんだ……」


 樹とオーガの戦闘をモニター越しに眺めながら椿は突然の異常事態に苛立ちを隠せないでいた。


 樹と男だったオーガとの戦闘は徐々に激しさを増し、人的被害がないとは言え周囲の建物への被害は甚大なものになっていた。


「ホラホラサッキマデノ威勢ハドウシマシタ?」


「煩い! とっととくたばれ!!」


 一瞬の隙を突いた樹の拳が男へと突き刺さる。しかし手に伝わってきたのは硬い金属のような物を殴っている感覚と砕けた自分の拳だった。


「ぐぁぁああ!」


 痛みに顔を歪めながら見たのは樹が殴りつけた男の胸部がまるで金属のような鈍い光の反射をしている光景だった。濁った緑の筋肉の一部が金属質な物に変わり、それが樹の拳を防いでいたのだ。


(なんだあれ! いままでどのオーガにもあんなのは無かった! しかも俺の拳は鋼だって砕くってのにこの硬さ……。どう対処すれば……)


 樹が砕けた自分の拳を修復しながら考えていると男が樹の様子を見ながら自慢げに話し出す。


「どうです? すごいでしょう! これぞ我が結社の開発した新型O・ウイルスです。右腕特化型のあなたの一撃すら防いでしまうこの硬さ! 初めての体験でしょう? 誇っていいんですよ?」


「誰が! そんな装甲殴り続けりゃそのうち壊れるだろ! 街の平和の為に何が何でもテメェをブッ殺す!」


「オヤオヤソンナ大怪我ヲシテイルノニ勇マシイコトデス。ソノ強イ意志ヲ圧シ折ッテ殺セタラドレダケ気持チイコトデショウ。ソレデハアナタニ絶望シテイタダクタメニモウ1ツトッテオキヲオ見セシマショウ」


 そう言うと男は全身に力を張り巡らせていく。咆哮が辺りに響き渡り今まで何とか無事であった建物のガラスをその振動でいとも簡単に砕いていった。

 そして男の脇の下の肉が徐々に盛り上がっていくとズルッと嫌な音を立てて一対の丸太の様な腕がその姿を現した。

 新たに生えてきた腕を軽く動かし調子を確かめると男は醜悪な顔に厭らしい笑みを浮かべ勝ち誇ったかのように話しかけてくる。


「サテコレコソガ我々ノトッテオキト言ウヤツデス。攻撃手段ガ右腕1本ノアナタト4本ノ腕ノ私。既ニ決着ハ着イタモ同然デスヨネ? サテ、コレガ最後デス。我々ノ仲間ニナリマセンカ?」


「……嫌だっつってんだろ……!」


「残念デス。デハ死ンデ下サイ」


 ゆっくりと男が獲物に絶望を与えるように近づいてくる中、樹はインカム越しに本部へと連絡を取った。

 目の前に死を運んでくるものが近寄ってくる中最後の切り札を切るために、そしてそれを使うと二度と会えなくなる故の遺言のようなものだった。


『椿さん……、こっちには誰が向かってるんだっけ……?』


「大矢部、高島、大歩(わご)矢作(やはぎ)の4名だ……」


 疲労とダメージで息も絶え絶えな樹の言葉を本部で聞いていた切り札の正体を雫と共に知っている椿は、樹の考えてることを理解すると、苦々しげに顔を歪め答えた。


『そっか……あいつ等4人なら俺を始末できるだろ……。椿さん……俺はこれからあれ(・・)を使う。あいつを殺したら俺は……近くの山に駆け込む……。インカムは着けておくから……GPSで追って来て殺してくれ』


「わかった。4人に伝えよう」


『ありがとう……。それから雫……。すまなかった……』


「樹!? 樹! やめて! それをしたらあなたは……!」


 雫が悲鳴のような声で樹に話しかける中他のオペレーターからも悲鳴が上がる。


「小島三尉のO・ウイルス侵食率上昇中! 現在40%……60%! まだまだ上昇していきます!」


「樹やめて! それ以上したら戻れなくなる!」


『ごめん……。だけど今こいつをここで殺さないと……。これからも被害が増え続ける……。それだけは絶対に阻止しないといけないんだ……!」


 プツンと通信が切れ雫のインカムからは砂嵐のような音が聞こえてくる。どうやら樹の方から通信を切断したらしい。


「樹!? 樹! 返事して! 私まだあなたに謝ってないの! だから……だから……、あああぁぁぁぁぁーーー!」


 特殊治安維持課本部に雫の慟哭が木霊する。事情を知る椿を始め誰1人として雫に声を掛けることができる者はいなかった。


 男は突然の事態に困惑していた。絶対的優位に立っているはずなのに目の前の事態は男が想像だにしていない事態になっていた。

 ビルに激突し既に致命傷を負っていた樹の左腕が膨張を始め、右腕と同じ大きさにまでなっていく。そして次は左足、右足、胴体と順に樹の体はオーガのそれに変わっていき、ついには顔の左半分意外はオーガに変貌していた。


「ナ……ナンナンデスカアナタハ……」


「俺ハ街を守ル。警視庁特殊治安維持課の小島樹三尉ダ。ヨく覚えテおけ!」


 動揺し隙だらけになっている男に一瞬にして肉薄すると特化型故の巨腕から繰り出される左右の拳を男に叩きつけていく。しかし男の装甲のような肉体はその攻撃を弾き返し、逆に樹の拳が砕かれる羽目になっていた。


「フハハハ! 確カニ威力ハ上ガッテイマスガソノ程度デスカ! ソノ程度ジャ私ノ体ニハ傷1ツ付ケラレヤシマセン――何!?」


 砕けた樹の拳を見て余裕の態度を見せていた男の表情は次の瞬間愕然としたものに変わった。今しがた砕けたはずの樹の拳が元通りに再生しており、再び男に向かって殴りつけてきた。


「エエイウットオシイ! ソンナ攻撃デハ傷1ツ付ケラレナイト言ッタデショウ!」


 4本の腕を巧みに動かし樹の体を殴りつけていく。変化前の樹と同等以上の威力の拳の雨霰に吹き飛ばされないまでも全身から血を流し、抉られたそばから体を修復していく。

 そんな拳の応酬を続けていると次第に変化が現れた。

 樹の再生速度は未だに変わることなく体の怪我を片っ端から再生させていく。殴られながらも男の装甲を殴り続ける樹だが、ついに今まで傷1つつけることのできなかった装甲に(ひび)が入った。


「何ッ!?」


「そりゃあいくら頑丈な装甲でも同じところずっと殴られてりゃいつかは砕けるだろうさ! うぉぉぉぉおおおおおおおお!!」


 あまりの驚愕ゆえに動きの止まった男に樹は好機とばかりに次々と拳を叩き込んでいく。殴っては砕かれ再生し、殴っては砕かれ再生しを何度も何度も繰り返し、一心不乱に男の装甲を殴り続けると、ついに男の装甲が砕けその中に隠されていた肉体に突き刺さった。


「グゥォォォオオオオオ!? マサカ! マサカコノ私ガコンナ所デ敗レルナド!」


「煩イ! さっサと死ねぇぇぇェェぇぇエえエえええ!!」


 拳を引き抜き、両の手を合わせて1つの巨大な拳を作り上げると男の胸部に全力で振り下ろす。地面が砕ける音と共に肉が潰れるグシャッという音を立てると、男の体は上半身が完全な肉片へと変わり、弾みで頭が宙を舞った。

 男の頭が地面に落下すると、偶然にも顔が上を向き樹と目が合う。


「今回……ハ……私ノ負……ケデス……。デスガ……アナタモモウ……元ニハ……戻レ……ナイノデ……ショウ? 痛ミ……分ケデ……スネ……」


 そういい残すとその言葉を最後に男の頭はそれ以降喋ることは無かった。


「グァッ!?」


(ヤバイ、もう時間切れか……。早く山に移動しないと……今度は俺が一般人を襲っちまう……)


 突然の痛みに樹は自分に残された時間が短いことを覚る。満身創痍の体を何とか動かし、それでも一般人よりも遥かに早い速度で樹は山へ向かって駆け出していく。後には物言わぬ頭部と、その下半身、他20体にも及ぶオーガの死骸と血の海だった。


「ハァハァハァ……、ここマで来れバもう一般人なンかいないだロ……。グッ!?」


 山の中を駆け抜け周囲に人がいないことを確認すると、近くにあった巨木に背中を預けるように座り込んだ。だいぶ長い時間を生きてきた木らしく、その太い幹は樹の体を簡単に支えている。


「後はあの4人ガ来るノを座しテ待つだけカ……。ハハ……、死にたクないナ……」


 これから迎える死に弱音を吐く樹の耳にバラバラバラとヘリのプロペラ音が聞こえてきた。聞きなれたその音は樹も乗った事のある警視庁特殊治安維持課の物で、樹を始末する4人がこちらに近づいて来ている事を裏付ける。


「短い人生だったナ……。前は雫とずっト一緒にいテ……いつか結婚しテ幸せになれるト思っテたんだけどナ……」


(それが今じゃオーガになって始末される運命か……。オーガを殺して回ってきた俺にとって酷い皮肉だ)


「最後ニ……雫に会いたいナ……」


「だったらそんな簡単に諦めないでよ!」


 死を覚悟していながらも未練が残っていた樹の耳に聞きなれた声が聞こえてきた。いつもの可憐な容姿に似合う声とは違う、けれどもすぐに彼女だと分かる声の持ち主は必死な顔で樹目掛けて走ってくる。

 不慣れな山道を走ってきた所為か特殊治安維持課の制服に木の枝や葉っぱを付け、黒いタイツも所々破れてその白い肌に細かな傷を作っていた。


「雫……? 何で来た……! 早く逃げロ! そろそろ俺の意識も飲み込まれテ完全にオーガになっちまウ! このままじゃ雫を殺しちまウ! 早く逃げてくレ!」


「嫌よ! 樹を見捨てるなんてできない!」


「頼む……。頼むから逃げてくレ……。もう俺ノ意識も維持できな――ングッ!?」


 ズンズンと近づいてくる雫の姿に樹は何度も何度も懇願する。徐々に意識が薄れていく中不意に唇に触れた甘くやわらかい感触に薄れかかっていた意識が急速に元に戻っていく。


「私はね、ずっと謝りたかったの。5年前、樹が助けてくれたのに私は樹を拒絶しちゃった。それから樹が高校を辞めて私1人通う中ずっと私は自己嫌悪していたわ。少し姿が変わっただけで樹を拒絶しちゃった私をずっと……。だからもう決めたの。樹がどんな姿になっても私はずっと一緒にいる。もし樹がオーガとして殺されるなら私も一緒に死ぬわ」


「やめてくレ……、俺は雫に死んで欲しくなんか無イ……。だから頼む……逃げてくれ……」


「嫌よ! もう絶対に離さないって決めたんだから!」


 そう言って樹に抱きつく雫。すでに右腕が樹の意思に反して振り上げられる。必死でそれを止めようと強く願った時奇跡は起こった。

 拳が樹に抱きついている雫に振り下ろされて激突する寸前でピタリとその動きを止める。そして徐々に徐々に樹の体が濁った緑色のオーガの肉体から普通の人間のものへと戻っていった。


「元に……戻ったのか……?」


「――ッ! 樹!」


 驚きの表情を隠せないままの樹に、可愛らしい瞳から大量の涙をながしている雫が元の人間の姿に戻った樹に力一杯抱きつく。胸から溢れる喜びを涙に変え、雫は樹の胸で泣き続けた。



「小島三尉のO・ウイルス侵食率5%、小康状態に戻りました。もう暴走の危険は無いと思われます」


「わかった。大矢部、高島、大歩(わご)矢作(やはぎ)の4名に2人を回収して戻ってくるように伝えろ」


「了解しました」


(はぁ、急に出て行ったと思ったら4人の乗るヘリに隠れて乗り込んでいたとは……。まあ、お陰で貴重な戦力を失わずに済んだことは僥倖と言えるか)


 1人ごちながら椿はスピーカーから聞こえてくる雫の泣き声と、それを何とか宥めようとする樹の声を聞きながら微笑んでいた。



 本部へ戻るヘリの中、雫はずっと樹にしがみ付いたまま寝ていた。あの後しばらく泣き続けていた雫は、4人の仲間が迎えに来てヘリに乗った後泣き疲れたのか寝てしまっていた。

 樹はやさしげな表情で雫の前髪を撫でるとくすぐったそうにした雫がうっすらと目を開けた。


「悪い。起こしちゃったか?」


「んーん。いいの。ごめんね寝ちゃって」


「いいんだよ疲れただろ?」


「樹ほどじゃないよ」


 謝る樹に微笑みながら返す雫。


「ねぇ樹」


「なんだ?」


「あのね、ずっと私と一緒に――」


「ちょっと待った」


 雫のセリフを途中で樹が遮る。少し困惑気味の雫の顔を見ながら樹は意を決して思いを打ち明けた」


「古臭い考え方だがこういうのは男から言うべきだと思うんだ。だから雫。ずっと俺と一緒にいてくれないか?」


 雫の両肩を掴み、耳まで顔を赤く染めながら樹が一世一代の告白(プロポーズ)をした。

 心の奥底から溢れ出して来る嬉しさに手で口元を押さえた雫は目に一杯の涙を溜め頷いた。


「……はい。私とずっと一緒にいて下さい」


 こうして会ってはいても5年間すれ違っていた2人の心は、再び結ばれた。もう二度と解けないほどにしっかりと――。






 ちなみにその光景を見せ付けられていた大矢部、高島、大歩(わご)矢作(やはぎ)の4名(独身)は心の中で「リア充爆発しろ!」と叫びながら口から砂糖を吐き出すのを精一杯我慢していたのだった。

ちょっと長かったかもしれませんがここまでお読み下さりありがとうございます。私のいつも通りご都合主義名展開だとは思いますがその辺は生暖かい目で見ていただけるとありがたいです。

最近昔読んだコミックを不意に思い出し、そういえばあれ面白かったなー。私も人間が怪物に変化する作品を書いてみたいなーと思ったのがこの作品のきっかけだったりします。

いちおう参考にしただけでストーリーや設定は私の完全思いつきですのでご安心下さい。

ちなみにジャンルですが、とりあえずローファンタジーで投稿しています。正直どれが当てはまるのかよく分からなかったからオーガって名詞出てるしってことで決めました。アクションで投稿するほどアクションシーンなんて無いですしね……。

他にやることなくて暇すぎて死ねるといった方や一言物申すといった方は評価や感想などをいただけると嬉しいです。

あと、私の現連載作品にして処女作である「生きるために強くなる ~だってゴブリンに転生しちゃったし~」もお時間があって暇で暇でしょうがない時にでも読んでいただけるとありがたいです。

http://ncode.syosetu.com/n2241de/

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― 新着の感想 ―
[良い点] シーツァとトモエの再会シーンと似たような光景が繰り広げられてるんですが…やはり男から言った方がかっこいいですよね! 短編ということで軽い気持ち読みはじめましたが、想像以上にストーリー性が…
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