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短編

つよくなりたい

作者: 蓼川すぐり

 鈴花は、学校がこわい。



「鈴花、今日も悠太くんが迎えに来てくれてるわよ」

「……行かない」

「でも、もうあなた二週間近くも、」

「行かない!!」



 布団を頭までかぶって断固として聞き入れない鈴花に、母はため息を吐き、鈴花の部屋から出て行った。階段を下りる音が聞こえる。きっと迎えに来た悠太に謝りに行くのだろう。鈴花は目をつぶり、耳もふさぎたくなった。



 袴田鈴花と、その幼なじみの戸部悠太は、共に小学五年生である。家が斜向かいであり、母親同士が仲が良かったので、同い年の二人はそれなりに仲が良かった。幼い頃、二人はいつも一緒だった。


 幼い頃は、よかった。何がいけないのか、どうしてダメになるのか、鈴花には分からなかった。ただ、なんとなくそういう雰囲気になる。まるで、ふつうじゃないことを排除するかのように、突然にダメになった。



 ――おまえら、いっつも一緒にいるけど、付き合ってんだろ!?

 ――鈴花ちゃんは女の子なのに、どうして男の子の戸部くんとばかりいるの?

 ――キャー! もうキスはしたのかよオイ!?

 ――袴田さん。わたし、戸部くんが好きなの。だから、分かるよね?



 分からない、分からない、分からない。どうして男子たちにからかわれなければならなかったのか、どうして友達に変な目で見られなくちゃならなかったのか、どうして一部の女子たちに無視をされなくてはならなかったのか。鈴花には分からない。


 きっかけは、些細なことだったのだろう。小学生も高学年になれば、男女の差など嫌でも皆が意識するようになる。こんなことは、よくあることなのだろう。だから、幼なじみの悠太と以前のようにはいかないことも、鈴花は納得できていた。ただ、分からないのは、悠太を好きだという女の子の機嫌を損ねただけで、無視をされなくてはいけなかったことだった。



 ――どうして? わたし、戸部くんが好きって言ったよね。なのに、なんでまだ戸部くんの周りうろちょちょろしているの? ……ほんと、袴田さんって、うざい。



 その一言が、発端だった。いきなり、そんな恋心を打ち明けられたところで、幼なじみとの縁を切るわけにもいかないだろう。きっと、そんなことあの子は解っているはずだ。だからきっと、元々鈴花のことが気に入らなくて、うざくて、キライだったのだ。


 彼女のその一言を発端に、彼女の所属するグループ――鈴花の学年の女子のスクールカースト最上位といえる――の全員から無視をされるようになった。鈴花が何か失敗をする度に、笑われるようになった。ついには、鈴花がただ何かを発言しただけで、くすくすと笑われるようになっていった。鈴花と仲の良かった友達も、次第にカーストトップの彼女らに目を付けられたことで、鈴花とあまり一緒にいたがらなくなった。



 女子の世界は、どうしてこうも殺伐としているのだろう。悠太と泥んこになりながら遊んだあの頃は、こんなことはなかったのに。



 鈴花は布団の中で、ただ泣くしかなかった。





 鈴花は、決して大人しい性格ではないし、勉強も運動もそれなりにできる。容姿だって特別ブスだということはない。むしろ、何事にも活発で、時には班長などのリーダー的役割になることもある。それなりに場の空気を読むことに長けていたこともあり、先生からも気に入られるタイプの子どもだった。いつも元気で、いつも笑顔を絶やさないので、弱みや悩みなんてなさそうな強い女の子だった。


 しかし、本当に、弱みも悩みが一つもないわけがない。


 鈴花は人一倍、人が争うことを嫌う。輪が乱れることを嫌う。時には自分が道化になってでも、場の空気を和ませようとする子どもである。時には自分のきもちを引っ込めてでも、状況が丸く収まるようにする子どもである。気まぐれで、脳天気なところもある。人に褒められることが好きで、人に嫌われることを恐れる。



 そんな鈴花は、表面的にはどちらかというと手のかからない子だった。だからこそ、鈴花の母は突然訪れた鈴花の不登校にひどく驚いた。母に理由を聞かれる度、「なんで、あんたが」と言われる度、鈴花は悲しくなった。自分は、本当はとても弱い子なのだ。自分が、母の思うような子ではないことがとてつもなく情けなく思えて、悲しくてたまらないのだ。


 鈴花の我慢や虚勢が、一気に崩れ去り、心に押し込めていたものが決壊を起こしたように、鈴花は学校に行くことがどうしようもなく、怖くてたまらなくなった。





「鈴花、今日も学校休む?」



 母の問い掛けに無言で、鈴花は抵抗する。



「せめて、保健室登校でもいいから行こう? 今日も休んだら、もっと行きづらくなるよ」



 それは、鈴花自身感じていたことだった。毎日毎日、自分のいない学校を想像する。そこに自分が再び入り込むイメージが想像できない。昨日も、行けなかった。今日も、明日も、もうずっと学校にはいけないのではないか。今さら行ったところで、もうあそこには、自分の居場所なんて少しだってないのではないか。

 恐ろしいイメージばかりが先行して、胸が苦しい。わけも分からず、涙が出る。


 小学生なのに、学校に行っていない自分は、まるでとてもいけないことをしているかのようで、家から普通に外出することさえ、とても怖い。

 みんなが、鈴花は登校児だと知っていて噂しているのではと、そんなことまで思ってしまう。



「……がんばる」



 けれど、これではいけないことも、解っている。

 全く動かないから、ご飯だっておいしくない。毎日嫌なことばかり考えて、夜だってきもちよく眠れない。好きだったテレビ番組を見たって、漫画を読んだって、いろんなことが気がかりで前のように楽しいと思えないのだ。


 このままでは、自分はだめになる。どんどん弱くなっていく。どんなにいやなことから逃げても、解決しないことも分かっている。


 だけど、怖い。こわいのだ。



「……うっ」



 ランドセルを背負った途端に、気持ち悪くなり、思わず蹲る。これから学校に行くのだと思うと、途端に頭ががんがんと鳴り響くように痛む。吐き気がする。手足が冷える。涙が出そうになる。大した量が入っているわけでもないのに、まるで大きな石を背負っているかのように、鈴花にはひどくランドセルが重く思えた。


 その日、鈴花は結局学校へは行けなかった。





「……鈴花」



 服を着替え、ランドセルを背負い、今日は自分の部屋からも出た。でも、いざ学校へ行くための一歩として、ただ階段を下りるだけのことが、鈴花には怖かった。

 一歩が重い。足が震えて、目の前がぐるぐると回った。あの子の、鈴花をものすごい形相で睨みつけている顔が浮かぶ。何かを言っても誰に受け取られることもなく消えていく言葉。まるで、鈴花はその場に存在してはいけないかのように無視をされたこと。


 もしかしたら、あの子は本気で悠太が好きで、だからこそ鈴花が許せなかったのかもしれない。だけど、それにしても、人一人をその場から消してしまうほどのことなのだろうか。そのために、鈴花はあの場から排除されたのだろうか。


 弱い自分、情けない自分、家から出ることが怖い自分。



 本当は、知っている。保身的だった鈴花の友達が鈴花に謝ってくれたことも、毎日電話して「明日は来れそう?」っていつも心配してくれることも。鈴花の性格を知っている悠太が学校で鈴花をかばってくれていたことも、毎日毎日鈴花を家まで迎えに来てくれていることも、毎日毎日学校のプリント届けてくれていることも。母がこの上なく心配して、ここ数日は鈴花の好きな料理ばかりを作ってくれていることも。本当は、全部気付いて、知っているのだ。



 その日、鈴花は靴を履くことまでクリアした。





 鈴花が服を着替え、ランドセルを背負い、階段を降り、靴を履いた日の夕方。悠太が会いに来た。



「や」



 右手を上げて、短く挨拶をする、いつもの悠太に鈴花は戸惑う。かなり久しぶりに顔を合わせたというのに、何も言わない幼なじみに鈴花は困惑した。



「悠太?」

「ん、なに?」

「……なんでそんなふつうなの?」

「ふつうじゃいけないの?」

「……え、うーん」


 首を傾げ、悩みだした鈴花に、悠太はいつものように目じりを下げてやさしく笑う。悠太は、いつもやさしい。鈴花はそう思う。

 いつも、そうだ。男子の中では比較的大人しくて物静かだが、虚勢ばかりの鈴花よりずっと、悠太は強い。そういえば、鈴花は悠太が泣いている姿は見たことがない。

 泣いている鈴花を慰めるのは、いつも悠太の役目だった。臆病で、それでいて考えなしの鈴花を、いつも悠太は守ってくれた。笑ったり泣いたり怒ったり忙しい、そんな鈴花の傍で、いつも悠太は笑ってくれた。

 だから、鈴花は、悠太が大切だった。



「だって、ねえ?」

「うん?」

「おれは、おれだし」

「……うん?」

「鈴花は、鈴花でしょ」

「……」

「おれの、大事な、幼なじみ」



 あれは、いつのことだったろう、と鈴花は記憶をめぐらす。

 鈴花に妹ができて、両親を盗られたように思えて。もう、自分は要らないのかもと思い悩み、けれど誰にも言うこともできず。

 ダメな子と思われないように、要らない子と思われないように。

 一生懸命、母の手伝いをして。嫌なことも、嫌って言わないで、幼稚園の先生や親の言うことをひたすらに聞いて。手がかからない子、イイ子を演じて。

 でも、悲しくて、寂しくて、苦しくて。


 ひとり、ダンゴムシのように体を丸めて、蹲って泣いていた時。

 あの時も、悠太は傍にいてくれた。何も言わずに、背中を撫でてくれた。笑って、「大丈夫だよ、ぼくがいるよ」って言ってくれたのだ。



「……悠太」

「うん?」

「明日も……あしたも、迎えに来てくれる?」



 いつも、笑ってくれる幼なじみが、鈴花は好きだった。

 それが恋心なのか、兄のような存在に対して抱く親愛の情なのか、鈴花にはそれがまだ分からない。

 だけど、ただ一つ分かるのは、鈴花が心を開き、弱いところを見せられるのは、悠太に対してだけなのだということだった。



「もちろんだよ。おれは鈴花が、昔からだいすきだからね」





 次の日、服を着替え、ランドセルを背負い、自分の部屋から出て、階段を下り、玄関で靴を履き、あれだけ重かったはずの玄関の扉を開けることのできた鈴花は、その先に昨日も見た悠太のやさしい笑顔を見た。



 足のもつれそうになる鈴花の手を、悠太の手が引いてくれて、鈴花は大きな一歩を踏み出した。




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