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蜻蛉の三題噺

その背中はまだ遠い

作者: 尻切レ蜻蛉

「馬鹿にしてるの!?」


私は、頭が良いほうじゃない。

もう何度家庭教師の先生が変わったか解らないくらいだ。

どの先生も、私がこの国の姫だから最初は散々煽てるけれど、そのうち私の理解力のなさに匙を投げていく。

その繰り返しだった。

『姫様はにこにこ笑っていらっしゃればいいのですよ』

『勉強なんて必要ありません』

流石に馬鹿な私でも、それでいいわけないことくらい解っている。

そして、王様に次の家庭教師をお願いしたところ、やってきたのは子供だった。


「サナ姫様。こちら、本日から家庭教師兼従者の任につく、ノアと申します」


女官が案内してきたのは、私よりも小さな少年。

少しばかり眠そうな目をした彼は、確かに大人びて見えたけれど。


「ノア、貴方いくつ?」


女官がノアを残して退室すると、私はノアに詰め寄った。


「先月で、10になりました」

「私、15なんだけど。その私の家庭教師? 馬鹿にしてるの!?」


思わずぶちまけると、煩そうに耳を塞いでいたノアが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「文句を言いたいのはこっちです。ラボに籠ってた俺を無理やり引っ張り出したのは、アンタの父親ですよ」

「は? ラボ? どこの?」


姿に見合わない言葉の羅列に唖然とする。


「どこのって、国立王都研究所ですけど」

「おう、けん? 嘘!?」


国立王都研究所は、王の管轄する国で最も大きな研究所だ。

国中でも優秀な研究者ばかりが集められて、毎年研究発表が華やかに行われる。

ということは、この年で所属するノアはかなり優秀ということだ。


「嘘なんてついてどうするんですか」


呆れたようにため息をついて、ノアが無造作に羊皮紙を差し出した。


「へ、な、なによ」

「貴女の学力が上がれば、その分研究費がつくんです。取り敢えず、拝命した以上は尽力するしかないでしょう」

「じゃあ、これ」

「貴女の理解度を測る問題集です。やってみてください」


ぺらりと捲った羊皮紙は、意味の解らない記号の波。


「こ、こんなの出来ないわよ」

「え? あ、」


訝し気に覗き込んだノアが、慌てて一枚目を取り上げた。


「すみません。これは、俺の暇つぶしでした」

「暇、つぶし?」

「証明できていない数式です。貴女の課題はそちらですから、集中してやってください」


二枚目の羊皮紙には、見覚えのある数式や記号、言葉が並んでいる。


「取り敢えず、一刻で出来るところまでやってください。その後答え合わせをしますから」

「え、今から?」

「えぇ。午後のダンスのレッスンまでは暇だと聞きましたから」


では、始めてください―しれっと開始を告げたノアに、私は慌てて机に向かった。


*****


「…」


何も言わずに羊皮紙を眺めているノアに、私はだんだん居たたまれなくなってきた。

問題は、歴史、計算、語学、文法といろいろな種類を網羅的に出題されていて、時折空白が目立つ。


「ど、どうせ私は馬鹿よ」

「誰もそんなこと言ってないでしょう。勝手に卑屈にならないでください」


羊皮紙から顔を上げて、ノアが肩を竦めた。


「まず、この計算問題からいきましょう。これ、どう考えたんですか?」

「え、どうって」

「何処から計算を始めたんですか? 途中の式もなく、突然答えが出ていますが」

「あ、頭の中で計算したのよ!」

「それなら、それを書いてみてくれますか?」

「いいけど」


結局ノアは、私を馬鹿だとは一度も言わないかったし、呆れもしなかった。

ただ、私の説いた答えと、それから考え方を聞いてきて、次の日から認めるのも癪なのだけれど、今までの先生たちよりよほど面白い勉強を始めてくれた。




「サナ姫。俺、これ、前回もお教えしましたよね?」

「そ、そうだったかしら。ノア」


呆れたような視線が痛い。

大体、15の私が、10の少年に勉強を教わっていることすらおかしいというのに。


「いい加減、面倒だからと中間式を省くのをやめてくれませんか」

「ち、ちが」


私が中間式を省くのは面倒だからじゃない。

でも、


「違う? では、どうして間違えると解っているのに中間式を書かない、という選択肢を選べるんですか」

「う…」


正論過ぎて反論できない。


「もしかして、」

「あ、違うのよ。別にかっこいいからとか思ってな」

「格好良い?」

「あ…」


思わず暴露してしまった。


「なんですか、格好良いって」


うぅ。

呆れたようなノアの視線に、私は身を縮こまらせる。

ノアは、若干十歳にして優秀な研究者ばかりの国立王都研究所で研究に携われるほどの秀才だ。

数々の家庭教師をつけてもちっとも学力の上がらない私の為に、お父様が最後の砦として連れてきたのがノアだった。

研究に没頭したかったノアとしては、迷惑な話だったらしいが、お父様が研究室に補助金をつけると約束をしたらしく、室長さんに拝み倒されたらしい。

一年の任期で私の家庭教師兼従者を引き受けたというわけだ。

ノアの教え方は解りやすい。

私は変なところが気になって、そこで躓いてしまうことが多かったのだけれど、ノアはきちんと不要に見える部分も説明してくれるし、解りやすいとなれば植物学など実物を交えて話をしてくれる。

お陰で私の知識はこの半年で随分と増えた。

それでもまだ、計算は苦手な部分も多く、途中計算を省略すると間違えてしまうことも少なくない。


「だって、ノアはこのくらいの計算、途中式書かないじゃない…」

「えぇ、まあ書きませんけど」

「だから私も書かないで、ノアをぎゃふんと言わせたかったのよ」


それなのに間違えているあたり情けない。

どんどん語尾が小さくなってしまう。


「サナ姫」

「なによ」

「格好良いのは、さっと答えがでることよりも、きちんと間違っていない答えが出ることですよ」

「わ、解ってるわよ」

「解っていません」


いつものように少し眠そうな視線を持ち上げて、ノアが目を細める。


「良いですか? 今年、冷害によって穀物が前年度の0.7%しか収穫できなかったとしましょう。水不足もあって、果実は0.8%の収穫。大雪のせいで往来が少なく交易収入は0.42%落ちました。さあ、今年の適正な納税額を定めてください」

「ちょ、そんなこと急に言われても」

「もしこれで、貴女が間違った答えを出したらどうなりますか?」


ノアの言いたいことを悟って、私はぐっと言葉を飲み込んだ。

王政の中では、王族の言葉は絶対だ。

間違えたから、と安易に訂正できるものでもない。


「今は、間違えてもいい時ですから存分に間違って構いません。けれどそれは、これから間違えないようにするための期間なんです。将来格好良いこの国の王妃になるために、今は中間式を書いても間違えない答えを出せるようになっていただきたいです」

「解ったわよ…」


結局こうやって、何でもかんでもノアに教えられているのだから世話はない。

年上の威厳というものは何もない。


「それで、きちんと計算できるようになったら、研究所の研究費検討しなおしてくださいね。未来の王妃様」

「は?」

「少なすぎるんですよ、研究費。御蔭であの手この手でパトロンを募らないといけないんですから」


研究の話になると、途端にノアの眠そうな目はきらきらと輝くのだから、嫌になる。


「なによ、この研究馬鹿!」

「口が悪いですよ、サナ姫」

「あなたのせいでしょうが!」

「そうですか? 俺は貴女が格好良い王妃になるのを楽しみにしているだけですよ」


不意打ちににこりと笑われて、私は言葉を失った。

ノアが年相応に幼い笑顔を浮かべることは滅多にない。


「ノア、」

「さ、そのためにも復習してくださいね」


すぐに眠そうな目に戻ったノアは、そう言って厚い羊皮紙を机に乗せた。


「ちょっと、多くない?」

「明日までの宿題です。少しでも格好良くなるために、頑張ってください」



さらっとそう言って、ノアはあっさり部屋を出て行った。

取り敢えずはこれをやり切って、明日ノアをぎゃふんと言わせてやる!

そう決めて、私は羊皮紙と格闘し始めた。



そらみみプロジェクト その6 『主従』


主従×年の差×逆転

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