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 ※※※





 図書室のカウンターの椅子に座り、貸し出しカードの整理をしていた充は、微かに風が吹いた気がして、手を止め窓のほうに顔を向けた。

 一階の図書室の窓からは、ほとんど裸になってしまったイチョウの木が見える。残り少ない葉が、はらはらと落ちていくその向こう側に、校門が見えた。下校する生徒達はそれぞれのペースで歩いている。

 昨日と同じで今日も図書室にいる充は、帰途についている生徒達を(うらや)みながらも、再び手を動かし始めた。この図書室は、蔵書の数も少なければ利用人数も少ない。市の図書館に行ったほうが、確実に読みたい本は見つかる。

 体育から何時間たってもあの高揚感が離れず、なぜだか落ち着かない。鼓動は平静を保っているはずなのに、急に息苦しくなって、体が熱くなる。それと同時に、瞼の裏に浮かぶのは中畑の言葉。思い出すだけで、嬉しい気持ちと苦い気持ちとが入り混じって、複雑な気分になる。自分にだけ向けられた言葉のはずなのに、どこか素直に喜べない。

 大きなため息をこぼすと、貸し出しカードをまとめて、クラスごとに仕切ってある箱に戻した。次のクラスの分を取り出す前に、下がってきた眼鏡を中指の腹で上げる。その時、図書室の扉の開く音がした。


「お、真面目にやってんじゃん」


 珍しいと目を向けた先にいたのは、今日はやけに話しかけてくる中畑だった。サイドを後ろで結ぶ髪形がよほど気に入っているのか、今もその髪型だ。

 体育の授業後は、中畑とは違う教科を選択していたので、話す機会は全くなかった。


「お前の当番は水曜日だって聞いてよ。あ、ところで絵本ある?」


 近付いてきた中畑の口から出たのは意外な言葉で、そんなことを予想していなかった充は、条件反射で右端の棚を指差して、


「絵本の棚はそこ」


 淡々とした調子で言うと、中畑はさっそくその棚へ向かった。

 何を聞かれるかと思って気を張っていた充は、なんだか出鼻をくじかれてしまい、椅子の背もたれに体を預けた。

 中畑が絵本を読むのだろうか。あまりにも似つかわしくなくて、想像すらできない。絶対に彼が読むものではないだろうが、それを問うこともできずに小さく息を吐く。

 ズボンの裾を擦りながら戻ってきた中畑の手には、猫のイラストの描かれた、小学校低学年向けの絵本が握られていた。その本を持ったままカウンターに腰掛け、体を捻って充の方を向く。


「今日の朝、なんで俺を見てた?」


 カウンターに本を置き、やや挑戦的な目つきをこちらに向けた。ドキリと心臓が一度跳ねたくらいで、動揺は顔に出なかった。

 カウンターに乗せていた手を引き、膝の上に置くと仕返しのように呟く。


「気になったから」


 黒髪のベールで覆い隠された充の瞳には、期待と不安の色が浮かんでいる。中畑とは目を合わさず、カウンターをジッと見つめた。


「気になってたんだ。へぇ、そうなんだ」


 中畑が更衣室で言った台詞をそのまま返しているのだが、それに気付いていないようで、嬉しげに声を弾ませている。その声色にホッとし、彼が持ってきた本を手に取ろうとすると、頭上から、語尾の掠れた中畑の呟きが落ちる。


「一目惚れってあんのかな」


 あまりに唐突な言葉に胸が詰まった。伸ばした指が本の上で固まり、小さく震える。

 独り言だと思っていたので、あえて何も言わずに顔を下に向けていた。すると、中畑が前髪を一房つかみ、軽く引っ張る。


「またシカト? 秋嶋クンはボクのこと嫌いなのかなぁ」


 目線を上げて彼を見やると、ふざけた口調とは裏腹に、真摯(しんし)な瞳とぶつかった。

 こんな目をしてずっと自分のことを見ていたのかと思うと、背筋に電気が走る。それは嫌悪感からくる寒気ではなく、もっと熱くて(たぎ)るような感覚のものだ。


「嫌いじゃないけど」


 ただそれだけを口にするのに、なぜこんなにも喉が渇かなければならないのか。中畑も、充と同じように息を呑み、喉を上下に動かしていた。

二人の間にある空気が濃い。

 見つめ合った視線を、互いに離すことはなかった。しんと静寂が包む図書室に、互いの呼吸だけが響いているように感じた。本の上に置いた充の手に、彼の手が重なる。

 中畑の目に映る自分の顔が見えた。そして、眼鏡をかけているにも関わらず、相手の傾いた顔がぼやけていく。なぜだか目を閉じなければと思い、ゆっくりと瞼を下ろした。

 すると、軽快なメロディと振動音が聞こえ、二人ともビクリと肩を震わせて目を開ける。中畑は慌ててカウンターから降りて、ポケットをまさぐった。中にあった携帯を取り出すと携帯を開いて耳に当てる。


「どうした?」


 彼は会話しながら図書室の隅のほうに移動していき、充からは見えない棚の間に行ってしまった。

 一体、何をするつもりだったのだろう。

 前髪をめくられ、目を見られることが、不思議と嫌じゃなかった。自分にもはっきりとした視界で中畑を見てみたいという欲望が確かにあった。けれどその端正な顔は次第にぼやけて……。

 思い出して、体温が上昇した。思わず手のひらで口を覆い、背中を丸める。

 互いの吐息が感じられる距離にいた。

 唇には触れていないが、電話がかかってこなければ口づけていただろう。

 口から手を離し、中指で下唇をなぞった。ここに当たるはずだった感触を想像して、グッと奥歯を噛みしめる。

 遠かった話し声が近付いてきて、勢いよく顔を上げた。


「分かったって、じゃあもう切るぞ」


 その声色に聞き覚えがあって、充はサッと顔を強張らせた。夢のような時間がサラサラと崩れ、見つめたくない現実が重くのしかかる。ごく限られた人にだけしか聞かせない優しく話しかける声は、充には焦燥(しょうそう)に駆られるだけのものでしかない。

 電話を切ってカウンターの前に立った中畑は、どこか居心地の悪そうな顔をして視線を彷徨(さまよ)わせていた。


「俺もう帰るわ。この本持ってくから適当にハンコとか()しといて」


 苦笑交じりにそう言うと、カウンターの下に置いてあったカバンに本をしまい、肩に担ぐ。背中が段々と遠くなり足音が扉の向こうに消えていった。

声が反響していた図書室に、先ほどとは変わった雰囲気だけが残っている。

扉から目を離せなかった充は、やっとのことで視線をはがし、カウンターに置いた手を切ない想いで見やった。

 決して忘れてはいない。中畑には彼女がいることを。

 自分勝手な誤解をすることさえできない。

 そんな相手に、自分は恋をしているのだ。











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