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 授業に中畑は姿を現さなかった。早退してしまったのかと思った矢先、体育の授業前には教室に出てきた。


「おい中畑。なにサボってんだ」


 友人の一人が中畑の頭を小突く。


「だって次、四キロ走らなきゃなんねぇだろ? 体力充電しなきゃもたないって」

「常に一位キープしてる奴がなに言ってんだよ。ほら行くぜ」

「オイ、髪、引っ張んなって」


 二人分の体操着を持った友人が、中畑を強引に引き連れていく。フラフラとした足取りで廊下へと消えていくほんの刹那、充の視線と中畑の視線が交差した。

 垂れ気味の魅力的な瞳が、視界から消えてしまうまで、自分を見つめていた。思い上がりでもなんでもなく、確かに充を見ていたのだ。

 ほんの一瞬のことなのに、肩を緊張させていた自分が馬鹿馬鹿しくなって、小さく笑う。

 ほとんど人のいなくなった教室を見回し、体操着を持って更衣室に向かった。

 着替えをすませてグラウンドに出ると、各々に準備体操をしている姿が目に付く。女子は長袖長ズボンなのとは対照的に、男子のほとんどは半袖短パンである。

 充は、半袖と長ズボンを膝下まで()くった姿で、むき出しになった腕をさすりながら、男子が集まっている体育倉庫の隅に駆け寄った。

 すでに、更衣室を出るときにチャイムは鳴っており、体育教師はストップウォッチを持ってグラウンドに出てきている。しかし、遅れてきた充を咎めもせず、持久走のスタートラインへ歩いていった。その後に生徒も続く。充は軽くアキレス腱を伸ばし、急いで後を追った。

 男子は女子よりも、二キロ多く走らなければいけないので、早めにスタートする。

 スタートラインに群がる男子の最後尾で、充は無意識に中畑の姿を探した。彼は先頭のほうで、仲間と楽しく話しながら体を揺すっている。中畑は周りにいる男子より少し頭が出ていて、すぐに見つかった。

 未練がましい自分の行動にため息をつき、軽く目を伏せる。

 充は乱れた前髪を指で()き下ろすと、自分のシューズの紐がほどけそうになっていたのに気付き、片膝を立てて結びなおす。周りの男子に比べると綺麗なシューズは洗っているわけではなく、それほど熱心に動いていない証だった。

 目立つことや一番といったことを苦手にしているせいで、何事にも熱心に取り組んだことがない。今回の持久走も、中間くらいの順位につけばいいと思っている。

 立ち上がりズレた眼鏡を上げたとき、ちょうど教師の野太い声が聞こえた。

「準備はいいか? じゃあ行くぞー。用意……」

 ピーッ、とホイッスルが鳴り、ゆっくりと走り始める。

 グラウンドを一周してから学校の外に出て、規定のコースを回って学校に帰ってくるだけなのだが、四キロもある。この冬に持久走が始まって三回目の体育で、やっと自分のリズムがわかってきたのだろう。みんな歩幅を狭くして、なるべく体力が持続するように走っていた。

 充は九人ほど抜いたあと、スピードを落とし、前の人に合わせるようにして足を進める。前にはあと十人はいるので、このまま順位が入れかわらなければ、いつものように中間でゴールできるはずだった。

 黄土色した砂埃が舞うグラウンドを抜け、私道を走り校門から外へ出る。

 アスファルトを蹴りながら、俯きがちに走っていると、前の人のシューズが先ほど見たものとは違っていた。チラチラと見える靴紐の色は、普通は白なのだが、この人物の紐は黒と群青の市松模様である。男性のわりには綺麗な足をしているとも思った。

 まだ順位が入れかわるのには早く、不審げに顔を上げると、段々と速度を落として近付いてくる金髪頭があった。回転の鈍くなった頭が答えを導きだす前に、相手は隣に並び同じスピードで走り始める。


「よっ」


 ニッと笑った口の隙間から見える犬歯が、なんだかワンパクそうに見える彼は、中畑だった。

 今頃はトップを独走していてもおかしくないのに、なぜこんなところに。それよりも、事務的なこと以外で声を掛けられるのが初めてで、自分に声をかけてくるのはなぜなのだろう、と戸惑ってしてしまう。

 並んで走ってみると、意外にも目線の高さは同じか、中畑の方がやや高いくらいだった。縦ばかりに伸びた、ひょろりとした印象の強い充とは違い、風の抵抗を受けた体操着から浮き出た筋肉は、彼のオスを感じさせた。こんなに近くで見るのは初めてで、自分が長いこと相手を見ながら走っていることに、充は気付かない。

「おーい。秋嶋クン」

 顔を覗きこむようにして身をかがめた中畑に、充は我に返った。すぐさま顔を俯かせ、並走している中畑を振りきるように速度を上げる。

 小さな公園の角を曲がると、やがて小学校が見えるはずだ。ここまで来ているということは、すでに三分の一ほど走り終わっているということになる。軽いフットワークで風を切る充は、この時点で二人を追い越していた。少しずつ呼吸が乱れ、喉の渇きが酷くなってくる。

 他のクラスメイトにはクン付けで呼ばないのに、自分だけそういう風に呼ばれるのはなんだか(しゃく)にさわる。

 風になびく前髪を寄せて、自分の顔を隠すようにした。


「あ、秋嶋クン。ったく、……秋嶋っ、ちょっと待てって!」


 そんなに大きな声で呼ばないでほしい。

 充の心の声なんて届くわけもなく、テンポの速くなった足音が後ろから近付いてきた。


「お前、二回もシカトしやがったな」


 再び隣に来た中畑は、半袖に顔をなすりつけ汗を拭い、上目遣いになった瞳をこちらに向けてくる。それは怒っているというよりも、理由を聞きたがっているように見えた。けれど、充自身もどこから話していいのか分からず、黙り込んで、また、僅かだが速度を上げた。


「悪い」


 一言だけ断わって先を行こうとすると、相手も歩幅を合わせ走り、くっついて離れない。


「答えになってないだろ」


 律動に合わせて出る、荒い息の合間に中畑が言うも、充はそれに答える気はなかった。


「これで三回目だぞ」

 

 中畑の不機嫌そうな声が聞こえ、しばらくすると沈黙が落ちた。

 二人はいつの間にかトップを走っている。途中のペースアップが祟ってか、いつもより体力の減りが早かった。アスファルトを蹴る足は、機械仕掛けのように規則的な動きを繰り返し、止まりたくても止まれない、そんな感じだ。このままどこまでも行けそうな、そんな錯覚に陥る。

 お互い汗だくになりながら校門をくぐる。どっちが先にゴールするかなんて考えてはいなかったのだが、ここに来てなにか執着のようなものが生まれた。中畑がダッシュし始めると、充も続くようにダッシュする。

 最後には、もつれ合うようにして同着ゴールを果たした。

 肩で息をしながら、告げられたタイムを記録表に書き込む。今までの充のタイムより、五分以上も速くなっていた。







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