序章 第1話
序章 第1話
そこは天界と人界、そして黄泉との狭間にある地。
ある者はそれを「極楽」と呼び、ある者は「桃源郷」と呼び、またある者は「シャンバラ」と称した。
名は違えど、その地は等しく、万象の均衡を司る場所――
そこに住まうは、森羅万象の根源を宿した《化身》たちであった。
彼もまた、その一柱である。
《鋼》の化身――名を、キクニ。
ある日、キクニは一通の召しを受け、城へと向かっていた。
そこはこの地を統べる太陽神が住まう、天空の王城。
「キクニよ、よく来てくれました」
玉座に腰掛けるは、すべてを照らす太陽神・コア。
その光の衣は揺らめき、まばゆいほどに神々しかった。
「コア様の御命であれば、何処へでも馳せ参じます」
深く頭を垂れ、キクニは片膝をついた。
太陽神からの勅命――
それは、キクニに《聖剣》を打たせるというものだった。
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この地の遥か西にそびえる、黒き岩山。
そこには古より、深き闇に堕ちし存在たちが封じられている。
その封印の《楔》を保つため、百年ごとに打ち直されるのが、鋼の化身によって鍛えられる《聖剣》である。
キクニの父――先代の鋼の化身は、前の封印の際にその聖剣を鍛えたが、
それを最後に世を去った。
それから十余年――
ついにその刻限が、再び訪れようとしていた。
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封印の儀まで、残すところ数日。
キクニは、森を訪れていた。
《桃源の森》
この地でも、ひときわ清らかな気が満ちる聖域。
風は優しく、桃の香りが漂い、湖面は光を湛えて静かに揺れていた。
その湖のほとりに立つ一本の老木――
満開の花を咲かせた巨大な桃の木の上に、ひとりの女性が佇んでいた。
頬に風を受け、水面に広がる波紋を、静かに見つめている。
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彼女の名は――桃華。
春を司り、万邪を祓う《桃》の化身。
その身に宿すは、命を芽吹かせる《再生》と《浄化》の力。
キクニは足音を忍ばせながら、ふとつぶやく。
「……変わらないな、おまえは」
その声に、桃華がゆっくりと肩越しに振り返る。
花のように微笑みながら、ふわりと木の枝から降り立った。
「久しぶりね、キクニ。……何年ぶりかしら?」
「十七年だ。……父の葬礼以来だな」
桃華は目を伏せ、記憶の中の少年に想いを馳せる。
涙を見せまいと、歯を食いしばっていた少年――
それが今や、一人前の化身となって目の前に立っている。
「立派になったわ。……あの人も、きっと喜んでいる」
「……まだ何も果たしていない。これからだ」
桃の香りが、微風に乗ってふたりの間を包む。
ふと、桃華が問いかける。
「――それで? 鋼の化身が、こんな穏やかな場所に何の用かしら?」
キクニは無言で、腰に差していた一振りの刀を取り出した。
未完成の、光なき刀身。
「……聖剣を、打たねばならない。だが、足りないんだ」
「足りない?」
「鋼の力だけでは、あの封印を貫くには届かない。《邪》を裂き、《穢れ》を祓う清き力が――どうしても、必要なんだ」
桃華の瞳がわずかに揺れる。
言葉の真意を、すぐに悟った。
「……つまり、わたしの力を――刀に宿せと?」
キクニは目を伏せたまま、しかし真摯にうなずく。
「おまえの力を奪うつもりはない。ほんのひと雫でいい。
封印を貫く“芯”として、《桃》の破邪の力を、刀に宿してほしい」
しばしの沈黙。
やがて、桃華は静かに微笑んだ。
「ふふ……泣き虫だったくせに、立派なことを言うようになったのね」
彼女は老木に手を添える。
その瞬間、枝先の桃の花がひとひら、風に乗って舞い落ちた。
「――この花びらに、私の力を込めるわ。受け取って、キクニ」
淡く光るその花弁は、まるで命そのもののように、柔らかな光を放っていた。
キクニは両手でそれを受け止め、刀身の中心にそっと押し当てる。
途端に、鋼の中で何かが脈打った。
未完成だった刀が脈動し、桃色の光が鋼を走り、やがて刀身全体に淡い輝きが広がっていく――
《鋼》と《桃》が、一つになった瞬間だった。
「……これが、おまえの《心》か?」
「違うわ。これは、未来のための贈り物よ。
あなたが、この世界を護るために振るうべきもの」
キクニは深く一礼し、その刀を胸に抱く。
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その日より、鍛造が始まった。
夜ごと炉に火をくべ、鋼を打ち、心を込めて命を吹き込む。
打てば打つほど、桃華の力が鋼と響き合い――
まるで刀が“生きている”かのように、清らかな脈動を刻んでいった。
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そして儀式当日の朝。
最後の一打を打ち終えた瞬間――
刀は、桃の光に包まれ、闇夜を切り裂くように淡く輝いた。
名を《桃光》――
桃の破邪の力と、鋼の意志が宿る、唯一無二の《聖剣》。
それは後に、“桃太郎”と呼ばれる者の手に渡り、
この世に災いをもたらす《鬼》と対峙する運命を背負うこととなる。
だがそのときは、まだ誰も知らなかった。
これが、世界の均衡を揺るがす物語の始まりであることを――
(序章・第一話 了)




