九話
九話
『布施技研』兵站部部長が東企連監査に身柄を拘束されたのは、社長と秘書室室長が不在の昼下がりだった。
『大江重工』製新型兵器を無許可で戦場から回収した疑いが在るとして、企業間の抗争を防ぐため、東企連が動いたのだ。この背後に『大江重工』からの告発があった事は、疑う余地も無いだろう。
──だが、対応が解せない。
『布施技研』兵站部部長、兼、社内警備室室長であるアレックス・ラウは、狭い部屋に置かれた一脚のパイプ椅子に繋がれながら、ふと、そんな事を考えた。
まず、東企連監査部隊が、本当に無許可での新兵器回収の嫌疑を『布施技研』にかけたなら、兵站部部長の身柄を拘束する程度で済むはずがない。
一応、東企連所属企業である『布施技研』の立場を考慮する事も在るだろうが、その立場というモノは、『布施技研』そのものに対してでは無く、あくまで東企連所属という事への考慮だ。
東企連にとって都合が悪ければ、お構いなしに全てを攫って行くだろう。それが落ち目の複合企業であれば、尚更だ。
そして、何より自分が無傷で物思いにふけってられる事そのものが不安でならない。
拘束された時は、世にも恐ろしい事情聴取が待っているモノだと思われていた。
経済活動の上に、人権は存在しない。在るのは、利益か損益だけだ。必要な自供を手に入れる為なら、手段を選ぶ様な悠長な事はしないだろう。
時間は金だ。自白剤でも使ってくれれば助かるが、たかが、企業所属の部長一人に対し自白剤のアンプル一本を無駄にしてくれるだけの良心が彼らに在るとは思えない。
──あぁ多分、一発殴られただけでゲロする自信あるわぁ…
アレックスは、白人との混血を色濃く映す高い鼻にかかったサングラス越しに、狭い部屋を見回す。部屋には時計なんて気の利いたモノは存在せず、壁と天井と椅子のみ。
この部屋に繋がれて、一体どれ程の時間が経ったのか。
──いやだねぇ…
何も起きない事を望みながらも、何も起きない事への不安が心を徐々に、そして確実に蝕んでいく。
物音一つしない狭い部屋。鼓膜を揺らす血流の音の奥から聞こえる、懐かしくも忌まわしい爆発音。
幻聴である事は知っている。
PMC(民間軍事企業)の人材派遣に登録し、一週間の研修を済ませて、初陣に出たのは15歳の春だった。
戦場では、来る日も来る日も塹壕の中で、相手企業の爆撃に身を震わせる日々が続いたものだ。初めは、怖くて怖くて堪らなかった。しかし、何時しか爆撃音を聞ける事そのものに、生きている実感を得た。聞けなくなった時は、きっと死んでいるのだと。
「…おい、グラサン野郎。良い神経をしているじゃないか? 此処にきて居眠りをした奴なんて見た事無いぜ」
アレックスは、突然かけられた声にハッと顔をあげた。何時の間にか、眠っていたのだ。
「緊張すると眠たくなる性分でね…それより、今から拷問かな? できれば、このサングラスだけは無事で済ませて欲しいんだけどさ」
アレックスの言葉に、部屋に入ってきた迷彩服の男は、嘲笑と苦笑を混ぜたいやらしい笑みを浮かべた。その瞳には、嗜虐的な鈍い光。拷問官のメンタル的な適正を考えるなら、実に適当な人選である。
「へへへっ、自分の身の心配よりもサングラスの心配か? まだ上からの許可が出てねぇから期待させちゃワリいと思うんだけどよ。人間てのは、生きたまま目玉を刳り貫かれても死なねぇんだよな。だから、テメェの目玉を引っこ抜いて、サングラスが要らない体にしたやるよっ!」
そう言うと、拷問官は、アレックスの顔からサングラスをひったくった。
「ざんねんだなぁ…その必要は無いんだ。と、言うよりも無いんだよね」
「…えらく、雑な拷問を受けたみたいだな…」
拷問官の顔が険しくなる。
サングラスを取ったアレックスの目元には在るべき筈の瞳は無く、古い傷跡と空になった眼底だけしかなかった。
「拷問? まさか、そんな体験はした事無いよ。コレは自分とったんだ」
「……チッ、シラケる野郎だぜ。マゾ野郎とは相性がわりぃんだよな」
拷問官の瞳から、嗜虐的な光が霧散し、後には興醒めした冷たいモノだけが残る。
彼は、自分の仕事を人体を使ったアートだと言い聞かせ、それを信じ込む事で拷問を天職とした真面目でマトモだった人間だった。しかし、自分がこれから創り出す筈の芸術作品には、本人の雑な手で既に飾りが施されている。
彼にとって、これほど醒める事は無かった。
「マゾ? とんでもない。僕にそんな性癖はないよ」
──ただ、あの頃は、在るよりのも無い事の方が便利だったんだ。ただ、それだけだ。
■
慣れた筈の社用車のシートに居心地の悪さを感じる。
『布施技研』秘書室つきの運転手、イヴァン・高安・イリンスキは倒したシートを直しながら、車窓の外の猥雑な流浪街を見渡す。
二輪車から多脚戦車まで、ありとあらゆる車両を愛するイヴァンにとって、シートの居心地の悪さには、特別な意味があった。
過去に戦車乗りをしていた頃、一命は取り留めたものの、初めてマトモに対戦車砲の直撃を浴びた時も、慣れた筈のシートに居心地の悪さを感じた。
しかし、今の妻を隣に乗せて初めてデートに出かけた時に、妙な居心地の悪さを感じたのも記憶に新しい。
イヴァンと言う男にとって、自分の駆る車両は、実物の女に勝るほど愛情を注ぐに相応しい相手だった。
スレンダーやセクシー、グラマラスとフォルムの外見は勿論重要だが、愛する上で女と同じく中身は更に重要だった。
機体の扱い易さや性能の高さだけが、愛情を注ぐ条件ではない。機体スペックは勿論大事な部分ではあったが、最終的には相性と慣れが、相手を愛する事でも重要な意味を持つ。
機体独特の個性やシートの心地、操縦桿の握り具合と、あげればキリがなく、その上、明確な判断基準など存在しない。
ただ、今まで逢った女の中で、理想には程遠いものの、理想などどうでも良くさせてくれるのは、他ならぬ妻だった事は確かだ。
イヴァンは、社用車のエンジンをかけ、とりあえず車を出した。
どうも、居心地の悪さの奥に人の視線を直感的に感じるのだ。それも、敵意を持った人の視線。まるで、対戦車砲を向けられているかのように。
長く戦車乗りを続けてこられたのも、この直感を信じていたからだ。
そして、イヴァンは人ゴミの奥に、敵意ある視線の現況を見つけた。
コレが、社用車では無く戦車だったなら、とりあえず一発ぶち込んでやっただろう。が、視線の先には敵意以外にも、懐かしい知り合いが居る事に気付き、車を止めた。
「Привет(プリヴェート・やあ)、ハングマン。それは、あんたの相棒かい?」
イヴァンが車を降り、歩いて行った先には、今では旧式の六脚式戦車が在り、その120㎜の主砲に一人の小さな男が逆さまに釣り下がっていた。敵意ある視線は、この男のモノだった。
「中央の僻地出身みたいだが…何の用だ?」
逆さに釣り下がった小男は、血液が重力にひかれ頭に集まっているせいで、少し赤い顔をしている。青い目に、色素の薄い肌と髪の白人の男だった。
「僻地とは失敬な奴だな、俺はイヴァンだ。あんたも西海洋出身に見えなくもないが、中央の元軍人さんみたいだな」
イヴァンの言葉よりも、その表情に小男は訝しんだ顔をする。
その表情は笑顔だった。それも親しみを込めた笑顔。そんなモノ向けられる覚えなど、小男になかった。
「…自分は、スターキー・チェルチ…確かに父は西海洋圏出身で、自分は元中央の人間だが…何故だ?」
「その脚さ。そんなハイセンスな義足は、中央のイカレ博士共にしか考え付かんだろう?」
イヴァンが指差したのは、主砲を鳥の鍵爪の様に掴み、スターキーを逆さまの状態に保たせている金属製の義足だった。
「こんなトコロで、中央西部戦線の英雄に逢えるとは……あながち悪い予感って事も無かったのかもしれないな」
「英雄? 何のことだ?」
「…中央統合軍・機械化機動実験大隊。確か『メカニカル・ガビアルズ(機械仕掛けの人食いワニ達)』だったかな?」
「オフィシャルには存在していない、ただの欺瞞工作で創造された架空の部隊だろう、それは」
「オフィシャルの英雄ってのは、戦争が終わったと同時に消えたか、初めから存在すらしなかったかどちらかさ。しかし、あんた達は違う。欺瞞工作の目暗ましの中で、俺は確かにあんた達の足跡を見たよ…」
スターキーの表情が、驚きと共に何処か丸いものになった。
中央統合軍・機械化機動実験大隊とは、当時軍法を著しく犯かし営倉で処刑を待っていた兵士達を洗脳の上、身体の機械化による強化手術を行い組織された実験部隊である。
しかし、それが実在したとされる公式の記録は無く、誰も見た事が無い為に、半ば都市伝説や軍部による欺瞞工作の一環として認識されていた。他にも、超能力開発を行った部隊を実践に投入した。など、と言う眉唾的なウワサも存在する。
だが、戦場で前線に居た者達は、彼らの存在を確かに感じていたのだ。
でなければ、圧倒的な戦力差を肌で感じながらも、現在の中央大陸の三分の一を西海洋諸国から奪還できた理由の説明がつかない。最前線には何時も、力強い誰かの足跡が常に存在していた。
「…貴様…いや、イヴァン。キミは、西部戦線に?」
スターキーは、機械化機動実験大隊に関して、肯定も否定もせず、話題を変えた。
そして、イヴァンもそれ以上の事は言葉にしなかった。
「…あぁ、酷い戦場だったけどね。あんたのぶら下ってる相棒と一緒に、18の時さ」
スターキーは、ぶら下がった主砲から戦車を見つめる。
大型でシャープでありながらも独特な曲線を持つ、中央戦争終盤に実戦投入された六脚式の高機動戦車。当時は『キエフ』の愛称で呼ばれた。現在は、採掘した鉱石を運搬する為に使用しているが、砲塔やその他の装備は残ったままだった。
「戦場では、評判の悪い機体だったな…しかし、今は貨物を引くのに重宝している」
スターキーの言葉に、今度はイヴァンの表情が訝しげに歪んだ。
「おいおい、そんな言い方はよしてくれよ。彼女は、いい女さ。俺の二番目に長い相棒なんだぜ。何しろ、最高にスタイルが良い。確かに、操縦性は頑固で気が強いけど、慣れれば命を預けるに相応しい性能さ」
「はははっ、自分には理解できん趣味だな。やはり、女もマシンもジャジャ馬に限る。暴れまわるハイスペックな性能を、自身のテクニックで乗りこなすのが男の勤めではないかね?」
「い~や。美しく強い女の掌の上で、夜明けまで踊り続ける事こそ、男の本懐だ」
「君とは仲良くなれそうにないな」
「同感だ」
交わす言葉とは裏腹に、二人の声と表情からは、重みが消えている。
しかし、二人の趣向い対する抗論は、俊徳道礼子と恩智正孝が合流するまで、延々と平行線をたどりながら続けられた。