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八話

八話




22開発地区で問題が起きている最中、『布施技研』社長布施次郎は、弥刀鋼材を訪れていた。

要件は、双脚式機動戦車『シュテン』生産のライセンス取得に先駆けて、消失した機体図面立ち上げの現状を確認しに来たのだ。


「ちわぁーすっ! 社長、います?」


「おう、どうしたんだい坊ちゃん」


「近くに来たんで、幸村兄ちゃんに依頼した図面を確認しに来たんですけど…」


何処か歯切れの悪い様子でそう言った次郎は、決して広いとは言えない工場内をキョロキョロと見回す。手には、近所のケーキ屋『ノワール』のチーズケーキを携えていた。


「あぁ…はははっ、大丈夫だよ坊ちゃん、幸呼なら今度の改修の件で塗装屋の佐治さんトコロに打ち合わせに行ってるから。それに、陸式の件ならアイツはもう大丈夫さ、工場街の女はそんなにヤワじゃねぇよ」


陸式の件により随分と落ち込んだ幸呼だったが、次郎がライセンス生産に参入する強い意志を示した事を告げると『絶対、他よりもイイモン造ってやるっ!!』と俄然元気を取り戻した。

幸志は、仕事一筋の父親ではあったが、娘が次郎を好いている事は幼い頃から知っている。

惚れた男の為に、健気に頑張る娘。だからこそ、父親の口からは何も言えず、知らぬフリを続けるのだ。


「ユキちゃんには、悪い事をしちゃったから…でも、元気なってくれたなら安心です。これ、また皆で食べてください」


「ああ、悪いな。幸村なら、二階で図面を引いてるよ……アイツは、戦場から帰ってきて人が変わったみたいに働く様になった。まぁ、まだ数日なんだけどな、昼夜飯も食わずに必死で図面を引いてるんだよ」


「それは…体を壊したら大変じゃないですか」


「はははっ、二日三日の徹夜で工場街の男が壊れるもんか。反企業主導体制運動なんて、学生の頃はチャラチャラと息巻いてやがったが、やっと現実を見てマトモに働く様になっただけさ」


それを聞いた次郎の表情は複雑なモノだった。

幼い頃から出入りしている弥刀家。その頃から一つ年上の兄の様な存在が長男の弥刀幸村だった。

幸村は、生まれつきあまり体が強く無く、活発な妹と正反対だったが次郎にとって、優しく頭の良い兄として接してくれた。

しかし、母親の弥刀由呼が亡くなってから、父親は彼に長男としての強さを求めた。時には理不尽な暴力ともとれる教育が行われ、父と息子の間には深い溝ができている。


「そんなんじゃねぇよ」


工場内で立ち話をする二人へ、冷たい声が投げかけられ、声に振り返ると二階へと続く階段には、幸村の姿があった。

線の細い長身に、徴兵の名残で短く切りそろえられた髪型は度のキツイ眼鏡と酷く合わなかった。


「あぁ、なんだっ? 言いてぇ事があるなら、降りてきて言いやがれっボンクラっ!」


「そんなんじゃねぇって言ってんだよ」


「あぁ、親に向かってなんて口の聴き方しやがるっ!!」


「ちょっと、社長、落ち着いてっ! ユキ兄も、今は図面の話をしに来たんです」


次郎の咄嗟の叱咤に「……すまねぇ」とで怒りを収めた幸志だったが、その表情は納得したモノではなかった。


「図面なら七割方、形に出来てるよ。次郎君、一応上で確認してもらってもいいかな」


「わかりました」


次郎は幸村の後を追う様にして、二階へと上がる。

彼にとって、二人は父と兄同然の存在だった。二人を思えばこそ、対立は悲しく、かといってどちらの側にも立てない。それが、酷く心苦しかった。





「現物見てからしか何も言えんが、問題は中に入り込んだ塩じゃろうな……そう来たか」


「どうかねぇ、あたしゃ真水が少ないってのが気がかりで仕方ないよ…へぇ、えらくイイトコロを切ってくるねぇ」


「あっ、それポンで。それより、問題は防腐塗装じゃない? 速乾使ったら、コスト嵩む上に耐性低いし」


「おいおい、親が三順目に鳴くんかよ。怖いわぁ……でも、乾燥させる時間なんて取れるんか? 無理あんじゃねぇの?」


此処は、喫茶『あんどろめだ』二階、雀荘『青姫(チーチン)』である。

ちなみに、これは遊んでいるのでは無く次現場の重機改修業務の打ち合わせの様子である。現地での改修と全体的な方針は固まったが、細かい部分の取り決めは、まだ途上段階だった。


名前は省くが麻雀卓を囲むのは今回の改修に関わる主要工場の長やその代打ちだった。

ちなみに、三順目から親の風牌で鳴いたのは、現在トップ『弥刀鋼材』代表の弥刀幸呼である。


「それについては大丈夫じゃろう、チト荒っぽいが『一郎丸』の乾燥機をフル稼働すりゃエエ。それより、やっぱり塩じゃろう、きっとエンジンの中にまで焼きついとるしな……手ができんのぉ……考えるだけで頭が痛いわい」


「嘘つきな、タヌキ爺。そうやってアンタはしっかり仕事も上がりも攫ってくんだよっ……アレかい、あたしゃ詳しくないんだけど、海水を真水にするってのはどのくらい時間がかかるんだい?」


「どうでしょ、ワタシもあんまり詳しくないからなぁ……それも、ポンで。この段階でドラ切るとか、もう逃げんの?」


「マジでっ!? ……『一郎丸』のスペック見たら、一日に1.5tってなってたけど、多いか少ないかわからんわ……そりゃ逃げるて、次くろうたらハコやねんぞワシ。ちっとは容赦せんかいな」


「陸式の生産まで、あんまり時間がないからのう……仕方ないのう、ほれリーチ……残処置には、あまり人を裂きたくないんじゃ」


「ほれ見ろ。もう曲がりやがったよこの爺は……そういえば、幸村ちゃんから図面のデータが届いてたね。相変わらず見やすい丁寧な図面を引くよ。ウチのバカ息子にも見習ってほしいもんだわ」


「でしょ、兄さんの図面ってキレイでしょ。なのに親父は解って無いんだよね、正しい図面がなけりゃ、いいモノなんて出来ないのに……おい、逃げ切れるなんて思うなよ」


「ちょい、なんか俺に対する当たりおかしない? ……まぁ、幸村に期待してるって事ちゃうかなっ、と」


「ほっほっ、ごちそうさんじゃ」


「マジでっ!!」


「おい、馬鹿っ!! そんな牌あぶねぇに決まってんだろっ!!」


「もう…親父さんに似て、博才がないねぇ、アンタも」


「リーチ、一発、タンヤオ、裏も乗ったのう、デン、デン。満貫じゃわい」


「やべぇよ、今月給料吹き飛んだじゃねぇか」


「ちきしょー、最後の最後でかよ……もう半荘いきましょうよ」


「もう無理やってっ!!」


「何言ってんだい、まだ次の現場の事が決まって無いだろう? 大丈夫、支払は次の現場の分が入ってくるまで待ってあげるから」


「さぁ、打ち合わせを続けようかのぉ」


「嫌だーっ!!」


叫びもむなしく、自動麻雀卓は小気味よい音を響かせて牌を混ぜる。

打ち合わせは、その後5時間にも渡り続けられた。





狭いながらも、小奇麗に片づけられた部屋は、コーヒーの良い香りで満たされていた。

幸村は、端末のディスプレーの前に座ると、膝が痛むのか何度も脚を組み直し、苦笑を浮かべる。

第十三・十四エリアで、幸村は太腿に怪我を負った。銃弾では無く、爆撃の余波で飛散した鉄片が刺さっただけなのだが、当時の経験は心に大きな歪を生んでいた。


「まだ、痛みますか?」


「イヤ、痛みは無いんだけどね違和感があって……それに、眠れないんだ、悪夢で目が覚める。徹夜して作業してたというよりも、眠るのが嫌でずっと図面を睨んでた。なのに俺は、俺に悪夢を見せる戦争の道具を作ってる」


「……ユキ兄もか……ごめん」


自嘲的な横顔の幸村。苦しむ彼に図面の立ち上げを依頼したのは、他でもない次郎だった。


「いや、謝らなくていい。ウチも『布施技研』も、とっくの昔からやっている事だ。俺も全てじゃないけど戦争で得た金で育ったんだ、本当は、もっと早くにこの悪夢みなければいけなかっただけだよ」


そう言うと、幸村はコーヒーをユックリと啜り、印刷した図面を次郎に渡した。


「あとは、大江からの正式な図面が来てからの擦り合わせだな。工場ごとに詳細な図面を造って、それで完了。後は、親父と幸呼に怒られながら、必死で頑張るさ」


精一杯の笑顔を作った幸村だったが、その瞳は何処か虚ろだった。

実質、次郎自身も眠れない夜が続いている。医者にはPTSDと診断され、睡眠薬を処方されたが、飲めば悪夢から帰ってこれない気がして、手つかずのままだ。


「…しゃ…親父さんとは、相変わらずなんだね…仲直り、できない?」


「はははっ、若社長にそんな心配までさせてるとは、俺は親父の言うとおりボンクラだな」


「そんな意味じゃないよっ!」


終始、自嘲的な幸村に次郎は姉の和姫を重ね見てしまう。

何時からか姉は、涙を流す代わりに笑うようなった。そして、何も言わず勝手に死んでしまった。


「すまんすまん、そんなつもりじゃなかったんだ。それに、俺は親父を嫌ってる訳じゃないんだよ。職人としての親父は尊敬してるし、父親としても悪いなんて思ったこと無いんだ」


「じゃあ、何がそんなに二人を対立させるの?」


「家族だからかな……親父の生き方は、どうしても好きになれないんだ。一生懸命働く事は、尊いと思うんだけどね、ただ家族の為に一生懸命働いて働いて、他の大事なことに目を向けなかったから、何時の間にか世界はこんな事になってしまったと思ってしまうんだ」


企業は、全ての人間を歯車として企業に取り込み、利益の為だけに多くを踏み潰しながら進んでいく。戦争に残った僅かな大義すらかなぐり捨て、経済は完全に人をも殺す道具となった。


そんな中で幸村が幼い頃から憧れた職人という父の背中は、大人になってこそ眩しく映った。企業に取り込まれる事無く、一流の腕と技術を持って社会に貢献する男の姿。


だからこそ、そんな父が今の企業主導の世界に疑問を持たない事が悔しかった。家族だからこそ許せなかった。


「別に、親父や他人の所為にしたい訳じゃないんだ…甘えだってのも解ってる。ただ、悔しいんだ。親父や幸呼みたいになれない自分がさ」


「ユキ兄……」


何も、言葉にはならなかった。

次郎は、紛いなりにも東企連の一端を担う企業の長である。企業主導の世界だからこそ今が在る。しかし、幼い頃から兄としたう青年を苦しませる理由も解る。葛藤は、ただ沈黙となって流れるだけだった。


この部屋に訪れた幼い日々は過去となり、此処で話した夢は、もう覚えていない。

今はただ、日々を悩みそれでも前に進むしかない大人になった。それだけが、痛いほどに分かった。


沈黙は、次郎の携帯端末に礼子からの連絡が入るまで、沈黙のままだった。


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