七話
七話
どれくらいの時間が経ったのだろう。
一分か、二分か。それとも一時間か。
──我々の死を望んでいる。その言葉の意図はナンだろうか。さっきの音は、銃のスライドが動く音だろうか。なら、僕は殺されるのか。なら、僕は死ぬのか。
恩智正孝の腕に巻かれた腕時計。母が就職祝いにくれた、父の形見だった。その時計の秒針が刻んだのは、僅か数秒。長い、永い、今にも永遠に届く数秒間の沈黙だった。
「ニゲルセナカハウチヤスイ… (逃げる背中は撃ちやすい…) イノチゴイナリ、アワテルナリシテクレレバ、キモチヨクコロセタンダガ (命乞いなり、慌てるなりしてくれれば、気持ちよく殺せたんだが)」
沈黙は、その創り主によって唐突に破られた。
「はっ…はぁ……」
「ハハハッ、ナントモマノヌケタヘンジダナ。イノチヲダイジニシスギルノハダラクノモトダガ、モウスコシタイセツニアツカワナイトカラダカラカッテニデテイクゾ。 (はははっ、何とも間の抜けた返事だな。命を大事にし過ぎるのは堕落の元だが、もう少し大切に扱わないと身体から勝手に出ていくぞ)」
「はっ…はい。気を…つけます…」
本当は、命乞いをしたいし慌てもしたい。しかし、正孝はあまりに事が急過ぎて一体どうしたら良いのか解らず、ただジッと座っている事しかできなかった。返事も殆ど脊椎反射の様なモノだった。
「ナニモシラナイミタイダナ。シカシ、シラナイコトガメンザイフニナルワケデハナイ… (何も知らないみたいだな。しかし、知らない事が免罪符になる訳ではない…)」
ゴトリ、と硬質な何かが二人を分かつ格子の前に置かれる音がした。
正孝は、此処に来てやっと冷静さを取り戻し、許されるならば命乞いなり慌てるなりを行わせて欲しいという考えに至った。が、しかし、それは人工声帯が発する電子音の様な声に阻まれる。
「セツメイシヨウ。ソシテ、キミノシラヌツミノカズヲ、トモニカゾエヨウジャナイカ…オンジクン(説明しよう。そして、キミの知らぬ罪の数を、共に数えようじゃないか…恩智君)」
──結構ですっ!!
正孝は、咄嗟にそう言ってしまいそうな自分を抑えるのでやっとだった。
■
「何故来たっ!!」
男のあまりの剣幕に、少年の笑顔は怯えと恐怖で曇った。
バギーがテントに着いた瞬間、ダイゴがジェームス・フレデリックと呼んだ長身の男は、礼子に脇目も振らず、ダイゴの肩を掴んで大きな声を出したのだ。
しかし、ダイゴの表情も然ることながらフレデリックの表情もまた、苦いモノを含んでいた。傍から見ても、この男が少年に対し始めてこのような行動をとったであろう事が解る程に。
「ごっ…ごめんなさい……」
「…すまない、つい大きな声を出してしまった。でも、此処は本当に危険なんだ。お前にもしもの事があったらクリスティーナが悲しむ。お前は、彼女を悲しませたいのか?」
フレデリックの、優しくも重く響く声にダイゴは首を必死に横に振る。
「もう、しないな? これからも、私の言いつけをちゃんと守れるな?」
「…うん」
礼子は、二人の様子を傍で伺いながら小さく笑みを漏らす。
どこか温かみを感じる雰囲気と、完全にスルーされている状況の両方から漏れた笑みだった。
「よし、早く帰りなさい。すまんがビル、ダイゴを町まで送って行ってくれないか」
フレデリックに呼ばれ、テントから姿を現したのは、彼よりも更に長身で巨躯な男だった。
ビルと呼ばれた巨漢は、無言でバギーに近づくと、丸太の様に太い腕でバギーを軽々と持ち上げ、一緒にダイゴのズボンを掴み、ヒョイと肩に乗せた。
「…で、キミは誰かな?」
此処にきて初めて、フレデリックは礼子を見た。否、礼子の方を見たと言った方が正確だろう。
黒と蒼のオッドアイは酷く無機質で、まるでレンズの様に礼子と、その周りの風景を写すだけ。よく見れば美しく透き通った蒼い瞳だが、その蒼さがより一層目元から熱を奪っていた。
「司祭っ、その女の人が僕のバギーを直してくれたんだっ!」
走り出そうとしているトラックの助手席から、ダイゴはヒョッコリ顔を出すと、フレデリックの背中にそう投げかける。
「そうか、わかった。私からちゃんとお礼をしておこう。気を付けて帰るんだぞ」
「わかった。じゃーね、礼子さん」
「おう、気をつけてな、ダイゴ」
窓から身を乗り出し、満面の笑みで手を振るダイゴに礼子は笑顔で手を振りかえし、フレデリックは振り返る事無く顔の横で手を振った。
「なんだよ、振り返って手を振ってやればいいじゃない。かわいい息子なんだろ?」
「貴様には関係の無い事だ。大江から開発を移譲された布施技研の人間か?」
「あぁ、『布施技研』社長秘書室室長の俊徳道礼子。アンタが、ギルド長のジェームス・フレデリック?」
「さぁ、どうだろうな?」
フレデリックが鷹揚の無い声でそう告げた瞬間、テントから飛び出してきた数名の武装兵が礼子を包囲する。そして、その中の一人がフレデリックに近づき「布施技研籍のスキンヘッドと運転手、両名の身柄の確保は完了しております」と報告する。
「…誰も街には来なかった。東湾岸道路あたりで事故にでも遭った。そういう事になるな」
要するに、此処で皆死ぬ。と、フレデリックは告げたのだ。
「そう、でも無駄じゃない。アタシの代わりもスキンヘッドの代わりも運転手の代わりも、会社には幾らで居るわ。それより、ちゃんと挨拶しない? 殺すのは何時だって出来るけど、挨拶は生きてないと出来ないじゃない」
礼子は、この状況に動じる事無く、むしろ楽しんでいるかの様に小さく肩を竦めると、一歩、フレデリックへ歩み寄った。
包囲する武装兵の銃口が一斉に、礼子へと向けられる。
「大の男がビビってんじゃないよ、まったく。ほい、まず挨拶の握手よ」
礼子の白く細い左手が、フレデリックの前に差し出されたのと、武装兵達が緊張気味に銃を構え直すのは同時だった。
「左手だけど、気を悪くしないでね。深い意味は無いの、でもそれなりの意義はあるから。それとも、ギルド長は怖くて女と握手もできないチキン野郎?」
挑戦的な言葉。しかし、礼子の表情は何処か真剣で、相手に対し侮辱や挑戦を示しているとは思えない。
フレデリックは、懐疑的に一度少し長めの瞬きをすると、ケブラー製の手袋に包まれた大きな掌で礼子の握手に応えた。
その時、フレデリックの表情に戦慄が走った。
「初めまして、ジェームス…いいえ、スパーキー・フレデリック。元、中央系民間軍事企業所属の海兵隊員であり、テロリスト集団『機械仕掛けの海賊船』の指導者。キャプテン・フックでよかったかしら?」
スパーキー・フレデリック大尉。元中央諸国経済機構所属の軍人だった彼は、自分の大隊を引き連れ組織離反。後に『機械仕掛けの海賊船』と呼ばれる私設部隊を組織し、中央諸国経済機構への破壊工作を行った。
破壊工作の裏には、西海洋企業連合体が関与していると云われていたが、数年前に同組織施設に対する破壊工作を行い、世界的テロリストとして指名手配される。
中央諸国経済機構と西海洋企業連合体の合同作戦により、旗艦である『ジョリー・ロジャー号』の駆逐は確認されたが、船員とフレデリック大尉、俗称キャプテン・フックの遺体は確認されていない。
「…キミは……俊徳道礼子といったかな」
フレデリックの表情から、驚愕が見て取れた。しかし、ジッと握手した左手に視線を向けた横顔は、自らの正体に気づかれた事よりも、他の何かに動揺しているかのようだった。
「えぇ、そうよ。早速なんだけど、状況を確認させてもらってもいいかしら?」
フレデリックは、握手していた左手を解くと、そのまま武装兵に退くよう指示を出した。
「わかった。奥で話そう」
■
サルベージギルドの所有する財産。それは、金銭は勿論の事、食糧や水などの生活必需品、重機などの開発設備、自衛または攻撃に使用する武装などがあげられる。が、その中でも、もっとも貴重な財産は人であった。
開発を行う土地は広大で、限りある設備では、企業の提示する期限にギリギリ、もしくは若干のオーバーが関の山だった。その背景には、ギルドが必要以上の力を持ち、管理する上で面倒が起きる事をさける為、常に財政を生かさず殺さずといった状態に保とうという東方企業連合の思惑がある。
その為、ギルドにとって所有する人材の数は、そのまま開発作業の進捗に直結し、養う上での限界はあるものの、人の数こそがギルドの地力ともいえた。
『フレデリック修道会』は、全サルベージギルドの中でも、所有する人材が多く、人材の平均年齢は全ギルド内でもっとも若い。高い出世率と乳幼児の死亡数が低いという事実は、ギルドの運営が健全である事を示していた。
しかし、順調なギルド運営に暗雲が立ち込めたのは第22期新隆起地の開発が始まって直ぐの事。隣接する第19期新隆起地の開発を行うサルベージギルドが『シュガー・ヒル』に確定した事により、修道会に緊張が走った。
サルベージギルド『シュガー・ヒル』は、東企連所属『左藤メディカル』という総合医療企業お抱えのギルドである。
企業専任のギルドは珍しいモノではないが、両者の間には任命と開発以外に切っても切れない相互関係があった。
臓器だ。『シュガー・ヒル』はギルド組織の中に多くの『誘拐屋』を抱えており、開発地区で収集した臓器は全て『佐藤メディカル』へ流れる図式となっている。
その関係は、公には繋がりなど無い事いなっているが、開発地区では周知の事実だった。
「センシュウモビョウインカラサンメイノシンセイジガキエタ。(先週も病院から三名の新生児が消えた。)ウマレテカラクジカンシカタッテイナイコモイタノダ…(生まれてからたった9時間しか経っていな子もいたのだ…)」
「そんな……」
人工声帯を通している為、格子の奥から聞こえる声に感情は映らない。しかし、感情の無い平坦な声だからこそ、正孝の心にはより一層残酷に響いた。
「ゲンカイハツデ、シッソウシタジュウロクサイミマンノショウネンショウジョハニジュウハチメイ。 (現開発で、失踪した16未満の少年少女は28名。)サギョウインヲケイビニサイテハイルガ、『ユウカイヤ』ニハキギョウカラサイシンソウビガキョウヨサレテイテナ、ワレワレノキュウシキデハフセギキルコトハカナワンダロウ(作業員を警備に裂いてはいるが、『誘拐屋』には企業から最新装備が供与されていてな、我々の旧式では防ぎきる事は叶わんだろう)」
格子の下から、数枚の資料が差し出された。
簡素ではあるが、調書と思われる資料に目を通した正孝は、事の深刻さを痛感する。
事件現場である病院は、内地とは違い新生児室などという施設は無い。連れ去られた新生児は、皆が母親と同じベッドで眠っている最中に誘拐されたのだ。
添付されている防犯カメラの映像を切り取った写真には、黒い人影が堂々と母親の横で眠る新生児に手をかけている様子が克明に写しだされている。
「ケイビセンサーハ、シンオンヲハジメコキュウオン、ケツリュウオンスラカンチデキナカッタ。カイハツガオワルコロニハ、コノマチカラコドモタチスベテガキエテイルコトダロウ (警備センサーは心音をはじめ呼吸音、血流音すら感知できなかった。開発が終わる頃には、この街から全ての子供が消えているだろう)」
「…何か、対策は……前任の大江に現状を報告しなかったんですか? 確か、大江からは20億近い物資の供給が行われてますよね」
事業開始当初『第22新隆起地区』は、東企連の事前調査により500日工程で資源回収を完了させる計画だった。しかし、半年経った今現在、資源回収の遂行率は12%とかなりの遅延を見せており、前任企業の『大江重工』が自社予算の投入を行っていると、開発を移譲される際の資料には、明記されていた。
「モチロンシタサ、カナリハヤイダンカイデナ。シカシ、サイシンノケイビセンサーヲガイチニダスニハトウキレンノキョカヲマテト。ソレデヤツラガヨコシタモノガ、コレダ。(勿論したさ、かなり早い段階でな。しかし、最新の警備センサーを外地に出すには東企連の許可を待てと。それで奴らが寄越したモノがコレだ)」
再び、格子の下から資料が差し出される。ファイリングされた納品書の束は、大江重工から投入された商品の一覧だった。
「これは……」
「ワレワレヲウッタノダヨ、オオエハ。 (我々を売ったのだよ、大江は。)」
その時、格子の向こうで携帯端末の着信音が響いた。
■
礼子とフレデリックの会談は十五分ほどで終了した。会談は二人っきりで行われ、テント内からは、警備兵や関係者全員が外で待機を命じられた。
「じゃあ、件の物を確認させてもらおうかしら」
「ああ、全てでは無いが、ソコのトラックの荷台に乗っている」
テントから出てきた礼子の表情は、何処か楽しげなモノだった。
フレデリックに関しては、張り詰めた様な刺々しさは消え、この男本来の堀の深い温和な顔に戻っていた。
二人は、テント傍の塹壕に停められたトラックへ向かい、フレデリックは部下にコンテナを開く様指示を出す。
コンテナの各所は不自然にペンキで塗りつぶされた後があり、本来ならそこには『大江重工』のロゴが入っている。
「これは酷いわね」
不快な金属音を響かせ開かれたコンテナ。炎天下の中、籠った熱も然ることながら、鼻を突く黴臭さは、このコンテナが数年間放置されていた事を物語っていた。
「これじゃあ、紛争地域のゲリラの方がまだマシな装備よね」
礼子はコンテナへ飛び乗り、大きな樹脂製の箱を開けると、緩衝材中から一丁のライフルを取り出す。
「四世代も前のアサルトライフルだ。仕様も東企連規格になる前の規格で、現行規格の弾は使えない。他のコンテナに積まれた携帯火器も化石に近い上、弾体の期限が切れているモノが殆どだったよ」
「ふ~ん。これが現役の頃なら20億はしたでしょうね」
「今なら、キロ売りで2000万が関の山だ。過剰在庫をギルドに払い下げるのは常だが…はははっ、此処まで露骨だと逆に感心する」
フレデリックは、声に出して笑った。勿論、皮肉を込めてだが、笑うしか無いというのも現実だった。
東企連は、企業のギルドに対する協力に限度を定めている。限度に明確なラインは無いが、仮にも名目上20億相当の物資提供が行われた事実がある以上、『布施技研』から大規模な予算投入や物資供給はできないだろう。
「最悪、私の首を担保に『誘拐屋』に対抗できる装備の供給を交渉しようと考えている」
国際テロリストであるフレデリック。指名手配に東企連は関与していないが、対抗組織への交渉材料としてなら、使い道はあると踏んでの考えだった。
だが、それはあくまで希望的観測である。もし、この案が高い可能性を示していたなら、フレデリックは既に我が身を売っていただろう。
しかし、交渉が成功しても、企業が約定を守るとは限らない。その可能性の方が、遥かに高い事を理解しているからこそ、踏み出せないでいた。
いつの間にか、フレデリックの表情に暗い影が落ちる。このままではいけない、そう考えながらも、時間は残酷に現状を悪化させていく一方だった。
「そっかぁ……じゃあさ、死ぬ前にどうせならウチに賭けてみない?」
フレデリックは、そう言った礼子に振り返る。軽い声音とは裏腹に、蒼い瞳に飛び込んだのは悪意在る笑みだった。
かつて、中央大陸の戦場を駆け廻り、暴力の中を生きたフレデリックだったが、礼子の笑みは彼の背筋を凍らせるには十分だった。
「あんたも人殺しでしょ。なら、戦ったら? 戦って戦って戦って…戦って死にましょうよ」
真の悪意とは、透明で無味無臭。彼は、この笑顔を生涯忘れる事は無いだろう。