四話
四話
車両の両サイドと後部に『布施技研』とデカデカとマーキングされた四駆は、東湾岸道をひた進み、建築途中の建物の並ぶ中を工事車両と共に更に進み、舗装された道路が切れても、ただただ東に突き進む。
そして、東方企業連合管理地区と新隆起地区との間に聳え立つ壁、移動式検問所を抜けると、開けっぱなしの窓から、少し塩の匂いが香った。
視線の先には一面の海岸線。そして、嫌でも目に付く高さ100mを超える巨大な杭の様な建造物『隆起促進杭塔』が見えたら、其処は目的地である『第22期新隆起地区』である。
「暑っちいなぁ。クソっ」
悪態を付きながら、四駆を降りた礼子は、すぐさまパンツスーツの上着を脱ぐと、窓から車内にほおり込んだ。
「遠いし、暑いし、汚いし、たまんないねぇ。何時来ても……」
「姉さんは、新隆起地が嫌いで?」
何処からか取りだした双眼鏡で、海岸線を覗く礼子の横には、日傘を差した正孝が持ち前の大きな身体と合わせて、強い日差しから彼女を守る。
「…いいや、どっちかと言うと好きだね。未開の地、フロンティア、コレで血が騒がないなんて女は、女じゃねぇよ」
口元を吊り上げて、そう言いきった上司に少し引きながらも、正孝は今回の出向の人選に誤りが無かった事を知る。こんなに楽しそうな彼女を見るのは、久しぶりだった。
「なんだ。マサは嫌いなの、フロンティア魂」
「いえ、ただこんな髪型なんで、直射日光には弱くて……」
正孝は、完全に剃りあげられた自分頭をなでると、小さく苦笑を洩らした。
「なに、アタシが選んだ髪型が気に食わないの?」
スキンヘッドが髪型?もはや、髪なんか無いじゃん。と、突っ込みたい願望を「いえ、そう言う訳では」と、色眼鏡の奥に仕舞いこむ。
「マサにはその髪型が一番似合うって。アタシが保証するよ、それに誕生日プレゼントであげたそのメガネも、かなりクールじゃない」
「そうですね、クール過ぎて少し困るくらいです」
この大きな身体で、しかもスキンヘッドで、こんなメガネをかけてたら、すれ違う人の大半は背筋を冷やす事請け合いです。
「だろ~。でも、アタシ以外の女に色眼使ったら承知しねぇぞ」
「はぁ…」
使った事ありませんっ。色が点くとしたら、主に警戒色です。
「なぁ、御二人さん。こんな暑いトコロでイチャついて無いで、目的地に行きましょうよ」
四駆の運転席の窓が空き、サングラスをかけた男が口元を僅かに持ち上げて笑う。
『布施技研』秘書室付きドライバーのイヴァン高安イリンスキー。父が外国人のクォーターで、ぱっと見では、東洋人には見えない。
元民間軍事会社の戦車乗りで、車の運転が趣味。毎晩愛車を駆り峠を攻めていたトコロを正孝と同じく礼子にスカウトされた。
「やだっ、何言ってんのよイヴァン。そんなんじゃないのっ」
と、まるで乙女の様に頬染めた礼子の照れ隠しに放った掌底が、イヴァンの高い鼻にクリーンヒット。
車内で悶絶する同僚に、憐れみの視線を向けながらも、正孝は心中で小さくガッツポーズ。社内に蔓延っている秘書カップルのイカレタ噂の根源は、イヴァンだと睨んでいる。
「さぁ、行きますか」
礼子の号令と共に、再び車は海岸線に向けて進みだす。目的地は『第22期新隆起地区』
『シュテン』ライセンス生産の条件として、『大江重工』が管理の移譲してきた新たな事業地だった。
■
話は、『大江重工』会議室での一件に遡る。
「ほぉ、月産60ですか……コレは、思い切った数字を出されましたね」
『大江重工』『シュテン』量産計画の責任者である乾川加悦は、次郎に渡された資料に目を通し、小さく唸った。
『大枝興産』『千丈ケ岳工業』と、ライセンス生産の受託がほぼ確定している企業でさえ、此処まで具体的な数字を出して来てはいない。むしろ、量産計画としては数字をこのタイミングで、此処まで正確に出す事自体が不可能なのだ。
「先の資源エリアでの戦闘で、実物を見ていますし。その……大きな声では言えませんが、その時に少し……」
次郎は、片方の眼を閉じて小さく笑う。だが、勿論これはブラフである。この資料を見て、加悦が訝しんで初めて、交渉を始める目算だった。
しかし、目の前の初老の男の眼元に、その兆候は一切現れる様子は無く、柔和な笑みが張り付いたままだった。
「聴いていた通りの、優秀な方ですな」
「聴いていた通りと、言いますと?」
「ウチの専務。大江嘉久より、事前に聴かされておりましたのですよ。貴方がたが、何処の企業よりも早く、納得行く数字を持ってくるだろう。と」
『大江嘉久』の名前に、真っ先に反応したのは、次郎では無く正孝だった。
色眼鏡の奥に瞳がビクッと動き、その瞳から感情が抜け落ちて行く。膝の上に置かれた拳に、キリキリと力が入る中、彼の拳の上に次郎の掌が被さった。
「そうでしたか。それは、嬉しい話ですね。ご期待に応えられて何よりです」
ハッと我に返った正孝が見たのは、無邪気な笑顔で応える次郎の横顔だった。
「では、どうでしょう。量産計画の方、我々にも一役買わせていただけますか」
──そうだ、我々は、此処に仕事を取りに来たのだ。
眼は口ほどに──上司が、この色眼鏡を送ってくれた事に、正孝は初めて感謝した。眼元が隠れていなければ、この商談を最悪は御破算にしていたかもしれない。
「そうですね、ワタクシ一人の判断では確実に、とは行きませんが。我々としてコレを断る理由は御座いません。正直、ワタクシの予想を遥かに超えたビジョンを提供して下さったと感謝しているくらいです……が、しかしですね……」
商談は順調に進んでいると思われたが、此処に来て、初めて加悦の表情に曇りを見せた。
「ワタクシとしては、とても心苦しいのですが、ウチの専務から他の言葉も預かっておりまして……」
「はぁ、どのような事でしょうか」
「そのですね…大変失礼な事なのですが、『布施技研』は新社長になってからの実績が無いという事で、ライセンスの受託に一つ条件を提示させていただきたいと」
「…確かに。では、どのような条件でしょうか?」
加悦の言葉に、二人は動揺を隠しながら問うと、彼は一冊のファイルを申し訳なさそうに次郎に渡す。ファイルには、『第22期新隆起地区・資源回収作業二次報告』と銘うたれていた。
「今期、当社が東方企業連合より資源回収を任された地区なのですが、状況があまり良く無くてですね…当社としては、人員の増員などの手を打ってはいるのですが、何分今回の量産計画などもあり……この地区の資源回収を、貴社の方で行っていただきたいのです」
『大江重工』が『布施技研』に出した条件。有態に言えば、面倒事の後始末をしてほしいという事だった。
新隆起地区の資源回収事業は、東企連による指名でその責任を持つ企業が決まる。
事業を行うメリットは、事業管理に対する報酬以外に無く、デメリットは人材負担や工期遅延を防ぐ為の自社予算投入など、マイナス面の方が大きい。事業を任された時点で、負債なのだ。事業が続く限り、東企連所属企業は永遠に終わらないババ抜きをし続ける事になる。
企業に勤める者として、加悦は随分と善良な男だった。
ライセンス生産の受託を考えれば、この条件を飲む以外の選択肢が次郎達に無い事が解っていた。それ故に、言葉を詰まらせたのだ。
「解りました、私一人では判断できませんので、社に持ち帰り、一両日中には返答させていただきます」
次郎の返答は、迅速且つ、明瞭だった。
『渋々返事をするくらいなら断れ。やるなら気持ち良く受けろ』亡き父の言葉であり、職人達から感じ取った心意気。
迷う必要は無い、断る理由が無い。そんな質問ほど、返答一つに差が出るモノは無い。相手に引け目が在るならば、それは、またと無いチャンスであり、魅せ場なのだと、次郎は快く返答し、後日、条件を了承。ライセンス生産は確実な動きを見せ始めた。
そして、秘書の二名とドライバーは本社から程良く離れた『第22期新隆起地区』へと向かったのである。