二話
二話
東方企業連合直轄都市・鋭都。
その東の端に位置するトコロに、『布施技研』本部ビルは在った。
本部ビルと言っても、地下駐車場を合わせても六層と、他の企業に比べれば随分と控えめな大きさだったが、東坂工場街全てが本社と呼んで過言では無く、本部には営業部や広報部、統合経理部などの工場街では行えない業務を果たす機能のみを有していた。
「ジローちゃぁぁぁん、ジローちゃんっ!! 遥姉さんが遊びに来ましたよっ!!」
『布施技研』本部社長室のドアを、ノーノックでバタンっ、と開いた女性社員は口元に満面の笑みを湛え、社長の名を連呼する。
形の良い耳が見える程のショートの髪に、程良く垂れた眼元には魅惑的な泣きボクロが二つ。入社二年目もたって新人社員気分が抜けない、営業部営業一課に勤める、安堂遥だった。
「うるっせぇ!! 安堂っ、何処の社員が自分家の社長を呼び捨てにするのっ!! 馬鹿かっ!!」
凄まじい剣幕で、教育しがいの無い後輩を怒鳴り散らすのは、社長秘書の俊徳道礼子。
トップで纏めた長い髪に、薄めのメイクで妙齢の美女、とチラ見では勘違いしそうだが、最近気になってきた豊麗線と眼元の疲れは、隠しきれない。入社15年目の年齢不詳。入社時の履歴書は、本部のどのデータからも削除した。と言う、ウワサが在るとか無いとか。
「……だって、ジローちゃんが、ジローちゃんで良いって言ったもん」
「イイ歳して『もん』とか言ってんじゃないっ!! この馬鹿っ、馬鹿っ!!」
「うわぁぁぁんっ!! 三回も馬鹿って言われたぁぁぁ!! ババぁの癖にぃぃ!!」
「おっしゃぁぁっ!! ヤッたる、ヤッたるぞっ、小娘っ!! 表に出ろっ!!」
と、礼子は上着を脱いで、遥に飛び掛かり、社長室では成人女性二人の取っ組み合いが始まった。
一見バイオレンスな雰囲気に包まれる社長室だったが、二人は東坂工場街生まれで、しかも御近所と言う事も在り、幼い頃から面識が在る。
その他の社員にも、同郷出身者が多い事もあってか、この程度の掴み合いは日常茶飯事。小・中・高と同じ学校で、お世辞にもガラの良い校風では無かった為、その頃の縦割の上下関係が就職後も生きており、決着がつくまで放置するのが、暗黙のルールであった。
「ギブっ!? ギブアップかっ!!?」
見事なフロントチョークが決まり、遥は礼子の尻をぺチペチと叩いて、頸動脈は解放された。
現在82戦中、80対0、2引分けと、今回も圧倒的勝利を収めた礼子だったが、日に日に抵抗が激しく巧みになる遥に、シャツに染みる脇汗を隠せない。
若さの力かっ!! と、息苦しさに咳き込む遥を乱れた髪の毛を直しながら睨みつけたが、何やってんだ、と我に返り、応接セットのソファーに腰掛けた。
「で、だいぶと脱線したけど、要件は? まさか、マジで遊びに来たんじゃないでしょうね?」
「チッ……コレ、今日一緒に現場見に行った小坂のオジサンが、社長にって」
「えっ、舌打ちっ!? ……まぁいいわ、後でもう一回〆落としてやるから」
あからさまに悪態をつく後輩を尻目に、礼子は風呂敷に包まれた水饅頭を受け取り、給湯室に向かった。
「で、どうだったのよ?」
「…えっ? 何がですか?」
「何がですかじゃねぇだろっ!! 仕事っ!! 現場にお前も行って来たんだろうがっ!!」
「あぁ、それなら今、職人さんと課長で細かい話を詰めてるトコロですよ。新規での発注は無かったんですけど、改修する方向で決まりそうです」
礼子は、皿にのせた水饅頭と冷えた麦茶を持って「ふぅん、そうか…」と応接セットに腰掛ける。
「新隆起地区の資源回収は、塩害と腐食との戦いだからねぇ……せめて、使い終わったら真水で洗ってくれれば、もう少し長持ちするんだけど……」
「そうですよね~。サルベージギルドの人達も、もう少し考えてくれれば良いんですけど」
二人は、小さく溜息を吐いた。
工場街出身という事もあり、幼い頃から仕事をする両親や兄弟を見て来た。勉強しろ、とは言われなかったが、仕事道具は大事にしろと怒られた事は良く思い出す。
『新隆起地区』とは、東方企業連合に所属する全企業が総力を挙げて行っている事業である『国土拡大計画』一部である。
狭い島国の海底を人工的に隆起させ、200年計画で、現在の面積を1.5倍まで拡大させる途方もない計画で、サルベージギルドは、海中より浮き出た鉱床から資源を回収する業者の事である。
元々海底だった土地と海の近くと言う事も在り、資源採掘に使用される重機の消耗が丘の上よりも格段に速い。各重機メーカー共に、対塩害、腐食対策を重機に施してはいたが、それでも全てを防ぎきれる訳では無かった。
その上、資源回収には事前調査を元にした東企連から、かなりタイトなスケジュールが設定されている為、作業は大人数での短期決戦となり、重機の頭数は増え、設備投資や維持には莫大なコストが嵩むのだ。
「でも、どうなんだ? 新品を買うのと、改修するのとじゃ、コスト面でそんなに変らないんじゃないの? 相手先はゴネなかった?」
「そうですね、概算で改修の方が安く上がるんですけど、まぁ実際やったら、本当に若干程度の金額差になりますからね。でも、『発注してからの納期と、操縦とメンテナンスの経験値の蓄積から考えると、改修の方がトータルでは得な筈ですよっ』って、説得してみたら、まぁ何とか。多分、使えない重機がこれ以上増えたら工期に響くんでしょ」
「そうか…遥がちゃんと仕事取って来れる様になったのか」
礼子は、照れた笑いを浮かべて話す遥に、麦茶の入ったグラスを掲げて営業成功を祝福する。
「そうですよ、もう一人前なんですから」
照れた笑みが、得意げな笑みに変わる。
まだまだ、尻の青いガキが何を言ってるのやら、と一笑にふした。が、礼子の眼元は柔らかかった。
実際『布施技研』の経営は芳しいとはお世辞にも言えず、これ以上衰退すれば他企業との合併や、更には買収される可能性だって高い確率で在る。
社長である次郎が、若年であると言う理由で、兵站部異動を東企連から強制的に打診され、社長業の代行を行ってきた礼子にとって、この二年間は頭の痛い事だらけであった。
しかし、大口では無いにしろ、若い社員が自力で仕事を取って来て、東坂工場街の職人達に仕事が入る事を思うと、自然と口元がほころびるのも、無理は無かった。
「何言ってんのよ、最初の頃は営業先でからかわれて、ビービー泣いて帰って来てたでしょう」
「仕方ないじゃないですか……ハルカお嬢様育ちだから、営業とか初めは怖かったし」
「お嬢様育ち? アンタ、タダのプレス屋の末っ子だろうがっ!!」
「そんなに怒鳴る事ないでしょ! ゴム屋の行き遅れのクセにっ!」
「テメーっ!! マジで表に出ろっ!!」
「上等ですよっ!!」
と、再び掴み合いの喧嘩が始まる。
ドタドタ、ギャーギャーと、上のフロアから聞こえてくる騒音に『ああ、またかよ…』と、総務部長は白髪の混じった頭を、あきれ顔で押さえた。
そこに、一本の内線が入る。内容は、新隆起地の件。安堂遥が取って来た仕事を確実なモノとした営業課からの報告だった。
■
『父が成しえなかった十三・四資源エリアの奪還』という願いも在ったが、それ以上に『衰退していく工場街に活気を取り戻したい』と言うのが、このプランの本当の目的だった。
次世代型陸戦兵器の開発を目指し、設計された『布施技研・東坂工業技術組合共同開発 機動兵器 甲』は、動力に『大江重工』、OSやそのシステムに『吾妻電脳』の協力を得て、実験機である甲・参式が作製された。
鉱山を中心とする鉱物資源の豊かな資源エリアは、地形の起伏が激しく、高所に坑道跡を要塞化した拠点が無数に存在し、その上、幾重にも張り巡らされた対空・対超高空管制システムは、空からの攻撃を一切許さない、結界と化していた。
故に、甲・陸式は、汎用性を重視しながらも、特に山岳地形を侵攻する事に特化した仕様とされ、資源エリア防衛の最大の利点とされる坑道を利用して航空戦力から身を守り、安全に進軍出来る様に、従来の掘削用重機と同等のサイズに設計される。
双脚式と、人型に近い形での設計は、小型化が求められたのと同時に、無人機動兵器と連携して作戦を行う兵士達への配慮が在った。
現在の主力戦車の内、山岳地侵攻でその割合を多く占める多脚戦車は、機動性、総積載可能重量などに優れた機体ではあるが、テロやゲリラなど非対象戦に対して運用が難しく、四脚もしくは六脚と非人間的フォルムが可能とする戦術が、地面を二本脚で走って進む兵士には、イメージしきれないといった問題が少なからずある。
甲・陸式は、人間的フォルムをし、人間に近い動作を行う事で、共に作戦を行う兵士達との連携をイメージしやすく、共同作戦立案を行い易いというメリットがあった。
後に、実戦経験の在る、兵站部から現役の士官と戦車乗りを戦術顧問として迎え、実験に次ぐ実験を繰り返し、再計算、再設計は日々当たり前の様に行われた。
しかし、過酷な開発の中でも職人達は異様な程に高いモチベーションを維持し、結果、約一年半という脅威的に短い開発期間で、甲・陸式は量産に耐えうる総合的スペックを獲得した。
双脚式高機動戦車 甲・陸式
全高 2.56m
全幅 1.70m
全長 2.05m
重量(非武装重量) 3.9t
旋回速度(180度) 1.8s
速度(非武装時・前後進速度) 120km/h
総開発費 190億円 単価1.8億円
しかし、甲・陸型は量産される事は無かった。
開発責任者である布施和姫の失踪。と同時に、開発プラン全てと実験機・試験機も消失。
そして、度重なる捜索の結果見つかったのは、変り果てた姉の亡骸とファイル一冊だけだった。
■
「坊ちゃん…」
東坂工場街に在る、喫茶『あんどろめだ』の窓際の席で、弥刀幸志は二本目の煙草に火を点けた。
無表情のまま佇んだ次郎。泣きながら二階へと駆け上がった娘の幸呼。その二人に、かける言葉を見付けだせないまま『少し、場所をかえるか…』と、幸志は次郎を連れて、馴染みの喫茶店へと脚を伸ばした。
「ニュースでは聴いてたんだがな…よりにもよって『大江重工』か…」
「はい、開発に協力を依頼した時点で、この可能性を考慮しておくべきでした。社長、本当に、すみません」
幸志に向い、深々と頭を下げる次郎。
技術者をしていれば、自分よりも若い技術者に頭を下げる事も在る、それは、男のプライドよりも、職人としてのプライドが勝るからだ。自分では出来ない、自分に勝るモノを持つ人間に対して、技術者の態度は常に誠実である。
だからこそ、自分の半分も生きていない青年が謝罪するという重みが、痛いほどに理解出来ず、企業を束ねる青年が謝罪するという重みが、悔しい程に理解出来た。
「…大江嘉久とお嬢さんの事は、工場街全員が知っていた事だ…ソレを責める気は無ぇ…だけどな、許せねぇのは嘉久だ……もしかしたらお嬢さんは嘉久に殺されっ」
「弥刀さんっ!!」
次郎は、勢い良く立ち上がると机を叩き、凄まじい剣幕で幸志の言葉を遮った。
『布施技研』の先代が亡なり、その跡を継いだのは次郎では無く、姉である布施和姫だった。
次郎が、まだ学生という事もあったが、それ以上に姉の和姫には経営者としての才能が在り、当時より『東坂工業技術組合』も、次期社長には和姫を、と言う声が多かったのだ。
そして、和姫には大学時代からの交際していた相手がおり。仲睦まじい二人交際は、周知の事実で、その相手が、現『大江重工』専務・大江嘉久だった。
和姫の死因は服毒による自殺。父親の墓前で眠る様に横たわった和姫を見付けたのは、次郎だった。
葬儀の日、嘉久は花だけを送り、最後まで姿を露わすことはなかった。
「すまねぇ…取り乱しちまって…だけどな、坊ちゃんは悔しく無いのか? 憎く無いのか?」
幸志は、和姫の眠る棺桶の前で、泣き続ける娘の幸呼と共に、ただジッと座っていた次郎の顔を、どうしても思い出す事が出来ない。
「無い…と言ったら、嘘になります。でも、姉さんは本当にあの人を愛していた。幼いボクにも解る程、あの人も姉さんを必要としていました。経営者として甘いと言われるでしょうけど、二人の関係と、甲・陸式の件は別です」
幸志は、その言葉に唇を噛み、口を噤んだ。
言いたい事は山ほどあった。しかし、この弟がどれほどまでに姉を信頼し愛していたかを幸志は知っている。そして、その弟が別だと言う。今にも泣き出しそうな真剣な顔で、別だと言うのだ。
それ以上、二人の事については、何も言えない。
「で、坊ちゃんは何を考えてるんだい? あんなモノを東坂に持ち込んだって事は、何か理由が在るんだろう?」
「あのフレームの設計図を立ち上げてもらいたいんです。そして、組合を通して全工場に流して下さい」
次郎は、一瞬目を伏せると、パッと顔を上げ小さく笑った。まるで、イタズラを思い付いた少年の様な無邪気な笑みだったが、幸志は何故かその笑みに背筋が冷える。
「設計図なんて立ち上げて……まさか?」
「そうです。ウチでも造ります」
「駄目だっ、ロールアウトされた機体のコピーなんて、重犯罪だぞっ!! それに、職人達がそんな事承知する訳が無ぇ!!」
今度は、幸志が声を上げる番だった。
東方企業連合では、各企業の設計・技術特許の侵害に厳しい罰則をしいている。
懲役15年以上、執行猶予無し、被害企業への損失額満額、合わせそれ同等罰則金というとてつもない刑罰である。
この背景には、競合企業同士の競争力強化もあるが、それ以上に、企業同士の武力衝突を極力避けるという目的があった。
現に、産業スパイが起した機密盗用で、競合企業同士が警備部、兵站部を動員し市街地戦を繰り広げ、多数の死者を出した事件が過去に何度も起っている。
「違いますよ、社長。そんな馬鹿な事考えませんって」
次郎は、焦った様子の幸志に苦笑を洩らす。
「甲・陸しきっ…じゃない。大江の『シュテン』は、今回のエリア奪還の実績もあって量産が確定しています。『大枝興産』『千丈ケ岳工業』もライセンス生産を受託する動きですし、東方企業連合の兵站部からも、既に300機の初期発注が上がってるという噂です」
「て、事は、まさか…」
「その、まさかです……『布施技研』は、これから『シュテン』のライセンス生産をメインに、フレームの各部部品生産の下請けを積極的に行っていくつもりです」
そう言った次郎は、再び無邪気な笑みを浮かべた。
確かに、『布施技研』と『東坂工業組合』ならば、開発元と同等か、それ以上の精度で『シュテン』のライセンス生産が可能であり、ノウハウは技術の擦り合わせを行う必要もない。
その上、部品生産の受注も、他のライセンス生産を受託した企業から確実に行われる事を考えれば、かなり大口の仕事になるだろう。甲・陸式開発でかかった費用も回収可能な程に。
理屈は合う。
だが、幸志が次郎の笑みに、どのような意味が込められていたのかを知るのは。これから随分と先の事になる。