十話
十話
『第22新隆起地区』での一件は、恩智正孝の知らぬトコロで一応の区切りが着き、死を覚悟した解告室からは解放された。
何より驚いたのは、自分がギルド長の『ジェームス・フレデリック』だと思っていた人影が、文字通り影武者であった事だった。
解告室を出るなり、待ち構えていた車椅子の修道女クリスティーナ・イ・スカイより「大変失礼いたしました」と謝罪をされ、解告室の隣の扉から出てきた見知らぬ女性にも、同じように深々と頭を下げられた。
一瞬、何が起きたのかさっぱり解らなかった正孝だったが「スミマセン、ギルドチョウハタチバジョウテキガオオイノデ (すみません、ギルド長は立場上敵が多いので)」と人工声帯を通した声を聴いて、全てを理解した。
その後、合流した上司の俊徳道礼子に「本物のギルド長とは、話がついたから。ご苦労様」などと、これまでの自分の置かれた立場を全く意に介さない、お軽い報告を受ける始末。
流石の正孝も、これには怒りを覚えた。が、何時もの上司の行動を鑑みるに、たちの悪いペテンにかけられたのだと、溜息ひとつ吐いて現場を後にした。
しかし、そんな心身ともに疲れを感じずにはいられない視察を終え、本部に着いた正孝を待っていたのは、まるで頭を鈍器で殴られたかの様な、衝撃的な報告だった。
「なんで、社長一人で行かせたんすかっ! それも、大江善久に直接会うなんて、それがどういう意味か、安堂さんだって解ってるでしょ!!」
何時も温和な筈の恩智正孝の剣幕は、秘書室に留まらず『布施技研』本部ビル全てに響いた。
全員が出向に出て代役として営業部営業一課から手伝いに来ていた、安堂遥は、怒鳴られたことに恐怖したのか、肩を震わせながらズット俯いていた。
正孝達が、新隆起地を本部に向けて出発した頃、『布施技研』社長の布施次郎は、今までに見せた事のない険しい表情で本部に帰社し、秘書室に居た遥に車を用意するよう依頼した。
何時もなら「どこにいくですかぁ? 遥姉さんも連れてってくださいよぉ」と冗談めかして幼顔の社長に対し、他の企業ではありえない程のフランクな接し方ができる遥だったが、今回に関しては、冗談の一つも帰社の挨拶もできぬまま、黙って車と運転手の手配を行った。それほどに、その時の次郎の雰囲気は切迫としていたという。
行き先も、次郎本人が告げなければ聞くこともできなかっただろう。「礼子さんが戻ってきたら、僕は『大江喜久に会いに行った』とだけ伝えておいてほしい」それだけを残して、次郎は単身『大江重工』に向かったというのだ。
「…行かせていいかどうかくらい、解るでしょ!? せめて、遥さんが…」
正孝は、自分の言っている事がおかしい事には気が付いていた。
何処の会社に、社長の命令を断れる社員が居るのか。それが、痛いほどに分かっているのに、それでも言葉にせずにはいられなかったのだ。
「ちょっと、やめなっ」
間に入り、正孝を遥から離そうとする礼子。
「礼子さんは、社長が心配じゃないですかっ! 大江喜久は、社長の仇も同然の相手なんですよっ!」
入社してより、次郎が学生だった頃から知っている正孝にとって、若社長は特別な存在だった。
自分が19の頃とは比べ物にならない、企業の長たる血を継いだ青年は、母を亡くし、父を亡くし、ただ一人残った姉は殺されたも同然だった。それなのに、辛い表情ひとつ見せず、仇の会社相手に頭を下げる度量を見せた。
だが、辛くない筈は無い。遊びたいだろうし、大学にだって行きたかっただろう。しかし、彼は何も言わず、若くして企業の長としての責務を果たそうとしている。
なりゆきで入社した正孝だったが、彼は会社を愛していた。そして社長である次郎を愛さずにはいられなかった。
「社長は、確かにしっかりした立派な人だけど、まだ若いんです。忍耐にだって限界がある。もしもの事が在ったらどうするんですかっ!」
「やめろって言ってんだろうがっ!!」
礼子の怒号が響いた。正孝は、咄嗟に殴られる事を覚悟し、歯を食いしばり、キツく目を閉じる。自分の言っている事が、失言であることは理解している。しかし、殴られてでも言葉せずにはいられなかった。
しかし、覚悟した痛みはまだ来ない。
痛みの代わりに、正孝の耳に入ったのは、何処か狂気を孕んだ女の笑い声だった。
「あははははははははははっ! ナメてるっ、恩智さん、ジローちゃんの事ナメてるよねぇっ!?」
「落ち着きな、遥っ!」
正孝が目を開くと、そこには礼子によって取り押さえられ、床に這いつくばる遥の姿があった。彼女は、浴びせられた剣幕に肩を震わせて怯えていたわけでは無い。必死に込み上げてくる笑いを抑えていたのだ。
ショートの髪は逆立たせ、愛らしかった目元は醜く歪み、口元は獣のように歯をむき出しにして笑む。其処に居たのは、正孝のまったく知らない安堂遥だった。
「心配ぃ? しっかりしてるぅ? 立派な人だぁ? それって完全にナメてますよねぇ? つーか恩智さん、アンタ何様ぁ?」
「───!?」
正孝は、その言葉に絶句するしかなかった。
「なんでぇ、なんで止めるの礼子さぁん? どう考えても、恩智さんオカシイですよねぇ、ハルカ何もオカシク無いじゃないですかぁ?」
「わかった。わかったから落ち着きなさい」
「えぇ、無理ぃ。だって、ハルカ切れちゃったも~ん。ジローちゃんの事バカにするとかマジでありえないしぃ……恩智さぁん、どう考えても恩智さんが悪いよねぇ?」
その時、後ろ手に遥の腕を極めていた礼子の表情が歪んだ。
「……駄目よっ! 遥っ!」
ただ抵抗するだけなら押さえ様はいくらでもあった。しかし、遥は、自分の犠牲を顧みず強引に腕を抜こうとする。このままでは、肩が抜けてしまう。
「マサっ! 表に出てろっ!!」
「…はっ、はいっ!」
茫然自失で立ち尽くしていた正孝は、礼子の言葉にハッと我に返ると、脱兎の如く部屋を出た。
ドアを出ても「なんで逃げるんですかぁ? なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで…」と狂った様に叫ぶ遥の声。
しかし、それは何の前触れも無く突如として収まり、しばらくすると秘書室から疲れた表情の礼子だけが姿を現した。
「そのっ……安堂さんは…?」
「…心配すんな。優しく締め落としたから、一時間もすれば目が覚めるわよ」
「…そうっすか…」
随分と物騒な話だが、それが最善だったと思えるほど、遥の変貌ぶりは正孝に強いショックを与えていた。
「マサ、今は待ちなさい……大江のライセンスを生産するってことは、これから先、大江喜久を避けて通ることはできないわ。これで、もし問題を起こすようなら、我らが布施次郎は、それまでの男だったって事よ」
「……そんなの、冷た過ぎじゃないですか?」
「冷たいとか、暖かいとかじゃないの、覚悟の問題なのよ。布施次郎は社長になるって事を自分で決めたの。で、アンタはどうなの?」
「……僕は」
そんな事は考えた事も無かった。
相手を思い遣る事は、正しい事だと信じていた。誰かが苦境に立たされたなら、共に苦しみを分かち合う事が、間違っているなんて考えもしなかった。
「だから待ってなさい、マサ。社長の事を大事に思ってるのは知っるから。だから、ただ待ってれば良いの……ただ待つのが辛らいなら、今回だけは大目に見てあげるから…次郎を信じなさい」
そして、信じる事すらおこがましい。それは、全て覚悟の問題だった。
■
布施次郎が『大江重工』のエントランスを潜って二時間が経った。
アポイント無しでの来社に、大江喜久は受付嬢を通し、快く「エントランスラウンジにてお待ちください」と応えたが、時間の話は一切しなかった。
アポイン無しという非常識な来社ではあったが、刻一刻と過ぎていく時間は、現在の次郎と喜久の立場を明確に表していた。
「コーヒーの御代りはいかがでしょうか?」
柔和な笑みを浮かべた女性社員が、ラウンジのソファーで一人たたずむ次郎に、今日五度目の御代わりを進める。
日頃、社内では見ない若い青年が珍しいのか、それとも若くして東企連所属企業となった青年を見たい好奇心か、訪れる女性社員の顔ぶれは毎回違った。
「いえ、大丈夫です。お気遣いなく」
笑みに、笑みを返し、次郎は感謝を示すように、冷めたコーヒーを口に運ぶ仕草をとる。
その時、エントランスがにわかに騒がしくなった。
明らかに『大江重工』内でも重役と思われる男達が、メインエレベーターの前に整列し始め、コーヒーの御代わりを勧めていた女性社員も、何処か慌てた様子で次郎に会釈すると、その列に加わる。
社員総出での出迎え。そして、ユックリと降りて来た総ガラス張りのエレベーターの扉が開いた瞬間、エントランスに居た全員が深々と頭を下げた。
その中には、次郎も例外ではなく含まれている。
エレベーターから姿を現したのは、頭部の薄くなった、小太りで背の低い初老の男。
一見、何処にでも居そうな会社員に見えなくも無いが、この男こそ元『難波製薬』代表取締役、現『東方企業連合』議長の難波総一郎だった。
次郎の表情が一気に険しさを増した。
エレベーターからは、議長の後に続き『大江重工』代表取締役社長の大江久総を筆頭とした役員達。そして、その最後尾に姿を現したのが大江喜久だった。
次郎の視線に気付くよりも早く、喜久は議長と、父である久総に頭を下げると、役員の列を離れラウンジへと近づいて来る。
スーツ姿の映える長身に、涼やかな顔立ち。しかし、その切れる様に鋭い目元と、其処に湛えた無機質な輝きは、次郎の知る喜久のモノとは明らかに違っていた。
「お待たせしました。大江重工専務、大江喜久です」
「…いえ、こちらこそ。アポイント無しの面会にも関わらず了承していただき、ありがとうございます」
「で、ご用件は?」
短い挨拶から間をおかず、喜久は徐に話を切り出した。
別室にも通さず、席を設ける事もせず、一企業の社長との面会を、役員が立ち話で済ませようというのだ。
「………当社の兵站部部長にかけられた嫌疑と、先日当社に開発権が移譲した『第22新隆起地』に対する、貴社の処置についてお伺いしたいことがありまして」
「ああ、そのことですか…何か?」
平坦な声でそう告げた喜久の背後には、『大江重工』の主要な役員一同。そして東企連議長の姿。これは、明らかな示威行為だった。
それでも次郎は、固い表情で話を続けようとする。
「…はい、兵站部部長の件につきまして、無許可で貴社の製品を持ち帰るよう指示したのは、社長であるワタクシ自身です。重罪である事は重々承知しております。が、もし可能であれば、『シュテン』量産計画での当社の働きで、罪を償わせてはいただけませんでしょうか」
「…で? 他には?」
「『第22新隆起地』に対する、貴社の予算投入の件について、少し問題がありまして…」
何処か興味なさげに話を来ていた喜久は、何かを改める様に眉間に皺を寄せ小さく息を吐いた。
「…布施社長。私は、貴方が来た理由など、とっくの昔から知っている。でも、次郎君…君が来た理由は何だい?」
『次郎君』それはまだ、姉が生きていた頃、姉の想い人として『布施技研』を訪れていた喜久のモノだった。あの懐かしく美しかったあの頃と同じように同じ声で。
しかし、その男は『布施技研』の社長が今日、此処に来ることを知っているという。兵站部部長拘束の件も、『第22新隆起地』で起こっている問題も、初めから予期していたと言うのだ。
「…喜久さん……アナタは、変わってしまった…」
姉の想いと同じほどに、姉を想ったかつての『喜久さん』は、もう居ない。全てはもう過去なのだと、全てが変わってしまったのだと、次郎は、今初めて思い知らされた。
「私は、何も変わってなどいないよ。考える時間を与えた。そして、君は此処に来た。どうする?」
ユックリと、何かを確認するかの様に差し出された喜久の右手。この手をとる事の意味を次郎は知っている。
「僕に、この手をとれと言うのか…」
何時の間にか、エントランスの視線は全てこの二人へと向けられていた。
姉の想い人であった男と、その弟であった男。しかし、互を繋げていたヒトはもう居ない。
共に企業に所属する者同士ではあったが、この握手にはただ一個の男同士として向き合う事も意味している。
そして
次郎の強張る右手が、差し出された喜久の手をとった。
「兵站部部長の件と『第22新隆起地』に対する新たな資金注入に関しては、我々から議長へ提出しておこう。不足する予算に対しても我々には即時に融資する準備ができている」
「……重ね重ねのご配慮、痛み入ります」
「気にする事は無い。我々には東企連から更なる資源エリア奪取の要請が来ていてね。甲…おっと。『シュテン』を要する我々からすれば、どちらの問題も、些事に過ぎない」
その言葉に、次郎の表情が一気に険しくなった。
「喜久さんっ! 貴方って人はっ!!」
此処にきて、初めて次郎は声を荒げてしまう。
明らかな悪意もって間違えられた『甲・陸式』と『シュテン』、その後に続く嘲りの笑み。
その声に、エントランス中から送られていた視線が、好奇なモノに変わった。
「布施社長。此処での行動には注意した方が良いのでは? 伺った内容につきましては、また此方からご連絡いたしますので、それでは」
握手は解かれ、喜久は次郎の元を去っていく。
これで、『布施技研』と『大江重工』との関係性は周知の事となった。
何より、この状況を東企連の議長が見ていた以上、後戻りはできない。全ては、大江喜久の書いたシナリオ通りに事が進んだのだ。
ラウンジに一人残された次郎は、周りの視線に気が付きながらも、その場に立ち尽くすしかなかった。
そして、握手していた手に残ったあまりの冷たさを思い出し、背筋を震わせた。