マリアンヌの場合
マリアンヌが宮廷に来てから一ヶ月が過ぎた。皇帝アルベルトの寵姫を夢見て門をくぐったものの、待てど暮らせど彼は来ない。
美人なだけでは、生き残れない。
宮廷は才覚と努力の化け物で構成されている。美人なのは大前提。
乗馬や剣術をこなす少女は珍しくなく、皇帝陛下は書類の山を瞬時に片づけ、政治に明け暮れ、女遊びなど興味もないという噂。
(どうやって皇帝に覚えてもらうのよ……!)
鏡の前で自分の美しい顔を見ながらため息をつく。その時リュシアンナは一つの結論にたどり着く。
――皇帝に「おもしれー女」と思わせるしか道はない。
決意した瞬間。
マリアンヌの中で、何かが弾けた。
◇
翌日の朝。皇帝アルベルトの執務室の窓がゴトンと揺れた。
執事は、見てはいけないものを見たような顔で固まる。その視線に気づいたアルベルトは窓の外を見て目を見開いた。
「……マリアンヌと言ったな。なぜ窓の外に逆さにぶら下がっている?」
マリアンヌは頬をひきつらせつつ、笑顔を作った。
「ほほ、こうしたら皇帝陛下にお会いできるかと思いまして……!」
「妙なことをするやつだな」
マリアンヌの心臓が震えた。
(今、“おもしろい”の片鱗言った!?)
「……落ちるぞ」
アルベルトが窓を開けて手を差し出す。
その瞬間——
ぐらりとロープが揺れた。
「きゃあっ——」
「馬鹿者!」
手首を掴まれ、マリアンヌは皇帝の腕の中へ落ち込むように引き上げられた。
近すぎる距離に少々ドキッとしたが……
(これで名前と顔は覚えてもらえたはず!)
心の中ではガッツポーズだ。
「あ、あの……お助けいただきありがとうございます」
「命懸けでふざけるな」
叱りつける言葉なのに、声色は少しだけ震えていた。
◇
執務室に座らされたマリアンヌは、出された紅茶に口を付ける。全然悪いとは思ってないが、一応眉を下げて慎ましやかな表情を作っておいた。
「陛下、私……どうすればあなたに、興味を持ってもらえるんでしょうか」
「自分で言うものか、それは」
「だって、寵姫になりたくて……!」
皇帝の手が一瞬止まる。
だがすぐに淡々と答えた。
「美しさだけでは私の隣には立てん。宮廷はそんなに甘くない」
「……やっぱり、そうですよね」
一瞬マリアンヌは落ち込む。しかしすぐに顔を上げた。
「でも! 私、諦めませんわ! 」
その叫びに、皇帝はしばし沈黙し——やがて小さく笑った。
「……ふっ」
「えっ、笑いました!? 今! 陛下が!」
「やかましいな。だが——」
アルベルトは腕を組み、彼女をまっすぐ見た。
「おまえは確かに、妙に目を引く。普通の女よりずっと……おもしろい奴だ」
リュシアンナの心臓が跳ねた。
(出た!! ついに!! おもしれー奴!!!おもしれー女まであと一歩!!)
両手を挙げて喜ぶを彼女を見て、皇帝はわずかに頬を緩めた。
「ただし。寵姫になりたいのなら——努力も覚悟も示せ。外にぶら下がるのはやめろ」
「……はいっ!」
この一言で十分だった。
◇
その日の午後、宮廷では噂が広がった。
「皇帝が……笑ったらしいぞ」
「え、あの無表情の陛下が!? 何があったの?」
「どうも、新入りの妃が“窓から逆さにぶら下がって”……」
「マリアンヌ!? あの子、死ぬ気なの?」
侍女たちが騒ぎ立てる中、当の本人は胸を張っていた。
(よし。ここからが本番よ!)
皇帝に“おもしれー奴”と言わせた少女の宮廷生活は、こうして幕を開けた。
その先に恋があるかは——女神のみぞ知る。
――完――




