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序章 世界の終わりと一人のおっさん

 ――世界が、終わろうとしていた。


 空は裂け、大地は呻き、風は悲鳴を上げている。かつて豊かな王国だったその地は、今や灰色の霧に覆われ、その中心には――”それ”がいた。


 虚無を刻む者。


 千年前に封印されたはずの邪悪な存在が、再びこの世界に顕現している。その姿は形容しがたい。黒い霧のようでありながら、無数の触手を持ち、中心には巨大な眼球のようなものが浮かんでいる。見ているだけで正気が削られるような、存在そのものが”間違っている”何か。


 ”それ”の周囲では、もはや時間も空間も、何もかもが歪んでいた。地面が浮き上がり、重力が反転し、炎が凍りつき、氷が燃え上がる。

 黒い霧のような”何か”に触れたものは、自らも黒い霧と化していく。


 ――その異形を前にして、一人の男が佇んでいた。

 

 その男の服装は独特だった。”この世界”ではきっと彼しかそんな恰好をしていないだろう。

 着物を着て、袴を履き、腰に巻いた帯には脇差と大刀を刺している。――いわゆる日本の”侍”の格好をしていた。

 

「……すまない。遅くなった」 


 そう呟く男からは、あまり緊張感は感じられなかった。目の前の状況をが分かっているのかいないのか、むしろ、これから散歩にでも行くかのような緩い態度だった。

 あまりにリラックスしたその様子に、周りの人間が焦りの声を上げる。


「――っ、クヌギ!! 無茶するな!」


 声を上げたのは二足歩行のライオン――獣人の男だった。鍛え上げられた肉体は全身傷だらけで、膝には力が入らない。それでも最後の力を振り絞って、邪悪な存在に向けて槍を構えている。


「クヌギのおじちゃん ! 危ないよ!」


 今度は竜人族の少女が叫び声を上げた。その小さな体で必死に魔法障壁を展開しているが、これまでの激戦のせいでもう彼女の魔力は心許なかった。その障壁は、じわじわと邪神の放つ黒い霧に侵食されかけている。


「クヌギさん……!」


 少女の隣に膝をついていたのは、弓を構えたエルフの女性だった。だが、その手は恐怖で震えている。彼女は何本もの矢を放ったが、邪神には傷一つつけられなかったからだ。


 そして、少し離れた場所では――


「……おっさん」


 一人の若い茶髪の男が剣を杖代わりにして立っていた。

 その全身は血まみれで、身を守るはずの鎧はもう見る影も無く壊れていた。彼の左腕はもはや動かすことは叶わず、その足元には彼が使っていたのであろう大きな盾が穴だらけで転がっている。

 彼はそんな満身創痍の状態でもなお、その男の背中を見つめていた。


功刀(くぬぎ)さん……あとはお願いします」


 その隣にいたのは、茶髪の男と同じ年齢くらいの黒髪の女性だ。

 だが、彼女の姿もぼろぼろだった。その手にある白銀の細身の剣は半ばから折れて、魔力ももはや残っていない。彼女にはもう、侍姿の男を支援する手段はなかった。それでも、祈るように両手を組んでいる。


 さらにその後方には、亜人で構成された連合軍、そして王国の生き残りたちが、息を潜めて「クヌギ」と呼ばれた男を見つめていた。


 人間も、エルフも、獣人も、魔族も。

 かつて敵同士だった者たちが、今は同じ場所に立っていた。

 何故なら、彼らは知ったからだ。真に倒すべき敵は、他に存在していたのだと。


 男は、ゆっくりと息を吐いた。

 刀を下段に構える。

 左足を引き、重心を落とす。

 視線は邪神の”核”――あの巨大な眼球を捉えている。

 そして男は、そこから視線を逸らさぬまま、何やら呟いた。


「…色は匂えど散りぬるを」


 そう呟く男の身体から、白い煙のようなものが立ち昇る。


 その邪悪な存在を、真っ直ぐに見据える男の心は凪いでいた。

 男の脳裏に浮かぶのは、己の師匠の顔。


武士(たけし)くん、きみは何千回斬られた?』

『さあ……もう数えてませんけど。師匠は確か一万じゃ効かないはずですよね』

『そうだね。なら、きみにも分かるだろう? 斬られる、ということは、相手の太刀筋を完璧に理解するということだよ』


 そう。男はただの斬られ役だった。今まで何千回、何万回と、斬られ続けてきた。

 ――だからこそ、彼には手に取るようにわかる。

 あの邪神の”攻撃の予兆”が。


「……我が世誰ぞ常ならぬ」


 男がそう呟いた瞬間、邪神が動いた。

 それと同時に男の身体も白く輝く。

 無数の触手が鞭のようにしなり、男めがけて襲いかかった。

 それは常人なら反応すらできない、音速を超えた一撃だった。

 だが――

 

 男は、動いた。

 いや、”動いていた“


 触手が振り下ろされる刹那、男はすでに半歩左へ踏み込んでいた。

 黒い触手が空を裂き、男の髪が数本、千切れて宙に舞う。

 それは紙一重の見切りだった。

 最小限で触手を(かわ)し、その隙に――


「はあああああッ!」


 男は踏み込み、居合の要領で、刀を一閃させる。


 ――斬。


 音も無く、触手が一本、切断された。黒い霧が噴き出し、邪神から悲鳴のような音が響く。


「効いてる……!」


 エルフの女性が息を呑んだ。

 そう、男の持つ刀には、この世界の創世神の加護が宿っていた。

 ――いや、正確には、この世界に生きる全ての生きとし生けるものの祈りが込められている。

 彼の刀は、もはやただの刀ではなかった。

 この世界を愛する者たちの、希望の結晶だった。


 邪神が、また男に向かって触手を放つ。今度は三本同時に。

 さらに、眼球から黒い光線が発射される。

 回避不可能だと、その場にいた誰もがそう思った。だが――


「功刀流活人剣 "に"ノ型 仁王(におう)


 男が刀を回転させた。

 まるで舞うように、体を捻り、触手を”いなす”。

 更には、力で受け止めるのではなく、刃の角度を変えて、柳のようにしなやかに”流す”。

 そうして男に向かってきた触手は、全て明後日の方向へと逸れた。

 しかしその直後、邪神の放った黒い光線が男に迫っていた。


「クヌギぃぃぃぃ!」


 男の危機に獣人が絶叫する。

 だが、男の顔には一切の焦りの色は無かった。

 むしろ――


「…笑ってる?」


 誰かがそう呟いた。そう、危機的状況の中で、男は笑みを浮かべていたのだ。 


「…俺は何万回も、斬られてきたんだ」


 男は、刀を一瞬だけ鞘に納める。そして――


「だから、斬られる瞬間が、一番よく見えるんだよ」


 再び居合の構えを取り――


「"い"ノ型 稲妻(いづな)


 ――抜刀一閃。


 何の抵抗も無く、邪神の放った黒い光線は真っ二つに切り裂かれた。


「な、なんだと……!?」


 本来なら有り得ないその光景を、遠くで見ていた王国軍の兵士たちが騒然となる。


「あの男……本当に、人間なのか?」


「あれが…真の勇者……」




「いや……ただの斬られ役のおっさんだよ」





 ――これは、斬られ役だったおっさんが、世界を救う物語。



新作を書き始めてみました。


楽しんでいただけるように頑張りますので、本作も生暖かく見守ってやってください。

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