魔王を倒したらただの人?今日から勇者は食べるために働きます。6
翌朝。
俺はマリーの家の裏庭で、剣の素振りをしていた。まだ朝靄が残るひんやりとした空気の中、鋼のロングソードが風を切る音だけが響く。
「おはようございます。早いですね」
マリーが二階の窓から顔を出し、少し眠たそうな声でそう言った。
「昨日の夜中、何か物音がしてたが……ちゃんと寝たのか?」
「すみません、うるさかったですか? どうしてもハイポーションを作っておきたくて。でも少しは寝ましたから、大丈夫です」
「そうか。無理はするなよ」
「はい。もう少ししたら朝食ができますから、来てくださいね」
そう言われて初めて、台所から漂ってくる香ばしい匂いに気がついた。ハーブと何かを焼く香り。昨日に続いて、朝から胃袋が刺激される。
「今日はどこへ行くんだ?」
「今日は山の方ですね」
「山? 薬草じゃないのか?」
「いえ、今日は鉱石の採集です。薬になる石を取りに行きます」
「鉱石も薬になるのか?」
「はい。解熱や止血の効果があるものが多いんです。こちらではあまり馴染みがないですが、東の方では“漢方”といって鉱石も大切な薬の素材なんですよ」
「なるほど、薬草だけじゃないってわけか」
マリーの知識は深い。俺が知らない世界をたくさん持っている。
朝食を終え、身支度を整えた俺とマリーは、静かな山道を歩いていた。昨日の森とは違い、今日は岩肌がむき出しになったような山を目指している。空気が澄んでいて、足を進めるたびに草木の匂いが濃くなる。
「今日はどんな鉱石を採るんだ?」
「止血に効く“赤鉄石”と、熱冷ましの“青冷晶”を狙ってます。見た目はただの石にしか見えませんけど、特徴さえ分かれば案外すぐ見つかるんですよ」
「ふむ、奥が深いな」
山道を登り始めて二時間ほど経った頃、マリーが立ち止まりしゃがみ込んだ。
「これ、たぶん赤鉄石です。赤茶けてるでしょ?」
「確かに、普通の石とは色が違うな。……削るのか?」
「はい、でも上手くやらないと粉になっちゃって使えないんです」
マリーが小型のハンマーとノミを取り出し、手際よく鉱石を削っていく。その姿を見守っていた俺だったが、ふと山の斜面に視線を移したとき、気になるものが目に入った。
──影だ。
岩陰に、一瞬だが人のような影が動いた。俺はすぐにマリーの肩に手を置き、小声で言う。
「マリー、一度手を止めてくれ。……何かいる」
「え?」
俺は剣の柄に手をかけながら、そっと気配を探る。風の音、鳥のさえずり……そこに混じる不自然な物音。
「隠れてろ」
俺はマリーに囁き、そっと茂みの奥へ促した。空気が変わる。静けさの中に微かな殺気を感じる。音を立てぬよう足を運び、気配の元へと近づいていく。
木々の隙間から、黒ずんだフードを被った男たちの姿が見えた。三人。剣の柄に手をかけるでもなく、油断した様子で辺りをうろついている。だが、その歩き方には明確な目的があった。
こいつら……何かを警備してやがる。
俺は姿を隠しながら奴らの後をつけた。ほどなくして視界に入ったのは、朽ち果てた石造りの小屋。屋根の一部は崩れ落ち、外壁にはツタが這っている。だが妙に物々しい──
建物の傍には荷台付きの馬車が三台、並んでいた。
ただの盗賊の溜まり場ではない。
気配を殺して裏手に回ると、耳に届いた。
──すすり泣く声。
女の声だ。複数……いや、三人、四人、いや……もっとだ。
俺は確信した。これは人さらいの拠点だ。
胸の奥が静かに熱を帯びる。本気を出せば奴らを倒すのは容易い。だが、下手に動けば人質を巻き込みかねない。
「……情報が足りない」
俺は息を潜め、奴らの動線と配置を確認する。外にいる三人のうち、一人が物陰で小便をしていた。まずはそこからだ。
「ん……?」
背後から忍び寄り、手刀で首筋を打つ。一撃で気絶させた。倒れる音を草の中に吸わせ、すぐに次の影を狙う。
小屋の壁際でタバコをふかしている男。懐を覗いた瞬間、短剣がないのを確認。蹴りを喉元に叩き込み、意識を刈り取る。
残る一人。馬の様子を見に行こうとしている背中に、石を投げて注意を逸らし、物陰に誘導。足を払って転ばせ、刃を突きつけて気絶させる。
外は制圧した。だが、本番はここからだ。
建物の中にあと二人。人質は……少なくとも五人以上。扉は開いている。罠か?
だが、迷っている暇はない。
俺は隙をついて中に飛び込んだ。
「なんだ貴様──ぐっ!」
一人は反応する間もなく、俺の拳が顎を砕いた。もう一人が剣を抜く。
「人質がいる。迂闊には──」
「うわあああああっ!」
叫びながら突進してきた。馬鹿め。その勢いを逆手に取り、床に転がして肩を極める。
「くそっ……お、覚えてろ!」
男が気絶するのを確認し、奥の扉を開け放つと、縛られた女たちが目を見開いた。
「もう大丈夫だ。街に着いたら警備兵にこのことを伝えてくれ」
安堵に崩れ落ちる者、泣きじゃくる者。
だが、奥にただ一人、こちらを睨んでいる女がいた。
逃げもせず、俺を睨みつけている。ボロボロの服の下から覗くのは、見間違えようもない高級な織物。首元には宝石のネックレス、指先には細工の施された銀のリング。
何より──金色のロールヘア。その髪が月光を浴びて輝いていた。
ただの人質ではない。
その目には気品が宿っていた。
「……アメリア王女?」




