0004:レッドドラゴン
無数の光の粒子が一点に収束していく。――詠唱完了。杖から放たれた極太のピンク色レーザーが、蜥蜴人間を薙ぎ払い、魔導人形の腹を穿つ。射線上の敵が一斉に消滅した。
阿部警備で魔術の勉強を始めてから十日ほど経ったある日のこと。午前中で授業が終わったため、私は村田と共に家でぼんやりテレビゲームに興じていた。
画面には敵をなぎ倒しながら進む、私の操作する魔法使いの女の子と、村田の操作するマッチョなレスラーの男が表示されている。強制縦スクロールシューティングというジャンルに属するこのゲームは、ゲームセンターやボーリング場に置かれているようなアーケードから移植されたもので、通算十回はエンドロールを見ているのだが、それでも十分楽しめる。感動も燃えもポロリもある、なかなかの良作である。
ステージの背景とBGMが変わり、最終面のボスであるドラゴンが画面一杯に表示された。今までのようにごり押しで勝てる相手ではない、気合を入れてコントローラを握る。
弾の撃ち合いが始まったのと同時に、チャイムの電子音が鳴った。なんともタイミングが悪い。しぶしぶコントローラを置いた。
うちのチャイムが鳴らされるのは、宗教か新聞の勧誘が来たときくらいである。廊下と部屋の間のドアを閉めながら断り文句を用意した。玄関に向かい、ドアノブを回しながら扉を押す。
「こんにちは。へ~、割といいところに住んでるじゃない」
開けた扉の向こうに立っていたのは、宗教勧誘のおばさんでも、新聞勧誘のおじさんでもなく、阿部警備の愛さんだった。首を伸ばして家の中を眺め回している彼女の顔をぽかんと見つめる。
「……それはともかく、召集。そこに車停めてるから、すぐに来て」
愛さんは親指で後ろを指差しながら言葉を続けている。プライバシーも何もあったもんじゃないなとか、でもお迎えが愛さんならちょっと嬉しいかもとか考えを巡らせていると、背後からカチャリとドアノブの回る音がした。
「おーい、お前のキャラ死ぬ――、ぞ?」
村田は部屋の扉を開け、玄関に立つ彼女を見たまま固まっていた。顔を見て立ち尽くすとか、男二人して失礼だと思う。
「分かった、今行く。村田、家を出る時に鍵かけてもらえるか?」
「女か。やはり友より女なのか」
ふてくされている村田に向かって鍵を放り投げて施錠を頼んだ。帰ってきてからも色々と厄介なことになりそうだ。
村田は扉を開けたまま、すごすごとテレビの前に戻っていく。座った彼の隣に空いた座布団があるという、その光景が何故か脳裏に焼きついた。
車は追い越し車線に乗ったまま海岸線を疾走している。私は体を小さくして後部座席に座っていた。車を追い抜き大きな風切音が鳴る度に、小心者のハートがびくっと反応する。
「今回の怪物って、どんな奴なんですか?」
沈黙を破って尋ねた。行き先は例のごとく怪物退治だが、今日は三人とも緊張した面持ちをしており、いつもと様子が違った。
「我々はあいつに、オフィオモルフォスという識別名称を使ってる。まぁ、エアケントニスの連中が使っていた呼称をパクったんだけどね。その凶悪さは、名を与えられた歴代の化け物――、土蜘蛛や酒呑童子、九尾にも引けを取らないと思う。……見た目は、そうだなぁ。もしも暴力が形を成したなら、あいつみたいな姿になるんだろうと思うよ」
山下さんが運転しながら答えてくれた。怪物の名前を口の中で呟き繰り返してみた。
今までの化け物には書面上の番号くらいしか付けられていなかった。名前が与えられているだけで、その手強さが伝わってくるようだ。というか、妖怪が神の使いだったことがさらりと明かされた。
「ポッと現れたのは一ヶ月ほど前だ。一番最初に交戦したのが僕達だった。手も足も出せなくて、怪我をした前任のアタッカーをつれて撤退したのがせいぜいだった。あれから幾つかの町でうちの社員が戦っていたみたいだけど、未だに手傷を負わせたという話すら聞かないねぇ」
自虐気味に話す山下さんを見ていて、ふと助手席の窓ガラスに映った愛さんが唇を噛んでいるのに気付いた。
現在入院しているという、前のアルバイトの話をたまに耳にすることがあった。当時ブロッカーだった愛さんが攻撃を受け損ねたところを、身を挺してかばって怪我をしたらしい。会ったことはないけれど、普段からそういう理念を持っていなければ怪物の攻撃に対して自らを投げ出すことなんて出来ないだろうし、凄い人間だと思う。
「そうだ、今のうちにこれを渡しておくよ」
山下さんがハンドルから片手を離し、名刺ほどの小さな紙の袋を差し出してきた。無言で受け取り、とりあえず開けて中身を確認しようとする。
「――中には魔法陣が描かれたカードが入ってるから」
慌てて袋を閉じた。危ない、何の心構えもなく見てしまうところだった。
「昨日青木君に描いてもらったんだ。本当はもっと色々なことを教えてから渡そうと思っていたけど、オフィオモルフォスと対峙する以上、そんなことも言っていられなくなってしまったからね」
山下さんの顔はいつもより真剣に見えた。こうして危ない場に駆り出され、魔法陣を渡されたのは、戦力として期待されているからだと思っていいのだろうか。
「エネルギー源は自分の体温で、規模と範囲は詠唱に依存するようにしておきました。魔術の初心者向けの典型的な魔法陣ですよ」
誇らしげな顔をした青木さんが口を開く。
頼りにされているのではないような気がする。この十数日の間経験したように、この三人の魔術はとても強力だ。どんな怪物だろうが負けるはずがない。カードをポケットの奥に仕舞いこんだ。
魔法陣を描いてもらったお礼を述べていると、山下さんがサイドブレーキを引き、エンジンを切った。目的地に着いたようだ。三人に続いて後部座席から降りる。例のごとく駐車場には一台だけしか停まっていなかった。
統一感のある工場が立ち並ぶ。目的地や車種に応じて細かく指定されている道路。清潔感のある建物を、切り揃えられた木が囲む。そこは小奇麗に整備された工業団地だった。
山下さんと青木さんを先頭にして、愛さんと共に歩いていく。小道を通り工場の脇を抜ける。その先で目にした光景に、私は思わず息を呑んだ。
まるで天災がまとめて訪れた後のような悲惨さだった。アスファルトが砕けて土がむき出しになっている。並木は全て根元から折られ、少なくとも視界の内には転がっていない。圧縮と引張に対する強度を併せ持つはずの鉄筋コンクリートの壁が、おそらくは一撃で砕かれ、へし曲げられている。その中央には、長い指の手形が押し付けられていた。
「これはひどい……。従業員をどうやって言い包めればいいのか、今から頭が痛いなぁ」
安全標語の書かれた看板を拾いながら、山下さんがため息をついている。
「どうしてこんな辺境を襲ったんでしょう?」
「『火のないところに煙は立たぬ』じゃあないけど、アイツはどうも、火のあるところに現れる傾向があるみたいなんだよね。ここも溶鉱炉があったせいで狙われたんじゃないかなぁ」
周囲を歩き回っていた青木さんが尋ねると、自信は無いけど、と付け加えて答えていた。視線の先、工場の中では巨大な金属製の容器が潰れていた。
地面に伝わる振動。一回、二回。辛うじて立っていた柱が倒れ、瓦礫も落ちた。
地震にしては周期が長い。これは型破りな足音だ。気を引き締めて辺りを見渡す。案の定、建物の影から尖った顔が突き出した。
大きな頭蓋を支える、太く長い首。体長の倍以上ある尾が、緩やかに弧を描いて地面に横たわる。引き締まり均整がとれた、知性を感じさせるシルエット。その化け物は、恐竜のような姿をしていた。
規則正しく並び体表を覆いつくしている赤い鱗が、金属的な光沢を放つ。蝙蝠のように蛇腹に折り畳まれた翼には、仄かに赤味がかった膜が張られている。
長い吻をもった頭の後部には、鋭いトゲが対称に突き出している。開かれた口は首近くまで裂けており、びっしりと生え揃った長い牙が覗いていた。澄んだ金色の瞳に、不気味な縦長い瞳孔が浮かんでいる。
肢体から目を離すことができない。大きさも力も今までの怪物とは格が違うのは見て取れ、恐怖に取り付かれても仕方ないと思う。しかしその時私の心には違うものが取り付いていた。その整った体は荒々しくあり、繊細でもある。足の運び方、首のしなり具合、その一挙一動が計算し尽くされたように優雅で、神性を感じざるを得ない。つまり私は、この竜の化け物に魅了されていた。
「ようやく会えたわね、クソ蜥蜴。今日こそ串を刺して丸焼きにしてあげるわ」
愛さんが不敵に微笑みながら、早速ヒップバッグからダイナマイトを取り出した。山下さんが頷き、大きな声で指示を飛ばす。
「対魔術師の布陣をとる。作戦はカウンター、各個無用心に前に出ないこと」
皆が移動を始めた。愛さんが先頭、そのすぐ後方に山下さん、そこから少し離れたところに青木さんと私が立つ。
竜は近づいてきた愛さんに狙いを定めたようだった。体をねじって腕を思いきり後方に引く。よじれた鱗が金属みたいな軋む音を立てる。そしてしなった腕が横から振られ、鉤爪が薙がれた。まるで鉄球クレーン。あれが、鉄筋コンクリートの壁を打ち砕く一撃。
しかし鉤爪は、愛さんの横でピタリと止まった。山下さんが右手を突き出し、冷や汗を浮かべている。エネルギーを相殺する魔術。
一瞬、竜がたじろいだように見えたが、気のせいだろう。愛さんが火の灯ったダイナマイトを掲げた。導火線はほとんど残っていない。竜は再び腕を引いて攻撃の準備をしているが、予備動作が長く間に合わない。
「我が声を聞け、彼に従いて街を往け。我が聖域から絶滅せよ、執行!」
詠唱を終えるのと同時に、爆発の衝撃は愛さんの手の中から竜の顔の前に転移し、炸裂した。
爆発は確かに頭部を直撃していた。竜がバランスを崩し、ゆらりと体をのけぞる。地面を揺らして、紅の巨体が仰向けに倒れこんだ。
「よしっ……」
愛さんが小さくガッツポーズを作る。私は青木さんと共に、彼女の元へ向かおうと足を踏み出した。
「まだだ!」
山下さんの方から慌てた声がした。足を止め、倒れている竜に視線を戻す。
長細い影が走る。地面を這っていた尾が、急に跳ね上がった。弧を描いて鞭のようにうねり、前衛の二人を同時に狙う。
とっさに山下さんが手の平を向けて魔術を使っていた。尾が見えない壁にぶつかったように空中で止まる。
竜が長い首でバランスを取りながら体を起こした。ダイナマイトの衝撃を受けたはずの顔、金属光沢をもつ赤い鱗に傷はない。高所から見下ろす金色の瞳には、呆然として直立する愛さんの姿が映っていた。
側方に回転し翻る、紅の巨体。遠心力で勢いのつけられた尾が振り下ろされる。
山下さんが再び手の平を向け、見えない壁で防いだ。かに見えたが、尾は再び動き出し、壁を振り切って地面を叩いた。直撃は免れたものの、砕けたアスファルトに巻き込まれて愛さんが吹き飛ばされた。
「栗原君! おい?!」
当惑した山下さんが側に駆け寄って膝をつき、必死に話しかける。しかし愛さんは目を閉じたまま返事をしなかった。
それは、唐突に、淡白に、呆気なく。この十日間の彼女との記憶が走馬灯のように蘇る。容赦なく怪物を倒していく彼女の格好よかった背中。魔術の勉強をする決心をさせてくれた彼女。照れ臭そうに名前で呼んで欲しいと言った彼女。私も側へ駆け寄ろうとしたが、青木さんに肩を掴まれた。
「大丈夫、呼吸をしています」
足を止め、倒れている愛さんの姿をよくよく見る。確かに胸が上下しており、気を失っているだけのようだ。
「……くそっ、なんて力だ。たった三発でスタックオーバーフローだって?!」
山下さんが立ち上がり、竜の方を振り返った。竜は続いて山下さんに狙いを定めたようで、ゆっくりと体を正面に向ける。
スタックオーバーフローは、エネルギー不足で魔術が停止した状態のことをいう。山下さんの魔術のエネルギー源は車の電源と言っていたから、今頃駐車場のセダンはバッテリーが干上がってしまっているのだろう。アタッカーは意識不明。ブロッカーは魔術使用不可。絶体絶命だ。足が震えるのを止められない。
突然、竜がしきりに首を振り始めた。山下さんの姿を見失って必死に探しているように見える。彼は依然、そのすぐ目の前に立っているのだが。
山下さんは好機とばかりに、愛さんを背負いその場から離れた。
「効いているみたいですね。怪物には通用しないと思っていたのですが、あいつの脳の構造は人間に近いのでしょうか」
青木さんが竜の姿に重ねるようにしてカードを手に持っている。どうやら竜が混乱しているのは、彼の魔術の影響らしい。
「人に似た脳の構造、か……。さて、このままだと逃げることすら、ままならなさそうだ。年齢に似合わない無茶をしてみようかな。永田君、車の中で渡したカードを」
歩いてきた山下さんの言葉に頷き、ポケットからカードの袋を取り出した。
「僕の予想が正しければ、君の魔術は――」
抜き出したカードに視線を落とす。白地に黒いインクで描かれた、円を形作る模様。視覚から情報を追加入力することで魔術の補助をするという、魔法陣。面接で壷を見たときと同じように、気持ちが高ぶる。深層から強制的に引きずり出された思念が、奇跡の粒子と共振を起こす。
視線を戻す。竜の下半身、尾の中央辺りで、光の縁をもった正方形の鏡が宙に浮かんでいた。見えたのは一瞬で、光が頂点に片寄り四散する。
断裂。肉と骨が覗く断面が露になる。尾の先が転がった。それ自体が意思を持っているかのように、身をよじり動き回っている。
竜が憎悪で目元を歪ませ、甲高い声で咆哮する。誰かを狙うわけでもなく、腕を振り被り地面に叩きつける。砕けた土石が、私のところまでも飛んできた。体に小さな破片がいくつか当たった。
先程の光の正方形が私の魔術だったのだろうか。あれのせいで更に状況を悪くした気がする。
「点より線、線より面、面より空間で捉えるんだ。青木君、協奏詠唱!」
「分かりました。永田君、僕の詠唱を重ねて補助します。準備はいいですね?」
山下さんの言葉を受けて、青木さんが即答した。
彼は車の中で、このカードに描かれているのは初心者向けの典型的な魔法陣で、規模と範囲は詠唱に依存すると言っていた。竜を倒すなら、あの巨体を覆うくらいの情報量を持たせた詠唱を行わなければならない。
「我は汝を呪い、汝の祈り、喜び、居場所、あらゆる権利を剥奪し、深淵に幽閉する。来る最後の審判まで」
山下さんが左手の平を竜に向け、荘厳な声を出して詠唱を始める。右手の魔法陣は既にエネルギー源が尽きているので使用できない。どうやらそれぞれの手に違う魔術を仕込んでいるようだ。
「たぎる地獄の業火、永遠の炎よ――束縛せよ」
詠唱が完了する。竜がぴたりと動きを止めた。おそらく先日の人間鳥に使われた魔術と同じものだが、その完成度は桁違いだった。呼吸や瞬きは続いているものの、体はコンマ数ミリも動いておらず、まるでそこだけ時間が止まっているかのようだ。
「全ての知恵と知識の習得者であり指導者よ、我は崇め、祈り、汝の名を賛美する」
続いて青木さんが詠唱を始めた。彼の声を聞きながら、私も落ち着いて自分の詠唱を始める。言葉は自然と心の内に浮かんできた。
「星煌く天は我が顔、海は我が胴、大地は我が足……」
「最も恐ろしく最も慈悲深い汝の恩寵で、心が満ちる日が来たらんことを」
青木さんの詠唱が終わった。私は先程魔術を使った時に思念が浮かんでいた場所に意識を傾け、残りの詠唱を続ける。
「風が充たすは我が耳、輝く光を遠矢に射る太陽は我が目なり」
裏を向けていたカードをひっくり返し、魔法陣を目に焼き付けた。
「――我は汝に啓示を与えるものッ!」
詠唱を終えた瞬間、巨大な光の立方体が現れた。六方から竜を包む断崖。縁からは光が放たれ、面には灰色の平原が映っている。どこの景色だろう、なんて思い気が逸れたのが悪かったのか、立方体は急速に縮小し、光の点になって消滅した。
辺りは嘘みたいに静かになっている。夢ではないと伝えるかのように、地面に転がっていた尾が一度だけぴくりと動いた。竜は光の立方体に呑まれて、消えた。
どっと気が抜けた。魔術のせいなのか、疲労感が半端ではない。座り込むのをなんとか踏み堪えた。
「君の魔術はおそらく、消滅。構成粒子の崩壊か、反物質の生成か、あるいは人知を超えた力なのか。原理は分からないけれど、かなり強力な魔術だ」
声のした方を振り返ると、山下さんが愛さんを背負いなおしていた。強力な魔術と言いながら不安そうな表情を浮かべていたのが印象に残った。
住民の寝静まった深夜のマンション。一階の通路に、こつり、こつりと靴音が響く。スーツに身を包んだ二人の男達は、ある部屋の扉の前で足を止めた。
小太りな男が、もう一人にアイコンタクトを送ってから屈みこんだ。メスのような形をした小さい道具を取り出し鍵穴に差し込む。
「Saritap、Pernisox、Ottarim」
魔導書に描かれた魔法陣を見つめ、魔術の言葉を呟いた。男の目に映っていた景色がフェードアウトし、流れている無数の電子の像に代わる。それを巨視的に眺め、濃度から材質を分類、形状を判断する。十一のシリンダーに、それを覆う内筒。頭の中にCGみたいな鍵の立体像を浮かべた。構造解析、完了。
「時間がかかるようなら扉ごと壊すが?」
しびれを切らした菅原が、スーツの内ポケットに手を入れながら言った。
「お前の気の短さはよく知っているが、出来ればそれは勘弁してくれ。すぐに終わる」
シリンダーの配置さえ分かれば、鍵を開けることなど、番号の書かれたジグソーパズルを並べる程に容易い。鍵穴に掛けていたL字形の道具を引くと、扉からカチリと音が鳴った。
「では、おつれするとしようか。我々の救世主を……」
ゆっくりとドアノブを回し、音がしないように部屋に足を踏み入れる。扉の横には、『永田』という表札がつけられていた。