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0203:切られた奇縁

 地面を揺らす咆哮、鳴り響く銃撃音と爆発音。防壁前に雪崩れ込んできた阿部警備の軍隊や魔術師を、オナキマニムの軍勢が必死で抑えている。

 火力は互角に見えた。頭数でこちらが上手を行っているが、さらに門を通して小宇宙から増援を送られたらどうなるか分からない。いち早く目先の敵を倒し、主力を戻すことが重要に思えた。


 私は右翼で、高妻事務所の魔術師達と対峙していた。かつて共に働いていた仲間が、魔術戦で用いられる布陣で構えている。

 敵のアタッカーは、愛さんである。山下さんから脇を縛る応急処置を受け、切断された腕から零れ落ちていた血の流量はだいぶ減った。今にも駆け出しそうな前傾姿勢をして、目を血走らせてこちらを睨んでいる。

 ブロッカーは、山下さんである。顔は無表情だが、私の目には悲しんでいるように映った。しかし彼の言動には、だまされてはいけない。私が昔思っていたほど思慮のある人ではなかったのだから。

 サポーターは、青木さんである。両手の指の間にカードを一杯挟み、やる気満々のようだった。私はバイト時代、彼の戦っているところをあまり見たことがない。魔法陣のプロフェッショナルの二つ名は伊達ではないと思う。三人の中でも特に気を付ける必要がありそうだ。

 高妻事務所の魔術師達が取っているのは、以前から使っていた布陣だった。数々の強力な獣を破ってきた配置。あの頃は皆の背中を眺めていたが、こうして今は向き合っていることを不思議に思う。


 私は振り返って前後を見た。今の仲間達が不敵な笑顔を浮かべて、布陣の位置に凝然と立っている。こちらも負けていない。

 先頭に立つアタッカーが、赤毛の長い髪を風にたなびかせ、すらりとした尾を揺らしている。世界最強の生物、又の名を悪魔、ワイバーンと人のハーフ――、フィオである。これほど攻撃手の名が似合う人間が他にいるだろうか。

 後方に立つサポーターが手を振っているので、振り返した。五次元の観測者、人知れぬ天才、凍結を極める四柱――、チヒロである。青木さんが魔法陣のプロフェッショナルなら、彼女は魔術と魔法のジェネラリスト。彼女になら、安心して背中を任せることができる。

 そして間に立つブロッカーは私、永田和真である。二人に比べて戦力は大幅に劣るが、次元間を移動させる絶対の防御で役に立てる。と思う。

 私の知る限りの面子で揃えられる、最強の布陣である。


 フィオが腰を落とし、だらりと垂らした右手の中に炎を灯した。言葉が通じないことは分かっているはずだが、わざわざ敵に向かって話しかけている。


「さっきから無遠慮にガンつけやがって。お前から倒す!」

「は、何語? 日本語使いなさいよ!」


 愛さんが馬鹿にしたように鼻で笑って答えた。


「通訳すると――」

「必要ない」


 私の声を振り切り、フィオが駆け出した。腕を引き、拳を握って炎を纏う。


「心が満ちる日が来たらんことを!」


 突然、短縮された青木さんの詠唱が聞こえてきた。見ると、指の間に持ったカードの内の一枚を顔の前にかざしていた。

 フィオが足を止めて目を擦っている。以前菅原が受けた魔術のように、視界を潰されているらしい。彼女の正面には、苦労しながら片手でダイナマイトを取り出そうとしている愛さんの姿がある。

 私はとっさに、三次元間干渉の魔法陣が描かれたカードを掲げた。


「我が月は塔の上の見張りに立ち、我が太陽は全てが生まれ変わる泉」

「……る最後の審判まで。たぎる地獄の業火、永遠の炎よ、束縛せよ」


 詠唱をする最中、戦場の騒音で掻き消えていた声が耳に届いた。注意を払うが、ちょうど山下さんは詠唱を終えたところだった。奇跡の粒子が共鳴し、大魔術が引き起こされる。

 フィオが動きを止めた。瞬き一つできないほどに全身が硬直している。姿形こそ違うものの、小宇宙での戦闘の再現のようだった。

 詠唱を止め、詠唱省略インタープリターでけん制するべきだろうか。焦って視線を走らせ、フィオの瞳がこちらを向いているのに気付いた。彼女は私のことを信じてくれている。心を落ち着けて詠唱を続けた。


「我が息は墓場の塵を芽吹かせ、我が王冠は贖罪所を包み込む」

「我が声を聞け、彼に従いて街を往け。我が聖域から絶滅せよ――」


 愛さんがどうにかダイナマイトを取り出し、導火線に火を灯して叫ぶように詠唱している。


「ケルビム達の頭上を天翔けるもの!」

「――執行!!」


 ダイナマイトに火が入る。エネルギーが正面に転移し、爆発して地面が砕けた。

 舞い上げられた土と草が降り注ぐ。爆心にフィオの姿は無い。


 私の真上に現れた鏡を通って、フィオが落ちてきた。位置エネルギーに負けて落としそうになりながらも、その体を両手で抱きかかえた。

 なんとかダイナマイトが爆発する前に、三次元間干渉の魔術を間に合わせることができた。


「次元干渉ですか。使いこなしているみたいですね。僕も先輩として負けていられないな」


 青木さんが人懐っこい笑顔を浮かべて呟く。


「チヒロ、フィオの束縛を解いてくれ」


 私の技術では魔術を解くことはできない。後ろを振り向いて頼んだ。

 はっとした表情を浮かべて近寄ってきたチヒロが、フィオの額に人差し指を当てた。


「全ての知恵と知識の習得者であり指導者よ、我は崇め、祈り、汝の名を賛美する」


 青木さんが魔法陣のカードを替えて詠唱を始めた。

 フィオの体がびくりと短く痙攣した。呼吸が再開し、瞳が左右を往復した。


「ほら、治してやったんだから、いつまでも抱き合ってないでさっさと離れなさい」


 チヒロに頬をぺしぺし叩かれ、フィオが舌打ちをして腕の中から飛び降りた。


「最も恐ろしく最も慈悲深い汝の恩寵で心が満ちる日が来たらんことを!」


 青木さんの詠唱が完了してしまった。

 光の筋がワイパーのように視界を横断する。草原の緑、空の青、世界を彩る色が鮮やかに見える。雑音に紛れていた音がクリアになる。朝早く起きられた時のような、清々しい気分になった。しかし青木さんが実行したはずの魔術の効果は分からなかった。


「……右に向かって歩きなさい」


 チヒロが横から話しかけてきた。

 天才の言うことは私には理解できないが、何か理由があるのだろう。深く考えずに、彼女の言う通り右を向いて歩き出した。


「そう、そのまま真っ直ぐ――」

「危ない! 止まりなさい!」


 背中越しに届いたチヒロの声は、まるで被っているように聞こえた。命令も正反対のことを伝えようとしている。不審に思い、足を止めた。


 急に全身に衝撃を受け、体が宙に浮いた。視界には砂嵐のようにノイズが入り、耳には爆音の残響が断続的に入っていた。

 草に覆われた地面の上を転がった。為す術がなく、ぐるぐると目を回してから止まった。何度も打ち付けられた膝や肘に熱い痛みを感じる。

 爆発の巻き添えをくって吹き飛ばされたようだ。しかし高妻事務所の魔術師達は直立していて、それらしいことは何もしていなかったはずだ。

 私と同じように尻もちをついているフィオも、慌てたように周囲を見渡していた。


「何だ、何があった?!」

「五感の改変よ。それも三人同時に。カズマ君の先輩にしては、なかなかやるじゃない」


 チヒロだけは唯一、爆発に巻き込まれずに敵と向かい合っていた。

 青木さんの魔術は不発だったように感じていたが、それも計画の内で、分からないように囚われていたらしい。


「危なかったわね。あなた達は偽物の声を聞かされて、爆心に向かって歩かされていたのよ?」

「止まれと言ったのが、本物のチヒロだったのか……」


 次は騙されないぞと、気を引き締めて立ち上がった。とはいっても、知覚情報を改変されたら私には対処しようがない。


「青木さん! 手ぇ抜いてんじゃないわよ!」


 愛さんが苛立たしげに叫ぶ。


「別に手を抜いた訳ではありませんよ。完全に知覚情報の偽装は成功していたはずですが、途中で魔術を解除されたんです」

「偽物の五感で、どうやって?!」

「それは分かりません。分かりませんが、対処方法が適切すぎて、まるで私の魔術形式をすべて見透かしているような気が……」


 青木さんが困った顔をして首を振った。


「あなた達じゃあ一生かかっても分からないだろうから、特別に私が教えてあげようかしら?」

「日本語――?!」


 チヒロが日本語で話しかけると、三人は驚いた表情を浮かべていた。


「魔術師の端くれなら、リバースエンジニアリングっていう言葉くらい聞いたことあるでしょう。詠唱と魔法陣を解析して、相手がどんな種類の魔術を使っているのか特定する技術よ。フィオ、――このじゃじゃ馬に魔術がかけられた時に詠唱と魔法陣は見ていたから、五感を妨害されるのはだいたい予想できたわ。だから上書きされた感覚器に魔力をぶつけて解除したって訳」

「凄い……、理論では聞いたことがありますが、本当にできる人がいるなんて。それに僕の魔法陣は、シリアライズと暗号化もしているはずなんですが」


 青木さんは興奮のせいか顔を引きつらせて笑い、肩を震わせている。チヒロもまんざらではない様子で意地悪そうな笑顔を浮かべている。


「これならどうですか?!」


 青木さんが胸ポケットからマジックペンを取り出し、カードに線や点を書き加え始めた。その場で魔法陣を書き換えている。デバッグなしで魔法陣を描くなんていう芸当ができるのは彼くらいなものだろう。その顔はとても嬉しそうだった。


「全ての知恵と知識の習得者であり指導者よ、我は崇め、祈り、汝の名を賛美する。最も恐ろしく最も慈悲深い汝の恩寵で心が満ちる日が来たらんことを!」


 再び光の筋が世界を走り抜けた。これが五感の改変が起こったことを告げるサインらしい。


「楕円曲線暗号ねぇ。確かに準指数関数時間で解けるアルゴリズムはまだ見つかってないから、有効手ではあるわね。小宇宙に限っての話だけれど。……その努力は認めてあげるけど、無駄よ。私の上を行きたいならリーマン予想でも解いてきなさい」


 チヒロの声が夢の中のようにぼんやりと聞こえている。

 視界にノイズが混じり、味気ない色の世界に戻った。書き換えられた魔法陣に対して、さらにリバースエンジニアリングを行って解除したようだ。


「はは、やっぱり魔術は本当に素晴らしい。僕なんてまだまだ、井の中の蛙だったんですね――」

「瞬間に向かって私は呼びかける。時間よ止まれ、お前は美しい」


 氷柱の秘術。地面から突き出した五本の柱が青木さんを囲んだ。眉を上げ悟った顔をした男が、周りの空間ごと絶対零度で凍結された。


「青木さん?! 敵に敬服してどうすんのよ!」


 愛さんがダイナマイトの導火線に火を灯し、時間の止まった五角柱に向かって走り出した。


「よく分かんないけど、厄介な奴は消えたみたいだな!」


 フィオが腰を落とし、両手の平を正面に向けた。熱風が吹き出し、髪とマントが後方になびいている。

 手の中に集ったオレンジ色の光が放たれる。軌道の酸素を喰い散らし、極大の炎の渦となって愛さんに襲い掛かる。


 山下さんが間に立ち、魔法陣の描かれた手袋をつけた右手を突き出した。見えない壁に遮られたかのように、押し寄せた炎が掻き消える。エネルギー相殺の魔術。

 今の炎の魔法は、以前彼がスタックオーバーフローした時の攻撃よりも威力があったはずである。不審に思ったので、難しい顔をして前に立っている魔法使いに尋ねてみることにした。


「車のバッテリー程度のエネルギーで、あの炎を相殺できるものなのか?」

「バッテリー? あいつがエネルギーを引っ張ってきているのは、そんなちんけなものじゃないわ……」


 チヒロが額に汗の玉を浮かべて呟いた。

 とにかく、エネルギーを相殺する山下さんの魔術では、次元の境界で切断する鏡の攻撃は防げないはずだ。


「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ。これあらゆるものの中で最強の力なり!」


 カードを替えて詠唱する。周囲に浮かべた百個の小さな鏡を、山下さんに向けて一斉に放った。

 布陣みたいなものはあるが、私達の場合は結局皆がアタッカーなのだ。


「栗原君、魔術の妨害を!」


 山下さんの指示を受け、今にも火の入りそうなダイナマイトを手にした愛さんがこちらを振り向いた。魔術を防げないなら、元凶から潰すつもりだ。こちらを狙っている。


「カズマ君、分かってるわね? ――諸氏に勝利を確約する」


 チヒロが詠唱を始めた。さすがに彼女でも秘術の同時使用はできないようで、青木さんを囲っていた絶対零度の空間が崩壊する。

 私は彼女を信じて、愛さんを無視し、鏡の進行方向を青木さんの方に向けた。


「秘められた静かな闘志をもって、北方の若き勇士よ戦いに赴け!」


 次々に光が集い、空中に現れた氷の柱を肉づけして巨大な円柱状の氷を形作る。雲の上まで続く氷の槌。

 氷の大塊が落下していく。愛さんは導火線の火を握って消し、両手の平を空に向けた。周囲に位置エネルギーを分散させて受け止める。

 アスウィシですら止められなかった氷槌を防いだのは見事だが、バランスをとるのに精一杯で、身動き一つ取れないはずだ。


 解凍されたばかりで朦朧としている青木さんを、百の鏡の群れが襲い掛かった。避けられるはずもない。次元の刃が一帯の地面を覆う。氷や草の細切れの中から血が飛び散った。


 フィオが拳を構えて愛さんのもとへ走り出したが、途中で足を止めた。転移されている氷槌のエネルギーが妨害して近づけないようだ。

 必死に氷の大塊を受け止めて辛そうな表情をしていたはずの愛さんが、横目でにやりと笑った。


「我が月は塔の上の見張りに立ち、我が太陽は全てが生まれ変わる泉。我が息は墓場の塵を芽吹かせ、我が王冠は贖罪所を包み込む。ケルビム達の頭上を天翔けるもの!」


 詠唱を終えると、鏡の立方体が現れた。光の断崖が六方からフィオを包み込む。

 鏡が光の点に収束して消えた時、フィオは既に愛さんの前に転移していた。自身を睨む片目の上から横面を掴んだ。


「これなら避けられないだろ。紅蓮桜花クオツネルガ!」


 熱風が甘ったるい肉の焼ける臭いを乗せて吹き出す。愛さんの体がぼっと一瞬で炎に包まれ、筋肉が収縮して赤ん坊のように身を屈めた。

 氷の槌が落下し、地面に突き立った。


 私は振り向いて山下さんの顔を見た。


「ブロッカーだけになりましたけど、どうしますか?」

「――私は馬鹿だ。こんな状況になっても、戦いの中で君と和解できると思っていたらしい。そのせいで部下を全員失う羽目になってしまうというのに……」


 山下さんは左手の束縛の魔法陣が描かれた手袋を外し、ポケットから取り出した新しい手袋に替えた。


「36の軍団を指揮する長官にして、強大な帝王で伯爵、技術と科学の全てを心得し者。流血と虐殺の祖」

「それを使わせたら駄目!」


 突然チヒロが叫んだ。私はとっさに詠唱省略で鏡を生み出して放っていた。


「――我は汝を強く求め、唯一であり真実である神の名によって命令する」


 宙を走る鏡の刃を避け、山下さんは詠唱を終えた。

 急に電気でも流れているかのように全身が痺れ始めた。平衡感覚が狂ったのか、脚部が狂ったのか、体を支えることができずに草の生えた地面に倒れ込んだ。ラッシュ時の上り線のように絶えず脳に溢れる情報のせいで指一本動かすことができない。電気信号は全て同じ報告をもたらしている。

 痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。痛。

 ――叫び声は心の中でしか上がらなかった。人が許容できる以上の激しい痛みに全身が襲われているのだと気付く。ぶちぶちという、やけに明瞭な音を立てて頭の中で何かが引き千切れていく。


「君はこの魔術を見るのは初めてだったね? 事務所では使ったことがないから当然か」


 視界の外から山下さんの声が届いた。当然のことなのに、言われて初めてこの苦痛が彼の魔術によるものであることを知った。思考力の低下が始まっている。

 助けを求めようと、唯一動いた目玉を回して辺りの様子を窺うが、チヒロとフィオも苦しそうに地面に伏せっており、状況は同じようだった。

 肺が鉛のように重く、体の奥まで新鮮な酸素を取り入れることができない。みしみしと音を立てて骨が歪んでいくのが分かる。たった今、鎖骨にひびが入ったのを感じた。

 私達の体は、ひとりでに潰れていた。


「大気圧に対する抗力を相殺した。もはや、お互いに歩み寄ろうなんて言わない。深海に落ちる潜水艦のように、潰れて死んでくれ」


 全身の痛みが薄れ、視界が狭まっていく。助かった、と思った。どうなってもいいから、苦痛から解放されたかった。

 そして平穏と引き換えに闇が訪れた。




 ずりずりと振動が地面を伝わっている。弱まった感覚器を総動員して何とか感じ取り、私は重い瞼を上げた。激痛に逆らって、その方向に頭を回す。

 紅の尾が真っ直ぐ地面を這っている。力強く草原を踏みしめて進んでいるのは、フィオだった。

 魔術の効きが悪いのは、垂れ流しにされた魔力の鎧のお陰だろうか。しかし彼女は魔力が封じられており、魔力の鎧は弱まっていたはずである。どうやら、ア・バオ・ア・クゥーの欠片を額に埋め込まれながらも、能力が以前のレベルに戻りつつあるようだった。


 フィオが拳を振りかぶり、山下さんの顔に向かって突き出した。握り拳は見えない壁にぶつかったかのように、音を立てずに静止した。

 さらに拳を開いて、手の中に火球を生み出す。


「何度やっても、君の炎は効かないよ」


 山下さんはフィオが日本語を理解できないのを承知で喋っているようだった。

 炎の球は明後日の方向に発射された。


「おっと、その前に体が限界だったかい?」


 山下さんが鼻で笑った。どうしてわざと外して撃たれたのか、彼は理解していないようだった。


 炎の球がフィオの狙い通りに着弾した。氷槌の根元が解け、ぐらりと傾いた。雲を貫き端の見えない柱が山下さんに向かって倒れかかる。

 山下さんの魔術は愛さんと違って相殺に同等のエネルギーを消費するので、火球や拳打のような撃力の攻撃には強いが、持続的な攻撃には弱い。


 山下さんの全身が長細い影に覆われた。彼は右手の魔法陣を掲げようとしたが、結局魔術を使わずに腕を降ろした。

 地響きを立てて巨大な氷槌が横になる。山下さんは下敷きになった。


 土煙が晴れ、延々と一直線に続く氷の山脈が露わになった。私は立ち上がり、呆然として砕けた氷を眺めていた。


「魔術を使えば命を長らえることができたはずなのに、どうして山下さんは防御しようとしなかったんだろう……?」


 苦しそうに咳をしながらチヒロが歩み寄ってきた。


「あの男のエネルギー源には、小宇宙の変電所が指定されていたわ。過剰に魔術を使えば、大規模な停電が起こって惨事になる。彼はそれを理解していて、諦めたんじゃないかしら」


 味方側の被害を出さず勝ったというのに、後味が悪かった。

 山下さんは、人の幸せの為に行動することを信念にしていた。人の幸せの為に大宇宙の資源を奪うことを容認した。そして人の生活を守る為に、――人の幸せの為に自分の生を諦めた。もしそこで変電所の電気を使い果たして自分の命を長らえていたら、本末転倒になっていたと思う。彼は信念を曲げなかった。

 死の際、山下さんは満足そうに笑っていた。その表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。

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