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0201:最終戦争へのカウントダウン

 その化け物の筋肉隆々として、人の倍近くの大きさを持っている体は炭のように黒かった。眉間にぎょろりと飛び出した第三の目玉の周りにしわを寄せ、外側に曲がった牙を剥き出しにして憤怒の表情を浮かべている。『怒髪天を衝く』を体現するかのように、巻き毛の頭髪は逆立って毛先を空に向けている。腰には虎の毛皮のふんどしを締めている。手足の先には弧を描いた鋭く白い爪が見え、両手には刃紋の乱れた霊的な雰囲気を漂わせた巨大な二本の日本刀が握られていた。

 鋳鉄のように鈍い金属光沢を放つ胸には、もう一本の日本刀が突き刺さっていた。化け物が口から鮮やかな赤い血を吐き、ぐるんと白目を剥く。手足を広げて仰向けに倒れ、地響きを立てた。巻き上がった砂埃が踊っている。


「今度こそ倒せた――んですよね?」


 アスウィシは、筋繊維が千切れてぼろぼろになった自身の手足の体組織を回復させながら尋ねた。


「そうみたいね。心臓を貫かれても生きている生物がいるなら話は別だけど」


 浮かべていた魔法陣を消してチヒロが答える。彼女も全身に切り傷をこしらえて、ぼろぼろだった。


「後は私がやっておくわ。木柱、あんたは先に行って怪我している人達を治してあげて」

「分かりました。倒しはしましたが、かつて世界を震撼させた最上位の獣です。最後まで気を抜かないで下さい」


 アスウィシは喋りながらチヒロの傷の治療を始めていた。傷口が瞬時に塞がっていく。


「ありがとう。そうするわ」


 感謝の言葉を背に受けて、アスウィシは走り去った。彼らを囲んでいた五本の木の柱が地中に沈んでいった。


「うねれ、水の精ウンディーネ」


 チヒロが水色の光を放つ魔法陣を宙に浮かべて詠唱を行う。槍頭に三本の刃先を持つ、コルセスカに似た氷の槍が手の中で凝結した。

 槍を持った手を掲げながら化け物の前に向かう。


「ウンディーネは音を立てて流れ寄れ!」


 真下にある化け物の頭に向かって、氷の槍を振り下ろした。手から離れた槍が、後方に幾重にも蒸気のリングを纏って急加速する。

 槍は頭を貫通し、柄の真ん中まで埋まっていた。

 化け物はピクリと体を痙攣させ、それきり動かなくなった。断末魔か脊髄反射かは分からない。はっきりしていることは、化け物が確実に死んだということだ。

 チヒロは背中を向けて歩き出した。制御から外れた氷の槍が砕けた。


 チヒロは急に衝撃を受けてバランスを崩した。足を前に出して、なんとか踏み堪えた。


「……え?」


 チヒロは自分の胸の中央から突き出している物を見た。巨大な日本刀の刃先。じわりと白いマントに血の染みが広がっていく。

 振り向くと、死んだはずの化け物が立ち上がっていた。その手に握られた柄から伸びる刀身が彼女の胸まで繋がっていた。チヒロは感知したクチザムの流れから、何が起きていたのかを理解した。


「そういうことね。私としたことが――、しくじったわ……」


 チヒロは崩れるように倒れ込んだ。服で吸いきれなくなった血が地面の上に広がっていく。駆け付けた最愛の人の悲痛な声を聞きながら、彼女は静かに息を引き取った。




 私はチヒロと二人で海を訪れ、肩を寄せ合って砂浜に座り、打ち寄せる波を眺めていた。波は、ざざんと音を立てながら一定のリズムで、その度に形を変えながら灰色の砂地を染め続けている。

 私はチヒロの横顔を見つめた。女性らしいふんわりした輪郭。長い睫。水を含んだピンク色の唇。出会ってから二年近く経つ今でも、彼女の魅力的な部分を発見することがある。


「どうして波が立つんだろうな」

「風と海面の間に発生した摩擦や、月の引力による干満のせいよ。当たり前じゃない」


 私が尋ねると、チヒロは間を置かずに返答した。私は「へー」と呟いて再び海を眺めた。


「どうして海は青いんだろうな」

「海水は長波長の光を多く吸収するから、残った450nm付近の青い光だけが残るのよ。当たり前じゃない」


 再びチヒロが即座に答える。


「チヒロは何でも知ってるな」

「当たり前じゃない。未来以外なら何でも教えてあげるわ」

「……じゃあ、俺がどれくらいチヒロのことを好きか分かるか?」


 急に意地悪をしたくなった。チヒロは今度は即答できずにこちらを振り向いた。


「風呂桶一杯分……は自虐すぎるかしら。25メートルプールくらい?」

「ぶー。今目の前に広がっている海くらいだよ。当たり前だろ」


 きりりと顔を引き締めて答えた。

 きっと今の私の顔は、彼女に負けないくらい真っ赤になっている。チヒロは吹き出して笑っていた。


「カズマ君って、そんな恥ずかしいことを口にできるようなキャラだったっけ?」

「ふぅ、結構ギリギリだった。男子三日会わざれば刮目して見るくらい変わるんだ。一年経てば彼女の赤面を見れるくらいには変われるさ」


 チヒロは私を肩で小突いてから、遠い目をして水平線を見つめた。


「そっか。私達が付き合い始めてから、もう一年も経つのね」

「あの頃は弟みたいな存在だって言われていたけど、そろそろ一人前の男だって認めてもらえたのかな?」

「どうかしら。母性本能をくすぐられる存在ではあるかな」

「弟どころか息子かよ」


 あまり嬉しい評価ではない。顔をしかめて不満げな心情を露わにしてみる。


「そんな顔をしない。私はカズマ君みたいに、恥ずかしい心情なんて吐露できないの」


 表情を緩め、顔を見合わせて笑った。

 チヒロは無言で頭を肩に乗せてきた。その上から私も頭を寄りかける。


 ばさりばさりと羽が風を捉える音が聞こえる。空を見上げると、翼をたたんで着陸態勢に入ったフィオの姿が見えた。


「――チヒロ、国王代理が呼んでるぞ」


 フィオが軽やかに砂浜に降り立って言った。私とチヒロのどちらとも視線を合わせようとしない。まだ私達の関係を快く思っていないようで、少し寂しくなった。

 チヒロはきょとんとした顔をして、私の肩から頭を離した。


「ルクアが?」

「ご苦労さん。いってらっしゃい」


 例の準備に関する件だろうか。だったら名残惜しいが仕方がない。チヒロに向かって手を振った。


「オナキマニム城に行けばいいの?」

「うん!」


 チヒロの問いに対して、フィオが元気よく返事をした。フィオの表情が明るくなり、対照的にチヒロの瞳に怪しい光が灯った。


「ルクアがそこにいるのね?」

「……ん、うん」


 少し間を置いてからフィオが返事をする。チヒロは口角を吊り上げて笑い、いたずらっ子のような顔をした。


「おかしいわね。今日は木柱や石柱と打ち合わせするとかで、シタヌ王国に行っているはずだけど」


 フィオは「うっ」と短く声を漏らした。

 イエスノーで答えさせる質問を使って逃げ道を塞ぎ追い込んでから、自分の持っている情報で止めを刺す。何と恐ろしい話術だろう。こんな現場を見たら、とても嘘なんてつけない。


「大方、邪魔者を消そうとしていたんだろうけど、残念だったわね。しっしっ、負け犬はおうちに帰りなさい」

「うるさい、あたしは負けてないぞ! だいたい、お前ばっかりべたべたしすぎだ!」

「彼女なんだから当然でしょう。負け犬こそ自重してほしいわ」

「負けてない! お前こそ姉弟が何とか言ってたくせに、急に手の平返したように乳繰り合いやがって!」


 フィオが吠え、チヒロが往なす。先程の態度は嘘をついている後ろめたさのせいで、別に関係を快く思っていなかったからではなかったようで安心した。しばらくそんなやり取りを眺めていたが、際限がなかったので私は口を開いた。


「俺が言うのもおかしいけど、俺達こんなところで油売ってていいのか?」


 私が大宇宙に来た頃から既に、世界間の境界が曖昧になっていく傾向は確認されていた。ここ数ヶ月でその傾向は指数関数的に加速し、とうとう磁場を発生させなくても小宇宙と大宇宙が繋がるようになってしまった。チヒロの家の地下にある扉は、もはや形だけの存在になっている。

 そうなると気になるのは、阿部警備の動きだ。チヒロの父から血縁について話を聞いた後、私達は阿部警備のトップである泰雲と遭遇した。彼は獣を元から絶ち、大宇宙の資源を奪うことを目論んでいた。今回の事件はあちらにとって絶好の機会である。私に協力を仰いだのは座興で、元々これを狙っていたのかもしれない。


「こちらから動くことはできないんだから、あたふたしていても仕方がないわ。どんと構えていないと。それに、こちらとて準備を怠っていた訳じゃないでしょう?」


 そう。境界が曖昧になっていくことも、阿部警備が大宇宙に来ることも予想の範疇である。だから私達はこの一年間、シタヌ王国と協力して迎撃できるだけの体制を整えてきたのだ。


「……あんた達まで巻き込んでしまって、悪いと思ってるわ」


 チヒロはフィオの方を向いて言った。彼女はこうして何度か小宇宙の人々に謝っている。


「悪いと思ってるならカズマをよこせ。――チヒロ達とは関係なく、世界が繋がっていればいつかは敵が来るんだろ。だったら別に謝られる筋合いはないな」


 フィオがそっぽを向いて答えた。


「小宇宙と大宇宙を離すことができたら良かったんだけどな……」


 私の魔術で5次元間に干渉し世界の間隔を元に戻すことができたら、フィオ達を再び戦闘に巻き込むことも、チヒロが心を痛めることもなかったのにと、しみじみ悔しく感じる。

 二人は同意してくれると思っていたが、「そんなの困る」とフィオが呟いた。


「小宇宙に行かないんだから、別にお前は困らないだろ」


 獣の血が濃い彼女は、小宇宙では人の姿を保つことができずにワイバーンになってしまう。いくら境界が曖昧になっていても、もう小宇宙に行く機会はないだろう。


「だって世界が離れたら、お前――らは帰るんだろ」


 フィオに言われて、はっとした。世界の間隔が元通りになれば、奇跡の粒子の流入が止まって小宇宙では魔術が使えなくなる。扉を使っても小宇宙と大宇宙を行き来できなくなる。どちらの世界に残るか決断しなければならなくなる。


「帰る――のかな?」

「帰るわよ。なんであんたは疑問形なのよ。そうなったら、私達がこっちにいる理由はなくなるもの」


 観測者であるチヒロは小宇宙と大宇宙の関係を監視し、扉を管理するために大宇宙で生活していた。世界が離れるなら役目は終わり、こちらにいる必要は無くなる。血縁であることが分かった父と、普通の家族のように一緒に家で暮らすのだろう。


「それはそうなんだけど……。でもあっちには帰る場所が無いし、フィオと一緒にいるって約束もしたし、オナキマニムのことを見届けたいし……」


 三人は口を閉ざした。嫌な雰囲気が漂っている。


「小宇宙と大宇宙を離せるかっていう話に戻るけど、できないこともないと思うわ。そもそも接近していること自体が異常なんだから、原因を取り除くことができれば勝手に離れていくんじゃないかしら」


 しばらく三人で顔を見合わせていたが、やがてチヒロが話し始めた。私は助かったと思いながら話題に食いついた。


「原因か……。どうやったら調べられる?」

「鏡や鏡を組み合わせた立方体のような2次元範囲じゃなくて、3次元範囲に魔術をかけた空間に飛び込めば5次元間を見ることができないかしら」

「プリズムみたいなものを生み出せってことか」


 自分の魔術ながら、範囲を変えるというのは思いつきもしなかった。さすが天才の発想は違うなと感心した。


「なんなら魔法陣くらい描いてあげるけど」

「大丈夫。それくらいなら俺でも描けそうだ」




 高い電子音が鳴り響く。三人の顔が急に険しくなった。

 チヒロが携帯電話を取り出した。もちろんこちらの世界に電話会社の電波は飛んでいない。奇跡の粒子の観測機だ。


「小宇宙から大宇宙への転移を確認。とうとう来たわね」

「どれくらいの規模か分かるか?」


 私が尋ねると、チヒロはコンパクトな四角い装置に視線を戻した。


「分かるのは、あちらさんが本気だってことくらいかしら。全然転移が途切れないもの」

「チヒロが予想していた通り、私兵軍を連れてきたってことか……。雄介さん、大丈夫かな」


 チヒロの父は扉の小宇宙側を管理している。こちらまで阿部警備がやって来たということは、既に両者が遭遇している可能性が高い。


「私の父である以上、軍隊に喧嘩を売るような馬鹿ではないと願いたいわ。変なことはしないで素通りさせろって念を押しておいたし、無事だと思うけど」

「――国王代理に伝えてくる。シタヌ城だな?」


 チヒロが頷いたのを見て、フィオが翼をはためかせて飛び立った。




 ドーナツを立てたような装置を潜り、白装束の男が大宇宙へ足を踏み入れた。

 泰雲が金属の壁面で囲まれた部屋の中を見渡す。扉に接続された冷却装置と圧縮機。壁にかけられた、奇跡の粒子を観測するためのディスプレイ。小さなスペースに収められたシャワーやキッチン。部屋の端から端まで見回すと、彼はため息をついた。


「CEOである儂が出向いたというのに、歓迎はなしか。つまらん」


 振り向いて、用をなしていない扉の向こうに並んでいる兵士に声をかける。


「障害物はなし。さくっと制圧しろ」


 泰雲はそう言い捨てて部屋の脇へと移動した。兵士が二列に整列し、駆け足で狭い入口を通っていく。皆一様に迷彩柄の服とヘルメットを身に着け、武骨な黒いブーツを履いている。胸には黒光りする重々しいアサルトライフルを構えていた。

 先頭の兵士が無言で合図を出すと、隣の兵士が部屋の正面にあった鉄のドアを蹴破った。


 レンガ造りの家の玄関から、武装した軍人が次々に出ていく。十一月某日正午、とうとう阿部警備は大宇宙へと侵攻を開始した。

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