0124:交わる平行線
チヒロの義父は以前彼女が話していた通り、小宇宙側の扉が設置されている建物にいた。以前行き来したときはいなかったが、チヒロが人払いしていたのかもしれない。私のことはチヒロから聞いていたようで、名前を告げるとすんなり話を聞かせてもらえることになった。
今は近くの喫茶店に入り、向かい合って四人用のシート席に腰かけている。ウェイターが机の上にコーヒーを置いて立ち去っていった。
白髪の混じった頭をした中年男性がこちらを見ている。なで肩の上に猫背なので、外観は少々頼りなく感じる。あの和也にチヒロのようなできた娘がいても不思議だが、彼の娘だとしても人類の神秘を感じてしまいそうだ。
「それで、何を聞きたいのかな。正直僕よりも千尋の方が上手く答えてくれると思うけどね」
義父はそう言って、マグカップを口に運んだ。目尻の垂れた目は常にこちらに向けられている。初対面だからというのもあると思うが、私の一挙一動に警戒しているようだった。
「構わないです。これから聞く質問は、きっとあなたの方が詳しいと思うので。……これは本題じゃないんですけど、魔術は親族間で似通うものなんですか?」
セールスマンなら場を和ませることから始めるのだろうが、あいにく私にはそんなスキルは無い。単刀直入に話し始めた。
ミルクのポーションを開け、コーヒーに注いでかき混ぜる。
「はは、いきなり苦手な話題を振ってきたね。外国では魔術の家系というものがあるくらいだから、影響は大きいんじゃないかな」
「あなたの家も魔術の家系ですよね」
あまりにストレートで質問の意図がばれたかもしれない。義父は口を閉じて、しばらく考えを巡らせていた。
「よくよく考えてみると、あまり影響はないのかもしれないね。うちはバラバラだから」
義父はぎこちない笑みを浮かべて、先程の回答を濁した。
「ところで、チヒロの実の父親は『和也』だと聞きましたが」
「それは父親の前で聞くような質問ではないんじゃないかい」
明らかに迷惑そうな表情をしている。
「ごめんなさい。どうしても聞きたかったので」
「まぁ、君は彼の息子だっていうし、大目に見ようか。――君の言うとおり、千尋は和也と私の妻の間にできた子供だ」
「戸籍謄本にも、そのように書かれていますか?」
「おいおい、君は何を言っているんだ。当たり前じゃないか」
このまま戸籍謄本を見に行ってもいいが、嘘をついているようには見えないので無駄足になりそうだ。
義父のこめかみに血管が浮かび上がっている。予感が外れていたら、私は本当に嫌な人間だ。ずかずかとデリケートな部分に踏み込んでいる自分に嫌気が差す。
「じゃあ質問を変えます。チヒロのお爺さんは、次元間干渉の魔術を使うと聞きました。あなたはどうなんですか?」
「さっきも言ったけど、うちの魔術はばらばらなんだ。父以外に次元間干渉の魔術を使える人間はいないよ」
「本当に魔術は血と無関係なんでしょうか。チヒロのお爺さんの血を引いている僕は、彼の顔すら知らないにも関わらず次元間干渉の魔術を使えますけど」
義父は固く口を閉じた。マグカップを見つめる瞳が細かく揺れている。冬だというのに額に汗がにじんでいる。
「――チヒロは本当に『和也』の娘なんですか?」
返事は無い。義父はマグカップを口に運んで自身を落ち着かせた。
「君はそれを知ってどうするつもりかな? 私達を法に委ねたいのかい。それとも私達の家庭を崩壊させたいのかい」
「どちらも違います。僕は彼女のことが好きです。だから本当のことを知りたい。よろしくお願いします」
すがる思いで頭を下げた。
「千尋のことを……?」
義父は驚いた表情をして考え込んでいた。マグカップを置き、肘を机の上にのせて手を組む。
「……君のことを信用して、本当のことを話そう。千尋は私の実の娘だ」
そうあってほしいとは思っていたが、いざ真実が明かされると衝撃を受ける。驚いたのと同じタイミングで、コップの倒れる音とウェイターの慌てる声が後ろの席から聞こえてきた。
「なんで義理の父だなんて言っていたんですか?」
「永田家は代々、二つの世界の観測を使命としてきた。鶏が先か卵が先かは分からないが、その子孫は次元間干渉の魔術を持つことが多く、相性が良かったんだ。しかし当代の観測者になるはずだった和也は、自由のない生活を厭って家を出てしまった。その後の彼の行動は、君の方が詳しく知っているかな」
義父の言う通り、私はよく知っている。和也は麻子と新しい家庭を築き、私と未央という二人の子供をもうけた。
「彼に兄弟はいなかったから、このままでは観測者が絶えてしまう可能性があった。そこで父はある程度魔術に造詣のあった家系の私を養子にすることにしたんだ。けれども永田の血が流れていないという事実は対外的に色々と問題があってね。丁度生まれた千尋の出生届に裏で細工を施し、和也と私の妻の間にできた子供ということにしたんだ」
ごくりと唾を呑み込んだ。そんなことをしたら、例え千尋の扱いが良くなったとしても、義父に対する外からの目は厳しいものになるだろう。さらに実子に偽り続けなければならないというのは、どんな気持ちなのだろう。彼がくたびれた雰囲気を醸し出している理由を垣間見た気がした。
「そんな……」
聞き慣れた声がした。帽子を深くかぶり、ぶかぶかのコートを羽織って変装している女が後ろの衝立から顔を出した。チヒロだ。私達の会話を盗み聞きしていたようだ。
義父――いや、チヒロの父は落ち着いており、彼女がいることに気付いていたようだった。
「聞いたとおりだ。今まで父らしいことをしてやれず、本当にすまなかった」
「お父……さん……?」
チヒロは彼の名前を呼ぼうとしたが、口の形を改めて言葉を発した。
「初めて呼んでくれたな……。然るべき呼び方を照れくさいと思うなんて、おかしな話だ」
チヒロの父は目を潤ませていた。今までの分を必死に取り戻そうとして、それでもぎこちなくなって抱き合う親子の姿を私は見た。
私はチヒロと公園のベンチに座っていた。喫茶店で長い間話をしていたようで、空が暗くなり始めている。街灯の明かりが忙しく点滅してから灯った。
チヒロの父は用事があると言って、支払だけしていなくなってしまった。去り際にかけられた娘を頼むという言葉が、やけに心に重くのしかかっていた。
「どいつもこいつも、みんなストーカーだな」
沈黙を破るべく、無理して明るい調子で話しかけてみた。
「そうね」
そっけない言葉が返ってきた。これでは会話は続かない。再び私達は無言になった。
地面を踏みしめるブーツとスニーカーの音だけが商店街に響いている。通りに私達以外の人の姿はなかった。
「私が雄介の実の娘だって、よく気付けたわね」
やがてチヒロが口を開いた。雄介というのが義父の名前なのだろう。
「姉弟のくせに似ていないってフィオに言われて気付けたんだと思う。冷静になって考えてみたら、チヒロが次元間干渉の魔術を使えないことが気にかかったんだ」
「気にかかっても、普通はそんなデリケートなことに首を突っ込もうなんて思わないものよ」
そう言ってチヒロが笑う。責めている様子ではなかった。
「問い詰めてみたら偶然姉弟じゃないことが分かったけど、例えどんな結果になったとしても、俺はもう一度アタックしてチヒロの気持ちを聞いてみるつもりだったよ」
足を止め、横に立っている女の顔を見つめる。卵型の輪郭にすわった大きな目。黒髪が後ろで一束に尻尾のように垂らされ、前髪はふわりと目にかかっている。
相手は、表に出たらノーベル賞を総なめしかねない超天才である。何のとりえもない自分とは釣り合う気がせず、今まで異性として見ることはできなかった。しかしオナキマニムで再開してから、弱いところや可愛いところ、チヒロのいろいろな部分を垣間見て、彼女は私と同じ人間で、素は繊細な女性なのだと実感した。
気付けば私は彼女のことが好きだった。唯一異世界に溶け込んだ二人という、劇的な立場のせいかとも思ったが違うようだ。清純で可愛らしい見た目はもちろん好きだ。頼りになるところが好きだ。口で愚痴愚痴言いながらも気遣ってくれるところが好きだ。今は頼りない私だが、彼女を守ってあげたい。仲間にもしものことがあった時の為と言いながら時間を戻す方法を聞いたが、失いたくないと思っていたのは彼女自身のことだったのだ。
「チヒロのことが好きだ。俺のことをどう思っているのか聞かせてほしい」
今度は行き当たりばったりの言葉ではなく、自分のペースでしっかりと言い切った。
「私の気持ち――。あの竜もそんなことを言っていたっけ……」
チヒロが目を細めて言った。
「姉弟だの民法だのを取っ払って、私も自分の気持ちに正直になってみる。私も和真君のことが好きなんだと思う。家族への感情とごっちゃになっていてよく分からないけど、多分そう」
「そ、そっか。『多分』を『絶対』に変えるのが、俺がまず取り組むべきことかな……」
思いを告げ合ったからといって、劇的に関係が変わるわけでもない。私達はぎこちなく笑みを交わした。
しゃん。金属音が空気を引き締める。
音がした方向に視線を向ける。いつの間にか道の真ん中に男の老人が立っていた。すっかり真っ白になった頭や顔に刻まれた無数の皺からかなりの高齢であることが分かる。しかし足腰はしっかりしており、威厳を感じさせる直立姿勢をとっていた。
六つの黒いぼんぼんがついた白い結袈裟と白い鈴懸を身に纏っている。裾から覗く白い足袋。袖から覗く白い手甲。額の髪の生え際には円錐形をした小さな黒い頭巾が乗っていた。輪の形をした銀色の頭部に輪形の飾りを六個通した金属の杖を手にしている。
さほど大音量ではないにもかかわらず頭に響くような音を鳴らしていたのは、この錫杖らしい。
「――永田和真君ですね?」
翁が口を開いた。長い人生行路を感じさせる低く渋い声をしている。
「誰ですか?」
知らない人間から急に名前を呼ばれたら、誰だって警戒する。左手をポケットの中のカードに触れさせた。
「失礼。私、阿部警備保障株式会社のCEOを受け持っております、阿部泰雲と申します」
「シーイーオー?」
阿部警備保障のことはよく知っているが、続くアルファベットの羅列は分からなかった。どこかの倫理審査機構の名称だろうか。
「最高経営責任者のことよ。会社の実質上のトップ」
堪りかねてチヒロが助け舟を出してくれた。
獣を大宇宙に帰していたことが本部に伝わっており、エアケントニスの時のように私を捕まえにきたのだろうか。緊張が走った。
「阿部警備の一番偉い人が、一体俺に何の用なんですか?」
「そう敵意を露わにしないでください。あなたの背信の件は連絡を受けていますが、我々と共に行動して頂けるなら、それは水に流すつもりでいます」
獣から人々を守ることを生業にしている阿部警備が、ある意味獣に加勢していた私の行動を見逃すなんて言っている。余計に怪しさが増した。私は相手に分かるように眉をひそめた。
「なに、簡単なことですよ。次元間干渉の魔術を使って力を貸してほしいというだけです。つきましては、本部までご同行願いたいのですが、どうでしょう?」
「なんで阿部警備に次元間干渉の魔術が必要なんですか」
阿部警備は私の魔術は消滅だと思っていたはずだが、洋平から情報が漏れたのだろうか。同行に関する返事はしないで尋ねた。
「知っての通り大宇宙と小宇宙は一方通行になっており、今までは歯がゆい思いをしながら獣を迎え撃つことしかできませんでした。その点あなたの魔術で逆方向の移動をすることができれば、獣を元から絶つことができます。そちらの女性も逆方向の移動を可能にする装置を保有していることには保有しているのですが、頑なに中立の立場をとると言い張っていましてね」
チヒロが口端をぴくりと動かして反応した。この老人は彼女の扉のことも知っているらしい。
獣を全て殺すというのは、洋平と同じ考え方である。いや、そもそも彼が泰雲から影響を受けたのだろうか。とにかく、全て享受してやっていくのが、あるべき人の生き方だと考えている私は当然同意できない。
「そして大宇宙の資源を利用したいというのがもう一つの理由です。話によれば、大宇宙の人間は魔術に頼った生活をしていて、資源がほとんど手つかずで残っているらしいですね。それらを回収すれば、リサイクルや新たな資源探査なんて七面倒なことをしなくても簡単に我々の生活レベルを向上させることができます。大宇宙の生活は何ら変えずに、ね」
自分達で努力することを放棄して他人から盗むなんて、なんて一方的で勝手な言い分だろう。これも同意することはできない。
これ以上耳を貸す必要はないと判断した。隣を振り向くと、思った通りにすればいいとでも言うかのようにチヒロが頷いていた。
「お断りします。小宇宙の問題は小宇宙で解決すべきです」
「二世界間の移動手段はあなた達が押さえている。その二人が世界の命運をかけた事態を独断で切り捨てる。それも身勝手すぎると思いませんか」
泰雲の言うことはもっともだ。人生経験豊富そうな声質が余計に説得力を増す。
「耳を貸す必要はないわ。何が生活レベルの向上よ。大宇宙にアクセスする手段を押さえて、資源の利権を独占するつもりなんでしょう?」
チヒロが口を開き、ずかずかと言い捨てる。お陰で正気に戻ることができた。
「悲しいかな。我々の大計を理解してもらえないとは――」
泰雲が錫杖をアスファルトの上に打ち付けた。しゃんという音が商店街に響いた。
ごとりと音を立てて、肌色をした円柱形の物体が足元で転がった。びしゃびしゃ流れ落ちる粘性のある液体が一帯を赤く染め、地面の上に溜まって広がっていく。濃厚な鉄の臭いが鼻についた。
チヒロが何やら叫んでいる。視線を上げ、液体の出元を確かめる。違和感。対称なはずである体の左右を見比べる。しっくりこない感覚の正体はすぐに判明した。私の右腕がすっかり無くなっている。
私の手は上腕の真ん中で切断されていた。元々取り外し式だったと錯覚しそうな綺麗な断面をしている。認識した途端に、急に我慢できないほどの激痛が襲ってきた。
「う、うわぁぁ?!」
「落ち着いて、腕なら木柱が治してくれる! それより、早く転移を」
チヒロは服の裾を裂くと、手早く丸めて私の右脇の下に入れた。流れ出していた血の勢いが少し弱くなった。
「我は――、汝に啓示を与えるもの!」
左手でカードを取り出し、表に向けて詠唱する。浮かんだ光の点が四方に広がり鏡を作り上げる。
どこから感じているのかも分からないほどの痛みを我慢して、必死の思いで鏡をくぐった。去り際、チヒロが血の水たまりの中から私の右腕を拾っていた。
「父さん」
泰雲の背後から男が歩き寄る。彫りの深い整った顔に、引き締まった長身の体をもつ中年男性。老人とは対照的に、黒い薄物の羽織、黒い着流し、黒い足袋、黒い手甲を身に着けている。
横には人間の背丈くらいある巨大な狐が控えていた。大きな耳のぴんと立った顔の中央に、鈍い真鍮色の瞳が見える。顔から背中を通り尾にかけて金色、顎から腹は白色、足先は黒色に、艶のある毛で覆われている。ふさふさの尻尾は九本生えており、先っぽを別々の方向に向けていた。
「見たか? あれが我々の欲していた、次元間干渉の魔術だ。実に素晴らしい」
「素晴らしいことは認めますが、想定以上に小宇宙側との繋がりが深いようですね。こちらに取り込むのは無理そうですよ」
「構わないさ。多少計画が前後する程度の影響だ。我々の方針は変わらない」
泰雲は口周りの皺を深くして笑った。