0120:民族共同体
オナキマニム王国が生まれ変わってからしばらく経ったある日、私はチヒロと二人で荒野を歩いていた。ここは王都ラワケラムウの南西、ボギ砂漠を越えたところにある国境地帯である。
チヒロの話すところによると、以前この辺りで奇跡の粒子の密度に微弱なノイズが確認されたらしい。波形からして、何者かが小宇宙から大宇宙へ移動した可能性が高いとのことだ。私が大宇宙に戻ってきた四ヶ月前のことであり、その五次元間を跳躍した何者かは、小宇宙で戦ったあの男の可能性が高い。彼を探して元の世界へ返そうとしていたことを思い出し、奇跡の粒子の正確な測定をしに行くと言っていたチヒロについてきた。
「異常なし、と。やっぱり自然に通過したとは考えづらいわね」
携帯電話のような装置を見ながらチヒロが言った。黒い画面には、心電図の波形のような緑色の線が表示されている。
「洋平の可能性が高いってことか。焦っていたせいで、無意識のうちに三次元間の移動が加わっていたのかな」
「無意識の方が優秀だなんて情けないわね。これからは酩酊状態で戦えば?」
酔っぱらって仰向けに寝ている自分の姿が思い浮かんだ。真っ当な憎まれ口なので言い返せない。
私の無言を何かと勘違いしたのか、チヒロが慌てて顔を上げた。
「じょ、冗談よ? 気を悪くした?」
以前はからかわれる一方だったが、革命の後からチヒロは妙に私に気を遣ってくるようになった。当人には悪いが、ギャップでおかしな感じがする。
「まさか。……なぁ、俺の魔術って、次元の歪曲だって言ってたよな。四次元を歪曲させて、未来や過去に行くことはできないのか?」
「理論的には可能でしょうね」
さらっとタイムマシンが実現可能になった。歓喜の声を上げようとしたが、チヒロは人差し指を立てて「しかし」と続けた。
「でも、現実的には不可能よ。世界はエネルギー保存則に縛られてる。単位時間、つまりプランク時間あたりの世界全体のエネルギーは不変でないといけないから、自分の質量分の莫大なエネルギーを魔術に入力しないといけないことになるわ。和真君の体重は?」
「最近量ってないけど、65キロくらいかな」
体重なんかを聞いてどうするつもりなのだろう。少しサバ読んで答えた。
「それならだいたい6エクサジュールは必要ね。これは太陽から地球に届く全エネルギーの36秒間分に等しいから、取り出すことはまず無理でしょうね」
エクサとは、キロやメガと同じ接頭辞のことだろうか。もはやゼロがいくつ続くのか分からない。ダイエットしてどうこうなる問題でもなさそうだった。
「魔力で何とかならないのか?」
「魔力は一概に計算できないところがあるから具体的な数値を提示することはできないけど、全盛期のフィオくらいの魔力は必要なんじゃない?」
すなわち四柱が全員集まっても無理ということだ。四次元を移動するのは諦めた。
「やり直したいことでもあるの?」
がっくりと頭を垂れていると、チヒロが尋ねてきた。
「仲間にもしものことがあったとき、時間を戻せるなら心強いだろ」
「そんな消極的な……。だいたい、それなら生き返らせる方がまだ現実的よ。最近、損傷した体組織を元に戻す魔法が見つかったって風の噂に聞いたし。四柱の誰かだったかしら」
「本当か?! なんて奴なんだ?」
私はチヒロに興奮気味に話しかけた。対して彼女は不快感を露わにした視線を向けてきた。
「ここだけの話、実は昔四柱にはもう一人魔法使いがいて、本当の名称も五柱っていったのよ。ほら、秘術の時に地面から突き出す柱って五本あるじゃない?」
言われてみればその通りだ。もう一つの柱は何という柱なのだろう。何故四つになってしまったのだろう。次々に疑問が浮かび上がった。
「氷に、鉄に、石に、木に、あと何の柱なんだ?」
「――貝柱よ」
チヒロはいたって真面目な顔をして言った。
「……冗談だろ」
「冗談よ」
さらりと言って、奇跡の粒子の計測器に視線を戻していた。からかわれたらしい。
「あんまりつまらない話ばかりさせるんだもの、冗談の一つや二つ言いたくなるわ。そんなんじゃ女の子にモテないわよ」
彼女の言うとおり、がっつきすぎたかもしれない。少し散歩しようと思い、体の向きを変えて歩き出した。
「――おっと」
足元の注意が散漫になっていた。段差につまづいてよろけてしまった。
「大丈夫? 怪我しなかった? 少し休みましょう」
「大丈夫だって。気が抜けてただけだから」
気付いたチヒロが慌てて駆け寄ってきたので、思わず否定してしまった。もう無理だと言っても休ませてくれなかった特訓の日々は記憶に新しい。チヒロの変化はとても不気味だった。
散策している和真とチヒロの姿を、遠くから見つめている影があった。歩き寄ってきたウィツタクが話しかける。
「副騎士団長様がこんな所で何をしてるのよ。団長が連れ戻してこいだってさ」
フィオは嫌そうな顔をして振り向いた。
「あたしなんていなくても問題ないだろ。頼んだ、補佐」
「新しい国で私達のことを見ていて欲しい、なんて抜かしていたのは誰だったか……」
ウィツタクはため息をついた。彼女は革命の際にフィオに負けてへそを曲げていたが、王都での仕事を正式に与えられ、最近はだいぶ丸い性格になっていた。
「だって、城に帰ってこないんだもん」
フィオが遠方の二人を指差して言った。
「あーはいはい、後で愚痴聞いてあげるから」
ウィツタクが面倒くさそうに言って、頭を掻く。すぐに真剣な顔になって言葉を続けた。
「にしても、何も今こんな所に来なくても良さそうなものだけど。あんたも無防備すぎよ」
フィオは理解できず、眉をひそめて首を傾げた。
「数歩先は、あのシタヌ王国よ。獣の血を引いている人間が見つかったら、何をされるか分かったもんじゃないわ」
「シタヌ王国?」
フィオはさらに首を傾げた。ウィツタクは呆れて眉間を押さえている。
「相方と揃いも揃って、ほんと無知よね。あそこの国民は、獣の血を引く人間を憎んでいるの。だから、そういう人種をおおらかに受け入れているオナキマニムを目の敵にしているのよ」
「何で獣の血を引くからって憎まれないといけないんだ?」
フィオは、暴れ回った自身は憎まれても仕方がないかもしれないが、大人しくしている人間も多いわけで、ただ獣の血を引いたというだけで憎まれるというのはおかしいと思っていた。ウィツタクもそれを見越す。
「あの国は昔っから人間が優秀で、獣が劣等だと盲信しているの。優秀な子孫を残そうとして、純血にこだわっているのよ。まぁ、他人の所見なんだけどね」
「何か気に食わない話だな……」
荒野の向こうに立っている大きな壁を睨んで、フィオが吐き捨てた。
私は荒野を見渡した。この辺りには人はもちろん、動物や植物の姿も見えない。
「さすがに四ヶ月も経てば移動しているよな……」
「ここから少し西に行けばシタヌ王国の王都があるわ。砂漠を渡ったとは考えづらいし、そこに行ったのかもしれないわね」
私でも言語と生活の違ったアフウシ村で生活できていたのだから、案外洋平だってシタヌ王国で元気にやっているのかもしれない。
「そっか。そのシタヌ王国に探しに行くことってできるか?」
「そう簡単にオナキマニム王国の人間を入れてくれるとは思えないわね。四柱だったら自由に出入りできるけど」
陸続きになっているから分かりづらいものの、ここは国境なのだ。小宇宙でいう入国手続きのようなものが必要になるのだろう。
「それなら、少々強引な手を使って見てくるか」
「どうするの? あんまり危険なことは許可できないわよ」
チヒロの頭の中には、国境を強行突破するなんていう過激な方法が浮かんでいそうである。魔法陣の描かれたカードを見せたところ、彼女は納得して頷いた。
「我が月は塔の上の見張りに立ち、我が太陽は全てが生まれ変わる泉」
腕を突き出し、先日チヒロに貰ったカードで詠唱を行う。言葉は自然に浮かんできた。
「我が息は墓場の塵を芽吹かせ、我が王冠は贖罪所を包み込む」
指先に光の点が現れ、四方向に広がって鏡になった。鏡面には小宇宙の高速道路と思しき、複数の車が並走している道路が映っている。
「ケルビム達の頭上を天翔けるもの!」
鏡の中の風景がぐにゃりと歪む。やがて形が戻った鏡面には、石畳の道が映っていた。
「問題なさそうだな。じゃあ、ちょっくら行ってくるよ」
「え、えぇ。気を付けてね。その風景、どこかで見たことがあるんだけど、どこだったかしら……」
煮え切らないチヒロの言葉を背に受け、鏡をくぐった。
結論から言うと、転移した先はビンゴだった。向かう先は適当に設定していたのだから、かなり運がいいと思う。正面には探し人である、工藤洋平の姿がある。
「あ、洋平。探したんだぞ」
かける言葉が見つからず、日本語で軽い感じに話しかけてみた。何故か王座に腰かけていた洋平は、ぽかんとして私の顔を見ていた。
石畳の道だと思っていたのは、広大な面積の床だった。こちらの世界にしては珍しい天井の高い造りの建物で、高い位置にある小窓から光が差し込んでいる。壁には幾つかの金ぴかの武器が飾られている。そこは城のような建物だった。
王座に腰かけた洋平は真っ白な生地に金の装飾の入った、王族が着ているような格好をしている。両脇には従者らしき男と女が立っている。
従者の二人もぽかんとしていたが、女の方はすぐに正気に戻った。
「王、これは一体?」
城『みたい』ではなく、どう見てもここは見知らぬ城の中の、謁見の間である。転移した距離から判断して、シタヌ城以外にありえない。しかも洋平は王座に腰かけており、従者に王と呼ばれている。混乱してきた。
「お前は――、永田和真――か?」
ようやく言葉を発した洋平は大宇宙の言語を使っていた。みるみる顔が赤くなり、こめかみに血管が浮かび上がっていく。
「――コ・ロ・セッ!!」
洋平が声を張り上げたのと同時に、私の周りで十本の柱が地面から突き出した。石の柱と木の柱、すなわち秘術。あの従者は両方四柱らしい。
大魔法使いのとっておきを同時に受けるなんて、命がいくつあっても足りない。後ろに跳んで、背後に残したままになっていた鏡に飛び込んだ。
鏡を通り抜けて着地する。
「ただいま」
後ろにいるであろうチヒロの方を振り返った。
「……アァア」
返事をしてきたのは、椅子に座った状態で鎖で拘束された、明らかにチヒロと違う女だった。丸みのある、幼さの残る顔立ちをしている。手入れのされていない、がさがさの長いざんばら髪が左右に分かれて垂れ、その頭には細長い布が二反巻かれて両目が見えないようにされていた。
よくよく見てみれば場所も変わっており、窓がなく蝋燭が唯一の明かりになっている薄暗い部屋の中にいた。壁からして、石のブロックを積んで造られているようだ。換気をしていないのか、空気がこもって湿っぽかった。
再び女を見た。服とは言い難い、黒い布を巻いた格好をしている。露出している肌には深い傷がいくつも刻まれている。虐待でもされているのだろうか。眼帯を外そうと手を伸ばした。
「――ソレに触るな!!」
真に迫った声が聞こえ、手を止めた。振り向いたところ、部屋の入口に肩を上下させた老人が立っていた。
「それを取ったらいかん。お前も、儂も、皆が死ぬぞ」
私が手を止めたからだろう、老人は安心した様子で言葉を続けた。
「……この子は何なんですか?」
「ソレのことを知らないとは、新人か? ソレは汚らわしい獣、ゲーデと人間の混血種じゃ。かつては、かの悪魔と同等の力を持つ存在として猛威を振るっていたが、シタヌ王国で捕えて使役するようになったのじゃ。ほれ、『死神』と言えばわかるじゃろ?」
聞いたことはなかった。この弱り切った少女がフィオと同等の力を持っているとは信じがたい。
「それにしても、眼帯を外そうとしていたから驚いたわい。こんな場所で邪眼が発動すれば、城にいる百人以上の兵士達が皆死ぬことになるからの」
老人は嘘をついているようには見えない。全然実感がないが、私も危なかったらしい。
入口の扉の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。ここはまだシタヌ城の中らしいし、追手が来たのかもしれない。拘束された少女を横目で見た。
「止めてくれてありがとうございました」
老人に礼を言って、再び鏡に飛び込む。鏡面には元の荒野が映っていた。
洋平が王と呼ばれ、四柱を従者にしていた訳。悪魔と対等の力を持っているという死神。色々と調べる必要がありそうだった。
和真の足取りは地下牢で忽然と途絶えており、結局見つからなかった。洋平と四柱の二名は再び謁見の間に集まっていた。
「侵入者のせいで会議が止まっておりましたが、続けてよろしいでしょうか」
従者の男が口を開く。洋平が頷いた。
「かの国との国境に近いボギ砂漠では、アンフィスバエナの群れが忽然と姿を消しました。また聞くところによると悪魔は力を失い、我ら四柱と同等まで戦闘能力が低下しているそうです。極めつけに、ご存じの通りオナキマニム王国では騎士団長であったウツオヌオア・ルクアを中心として革命が起こり、国王が代わって混乱が生じています。今がオナキマニムを攻める好機です。私は進撃を進言します」
「クーハの言い分は分かった。アスウィシはどうだ?」
クーハと呼ばれた四柱の男が下がる。続いて洋平は四柱の女に尋ねた。
「四柱のうち二名が駐在しておりますが、所詮は若輩。警戒するにはあたりません。私もクーハと同じ意見です」
アスウィシが静かに言い放つ。洋平は目を固く閉じて考え込んだ。
「確かに、あいつの襲撃は啓示なのかもしれないな――」
洋平が日本語で呟く。従者達が眉をひそめた。
「獣人間どもを駆逐する! 準備を進めろッ!」
洋平は目を見開き、部屋に響き渡る声で言い放った。
住人のいなくなったオナキマニム城の王の間では、ルクアとヌトが元国王の遺品整理をしていた。王の埋葬は革命の直後に済んでいたものの、しばらくは新しい国の体制の構築に四苦八苦していて、ここまで手が回らなかったのだ。
「どうっすか、国務の調子は?」
「どうも慣れないことをすると肩がこりますね……」
ルクアは苦笑いを浮かべて、肩を上下して見せた。
「とはいえ、新しい宰相も騎士団員も精一杯頑張ってくれていますから、弱音は吐いていられないんですけどね。そちらはどうですか。フィオさんは上手くやっていますか?」
「能力は申し分ないんですけど、どうも落ち着きが無いんですよね。今日も補佐が連れ戻しに行ってますよ」
「以前の私の苦労が分かっていただけだようで、何よりです」
ルクアが笑うと、ヌトはばつが悪そうに目を逸らした。
戸棚の引き出しを上から引いていく。三段目に、丁寧に布で包まれた物体が収まっていた。
「なんすか、それ」
ヌトの声に促され、ルクアが布をほどく。中から出てきたのは、細かく磨かれ白銀色の刀身をした短剣だった。
「これは……、多分父の剣です。何故王が……」
ルクアは窓から差し込んでいる光に剣をかざした。ヌトは探索を続け、下の引き出しを出している。
「なんにせよ、良かったじゃないっすか。ん? 今度は紙の束ですよ」
ヌトが手にしているのは、随分と分厚い紙の束だった。ルクアが受け取り中身に目を通す。
シタヌ王国で新たに王座についた男。王都への戦力の集結。そこにはシタヌ王国の近況が詳細につづられていた。シタヌ王国のとっている行動は、明らかに侵略に向けた動きに見える。『こうしている間にも、シタヌ王国が目を光らせているというのに――』。戦闘中に王が話していた言葉が脳裏によみがえる。
「これはひょっとして、かなりやばいんじゃ……」
「石塁をボギ砂漠に敷きます。直ちに防衛戦の準備を!」
シタヌ王国から遅れること数ヶ月、ようやくオナキマニム王国が慌ただしく動き始めた。