0118:集う力
オナキマニム城は三階建てで、上空から見ると十字の形をしている建物である。十の交差部分は、歩道に大理石のタイルが敷き詰められ、芝の地面に神々を模した石像が立ち並ぶ豪華な中庭になっている。
中央には庭の雰囲気に似合わない、黒ずんだ木の板が敷き詰められていた。その上には2本の大きな斧が突き立てられている。即席で設けられた処刑場である。
国王は処刑場の前に用意された椅子に腰かけていた。周囲には絶えず視線を走らせ警戒している親衛隊の兵士達が控えている。そして庭のあちこちや中庭側の窓には、警備にあたっている大勢の防衛隊の兵士の姿が確認できる。
処刑場の後方にあった扉が開いた。戸口は地下牢の上に位置する看守室に繋がっている。
じゃらじゃらという金属音が鳴っている。中庭に現れたのは、防衛隊の兵士に付き添われたルクアとヌトだった。両手足は鎖で繋がれており、歩きづらそうに中央へ向かう。少し間をあけて、彼らの後を黒ずくめの格好をした二人の処刑人が追って歩いていた。顔の半分以上を隠しており、目の周囲しか露わになっていないが、神妙な面持ちをしているように見える。
兵士に指示され、二人は板の上に膝をついて座った。黒ずくめの二人が斧を手に持ち、ルクアとヌトのそれぞれの後ろに立つ。鎖の音が止み、中庭は静まり返った。
「国の英雄がその板の上に跪くことになるとは、数奇なものだ。……本当に、騎士団に戻るつもりはないのだな?」
国王が口を開いた。小宇宙の人間の中でも特に身長が高く、艶々した白い服の袖から厚く締まった筋肉が覗き、姿だけでも威厳が伺える。四角い形をした顔の上には、短い黒の縮れ毛がのっている。ルクアの真っ直ぐな瞳を、一重の感情を読みずらい冷たい目で見下ろしていた。
「今のような政治が続くのであれば、もう私達はこの国の剣でい続けることはできません」
「ならば副騎士団長。集団の言葉ではなく、流されずに自身の意見を述べるがいい」
続いて王はヌトに視線を移した。
「聞かれるまでもなく、騎士団は皆同じ志っすよ」
「……分かった、もういい」
王が手を上げ、処刑場の横に立っている顔の長い男に合図を送った。処刑を管轄する役人のようで、良い布の服を着ている。
「これより、罪人両名の処刑を行う。騎士団長ウツオヌオア・ルクア、この者は国を守る立場にありながら、国家を中傷する言で騎士団の兵士達をたぶらかし、反乱という愚行へと導いた。副騎士団長ギアマンヌウオコ・ヌトも同罪である。彼らに更正の余地はなく、よって断首の刑を執行する」
役人の男が処刑の宣言を行う。ルクアとヌトが腰を曲げた。処刑人が足の位置を確かめ、斧を高く振り上げた。
「最期に言い残すことは?」
役人の男が声をかける。これは異例なことだ。それだけルクアは城に関わる人間の信頼を得ていたのだろう。しかしルクアは目を閉じたきり何も喋らなかった。
処刑人が同時に斧を振り下ろす。――中世のヨーロッパでは公開処刑が民衆の娯楽になっていたという。斬首、火あぶり、釜茹で。現代人なら見ただけで気絶しそうな野蛮な儀式が公然と行われ、貴婦人ですら嫌がる素振りを見せながらも欠かさず参加していた。人の中に残酷な面があるのは否定できない。斧の振り下ろされる最中、身を乗り出して見入っていた王の顔を見て『そう思った』。大きな金属音が城の壁に反響した。
砕けた鎖の破片が板の上を転がった。不要になった斧を板の上に突き立てる。ルクアとヌトは上体を起こし、自由になった手を動かしていた。
「な、何をしている?! 早く叩き斬れ!」
王が焦って声を張り上げた。
私は顔の前に手をかざし、覆っていたマスクを外した。横にいた処刑人もマスクを外し、赤毛の髪をふぁさっと広げた。処刑人に扮していたのは和真とフィオだ。本物の処刑人は今頃、ルクア達が捕えられていた地下牢で眠っていることだろう。
「何だ、お前らは……」
王が椅子から立ち上がり、情けない声を出した。
「初めまして、騎士団の新メンバーです。フィオ、派手に合図をよろしく」
「うん」
フィオが手を掲げ、上空に向かって炎の玉を放つ。空中で炸裂し、音が城の窓を揺らした。
「星煌く天は我が顔、海は我が胴、大地は我が足、――我は汝に啓示を与えるもの」
私は魔法陣の描かれたカードを取り出して詠唱を行った。警備していた防衛隊の兵士達の背後に大きな鏡が現れる。
鏡面から武装した男が跳び出す。二人、三人、騎士団の兵士達が次々に現れ、混乱して反応できないでいる防衛隊に襲いかかる。彼らの喉元に槍を突き立て動きを止めた。防衛隊の兵士達の剣が地面の上に転がった。
「敵襲、敵襲――!!」
城内から剣戟音と悲鳴が聞こえてきた。フィオの炎を合図に、城内に隠れていた騎士団の兵士達が行動を開始したはずだ。黒い処刑人の服を脱ぎ捨て、物陰に隠してあったリュックサックを背負った。
「最期の言葉、ですか。お心遣い感謝いたします。ですがそれは、もうしばらく控えておきましょう」
ルクアが腕を回すと周囲に風が巻き起こり、手首と足首に残っていた鉄の輪が砕け散った。
音を立てて椅子が倒れた。王が背中を向けて逃げようとしている。私達が駆け寄るが、間に合わない。王は開いていた扉から城の中に入っていってしまった。五人の親衛隊が剣を構え、戸の前に立って塞いだ。彼らの鎧には三つの頭を持つ犬の紋章が刻まれていた。
足を止めた私達をよそにヌトが走る。防衛隊の兵士が落としていた剣を抜き、大きく薙いで先頭の兵士を剣の上から強引に斬りつけた。二人目の兵士が振り下ろした剣先を紙一重のところで避け、剣を突き出し喉に突き刺してから抜く。血の雨が降り注ぐ中、素早く切り返して三人目を袈裟に斬った。
「ここは僕に任せて、団長達はあいつを追ってください!」
ヌトが吠える。額に突き出た角の先に、水の球が浮かぶ。飛び出した複数の水の帯がうねり、残りの兵士達を弾き飛ばした。
「分かりました。頼みましたよ」
ルクアが走り出し、私はフィオと共にその後を追った。扉をくぐってから振り向くと、ヌトが起き上がった兵士達と刃を交えていた。
城の中を走っていた私達は、一際大きく豪華な扉の前で足を止めた。石造りの二枚の戸には、厳つい中年男性や昔風の美女が掘り込まれている。
「再びこの扉の先に挑む機会を得られたこと、感謝いたします」
ルクアはしみじみとそう言うと、左側の戸に手を伸ばした。私も右の戸に手をかけて押す。見た目の通り重い。腰を落として体重をかけると、ゆっくり扉が開いていった。微かにできた隙間から、しばらく家を空けていたときにする部屋の匂いがした。
扉が十分に開き、私達は中に踏み込んだ。大理石の床を踏み、軽やかな音が鳴った。そこは壁や天井中に彫刻が施され、四方から視線を感じる悪趣味な部屋だった。
窓から差し込む光を遮る影が二つ。片や白のマントで身を覆い、片や黒のマントに身を包んでいる。
二人が頭の横に手を伸ばし、フードを下ろす。部屋の中央に立っていたのはチヒロとウィツタクだった。
ウィツタクは私達の顔ぶれを見て意外そうな表情をした。
「何であの男がここに? いや、それよりも――」
フィオの顔に視線を戻し、口の端を歪めて笑う。
「あれは悪魔? あちらからわざわざ私にやられに来てくれたの?」
ウィツタクは大切そうに一歩一歩を踏みしめながら、フィオに向かって歩き出した。
「正直、中年の護衛なんて乗り気じゃなかったんだけど、ほんとラッキー。氷柱、あれは私がもらうわよ!」
チヒロは返事をせずに、呆れたように鼻から大きく息を吐いた。てっきりフィオの合図と共にウィツタクと戦い始めると思っていたが、まだ裏切っていないということは、より確実に複数人で戦いを挑もうとしているということだろうか。
ウィツタクに向かって歩き出したフィオが横目で見えた。私は彼女の背中に声をかけた。
「フィオ――」
「大丈夫、任せろ。あいつにはサライの借りを返しておく」
元世界最強のフィオと四柱のチヒロが協力してくれれば、ウィツタクなんて敵ではない。しかしチヒロはそれでも動こうとしなかった。
私はルクアと視線を交わし、部屋の中央で突っ立ったままでいるチヒロの元へ向かった。まずルクアが話しかける。
「あなたが手助けしてくれるとは驚きました」
「あの時は断って悪かったわね。前とは風向きと状況が変わったの。――うねれ、水の精ウンディーネ」
チヒロが光の魔法陣を宙に浮かべて詠唱を行う。みるみる手の中に水が集まり凝結して、刃が三叉になっている氷の槍になった。
槍頭がつつーと宙を走る。チヒロは何故か槍の先を私に向けた。
「言っていることと、やっていることが違うぞ。どういうつもりだ?」
私は内心焦りつつ尋ねた。
「約束通り、革命の手助けはしてあげるわ」
「それなら――」
氷の槍を私に向けることが革命の為になるとはには思えない。チヒロの意図が分からなかった。
「けれど、その内容までは約束していないもの。私はルクアの行動に関与しない、それで手助けとしては十分でしょう」
彼女ほどの一騎当千の猛者なら、味方の戦力として参加しなくても、敵の戦力として参加しないでくれるだけで戦局はだいぶ有利になる。提示された条件は悪くない。しかし、だ。
「だからといって、俺がチヒロと戦う理由はないだろ!」
「忘れた? あなたが小宇宙に帰る時に私は、『今度こっちに来たら、凍らせてオイクオツ湾に捨てる』と言ったのよ。私の約束は破っておいて、自分の約束を通そうなんて都合のいい話はないでしょう? ケジメはつけてもらわないと」
私の口がぽかんと開いた。てっきりあの時の約束は、一昨日の会話の中で清算されたと思っていた。
「まだ根に持っていたのか。執念深いな……」
「執念深くて結構。姉貴分として、今日はとことんしごいてあげる」
チヒロは唇を舐め、槍にもう一方の手を添えて構えた。
ルクアが一人残され、私以上にぽかんとしていた。私の視線を追ってチヒロも気付いた。
「さっき言った通り、あなたの行動に関与するつもりはないわ。さっさと行きなさい」
「まったく、あなたという人は……」
チヒロが私に視線を戻してから声をかける。ルクアはため息をついて奥の部屋に向かっていった。
ウィツタクがマントから手を突き出すと、一瞬にして側方に二体の鎧が現れた。耐魔の機能を持つ銀色の西洋風の甲冑。
「あなたがここにいることにも驚いたけれど、戦おうとしていることにはもっと驚いたわ。あなたはもう、暴虐の限りを尽くしていた昔とは違う。ささやかな火を灯すにも苦労するほどに弱くなっているのよ。よく私の前に立つ気になったわね」
ウィツタクが手を上げて合図を出すと、鎧が背中に担いでいた両刃の大剣を抜き八相に構えた。
「一人で村や町を滅ぼすには、あの力が必要だった。でもこうして仲間の期待に応えるだけでいいなら、この力で十分だ」
「仲間、ね。悪魔のあなたがそんな言葉を口にするなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。あの町では、その仲間意識を持ってしまったせいで傷ついたのでしょう? 私が多少時期を早めたけれど、あれは人の本来の姿よ」
「まぁな。確かに人と関わることを止めようと思ったこともあった。けれどあいつは、あの理不尽を克服できる、一緒にやり直そうと言ってくれた。だからあたしは戦うんだ」
フィオが顔の前に手をかざすと、手の中に、ぼうと火の玉が浮かんだ。以前よりも揺らぎの少ない炎だった。
和真やチヒロのいる謁見の間の扉を潜った先が王の間である。立方体になっているこの部屋は、隣の部屋とは打って変わって質素なつくりになっている。中には家具やベッドが置かれており、白い壁には歴代の国王の絵がびっしりと並んでいる。国王は扉向かいの壁の前に立っていた。
「やってくれたな。先日の失敗すら一計だったとは、私でも気付けなかった」
王が口を開く。ルクアは苦笑いを浮かべた。
「私を殺してどうする?」
「あなたが目指してきた、一部の人間が他人の幸せを搾取するような国ではなく、万人が幸せになれる国を作ります」
ルクアの返答を聞き、王は顔をしかめた。
「お前ほどの男が、私が私欲の為に国を動かしていると――そんな民の戯言を真に受けるか。格別の利益がなければ宰相や役人は動かん。国を回すには必要なことだ」
「利益に固執する人間が、他人の為に国を動かせるとは思えない。彼らは宰相の器ではないということでしょう」
「ほう。器、か。お前の器であれば国を御せると?」
ルクアは淡々と答えていく。王は口の端を吊り上げ、馬鹿にした笑みを浮かべた。
「国は一部の人間で作るものではありません。私達は皆で作り上げていきます」
「綺麗事だな。だが、お前の言いたいことは分かった。私のやり方とは決して交わらん。どちらか一方しか残ることはできないようだな」
王は喋りながら身を翻し背中を向けた。
「あなたの首を頂き、我々が残ります」
ルクアが背中から短剣を抜き、腰を落として構えた。
王が壁にかかっていた剣を見上げる。刃渡りが長く異様に幅広で、実用性のない装飾品に見えないこともない。王はその柄を片手で握り、壁から外した。
「やらせんよ」
ルクアの方を振り返り、重さを感じさせずに左右の袈裟に振ってから構えた。