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0117:定まった道標

 宿から出て町の中を歩く。昨日の混乱が嘘のように、王都は静まり返っていた。空は霞みがかり、家々の壁が灰色に映って町全体が薄暗く感じる。

 路上では仕事を放りだした町人達が集まっていた。どこの井戸端会議も、騎士団が反乱を試みたという噂でもちきりだった。


「騎士団が反乱を起こしたらしい」

「馬鹿なことをしたよなぁ」

「――聞いたか? 明後日、騎士団長と副騎士団長の処刑が行われるらしいぞ」

「ルクア様とヌト様の? あの二人だけは、城の人間にしては珍しく威張り腐っていなくて、好きだったんだけどねぇ」


 私は買い物をしているふりをして、町人達の会話に耳を傾けていた。

 革命は失敗してしまったようだ。処刑が計画されているということは、まだ二人は生きているらしい。ほっとしたような複雑な気持ちになった。


 考え事をしながら歩いていると、いつの間にか足は大通りに沿って城へ向かっていた。防衛隊の兵士達がぴりぴりした様子で町の中を歩き回っている。悪いことをしたつもりはないが、こそこそと道の端を歩いた。

 ふと顔を上げると、周囲から浮いている人間の姿を見た。

 白いマントを纏った女が、私と同じように道の端を歩いている。意志がはっきりしていそうな二重の大きな目に、落ち着いた雰囲気を醸し出している黒髪のハーフアップ。どこかで見たことがある女性だった。

 後ろめたい思いが湧き上がり、思わず後ずさる。彼女もこちらに気づき、眉間にしわを寄せた。


「あ、ちょっと――!」


 言葉を最後まで聞かずに、背中を向けて全力で走り出す。どこからか命の危険を知らせるサイレンが鳴っている気がする。

 小道に入ろうとしたその時、靴紐を踏んだみたいに足が上がらなくなり、前のめりになって転んだ。足元を見てみると、氷で固められて足の裏が地面とくっついていた。

 ざりっと砂を鳴らして、倒れている私の近くで女が足を止めた。


「人の顔を見て逃げようとするなんて、失礼じゃない?」


 チヒロが指を鳴らすと、足の氷が溶けて地面に浸み込んでいった。私は覚悟を決め、彼女の方を向いて立ち上がった。


「体が勝手に……」

「余計に悪い」


 頬を引きつらせて歯を見せたチヒロが、マントの中で腕を組んだ。


「なんで戻ってきたのよ。もう大宇宙には来るなって言ったでしょう。それとも、本当に凍らせて『ドラム缶に詰めて』オイクオツ湾に捨てて欲しかった?」


 いつの間にか罰がレベルアップして、ドラム缶が増えていた。


「元の生活に戻ろうと努力もしてみたけど、いろいろあって駄目だったんだ……」


 大学も行ったし、阿部警備のアルバイトも再開した。しかし結局大宇宙の経験を無かったことにはできず、小宇宙から追い出される状況を作り出してしまった。

 チヒロは困った顔をした。


「この辺に落ち着いて話せる場所ってある?」




 私はチヒロを連れ、借りている宿に向かった。到着したチヒロはずかずかと部屋に入り込み、椅子に座って机の反対側を指差した。

 向かいの椅子に座り、彼女と別れた後、小宇宙で何があったかを話した。チヒロはいつぞやのように、つまらなそうな顔をしつつも相槌を打ちながら聞いていてくれた。


「馬鹿ね。小心者のあんたのことだから他は仕方がないとしても、芋虫なんて見捨てれば良かったのよ」


 話が終わると、チヒロは真っ先にそう言った。


「やっぱりそうなのかな。自分と同じで二つの世界を行き来しているから、仲間意識ができて情が移ったのかも。でもどっちにしろ、あの生活を続けていたら、いつかまた同じことが起きていたと思う」


 ベッドの上でシーツを被っている塊を一瞥した。珍しく暴れずに大人しくしている。


「それで、これからどうするの? 小宇宙に戻るなら、新天地の永住権でも住民票でも用意してあげるけど」


 小宇宙に帰っても、かつてのようにかつての場所で生活することはできない。チヒロは新しい生活場所の手配までできるらしい。限りなくブラックな匂いがするが、彼女のことだから冗談ではなく本当に作れるのだろう。


「できれば、こっちの世界で生活したいと思うんだけど……」

「勝手にすれば」


 怒られると思いつつもチヒロの顔色をうかがいながら言ってみたが、あっさり許可されて拍子抜けしてしまった。


「守れない約束をさせても無駄だもの。それにしても、よくラワケラムウに入れたわね。私が門番なら、こんな怪しい男は絶対に中に入れないけど」

「実際、追い出されたけどな。偶然ヌトさんと会って――」


 気になることがあり、途中で言葉を切った。

 革命を起こすにあたり、ルクアは四柱の二人が問題だと言っていた。チヒロが偶然王都に来ていたとは考えづらい。ルクアとヌトは彼女に捕まったのではないだろうか。


「昨日、ルクアさん達と会ったか?」

「会ったわ。二人と戦い、国王のところへ突き出したのは私よ」


 遠回しに尋ねたつもりだったが、見透かしたかのように返事をしてきた。喋っているチヒロはどういうわけか、憂い顔をしていた。


「二人が処刑されるっていう噂は本当なのか?」

「えぇ。でも、まだ騎士団の成員は牢の中にいるわ。あなたなら助け出せるんじゃない?」

「捕まえた当人がよく言うよ」


 何故二人が捕まっていることを辛そうに話すのだろう。連れ出すことを勧めるようなことをするのだろう。チヒロの真意が分からなかった。


「小宇宙の人間だろうが、大宇宙の人間だろうが、傷つけたくないんでしょう? だったら助ければいいじゃない」

「ルクアさんとヌトさんには死んでほしくない。そんなの決まっている。……でも騎士団の皆を解放すれば、また革命を起こそうとするんだろ? 俺は革命を応援したいわけじゃないから、結局どうしたらいいのか分からない」


 ルクアが話していた新しい国は、上手くいくとは思えない。かといって、どこをどう変えればいいのかなんて分からない。こんな状態で手を貸す意味は無いのではないだろうか。

 チヒロに促され、再び自分の考えを話した。



「妬む人間ていうのは、自分よりも相手が高い場所にいることを不公平に感じるから、相手を自分と同じ場所まで引きずり下ろそうとしているのよ。だったら、そんなことを考えつかないくらいに、棲み分けをはっきりさせてやればいいんじゃない?」

「それって、まさに今の国王の政策だろ。確かに、今まで妬みで被害を受けたことはないと思うけど、理想とはかけ離れているな」


 上の人間はさらに上を目指し、下の人間を嘲笑う。下の人間は上の人間の恨み言を並べ、下へと沈む。全ての人がマイナスに向かっている。望ましくはない。しかし言われてみれば、システムは限りなく理想に近い気もする。


「あとは神の代わりになる思想? 思想なんて、あんたが伝えたからってそう簡単に変わるものでもないでしょうに。そもそも、その二つを分けて考えているからいけないんじゃない?」

「同じ問題として考える……?」


 人々の妬みを抑えることができて、かつ神の代わりになりうる人生の指針。そんな都合のいい思想があるだろうか。

 今の王に足りないものはきっと、国民に対する意識だ。国民に足りないものは、自身を高める意識。双方のベクトルの向きを変えてやる。


「そう。そうか――」


 上の人間は下の人間が上に来れるように努力する。下の人間は上の人間を目標に努力する。全ての人がプラスに向かう。思想であり、身の振り方でもある。

 これがきっと、本来の人のあり方。

 頬が緩む。先行していた助けたいという意思に追いつき、俄然やる気が湧き出してきた。


「チヒロ、ありがとう!」


 ルクア達の処刑は明後日。あまり準備に費やす余裕はない。私は部屋の扉を開け放って駆け出していった。



「――ごめんなさい」


 部屋に残されたチヒロは、主のいなくなった室内で呟いた。


「悪い人間ね、私は。罪の意識を他人に取り除いてもらおうなんて考えているんだから……」




 和真はとある小宇宙の企業のビルの前にいた。時刻は深夜二時。ようやくすべての社員が退社し、建物の明かりが消えた。

 周囲を警戒しながら、忍び足で窓に走り寄る。鍵の周りにガムテープを張り付け、石を叩きつけてガラスを割る。できた穴から手を差し込み、鍵を開けて中に忍び込んだ。

 警報機の位置は昼間のうちに確認してある。足を止めずに魔術で小宇宙に送った。

 階段で地下に向かう。距離を確かめ、壁に手をついた。この辺りだろうか。扉の上には資料室というプレートがついていた。


「我は汝に啓示を与えるもの」


 カードを顔の前に掲げ、詠唱する。浮かび上がった光の点が四方に移動し、壁と重なって鏡が現れた。鏡面に足を踏み入れる。


 鏡の向こうは、月明かりすらない暗闇だった。空気が停滞しており、かび臭い。さらに蔵か氷室の中にでもいるかのように肌寒い。


「誰か――いるんですか?」


 眠そうなルクアの声が聞こえた。リュックサックから懐中電灯を取り出し、部屋の中を照らす。

 中は正方体になっていた。出入り口は天井に設けられた、分厚い鉄の扉しかない。部屋の中央に立つ太い柱の前後には、鉄の鎖で繋がれ座しているルクアとヌト。その周囲に『川』の字というより『驫』の字で雑魚寝する騎士団の兵士達の姿があった。


「カズマさんですか? どうしてここに……」

「ふわぁ。何一人で喋ってるんすかって、おぉ?!」


 ルクアが喋っていると、ヌトも目を覚ました。彼が騒いだせいで周りの兵士達も次々起きてきた。


「この前は、協力できず申し訳ありませんでした。どうしても納得できないことがあったんです」

「いえ、構いません。無理して戦うべきではありませんでしたから」


 ルクアは鎖を鳴らして私の前まで歩いてきた。


「でもその件も、ようやく片が付きました。僕にも革命の手助けをさせて下さい」

「本当に――よろしいんですね? ……よろしくお願いします」


 ルクアが手を差し出してきた。騎士団の兵士達が見守る中、互いの手が力強く握られた。


「ここに来て、頼もしい助っ人登場っすね! すぐにでも二度目の反乱を起こしましょう!」


 ヌトが威勢よく言った。兵士達も上気した様子で、賛同の声を上げる。


「それなんですけど、一日だけ待ってもらえないですか。戦力に当てがあるんです」

「構いませんよ。この場はあなたに頼むしかないようですから」


 再び場が静まる。私はリュックサックをひっくり返して、コンビニのおにぎりを取り出した。


「思ったよりも人数がいたので足りるか分からないですけど、これ皆さんでどうぞ」


 ビルから人がいなくなるのを待っている間、時間があったので買っておいた。24時間営業の便利さは素晴らしい。大宇宙ではこうはいかない。


「カズマ君がその戦力を揃えてくれるまで、僕らはこのまま捕えられていた方が都合がいいですよね。……これ、どうやって食うんすか?」

「そうですね。寒いところに取り残しますけど、すみません」


 ヌトからおにぎりを取り上げ、ビニールを取り除いて渡した。


「この際、一日でも二日でも変わらないっすよ。これ美味っ!」

「二日後は私達の処刑ですけどね」


 ルクアがぼそりと零すと、兵士達が笑った。彼らも見よう見まねで、おにぎりのビニールを外していた。


 おにぎりが無くなり、小宇宙に戻ろうとしているとルクアが話しかけてきた。ちなみにおにぎりはツナマヨが一番人気だった。


「氷のアクツオハミアヂとはお会いになりましたか?」

「はい。ルクアさん達を捕えたのは、チヒロだと聞きました」


 手伝う決心がついたのはチヒロのお陰であること、捕えたことを辛そうに話していたことを付け加えた。


「そうですか……。あなたには、彼女のことでお話しておくべきことがあります――」


 ルクアはそう言って、国王とチヒロの間で交わされていた契約について話し始めた。




 夜が明けた頃、湖畔にあるチヒロの家に辿り着いた。彼女は私の訪問に驚いていたが、すぐに地上階のリビングへ案内してくれた。


「騎士団を助けに行ったあなたが、どうしてこんなところにいるのかしら?」


 二つの木のカップを机の上に置き、チヒロは口を開いた。


「ルクアさん達の革命を成功させたい。力を貸してくれ」

「聞かなかった? 私は当人から計画のことを聞いて断ったわ。ちょうどこの場所で、こんな風に。……それでも手伝う可能性があるとでも思ったの?」


 チヒロはそう言って、馬鹿にするように鼻で笑った。


「この場所が大切だから、と断られたって聞いた。それって、土地と引き換えに国王に力を貸す契約をしているからだろ?」


 土牢でルクアから聞いたのは、この辺り一帯の開発を行わないことを条件に、チヒロが国王の雑務を引き受けていたという話だった。アンフィスバエナの任務を引き受ける際、彼女は遠慮が無くなってきたと零していたし、王は調子に乗って過剰に借り出していたのだと思う。そこに付け入る隙がある。現に、チヒロはすぐには私の要求を断らなかった。


「間違ってはいないわ」

「それなら、今度は断る理由はないよ。……今回は絶対に勝てる」

「へぇ」


 チヒロが革命軍に寝返れば、国王側の脅威はウィツタクのみ。さらにチヒロがウィツタクを抑えてくれれば、主力で国王を叩ける。チヒロは否定しなかった。


「チヒロにだってメリットがある。これからは王の無駄な任務を引き受けなくて済むから、観測者に専念できる」


 チヒロは腕を組んで顎をさすり、考え込んでいた。


「それって、革命軍に私の名を連ねることになるわよね」

「それがどういう?」

「今回だけ力を貸すだなんて都合のいい話はないでしょう? 今後、国の一大事には見て見ぬふりをできなくなってしまう。今以上に中庸の立場を取りづらくなってしまうわ」

「そう、だな……」


 中庸でなくなれば、静かにこの場所で暮らすこともできなくなってしまうかもしれない。今以上に悪化することもあり得る。そこまで考えていなかったので、曖昧な返事をしてしまった。

 断られると思った。しかしチヒロは拒否の言葉を続けなかった。


「あなたの家族の名前を教えてくれる?」


 唐突すぎて、彼女が何を言っているのか理解できなかった。ぽかんと口を開く。


「家族の名前!」

「なんでそんなことを聞くんだ? 父親は和也。母親は麻子。妹は――」

「もういいわ。やっぱりね」


 チヒロは勝手に納得し、再び考え込み始めた。

 父の名前を聞いた瞬間、彼女の瞳孔が広がっていたのを見逃さなかった。和也のことを知っているのだろうか。


「……力を貸すという話、引き受けてあげてもいいわ」

「えっ?!」


 引き受けてくれたことにも驚いたが、私の家族の名前を聞いて決心したことにはもっと驚いた。

 チヒロがにやりと笑って言葉を続ける。


「ただし条件が一つ。事が済んだら観測者の仕事を手伝いなさい。どうせやることなんてないんでしょう」

「うっ。……分かった」


 図星だった。このままヌトのヒモになっている訳にもいかない。大人しく頷いた。




 かれこれ二時間くらい険しい斜面を上っている。ここはミサゴダサ山とかいう山の中だ。禁忌とされている場所なので登山道なんてものはなく、かなり手間取っている。

 チヒロを仲間にした後、フィオを誘いに洞窟に向かったが不在だった。元々生活感が無い家だったので分かりにくいが、しばらく帰っていないと思う。

 昔のように村を襲っている可能性もあったが、もう理不尽な暴力は振るっていないと信じて彼女の実家(?)に行ってみることにした。そして以前交わした会話の内容を思い出し、禁じられた金山、ミサゴダサ山を登っている。


 木々の間を強風が吹き抜けていく。十字の影が枯葉で覆われた地面の上を走った。上空を見上げると、薄水色の空を背景にして紅の竜が飛び去っていくのが見えた。

 フィオだろうか。竜が飛んでいった方向に走る。


 葉々が切れ視界が開けた。吹き上げる強風に驚き足を止める。断層の急な崖になっており、地面と空が接していた。

 宙に突き出した崖の上には竜が鎮座していた。体はフィオよりもさらに一回り大きい。腰を落とし前足でバランスをとった、いわゆる犬座りをしているが、物憂げに立てられた長い首と、緩やかに弧を描いて地面に横たわる尾によって優雅で知性的に見える。体表を覆いつくしている赤い鱗は、所々傷が入ったり欠けており、歴戦の激しさを物語っていた。頭の後部に突き出したトゲは年季が入っており、立派だった。

 最強の竜――すなわち最強の獣、ワイバーン。


 不気味な縦長い瞳孔が浮かんだ金色の瞳がこちらに向けられた。背中から突き出している蛇腹に折り畳まれた骨が開き、赤味がかった膜が伸ばされる。体長の二倍以上ある翼が光を遮った。

 直感的に悟り、ぞくりと背筋が凍った。これは人間が対抗できる相手ではない。


 背を向け、崖に沿って全力で走り出す。

 竜が羽ばたいて地面を蹴った。大きさのせいで距離感がおかしい。見た目以上のスピードで前進すると、首を伸ばし、頭を横にして噛みついた。びっしりと生え揃った長い牙が根こそぎ空間を抉り取る。私がいた場所に生えていた木の幹が砕け、地響きを立てて倒れる。

 竜が私の方に向き直る。開かれた口の端から、無残に粉々になった木片がこぼれ落ちた。


「――お父さん、ご飯の準備ができましたよ。あら、お客さんが来てるんですか?」


 突然林の中から、緊張感のない抜けた声が聞こえてきた。ワイバーンが頭を低くして急に大人しくなった。

 木々の間から一人の女性が歩いてきた。髪の色や顔つきの辺が、どことなくフィオに似ている。女はワイバーンに近づくと、とびきりの笑みを浮かべて太い首に抱きついた。竜も目を細めて幸せそうにしている。

 私は言葉を失い、唖然として眺めていた。竜のことを父と呼んでいたし、彼女がフィオの母親なのだろうか。


「さ、あの子も待っているし、早く帰りますよ」


 竜が頷き、女を背中に乗せた。飛び去られる前に慌てて話しかける。


「すみません! あの子って、フィオ――いや、悪魔と呼ばれていた勝気な女の子のことですか?」

「ナビチちゃんのこと? そうですけど、あの子の知り合いの方ですか?」


 ナビチ。聞いたことのない名前だが、多分フィオのことだろう。放任主義だから名前が無いなんて言っていたが、立派な名前を持っていたようだ。しっかり記憶に焼き付けた。


「はい。彼女と会わせて下さい」

「あらあら、男の子に足を運ばせるなんて罪な子。いいですよ、一緒に行きましょう」


 女性は竜から降りて、林を指差した。


 女に案内され、林の中を歩いてフィオもといナビチの家に向かう。後ろからワイバーンが地面を揺らしてついてくるのが気になる。

 まず、お互い自己紹介をした。彼女の名前はニニケスという。金山の開発をしていた頃にワイバーンと出会い、お互い一目惚れして結婚に至ったらしい。のろけ話を延々と聞かされた。

 家に着くまで、もうしばらくかかるようだったので、ずっと気になっていた育児方法について尋ねることにした。ナビチは小学生にも満たない年齢から独り立ちさせられていたという。過度な放任主義には何かやむを得ない理由があったのだろうか。


「娘さんって、その、独特な性格に育ちましたよね。お父さん似というか……」

「でしょう、でしょう? よく見ているんですね。あなたもそれに惹かれた口?」


 別に褒めたつもりはないのだが、母親は何故か嬉しそうだった。


「はぁ、まぁ。聞けば、幼い頃から一人で生活していたとか」

「それについては私もちょっとだけ申し訳ないと思っているんですけど、旦那とイチャイチャしたくてさっさと自立させたんですよ。豪胆な子になってくれて、結果オーライだったんですけどね」


 顔に出ないようにするのが難しいくらいに、いらっとした。やむを得ない理由なんてない、単なる駄目親だ。それ以上詳しく聞くのは止めた。


 到着したのは小さな木造の家だった。庭には畑があり、近くには小川が流れており、不便なく生活できそうな環境が整っている。

 家の中に入ると、母親は一足先に廊下を走っていってしまった。私は家の外にいるワイバーンの視線を背中に感じながら、扉を後ろ手に閉じた。


「ナビンちゃん、男の子のお客さんよ! まったく隅に置けないんだから!」

「あたしに客?」


 中から母親の大きな声が聞こえてくる。林の中で聞いたものと、微妙に名前が変わっていた。改めて記憶に焼き付けた。

 後を追って部屋に入る。リビングだったようで、部屋の真ん中に可愛らしい丸机が置かれている。椅子に座っているフィオもといナビンに、母親が興奮気味に話しかけていた。

 ナビンはこちらを振り向き、幽霊でも見ているかのような珍妙な顔をした。


「――なんでここにいる?!」




 家の中は見せたくないというナビンの希望で、外で話をすることになった。二人で畑の端の土手に腰かける。軽くお互いの近況について話し合い、私は今王都で起きていることを伝えた。


「お前が革命を手伝ってくれれば百人力なんだけど……」

「悪いけど、もうカズマが期待してくれているような戦いをすることはできないぞ」


 ナビンは自虐的に笑い、鼻からため息をついた。そして私が彼女の元を去った日、王都の前で何があったのかを語りだした。

 あの日、門の前に集まっていた兵士達が対峙していたのはナビンだったと知り、驚いた。魔力を失ったのは、あのタイミングでいなくなった私のせいでもある。誠心誠意謝ろうとしたが、自身の慢心のせいだからと跳ね除けられた。


「今のあたしじゃ戦力にはなれない。他を誘ってくれ……」


 以前の傲慢な性格が嘘のように、しおらしくなっている。私が引き下がったら、その後は彼女は心に大きな傷を抱えたまま、山中でひっそり暮らしていくのだろうか。やりきれない思いが募る。


「戦力として期待していないと言ったら嘘になるけれど、誘った理由はそれだけじゃない」


 口を開くと、ナビンは俯いていた顔を上げた。


「俺達はサライの町で、人々の妬みに負けた。取るべき行動の答えが分からず、もう同じ生活に戻れないほどに打ちのめされた。……でも革命で目指す思想を考えていた中で、ようやく答えらしいものを見つけることができたんだ。今度はラワケラムウでそれらと正面から戦いたいと思ってる。だから俺はもう一度、お前と一緒にやり直したい」


 そして私が密かに憧れていた、前のような血気盛んな彼女に戻って欲しい。と、そこまで吐露はしなかったが、一気にまくしたてた。


「まぁ助けようとしているのは、お前の力を奪ったのと同じ人だから、あんまり強くは誘えないんだけど……」


 ナビンは落ち込み具合からして、かなり魔力を奪った人間を恨んでいる気がする。そのことで断られたらどうしようもないと思いながら、付け加えた。


「――今のあたしじゃ、町一つまともに滅ぼせないぞ」

「滅ぼさなくていい。王様一人を取り換える、簡単なお仕事だ」

「――四柱と同じくらいの、糞みたいな魔力しかないぞ」

「十分すぎるだろ。人類の九割九分九厘は糞以下だと言いたいのか?」


 冗談交じりに答えていると、彼女が立ち上がった。


「仕方が無いな」


 ナビンがぽつりと呟いた。やむを得ないと言うものの、口の端が吊り上がるのを一生懸命隠そうとしており、どこか嬉しそうだった。


「事が済んだら、前みたいに何でも屋を再開しないか?」

「それも悪くないけど、先約があって……」


 二人で行き当たりばったりの暮らしをしていた、あの頃を懐かしいと思うことも多い。戻りたいと思う気持ちもある。とはいえ、彼女のところへ来る前にチヒロも誘っており、彼女の仕事を手伝う約束をしていたことを話した。


「やっぱり、やめた!」


 ナビンの機嫌が突然悪化し、大股で歩き出した。どうやらルクアよりもチヒロのいることが気に食わないらしい。慌てて追いかける。


「そんなにお前ら仲が悪かったのか?」

「……あたしも条件を付ける」


 困って頭を掻いていると、ナビンが振り返って口を開いた。


「もうサライの時みたいに、勝手にいなくなるな。尻尾の先の代わりとかじゃなくて、ずっと一緒にいて欲しい」


 勝手に一人で追い詰められて出ていったことは、私だって後悔していたことだ。大きく頷いた。




 ナビンと共に王都に戻ることになった。彼女は家の陰から鼻先を出して覗いているワイバーンに手を振り、家から出てきた母親に声をかけた。


「行ってくる」

「気を付けてね、ナナちゃん」


 ナナ? 思わず言葉を交わしている二人を見比べてしまった。完全に名前が変わっていた。記憶に焼き付けた方がいいのだろうか。

 フィオもといナナは気にした様子もなく、家に背中を向けて歩き出した。


「呼ばれる度に名前が変わっている気がするんだけど?」

「あの人は、その場その場のインスピレーションで呼んでるだけだからな。言っただろ、名前なんて無いって」


 ニニケスは私の中で、駄目親のもう1ランク下の何かになった。

 そして日が暮れ、ルクアとヌトの処刑の日になった。

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