0115:暴虐の終わり
私はフィオのもとから逃げるように立ち去り、行くあてもなくふらふらと歩き続けていた。
一晩経って、改めて町での立ち振る舞いを思い起こしてみたが、やはり私達は悪くなかったと思う。間接的にはウィツタクの恨みを買ったフィオにも責任があるのかもしれないが、直接的には根も葉もない噂を信じて妬んできた町人達に非がある。事務所に火を放った犯人は彼ら以外に思いつかず、フィオが暴虐の限りを尽くしたのも仕方がなかった。
だったら、私はなぜ彼女のもとを去ったのだろう。嫌いになったのではない。行動を責めたのではない。だったら立ち去る必要はなかったのではないだろうか。
体は洞窟と反対の方向に進んでいる。
理屈では納得できても、感情はごまかせない。手の中をすり抜けていった、フィオの赤い尾が脳裏に浮かぶ。私は止められなかった自分に苛立ちを覚えていた。
草原の丘を越えると、高い塀に囲まれた巨大な町が見えた。高台になった中央には石造りの城がそびえ、周囲の斜面を多くの家が囲んでいる。大宇宙に来てから尋ねたどの町よりも一回りも二回りも大きい。塀は石のブロックを積み重ねて建てられており、家の屋根よりも高かった。塀の対角線上には、これまた大きな二つの金属製の門が設けられている。
様々な格好をして様々な荷物を持った人々が門を通って中に入っていく。その中の、偶然前を通りかかった気立てのよさそうな中年の女性に話しかけた。
「すみません、ここってなんていう町なんですか?」
「へ? 王都ラワケラムウを知らないなんて、お上りさんかい」
おばさんは物珍しそうな目を向けてきた。ラワケラムウといえば、王国の首都であり、確かルクアが騎士団長を勤めている場所だったと思う。
「ここはラワケラムウ。ここいら一帯の町や村を治めている、オナキマニム王国の王がいる町だよ」
おばさんは私が黙っていることを勘違いしたのか、足を止めて説明してくれた。私はお礼を言って、人々の列に混ざった。
町の中に入っていった彼女に続いて、しらっと通ろうとしたところ、門の脇に立っていた男達が慌てて駆けつけてきた。門番のようで、槍を手にし、金属板を組み合わせた鎧を身に着けている。鎧の胴の部分には、どこかで見た獅子みたいな紋章が刻まれていた。
「待て、通行証はどうした?」
言われてみれば、おばさんをはじめ町に入っていく人々は、文字の書かれた木の板を提示していた。持っていないと素直に答えると、案の定通ることはできないと言われた。
「分かりました。じゃあ、ここにルクアさんを呼んでもらうことってできますか?」
ここを去っても行くあてもないので、ルクアに会っておきたいと思った。
「お前みたいな田舎者に会わせる時間なんて、貰えるわけがないだろう。さぁ、村に帰った帰った」
門番は警戒心を露わにして、槍の柄を乱暴に押しつけてきた。私は足が絡み、尻餅をついて転んだ。門を通っていく人々が不思議そうに横目で眺めていく。
「――なんかあったんすか?」
軽い感じのする男の声が聞こえ、私と門番が振り向いた。人々の列の中から一人が抜け出して歩み寄ってくる。
その男も、トカゲのような模様が描かれた鎧を身に着けていた。白い髪は肩まで伸びており、また中性的な顔立ちをしていて、声を聞かなければ女だと思ったかもしれない。垂れた前髪を掻き分け、額の中央に一本の尖った角が生えていた。
「ヌト様……」
門番が驚いた様子で声を漏らした。彼よりも立場が上のようだ。
ヌトが門番を流し見て、私に視線を移す。そして顔を見た瞬間、彼は息をのんだ。
「あれ、ひょっとしてあんたは、あの妙な町で会った――?!」
会ったことがあるらしい。角を生やした人間なんて忘れようがないと思うのだが、記憶を辿っても思い出せなかった。
「僕ですよ、元の場所に戻してもらった。えぇと、分からないかな。あの時はユニコーンの姿をしていたんですけど」
「あぁ」
小宇宙の公園で会った馬の化け物のようだ。言葉が通じたように感じていたが、やはり獣の血を引いた人間だったらしい。魔術を使って大宇宙に送っていて、本当によかったと思う。
「いやぁ、あの時は本当に助かりました。ありがとうございました」
ヌトは頬を掻きながら礼を言うと、門番の方を向いた。
「彼の通行証は後で手配をしておくんで、通してあげて下さい。命の恩人なんすよ」
「あなたがそうおっしゃるなら……」
門番はしぶしぶ門の横の定位置まで戻っていった。ヌトの後に続き、門を通って町の中へ入る。
「すんません。出稼ぎに来る田舎者のせいで治安が悪くなって、最近は通行証が無い者は通せない決まりになってるんですよ」
正面に続く石畳の大通りは、坂の上の城まで続いている。道はよく手入れされているし、両脇の家々も綺麗で感心させられた。
泊まる当てがないことを伝えると、ヌトは宿の手配までしてくれた。大通りから少し外れたところにある、歴史のありそうな建物だ。
ヌトは窓枠を揺らして、歪んで開かなくなっている窓を開こうとしていた。
「知り合いがやってる店なんですけどね、こんな風に建物自体は古いんだけど、飯は美味しいんすよ」
ようやく窓が開け放たれる。気持ちのいい風が部屋の中に入ってきた。
「改めて自己紹介させて下さい。ラワケラムウの副騎士団長を務めている、ヌトです」
「カズマです。宿まで手配してもらって、本当にありがとうございます」
この優男が騎士団のナンバー2とは内心驚いた。どうりで門番がへこへこしていた訳だ。
「いやいや、命の恩人に対してこの程度のことしかできなくて申し訳ないっす。必要なものがあったら何でも言ってくださいね」
門番には無碍にされたが、彼ならルクアと話す機会を設けてくれるだろうか。早速お願いしてみることにした。
「お言葉に甘えてちょっと聞きたいんですが、副騎士団長ということはルクアさんを知ってますか?」
「知ってるも何も、上司っすよ。命の恩人のことは彼にも話してあったんで、今度紹介しますね」
窓の外から吹奏楽器の高い音が聞こえてきた。ヌトが慌てて窓枠から上体を乗り出す。
「あれは何をしてるんですか?」
塀の向こうで兵士の軍団が隊列を組んでいる。ヌトの表情が険しくなった。
「もう少ししっかりお礼を言いたかったんですが、それどころではなくなってしまったみたいっすね。すんません、ちょっくら席を外します」
ヌトが外へ駆け出していった。私は一人部屋に残され、首を傾げていた。
一度目の羽ばたきで体が宙に浮かび、二度目の羽ばたきで森を抜けた。フィオは人の姿のまま空を飛んでいた。絶えず首を振って地表の構造物に視線を走らせている。
「弱っちぃくせに、一体どこをほっつき歩いてるんだ……」
昨晩彼女は、尻尾の先っぽの代行を辞めると言った和真を黙って送り出した。切れていた尻尾は元に戻り、戦闘能力も以前のレベルまで戻ったのだから、もう子分は必要ないはずだった。しかし元の生活に戻ろうとしたが、村を襲う気にもなれず調子が戻らない。隣から口煩く指示が出されないことに喪失感を感じ、気付けば和真の姿を探していた。
眼下に、塀に囲まれた都市が見えてきた。空高くからでもはっきりと存在を確認できる、王都ラワケラムウ。食料の確保には不向きで敬遠していたので、かなり久しぶりの訪問になる。フィオは翼をたたみ、地面に降り立った。
全身から魔力を放出し、都市全体に魔法を走らせる。膨大な魔力に物言わせた、超大規模な探知。目を閉じて街行く人々の魔力を解析する。
「いたッ――」
大きななりをしながら子供より魔力の少ない男。すぐに判明し、フィオは口端を上げた。以前にも、こうして彼の姿を探していたことがあったなと、彼女は懐かしく感じていた。
町の入口に向かったところ、門の前で兵士達が陣形を組んでいるのが見えた。三百人近くいるだろうか、なんとも仰々しい。何か事件でもあったのだろうかと思ったが、すぐに目的は自分であると気付いた。しばらく馴れ合っていたので、彼女は刃を向けられる立場であることをすっかり忘れていた。
先頭には指揮官と思しき二人が立っている。一人は見たことがない翼の生えた男、もう一人は件の鉄の大魔法使いだった。
「先日は、ずいぶん小賢しいことをしてくれたみたいだな」
フィオがウィツタクに話しかける。
「確かに小賢しかったわね。あれくらいじゃ、私の受けた苦しみは少しも返せなかったもの」
二人は口元だけ引きつらせて不気味に笑いあった。
「――すぐに立ち去りなさい」
緑色の翼を生やした男、ルクアが口を開く。フィオは笑うのを止めて、彼の方を振り向いた。
「別に町を壊しに来たんじゃないんだから、通してくれる?」
断られることは察しているものの、フィオは一応交渉を試みた。彼女が声を発しただけで兵士達の腰が引けた。
「それは無理な相談です。貴方が十年前にしたことを忘れたとは言わせません」
尻の青い時の記憶なんてろくに残っていないが、この町でも何か仕出かしていたらしい。フィオは首を傾げた。
「そうですか、忘れましたか。……それなら私がお教えしましょう。十年前、鉄壁の要塞と言われていたこの都市は、たった一人――それも、たかだか十歳の少女の手で攻略されました」
男は額に青筋を浮かべていたが、冷静を装って言葉を続けた。
「町に貯蓄されていた食料の半分と引き換えに、都市は存続することができましたが、先代の騎士団長――私の父と兵士の多くがその戦いで殺されました。……その少女というのは、あなたのことです、悪魔」
「そんなこともあったっけ。だったら、今回は素通りさせてくれないか?」
フィオにとってその言葉は、人々と共に生活したことからきた親切心のつもりだったが、ルクアは怒りを通り越して眩暈を起こしていた。
「……貴方が再び王都を攻めてきた時の為に、私達は対処方法を考えました」
ルクアが短剣を正面に構え、腰を落とす。鮮やかな緑色の翼が目一杯広げられた。
「あたしを倒す方法? へぇ……」
たいした魔力も持たない人間が、たった一人で世界最強の生物をどうこうしようとしている。ただのハッタリにも見えず、フィオは興味を持った。
ルクアが地面を蹴って飛び出す。前方に空気の層を生み出し、空気抵抗を低減。ウィツィロポチトリの力を最大限に発揮し、高速で羽ばたき急加速。音速に近いスピードで突進する。
フィオの目には全て映っていた。余裕をもって回避するだけの身体能力もある。しかし彼女はあえて避けなかった。短剣の切っ先が額を撃つ。
雪でも降っているかのように、輝く塵が舞い散っていた。砕けた短剣の刀身だ。
「――やるな。少しだけ痛かった」
フィオが口を開いた。彼女の額から、細く赤い筋が流れた。
「対策は失敗だ。大人しく道をあけるか、あたしの炎で燃えろ」
フィオは人差し指を立てて、ルクアに向けた。指先に魔力を集める。しかし魔力を込めても抜けていき、さらに魔力を込めた。まるで穴の開いた鍋に水を入れているような違和感がある。
ようやく指先に灯った炎は、ただの気の緩みで掻き消えた。
「……何をした?」
これは、彼の言っていた対処方法とやらのせいなのか。フィオはルクアを睨んだ。
「魔力の封印です。あの短剣の切っ先には、ア・バオ・ア・クゥーの欠片が埋め込まれていました。魔法医学によれば、魔力は頭の中で生成され、眉間から放出されているといいます。あなたに撃ち込んだ欠片は、一生魔法の使用を阻害し続けるでしょう」
フィオが舌を鳴らし、傷口から欠片を掻き出そうとする。しかし後の祭りだった。元々小さい傷であり、竜の治癒能力のせいもあって傷口は完全に閉じている。
「よし、行くぞ!」
「覚悟しろ!」
「待ちなさい! まだ――」
悪魔を世界最強たらしめている魔法は封じられた。先頭にいた男達が剣を構えて走り出した。ルクアが止めようとするが、名声に目が眩んだ兵士が彼の言葉を無視して向かっていく。
「くそっ!」
フィオは唇を噛んだ。向かってくる兵士達に手の平を向けるが、『いつものように』炎は出てこない。焦り、町ごと燃やすつもりで魔力を込めた。
熱気をともなった赤い光が草原を走る。一人の兵士が炎に包まれ、悲鳴を上げた。フィオの手から噴き出したのは、炎だった。
「は、はっ――! 何が魔力の封印だッ! やりづらくなっただけじゃないか!」
呆然として足を止めた兵士に人差し指を向ける。指先から光が放たれ、一帯の地面ごと弾け飛んだ。
「アクツオハミアヂ、どういうことでしょうか?!」
ルクアは兵士達を下がらせながら、戦闘が始まってから微動だにしていないウィツタクに尋ねた。
「あまりにも魔力が莫大で封じ切れなかったみたいね。それでも見たところ、四柱レベルまで落ちいてると思うわ」
言い終えると、ウィツタクは黒いマントの間から手を差し出した。瞬間、三体の鎧が形作られ、彼女の周りに現れた。
鎧達が背中に差されていた剣を抜き、上段に構えてフィオに襲いかかる。
「懲りずにまた鎧か。くだらないッ!!」
フィオが地面を蹴る。一歩で間合いに入り、鎧が反応する前に拳で側頭部を打ち抜いた。吹き飛ばされた鎧が、残りの二体の鎧を巻き込んで転がっていく。
「力はそのまま、と」
ウィツタクは、もつれ合った鎧を横目で追いながら冷静に分析していた。
「魔力は四柱レベル、力は竜レベル。ようやく人類が対抗できる領域に到達したといったところでしょうか」
ルクアが新しい短剣を背中から取り出し、腰を落として構えた。ウィツタクも両腕をマントの外に出す。兵士達も警戒しながらじりじりと前に出る。
魔法の威力が激減したことは、当人が一番よく分かっている。フィオは迷った末、このまま大人数を相手にするのは無謀だと判断した。
「お前の名前は?」
「ラワケラムウの騎士団長、ルクアと申します」
「ルクア――、覚えた。今度会うときは、戻った力で町ごと滅ぼしてやる」
フィオが翼を広げて羽ばたく。強風が巻き起こり、兵士達が転んで尻もちをついた。
「逃げるつもり? せっかくここまで来たんだから、最期まで続けましょうよ」
ウィツタクが飛び上がったフィオに歩み寄る。その肩をルクアが掴んだ。
「深追いは禁物です。退きましょう」
「でも……」
「いくら魔力が半減したといっても、悪魔の戦闘能力は尋常ではありません。こちらの主力全員であたらなければ凄惨な被害にあうでしょう。あなたの悪魔に対する執念は分かっているつもりですが、ここは私に免じて退いてください」
ウィツタクは黙って考え込んでいたが、悔しそうに背中を向けた。既にフィオの姿は雲に隠れて見えなくなっていた。
「すんません、遅れました」
兵士の間から間の抜けた声が上がった。ヌトが二人の元へ小走りでやってくる。
「遅いですよ。王都が危機にさらされていたというのに、どこで何をしていたんですか? ア・バオ・ア・クゥーの欠片が無ければどうなっていたことか」
ルクアがため息をついて迎えた。
「それが、さっき偶然命の恩人と再開して、町の案内をしていたんですよ。ほら、騎士団長には話したでしょ」
ヌトが喋っていると、ウィツタクが彼を睨んで立ち去っていった。背中を見送り、ルクアが再びため息をついた。
「えぇー。僕、なんかまずいことしました?」
「後で話します。撤収の指示を」
私はヌトから紹介された宿を拠点に、しばらく王都で生活することになった。国の都ということで皆行き届いた生活をしているのかと思っていたが、裕福な暮らしをしているのは国政に関わる一部の人間だけのようだった。城に近い斜面上部には高級な家屋が立ち並んでいるが、下部では薄汚い小屋が町を囲っている。貧しい人々の住宅街は高い壁によって覆われており、町の外から見えないようになっているので、臭いものに蓋をしているかのように感じた。実際満足に光も届かず、常にかびの臭いが充満している。兵士が下りてくることは稀で、衛生も治安も悪い。
王は世襲らしい。せめて目の届く王都くらいは隅までしっかり管理しろと思うのだが、彼は斜面上部の地域ばかりを優遇し、まるで逆のことをしている。貧しい人々に尽くしても見返りがないが、富んだ人々に尽くせば献金が入るからだろうとヌトは言っているが、そういう問題なのだろうか。
町を歩いていても、王や斜面上部の人間達の悪い評判ばかりを聞く。また上だけ衛生設備を整え始めただとか、集めた金で豪勢な生活を送っているとかだ。突拍子もないものも少なくない。私はというと、サライの町のことを思い出して嫌な気分になっていた。憤怒、憎悪、非難、嫉妬。人の集まるところには、いつもこれらが付きまとっている。
宿で休んでいるとノックの音が聞こえた。開けた扉の前にいたのは、ルクアとヌトだった。尋ねてきた側にも関わらず、ルクアは私以上に驚いていた。
「ルクアさん、お久しぶりです」
「はい、アンフィスバエナの一件以来ですね。まったく驚きました。副騎士団長の恩人に礼をしようと思って来たのですが、あなたでしたか」
そういえば王都に来た日、紹介してもらう約束をしたきり忘れていた。
「ありゃ、知り合いだったんすか?」
ヌトは私達の顔を見比べて、呆けた声を出していた。
私達の知り合ったきっかけをヌトに話しつつ、近況の話をした。チヒロが私を探していると聞き、背筋が冷たくなった。
「ところで、カズマさんに大切なお話があります」
ルクアは窓を閉め、廊下を確認してから扉を閉じると、厳粛な面持ちをして話しかけてきた。ヌトが慌てて口を挟む。
「彼もあの計画に?」
「彼は四柱に匹敵する力を持っています。仲間になってくれるのであれば、これ以上頼もしいことはありません」
四柱に匹敵する力を? 私が? ルクアはジョークを言っている様子ではなかった。ずいぶんと高く買ってもらっているようだが、実際のところは魔法もろくに使えないヘッポコ魔術師である。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ヌトが黙ったので、ルクアが改めて切り出した。
「あなたは、この国をどう思いますか?」