0002:魔術師見習いという名のタダ働き、はじめました
私はアルバイトの面接に訪れた阿部警備保障の高妻事務所で、うろたえた面接官を見下ろすという常軌を逸した状況に陥っていた。
いつの間にかキーボードを叩く音も止んで、部屋の中は緊張と静寂に包まれていた。しきりの向こうで二人も聞き耳を立てているのかもしれない。遠くで走っている車の音だけが聞こえていた。
「……松尾の住宅街で会ったお兄さんか。お久しぶり。いやぁ、こんなところでまた会うなんて、世の中狭いもんだねぇ」
山下さんは何事も無かったかのように元の表情に戻り、咳払いをしてから言葉を続けた。
この白々しい態度は間違いない、彼らはあの場で何があったのかを知っている。自分が何故、今の今まであの化け物のことを忘れていたのか分からないが、今度は煙にまかれないように気合を入れた。再び椅子に腰掛けて口を開く。
「大きな声を出してしまってごめんなさい。それで、あの化け物はなんだったんですか?」
「何のことだい。君は覚えていないようだけれど、私が話しかけたのは君が道で倒れていたからなんだよ。……夢でも見ていたんじゃないかな。あんまりおじさんを困らせないでくれ」
大げさに両手の平を上に向けて山下さんが言う。あくまで化け物のことは隠すつもりらしい。いや、それ以上踏み込まないようにと、私に警告してくれているのかもしれない。
この話題について話すことを止めれば、再びあの光景を忘れられる気がする。
「あの席の――、栗原さんでしたっけ。彼女も一緒にいましたよね? あのアームカバーの模様もはっきりと覚えているし、確かなはずです。ダイナマイトは手の中で爆発したように見えたんですが、どうやって化け物の顔を削ぎ取ったんですか?」
それでも今更引き返すつもりはなかった。喋りながら、ついたての向こうを指差した。さすがに言い返すことができないようで、山下さんは再び苦々しく口元を歪めて沈黙してしまった。私の後ろに視線を移し、何やらアイコンタクトを送っている。
振り向くと、青木さんと栗原さんがしきりの陰から顔を出していた。二人とも首を横に振って、多分、お前の負けだというジェスチャーをしている。
「やれやれ、少し一線に近づきすぎていたように見えていたけれど、やはりこうなってしまったか。……あの化け物は、いや、あれらの化け物共は、諸説あれども僕は神の使いだと思っている」
山下さんがようやく化け物の話を始めてくれた。だいぶ渋りながらではあるが。
「神の使い……ですか?」
神なんて言葉が出てくるから急に胡散臭くなった。しかし実際に目にして、実際に殺されかけたのだから一笑に付すことはできない。結果として苦虫を噛み潰したような顔をして聞き返していた。
「あの化け物共はもともとこの世界のどこにも存在していなかった。分かっていることは、奴らは空にできた裂け目を通って何処からかやってくるということだけだ。裂け目の向こうのことは何も分かっちゃいないが、我々はそこを錬金術の呼称を借りて『大宇宙』と呼んでいる」
話を理解できず首を傾げていると、山下さんはそう呼ばれるようになった経緯について説明してくれた。
伝説的な錬金術師であるヘルメス・トリスメギストスは『大きな世界』に対比させて、人間を小宇宙と名付けた。何故なら、太陽と月に対して右目と左目、骨や肉に対して山や丘というように、人間には世界に対応する器官が存在しているからだ。
裂け目を通って現れる化け物はどこか、この世界で暮らしている動物に似ている。そのため彼らのいた世界を、我々人間の世界――小宇宙と対比させて大宇宙と呼ぶに至ったそうだ。
「化け物が小宇宙に現れる目的については、色んな人が色んな面白いことを言っているんだけど、怪物は喋れないんだから結局想像の域を出ないんだよねぇ。僕は、『神が人を戒めるために送っている』っていう宗教観の入り混じった説が好きだけど」
人類に警告を与える神の代理、それで『神の使い』。宗教観が入り混じったというのは同感だが、納得した。
「そういえば、なんで僕は化け物のことを忘れていたんですか? それに、化け物って全然世間で騒がれていませんよね。山下さん達が何かしているとか?」
「永田君は、見えたりする方? 幽霊とか天使とかオーラとか」
質問を質問で、それもオカルチックな質問で返されるとは思っていなかったので、数秒の間固まってしまった。
「いえ、これまでの人生の中では一度も。幽霊とあの怪物にどういう関係があるんですか?」
「見える人間と見えない人間がいるという点だね。――今の世界は科学で証明されることによって広げられているけれど、まだこの世界には私達の認識できないものがたくさん存在している。実際いるのかどうかも分からないけど、ここでは幽霊というのは可視光域外の電磁波で構成されているんだと仮定しよう」
人の眼は電磁波の内、可視光線と呼ばれる紫外線と赤外線の間のごく一部の波長の光しか知覚できていない。山下さんが話しているのは、『幽霊とか天使とかいうのは、特殊な人間や装置が可視光域外の電磁波を捉えたのにすぎないのではないか』なんていう、いかにも科学主義的な説である。まぁ仮にすべての波長を認識できたとしたら、電磁波過敏症人間には卒倒もののカオスな光景が広がっているだろうが。
「するとどうだろう。幽霊と呼ばれるものは確かに存在しているのに、大半の人間はそれを知覚できないということになる」
私はあの交差点で姿を知覚するまで、化け物のことを認識していなかった。山下さんはそう言いたいのだろう。しかし私は特殊な装置を用いることなく化け物の姿を視覚で捉えることができた。天使や幽霊とは前提条件が違う気がする。
まるで疑問を抱いているのを見透かしているかのように、山下さんが言葉を続けた。
「生物が発生する前の世界は、もともと連続した一つの存在だった。そこに生物の必要性に応じて区切れ目を入れ、名前をつけていくことにより認識は行われる。では、その逆はどうだろう。必要性の無い存在は世界から切り離されず、名前をつけられず、認識が行われない。……下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし。見えないものは信じられない、信じないものは見えてこない」
「命の危機に瀕したから、必要に迫られて世界のその一角に区切れ目を入れたということですか?」
なけなしの頭をフル稼働して求めた答えを漏らすと、山下さんは満足そうに頷いた。
「なんとなく分かりました。……じゃあ、山下さん達はあの時何をしていたんですか? 僕からあの化け物のことを忘れさせようとしているように見えましたけど」
「阿部警備保障は表向きは警備会社ということになっているけれど、その実、国に害をなす面妖な脅威を滅ぼすことを生業にしているんだ。正直眉唾ものだけど、その前身は陰陽寮で、1300年もの間続けているなんて上層部は言っている。安倍晴明の『あべ』だなんてね。まぁそれはともかく、我々はここ高妻の担当として、市民をマクロコスモスの化け物共から守っている」
「五人だけで、それも大した装備も無しにですか?」
ここの名前が高妻事務所と言うからには、入り口前の机が四台、それと山下さん、たった五人だけであの怪物と戦っているということになる。
正面に座っている紳士を頭の先からつま先まで眺めた。とても戦闘に向いた体つきをしているようには見えない。
「いいや、今は三人だよ。装備は無くても我々には魔術がある」
魔法、魔術、妖術、呪術。漫画やアニメでしか目にすることのない不思議な力。しかし現実に怪物を見てしまった今では、それらも実在することを信じざるを得ない。あのダイナマイトを使ったものが魔術と呼ばれるものだったのだろう。
あの青木さんも、栗原さんも、そして山下さんも、選ばれた特別な人達。そう思ったら、目の前の紳士に少し嫉妬を覚えた。私も特別な人間でありたかった。自分の信念を貫けるだけの力が欲しかった。
「――君の夢は?」
考え込んでいたところに話しかけられ、慌てて顔を上げる。山下さんの指差す先、窓際の小さな机の上に視線を移した。
それは、ただの壷だった。一輪挿しの小さな花瓶。側面に、栗原さんのアームガードに描かれていたものに似た、ごちゃごちゃした円の模様が刻まれている。
ごくりと唾を飲み込んだ。体の奥に何かが芽吹いたような、高揚に似た感覚がある。この図柄を見たせいだろうか。
「世界が正しい方向に進めるように導くことです」
質問の答えを言い終えてから、恥ずかしさで口をつぐんだ。いつもだったら地に足のついた夢を答えるところだが、今日はどういう訳か本音を話してしまっていた。この風変わりな雰囲気に酔わされただろうか。
失笑されるかと思ったが、私の返答を聞いた山下さんは不思議と優しい表情をして頷いていた。
永田和真はビル前の歩道まで自転車を押していくと、またがって走り出した。山下、栗原、青木の三人は事務所の窓からそれを見下ろしていた。
「世界を導くって! あはは、お前は中学生かっ!」
建物の陰に入り姿が見えなくなると、栗原がからかうように笑い声を上げた。
「そう人の夢を笑うもんじゃあないよ」
彼女には聞こえが悪いかもしれない。思ったことは心の中に留めておき、山下はいつものようにのんびりした口調で答えた。
「それで、あの夢見る青年は使えそうなの?」
「意思もはっきりしているし、真面目そうないい青年だったよ」
「誰が面接した感想を教えろって言ったのよ。あたし達のチームに相応しいかって聞いてんの」
栗原が眉間を押さえて苛立たしげに言う。
永田和真は面接がお開きになったと思い込んでいたようだったが、それは違う。怪物の存在を認識している人間はとても貴重で、この手の業界では引き手数多である。情報が渡れば市外の事務所はもちろんのこと、おかしな宗教団体まで勧誘に来るだろう。
その前に彼らは見極めなければならない。永田に、怪我で入院したアルバイトに代わって仕事をできるだけの技量があるのかどうかを。
「魔術のことかい。人となりの方が大切だと思うんだけどなぁ。……机の上を見ての通りだよ」
栗原はしばらく辺りを見回したり、窓際の机の上を漁っていたが、やがて手を止め、山下を睨んで口を開いた。
「動作確認の壷は?」
「彼を見送っている間に消えてた」
山下の返答を聞き、それまで興味無さそうに黙り込んでいた青木が、目を輝かせ興味深々に部屋の中を歩き回り始めた。山下はニコニコして見守り、栗原は口元を歪めてさらに怒り心頭に発している。
「移送は――、部屋を見る限り違うみたいですね。転移、それとも分解でしょうか?」
「いいや、それは無いな。あれには最低限の魔術しか組み込まれていないから、そんなエネルギーは取り出せない」
「――目星は付いてんの?」
何か喋りたそうにしている青木を遮り、栗原が投げやりに尋ねる。
「数個心当たりはあるけど、情報が少なくてまだ何とも言えないなぁ」
山下はやれやれと首を振った。永田和真の履歴書に、『要監視』という文字の入ったスタンプが押された。
授業後の大学の正面ゲート前は、帰宅する大勢の生徒で混みあっていた。その中に混じって村田の隣を歩く。溜まってきたレポートの進捗状況や、そろそろ就活だなぁなんてとりとめもない話をしていたが、村田が思い出したように話を切って尋ねてきた。
「昨日面接だったんだろ。手応えはどうだった?」
「ダメ。俺には過ぎた仕事だったし、面接官を大声で『おっさん』呼ばわりしたしな」
ビルを出る時には、すっかり面接ということを忘れ去っていた。お約束の、何時何時までに電話しますなんてやり取りもなかったし、もう落ちたも同然だろう。村田は「何をやっているんだか」と言って大笑いしていた。
駅に続く岐路に差し掛かると自宅生がいなくなり、だいぶ道がすいた。先日怪物に襲われた住宅街に繋がっている道もあちらにある。
軽い斜面を、自転車を押して上っていく。今日はなんとなく遠回りの道に足を向けていた。道の両脇が林になっており、夏場は自転車で通り抜けると気持ちいい。
歩道一帯に影がかかった。日がかげったのかと思ったが、すぐにまた晴れた。
「いつも言ってるけど、チャリとか原付買えよ。歩きじゃ生活圏が狭いだろ」
村田に話しかける。私の脇では自転車が走りたそうに車輪をからからと回している。
「……いいんだよ、三十まで乗っていなければ魔法使いになれんだよ」
魔法使いという言葉で昨日の三人のことを思い出し、少し心が痛んだ。三十から自身の年齢を引いて、さほど残っていないことに気付いてさらに心が痛んだ。
ふと羽ばたく音が聞こえた。すかすかの骨をした鳥の羽音なんてたかが知れている。だとすれば、あれは鳥ではない何かの翼が空気を捉えた音。
空を見上げる。太陽を覆う巨大な影。
鳥のシルエットをしたそれは、腹部を下にして飛行していた。鱗の生えた脚と鋭い鉤爪。優雅にたなびいて流れる茶色の尾羽。そして猛禽の頭と胸部が位置するはずの上体は、目を疑うことに人間の姿をしていた。
無感情の口と視点の定まらない青い瞳を真下に向けた、白い肌の女性。金色の長い髪はひどく癖毛になっており、痛んでいるというか荒れている。顔にはシワが刻まれ老けて見える。無防備な胸部には張りの無い乳房が垂れていた。
「どうした?」
村田が怪訝そうに話しかけてきた。彼には見えていないようだ。ということは、あれは以前見たライオンの化け物と同系列の神の使いなのだろう。
「いや、なんでもない。よく晴れてると思ってさ」
視線を戻して村田に返事をした。こう度々非日常的な状況にあわされていると、さすがに悟って開き直らざるを得ない。
人間鳥は私の真上で旋回している。猛禽類と同じように考えていいのか分からないが、私か村田のどちらかを狙っているのは確かだと思う。さらに第六感に言わせるのなら、私に標的が絞られている可能性が限りなく高い。
「ということで、洗濯したいから先に帰るわ」
唖然としている村田を置いて、自転車を急発進させた。素っ頓狂な声を背中に受ける。
彼には悪いが、巻き込まない為にはこうして引き離すくらいしか思いつかない。ペダルを踏み込み加速する。目指すのは、昨日尋ねたばかりの阿部警備保障、高妻事務所。こういった異型から市民を救うのが生業と言っていたし、彼らならきっと何とかしてくれる。
自転車をこぎながら後ろを振り向いた。人間鳥は案の定私を追ってきている。シルエットが大きくなっており、先程よりも低いところを飛行しているように見えた。
快調に歩道を走っていたが、進む先に歩行者の姿が見えた。対向車がいないことを確認して車道に飛び出す。
直後、背後から激しい金属音が聞こえた。
U字の形をした車止めのポールが跳ね回りながら、勢いよく進行方向に向かって転がっていく。林の中に突っ込んでいき、木々の幹を傷つけてようやく止まった。歩行者が驚いて固まっている。
体を動かしているのに涼しさを感じた。あのまま歩道を走っていたら、巻き込まれて大怪我をしていたと思う。
無表情な顔をこちらに向けた人間鳥が私の側方を通り、前へ飛んでいった。
自分のしようとしていたことの無謀さを実感する。所詮、選ばれた人間ではない一般人には、助けを呼ぶことも、逃れることすらも無理なのかもしれない。
ハンドルをクッと捻りギアをトップに入れる。サドルから腰を上げ、ペダルを力いっぱい踏み込んだ。
――だとしても、こんな人に見えない相手に屈するなんて悔し過ぎるだろう。何が神の使いだ、後で慌てて間引くくらいなら、二週間かけてもっと広い世界を作っておけ。
死ぬ気になって全力で脚を回す。激しい空気抵抗を全身に受けるが、体勢を低くして風を切る。
前にいた人間鳥が空中で反転した。醜く耳障りな鳴き声を上げながら、鉤爪を立ててこちらに向かってくる。
スピードは落とさない。ギリギリ衝突前のタイミングを計り、思い切りハンドルを切ると共に重心を傾けた。茶色い風の塊が過ぎ去っていく。羽が肩を擦り、乾燥した音を立てた。
体を傾けすぎて転びそうになった。寸前で地面を蹴り、ハンドルを戻してなんとか体勢を整える。路上に描かれたタイヤの跡の端に、後輪を覆っていた泥除けが転がっていった。
怪物の攻撃をやり過ごし、爽快な気分で軽快に自転車をこぎ進めていた。下り道のお陰で、だいぶ体力が回復した。後ろを振り向くが視界に人間鳥の姿は無い。なんとか諦めてくれたようだ。ほっと息をつき、正面に視線を戻す。
翼が風を切る音。枝葉の擦れる音。林の上から飛び出した影。――怪物は音を立てないようにして、死角から側方に回りこんでいた。
サドルに跨った状態からの行動なんて限られている。既に振り下ろされている鉤爪を避けることは叶わない。鋭い黒い爪が八本の弧を描き、視界を隅から覆っていく。趾の隙間から見えた白い顔は、目に生気を取り戻して醜悪に笑っていた。
光が戻る。爪は標的に届く前に引っ込められていた。人間鳥は仰け反り、顔を歪め醜い声を漏らしている。
自転車を止めた。バランスを崩し、転がり落ちてアスファルトの上に座り込む。こういう絶妙のタイミングで助かったことは、つい最近もあった。
「もう大丈夫だ」
いつの間にか横で停まっていた車の中から声がした。白髪交じりの男が運転席から降りて歩いてくる。白い毛糸のセーターと黒のスラックスに身を包んだ落ち着いた佇まい。山下さんだ。
気分を害したらしく眉間にシワを寄せた人間鳥が上空で反転し、もう一度突進してきた。
山下さんが正面に手を突き出す。すると人間鳥は見えない壁にでも当たったかのように不自然に動きを止め、身を翻して飛び立った。茶色の大きな羽が数枚舞い散っていた。
「束縛せよ――」
山下さんが、普段の態度からは想像できない冷淡な声で呟く。すると人間鳥は羽ばたこうと翼を開いた姿勢のまま、彫像にでもなったみたいに空中で動きを止めた。
いくら生まれつき飛ぶことに特化した姿をしていようとも、刻一刻と変わる風にあわせて姿勢をつくらなければ体を浮かせることはできない。揚力を失った怪物は、無様に回転しながら落下し地面に叩きつけられた。
「……やはり私の魔術では仕留めきれないか。栗原君、後は頼んだ」
山下さんの要請に応じて、車の助手席から女が降りる。こちらも眉間にシワを寄せて気難しそうな表情をしていた。もっとも人間鳥に比べて可愛さは段違いだが。
山下さんの言葉通りに人間鳥が起き上がった。地面に激突した衝撃で翼が複雑に折れていて、もう飛ぶことはできないようだった。
「さらりと詠唱省略であんな大規模な魔術を使っておいて、頼むなんてよく言えたものね。出番を与えてやる、の間違いじゃないの?」
返事をした栗原さんは既に、導火線に火のついたダイナマイトを握っていた。怪物に向かって腕を突き出し、口を開く。
「我が声を聞け、彼に従いて街を往け。我が聖域から絶滅せよ、執行!」
今回は魔術と呼ばれるその奇跡を目の当たりにできた。
火が入るダイナマイト。握られたままだった紙筒が焼け失せ消滅する。しかし手の中で爆発は起こらず、代わりに人間鳥の前の空間が突然炸裂した。
爆ぜ上げられた血と肉片が降り注ぐ。へこんだアスファルトの上には猛禽の下半分だけが残されていた。
黙々と肉片をトングで挟みゴミ袋に詰め込んでいく二人を、ぼんやりと見守っていた。どれだけの数をこなしてきたのか、だいぶ手馴れている。あっという間に、路上に残っているのは小さな肉片だけになった。
「立てそう?」
トングを箒に持ち替えた山下さんが声をかけてきた。「はい」と返事をして、今回はなんとか立ち上がった。
「化け物の報告があって駆けつけてみたら、君が追われていたからびっくりしたよ。ひきつけてくれていたんだよね。お陰で人だかりの中で戦わずに済んだよ、ありがとう」
こそばゆくて視線を逸らすと、山下さん達の乗ってきた白いセダンが目に入った。そういえば彼らが駆けつけてくれたとき、既に車には二人しか乗っていなかった。
「青木さんはどうしたんですか?」
「青木君なら、一般市民がこの惨状を目撃しないように見張ってくれているよ」
認識できるかはともかく、何の事情も知らない人がこんな光景を見てしまったら、一生物のトラウマになりそうだ。とはいえ人間はダメと言われるとしたくなる生き物で、「見てはいけない」なんて説得できるとも思えない。おそらく彼も魔術を使っているのだろう。
その後促されて、人間鳥に追われることになった経緯について順を追って説明した。山下さんは顎を撫でてしばらく考え込んでいたが、やがて答えを見つけたようで口を開いた。
「しかし君も災難だったね。普段認識されていないだけに、怪物も自身に向けられた視線に対して敏感になっているのかもしれないなぁ。……今後またこういうことがないとも言い切れない。どうだろう、うちで自衛の為の勉強をしてみるというのは?」
想像していなかった提案に驚いた。前回と今回の件で自身の無力さを痛感していたので、そうしてもらえるならありがたい。しかし彼らと同じ場所に立つには腑に落ちないものがあった。
「でも、僕は山下さん達みたいに特別な力を使えませんよ?」
「永田君は何か勘違いをしているみたいだなぁ。魔術は奇跡を願う力、強い思いがあれば誰でも使うことができる」
息を呑む。私でも彼らと同じように特別な力を、魔術を使えるという。自身の無力さを恨まずに済み、遠く手の届かなかった場所にも訴えかけられる。この世界を変えることができるかもしれない。諦めかけていた夢に光が差した気がした。
「どうでもいいから、さっさと後片付け手伝ってくんない?」
栗原さんが大きなちりとりを掲げている。遠まわしに歓迎してくれていたのか、単に人手が足りなかっただけなのかは分からないが、背中を押されたのは違いない。
山下さんの手から箒を受け取り、大きく息を吸い込んだ。
「やらせて下さい、よろしくお願いします!」
こうして自衛の為の勉強は、まずは道路の掃除から始まったのだった。