0112:鋼の襲撃者
数々の脅威を解決してきた功績を買われ、サライの町で事務所を開くことができた。といっても金はないので、青果を扱う店の二階部分を借りている。
私達は明日の開店に向けて準備をしていた。感慨深く思いながら受付机の椅子に深く腰掛けてみる。
「よく似合ってるぞ。法外な金利をふっかける店の主人みたいだ」
事務用品の入った箱を運んでいたフィオが言葉を零した。
「悪そうな顔をしているってことか?」
椅子から立ち上がり、なるべく目に入れないようにしていた荷物の山を眺める。店を構えたお祝いとして、以前お世話になった商工会議所の女性から大量に貰ったお古の事務用品である。
「あたしが運んでおくから、そこで偉そうに座っていていいぞ」
「男のプライド的に、猫の手くらいの働きはしたい」
喋っている間にも、フィオが箱を四つ抱えて部屋の奥に運んでいく。私も(気持ちの上で)彼女に負けないように、自分でも持てそうな箱を選んで運んだ。
荷物を置き、ふと束ねられた紙が詰められている箱を見つけた。ラワケラムウの文字がびっしりと並んだ、お礼の手紙。フィオと何でも屋を始めてから、お客さんから貰ったものだ。一枚一枚に目を通しながら当時の状況を思い出す。
「随分いろんな獣と戦ったり、いざこざに介入してきたんだな」
何気なく仕事を引き受けているが、こうして残された物を見ると、多くの人々の生活を守ってきたことを実感する。
「どれも大したことはなかったけどね」
戻ってきたフィオが向かい側で腰をかがめ、手紙を一瞥して言った。
「――それだ、それ。一応形だけ付き添っているけど、どれもこれも俺がいなくてもフィオだけで解決できただろ」
むしろ足手まといになっていた気がする。私がいると報酬の取り分も減る訳だし、そろそろ尻尾の代行を解約したいと思っているのではないかと思い聞いてみた。
「そんなことないぞ。カズマが教えてくれたからこそ、こういう生き方をしていられるんだから。それに……色々と、ごく稀に助かってる」
「最後にちらっと本音が出たな」
フィオは私の活躍した例を挙げようとしていたが、考えた末に諦めた。分かっていても軽くショックを受けた。
「俺には獣の血が流れていないし、魔法もろくに使えないからな。頼りにされなくても仕方ないと思ってる。でも一緒に行動するからには、もっと力になってあげたいんだけどなぁ……」
半分――は無理でも、数パーセント――いや、マイナスにならないくらいの働きはしたい。
「力、か……。あたしの魔力をやろうか?」
「魔力って、あげたり貰ったりできるものなのか?」
私の解釈では、魔力は奇跡の粒子を震わせるアクチュエータみたいなものだと思っている。魔力が高ければ、より奇跡の粒子を振動させることができ、より広く強く世界に影響を与えることができる。しかしあげたり貰ったりできるものだというのは知らなかった。チヒロは魔法に匂いがあると言っていたし、魔法というものは本当によく分からない。
「効率が悪いから少ししかあげられないけどな。……前にも夜襲してきたバカに、あまりにも弱くて不憫だったから魔力を与えてやった」
「どれくらい強くなれるんだ?」
「その襲撃者は四柱になったらしいな」
「はぁ?!」
フィオはしれっと言ったが、四柱といえば世界最強の四人の魔法使いに与えられる称号だ。
力は欲しいと思うが、いきなり四柱クラスの魔力を与えられるのはさすがに怖い。子供レベルの魔法すら使いこなせていない私では、まさに過ぎたるは及ばざるが如しの状況に陥りそうだ。
「……遠慮しておく」
「そう。覚悟ができたらいつでも言いなよ」
しかしフィオの言う『少し』の魔力で最強になってしまうなら、彼女自身は四柱からどれだけかけ離れた位置にいるのだろう。足手まといになっていたのが当然な気がしてきた。
荷物を運び終わり、昼食をとるため事務所を出た。財布の中身を確認する。事務所完成記念に奮発するくらいの金はありそうだ。先頭を歩いている彼女に、久しぶりに好物の牛を食べさせてあげたい。
「――カズマが子分になってから、あの申し出の返事をずっと考えてた」
事務所の前の道に出ると、フィオが話を始めた。あの申し出とは何のことだろう。小宇宙でしたことを償わせてほしいと頼んだことだろうか。
「まだ返事は出せない。でも今は、まじめに考えてやってもいいと思ってる」
「そうか……」
フィオは何故か視線を合わせようとしなかった。何を言いたかったのかよく分からないが、尋ねにくい雰囲気だったので話を合わせた。
町の様子がいつもと違うことに気づき、辺りを見渡した。いつもより道行く人の流れが速い。耳を澄ますと、叫び声や物音が聞こえてきた。
「何かあったんですか?」
事務所の前を通りかかった男に話しかけた。以前仕事で関わった、知っている顔だった。
「またトロールが出たらしいんだ。あんたらのところで何とかしてくれないか?」
「トロールですか……。それくらいなら、守備隊がささっと倒してくれますよ。何かあったら僕達も出ますから安心してください」
男は「よろしく」と言って、早歩きで去っていった。
トロールは毛むくじゃらの巨人の姿をした獣で、月に一度くらいの頻度で食料を求めて山から降りてくる。図体は大きいが頭が悪いので、獣の中では比較的簡単に対処できる部類に入る。私達の出る幕はないだろう。
「どいた、どいてくれ!」
事務所の前の道を通り、男が担架で運ばれてきた。あらぬ方向に曲がった腕には、守備隊の所属であることを示すワッペンが縫い付けられていた。
「……その何かが、あったらしいな」
担架を見送りながらフィオが話しかけてくる。
この町の守備隊は優秀で、トロール相手に怪我をしたことなんてなかった。いつもと様子が違うようだ。
「俺達も行こうか」
私はフィオと共に、騒ぎが起きている町の西方に向かって走り出した。
人の流れに逆らい、町の外れに出る。トロールの居場所は一目で分かった。長い毛に覆われた五メートルほどの巨躯。左右非対称の腫れた顔に、みすぼらしい小さな二つの目がついている。町から少し離れた場所で、十数人の守備隊員と対峙していた。
三人の隊員が手の平を向け合い、協力して巨大な炎の槍を作り出す。すかさず後ろで控えていた二人が操作し、トロールに向けて投擲した。守備隊ならではの息の合ったコンビネーション。しかし腹に当たった炎の槍が掻き消えた。魔法が効いていないようだ。
トロールがゆっくりした動作で腕を振り上げる。守備隊員は即座に反応し、自分達の上空に氷の盾を生み出した。
トロールの腕が突き出される。拳が盾を突き破り、隊員達を殴りつけた。下敷きになった二人の隊員が地面に埋まっていた。盾は物理的に破壊されたというより、拳に触れた瞬間に消滅していた。
「――あの鎧のせいだ。とんでもない耐魔能力を持ってる」
フィオが、トロールの纏っている鎧を指差した。トロールの拳と腹部、頭はシンプルな銀色の防具で覆われていた。
魔法を防ぐ鎧。ア・バオ・ア・クゥーの甲殻は高い魔術抵抗を持っている為、鎧に使われているとチヒロから聞いたことがある。
「どうする? 十八番の火の魔法も通じないんだろ」
「耐魔の鎧は厄介だけど、トロールごときじゃあ宝の持ち腐れだ。どうとでもなる」
フィオがトロールに向かって走り出す。気付いたトロールの下で、守備隊の隊員達が撤退を始めた。
トロールが腕を引く。フィオは臆さず、一直線に走り寄った。
「一つ――、魔法なんて使わなくても近接戦で勝てる」
突き出された大きな拳を、フィオが横から小突いて弾く。伸びた腕の上に飛び乗って走り、背中に回り込みながら鎧の首元をつかんだ。フィオが振りかぶった直後、トロールの巨体が一回転して、仰向けになって地面に叩きつけられた。
凄まじい衝撃だったが、トロールの頑丈さはそれを上回っていた。フィオに向かって毛深く太い腕を伸ばす。
「二つ――、顔ががら空きだ」
フィオは伸ばされた手を避けて、倒れているトロールの顔の上に飛び乗った。立てた人差し指を、醜い鼻に向ける。指の先から赤い光が放たれる。瞬間的にトロールの顔が焼け焦げて散り、それだけで止まらずに一帯が炎に包まれた。
熱風が押し寄せてくる。私は顔の前に手をかざし、後ずさった。
「こんな風にね」
燃え盛る炎の中から声が聞こえ、フィオが歩いて出てきた。
「変なトロールだったな……」
火に包まれ崩れ落ちていく体を眺めながら、私は呟いた。
「大変だ! 別の方角から来た二体のトロールが、町の中まで入ってきた!」
守備隊の隊員が叫びながら駆け寄ってきた。
今回のトロールはいつもと様子が違う。トロールは道具を使わないし、群れをなしたり作戦も立てない。何者かが裏で糸を引いているようだ。ともあれ被害が広がる前に、さっさと残りのトロールも始末しなければならないと思った。
「フィオは右から回ってくれ。俺は左から行く」
「いいけど、カズマ一人で倒せるのか?」
町を指差して指示を出すと、怪訝な顔をされた。
「さっき倒し方を教えてもらったし、尻尾分の活躍はしてみるよ。早く助けに来てくれないと、やられるかもしれないからな! 頼んだぞ!」
私の言葉を聞き、フィオは苦笑いを浮かべて頷いた。
サライの町の外周を左回りに走る。どうやってトロールを見つけようか方法を考えていたが、その必要はすぐになくなった。
家の屋根の上に、兜をつけた毛むくじゃらの頭が見えた。路地を通って駆け付ける。
トロールは市場の屋台に顔を突っ込んで箱ごと食い漁っていた。私の存在に気付きながらも、依然食べ続けている。
フィオが教えてくれた倒し方は二つあったが、私の体で近接戦は無理がある。隙を作って魔法で顔を狙うのが唯一の対抗策だ。
「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ!」
魔法陣の描かれたカードを顔の前にかざして詠唱を行う。光の縁をもった十枚の鏡が周囲に浮かんだ。伸ばした腕をトロールに向けて、鏡に指示を出す。鏡は宙を走り、一点に集中して上腕に襲いかかった。大宇宙と小宇宙の狭間という刃で、強引に断ち切る。
切断された腕が屋台の前を転がった。上腕の断面から真っ赤な血が噴き出す。トロールがこちらを向いた。痛覚がないのか無表情のままだったが、怒っているように感じた。
「星煌く天は我が顔、海は我が胴、大地は我が足、風が充たすは我が耳、輝く光を遠矢に射る太陽は我が目なり」
再びカードを構えて詠唱を始める。トロールはようやく屋台から顔を離し、こちらに向かって走ってきた。
「――我は汝に啓示を与えるもの」
しかし遅い。食べ物に執着していたので、隙だらけで助かった。
光の縁をもった立方体が、忽然と宙に現れる。鏡の箱はトロールの顔を呑み込むように浮かんでいた。
立方体が消え、トロールの顔から中身が零れ落ちる。巨体が膝をつき、前屈みに倒れこんだ。
辺りには血の水溜まりがいくつもできて、鉄の臭いが立ち込めていた。相手は害獣だからといっても、気持ちのいいものではない。吐き気を覚えた。
「――へぇ。口を出すだけなのかと思ってたけど、結構やるじゃない」
背後から女の声が聞こえた。声のした方を振り向くと、黒いマントで全身を覆った人間がいた。
「誰だ?!」
私が叫ぶと、女はすっとフードを下ろした。色白の顔と、銀髪のショートヘアが露わになる。体型はやや小柄。年齢は私よりも少し年下で、フィオと同じくらいに見える。
「はじめまして、カズマ君。私はアクツオハミアヂ・ウィツタク。俗に『鉄柱』と呼ばれているわ」
女は控え目な胸に手を当てて自己紹介を始めた。鉄柱といえば、氷柱・木柱・石柱を合わせて四柱とか呼ばれている、チヒロも名前を連ねている最強の魔法使いの称号だ。
「何で大魔法使いがこんなところに……?」
「あなたに用があってね。一緒に来てくれるかしら」
フィオに用事ならともかく、魔法もろくに使えない男に仕事は頼まないだろう。怪しく思い、相手から分からないようにポケットの中のカードを手繰り寄せた。
「連れと合流してからでもいいか?」
「駄目よ。悪魔が来る前に済ませたいの」
ウィツタクが口の端を吊り上げて笑った。敵意が垣間見れ、危険を知らせるサイレンが私の頭の中で鳴り響く。カードを顔の前に掲げて構えた。
「私のことを四柱と知りながら、戦う気? 別に構わないけど。あなたには悪魔を捕まえるための餌になってもらうわ」
「させるか、――我は汝に啓示を与えるもの!」
相手の狙いはフィオだった。捕まえると言っているからには、賞金稼ぎだろうか。フィオが暴れている時に示された王都からの高額の賞金は、今も有効だ。
カードを表に返し、魔法陣を目に焼き付ける。光の縁をもった鏡が正面に現れた。鏡は縁をウィツタクに向け、滑るように宙を走る。いくら四柱でも、物質の結合を無視して切断する私の魔術は、物理的に避けない限り防ぐことはできないはずだ。
ウィツタクがマントの中から手を出した。次の瞬間にはどこから現れたのか、彼女の前に銀色の鎧が立っていた。鉄の板を組み合わせたシンプルな西洋風の甲冑。反対側のプレートが見えているので、中に人は入っていない。背中に大きな両刃の剣を担いでいた。
鏡が加速し、鎧の胴を切断する。光が弱まり四散した。いや、鎧を傷つけることができずに、鏡は掻き消されていた。トロールが身に着けていたのと同じ、耐魔の鎧だ。
「……もしかして、トロールをけしかけたのはお前なのか?」
「ご名答。あなたと悪魔を分断するためにね」
裏で糸を引いている人間がいるとは思っていたが、それが四柱だとは思いもしなかった。しかも賞金目当てで町に獣を放ったなんて、怒りとともに恐怖を覚える。
「狂ってる……」
私の呟きを聞いても、ウィツタクは無反応だった。彼女の代弁でもするかのように、ぎしっと金属音を立てて鎧の顔がこちらを向いた。魔法で操作しているようだ。
兜はフルフェイスになっていて、そもそも中身がない。フィオがしていたように、金属で覆われていない部分を狙っても無意味だろう。対抗できる手段がなかった。
敵わないという結論に至るやいなや、私は背中を向けて走り出した。逃げるなんて格好悪いが、フィオと合流してしまえば、分断しようとしていたウィツタクの作戦は破綻する。
「――逃がさないわ」
いつの間にか進行方向に三体の鎧が立っていた。私を囲んだ鎧達は、ぎしぎし音を立てて輪を狭めてくる。
逃げ場すら失い、完全に手詰まりになった。唇をかんで、せめて悪あがきをしようと拳を構えた。
眼窩から拳を引き抜き、皺が刻まれた薄いピンク色の組織を引っ張り出した。トロールの巨躯が体を震わせ、仰向けに倒れた。
「見つけるまでに時間がかかったな……」
やられる前に駆けつけろと言っていた男はまだ無事だろうかと、フィオは気をもんだ。
地面を蹴って駆け出す。手から離れた脳みそが、道路に落ちて潰れた。
町の中を走っていると、すぐに三匹目のトロールの死体を見つけた。立方体の形に抉られた魔法の痕からして、和真がやったことが分かる。しかし辺りに当人の姿はなかった。
血の臭いに混じり、いつか嗅いだことのある匂いが漂っている。彼女は胸騒ぎを感じていた。
死体の近くに紙切れが落ちていた。吹き飛ばされないように、上端を折れた刃物でとめてある。書かれていた文章に目を通し、フィオは奥歯を噛みしめた。