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0110:世界最強の生き方

 針葉樹の生い茂る急勾配の山。その中腹にある崖に空いた洞窟が、悪魔の家だった。入り口は屈まないと入れないくらいに狭かったが、しばらく進むと急に広くなった。天井が高く部屋の大きさも十畳くらいあって、二人で踏み入っても全然圧迫感が無い。中はひんやりしていて、夏は過ごしやすそうだった。

 地面に生えた天然の尖った岩に衣服や照明具が引っ掛けてあった。また寝床らしき巻かれた布が、抜け殻みたいに地面に転がっている。他には日用品も、机も椅子も無く、チヒロの家にも増して生活感がなかった。


「物が少ないな。寝る時だけしか帰ってこないのか?」

「そんなこともないけど、だいたい現地調達できるから」


 悪魔は簡潔に答えて、いつも座っているのであろう丸い岩に腰を下ろした。コミュニケーションをとるつもりはないとでも主張するように、体を壁に向けている。

 尖った岩に腰掛けるわけにもいかず、私は彼女の方を向いて地面に腰を下ろした。

 悪魔の後ろ姿をまじまじと見た。翼は中ほどで二段に折り畳まれ、だいぶコンパクトになっていた。手足は細く長いので、力があるようには見えない。竜の姿をしている時も思っていたが、均整のとれた体をしている。翼や尾があることに何の疑念も抱かないし、逆にあちらが正統派のようにすら見える。


「――子分、喉が渇いた」


 悪魔は黙り込んで爪をいじっていたが、思い出したように私の方を見てぽつりと呟いた。

 ここに来るまでに水場は見かけなかったし、この部屋に道具もない。初仕事から難易度が高かった。


「水を汲む桶も、お湯を沸かす鍋も無いのにどうしろと。それに俺の名前は永田和真だ」

「そう、ナガタクンだ。覚えてるぞ。あたしの尻尾が切り落とされたあの時、おじさんが名前を呼んでた」


 戦いの光景を思い出しているのだろう、悪魔は目をギラギラさせている。それ以上考え続けさせたら自分の身が危ない気がした。


「お前の名前はなんていうんだ?」


 『悪魔ムカア』が名前という訳ではないだろう。話を逸らしつつ尋ねてみる。


「ない」


 悪魔が唇を尖らせ、投げやりに答えた。


「ナイ?」

「いや、名前が無いんだ。うちは放任主義だったから」


 名前をつけないというのは、放任主義とか育児放棄とか、そういうレベルではない気がする。まるで望まれないでこの世に生を受けたかのような。彼女が竜とのハーフであることを思い出し、察して追求するのは止めた。


「悪魔でもドラゴンでも、好きなように呼んだらいいよ」

「でも悪魔って通り名みたいなものだし、ドラゴンに至っては親の種族名だろ」

「言われてみればそうだな。じゃあ、お前がつけろ。最初の仕事は、やっぱりそれにする」


 尻尾の先っぽが行うような仕事には思えないが、水を汲むよりは楽そうなので大人しく考え込んだ。大宇宙で流行している名前なんて分からない。幾つか候補を挙げて、当人に選んでもらうことにしよう。

 まず私が一番しっくりくるのは、小宇宙での呼び方だ。エアケントニスがつけたというのが、少々癪ではあるが。


「オフィオモルフォス」

「長い。言いにくい。名前っぽくない」


 即答された。しかもかなり不評だ。早速、案が尽きた。


「名なしだから、ジェーン・ドウとか」

「可愛くない」


 世界最強の生物に似つかない意外な要求が増えた。オフィオモルフォスから女の子っぽい名前を抜き出してみる。オフィは次点か。モルフ――は可愛さという点で微妙だ。


「――フィオ」


 思い浮かんだ名前を口に出してみた。可憐でありながら、強さも併せ持っていそうな感じ。何となく彼女の見た目にしっくりくる気がする。


「フィオっていうのはどうだ?」

「フィオ、か……。いいな。うん、それにする」


 あっけなく最初の仕事を果たすことに成功した。……こんなことで償いになっているのだろうか。新しい名前が琴線に触れたようには見えず、無言になって壁を見つめている彼女の姿を眺めながら、そんなことを思った。


「お前っていつも、一日中こんな薄暗いところでじっとしているのか?」


 フィオは顔を合わせようとしないので、沈黙が気まずい。適当に話題を振るが返事はなかった。


「……なぁ?」


 小宇宙での戦いの記憶から気をそらすことに成功していたが、また急に機嫌が悪くなったように見えた。


「……フィオ。『お前』じゃなくて、あたしはフィオだ」

「あ、あぁ。フィオ」


 名前で呼ばれなかったことが不満だっただけのようだ。顔から読み取りにくいが、なんだかんだで気に入ってくれたようで何よりだ。


「外に出ると、ややこしい連中に会うからな。出かけるのは、お腹が減ったりイライラした時くらいだ」


 ややこしい連中というのは何のグループを指しているのか考え込んでいると、フィオが喋りながら立ち上がった。


「ついて来い。子分になった祝いに、美味いものを食べさせてやる」




 私は竜の姿になったフィオの背に乗り、空を飛んでいた。歩いていたら日が暮れると言って、嫌々ながら乗せてくれた。

 飛行機も含めて飛ぶのは初めての経験だが、速い。羽ばたく度に木々がびゅんびゅんと過ぎ去っていく。そして、寒い。羽ばたく度にぐんぐんと体温が奪われていく。

 首の付け根当たりに跨っているのだが、でこぼこした鱗が痛かった。それに羽ばたいた瞬間には、尻の肉を鱗の間に挟まれやしないかと冷や冷やする。口に出すつもりはないが、正直なところ乗り心地はあまりよくなかった。

 どこに連れていかれるのだろうか。高級なものをたくさん食べていそうな彼女が推す美味いものに、少し期待している自分がいた。


 広大な森が途切れ、草原の中に集落が見えた。規模は小さく、木造の家が固まって建っている。周りは丸太を立てた頑丈な柵で囲まれており、入り口には大きな木の門が設けられている。カンカンと何かの音が鳴り響いていた。

 竜が体を起こして羽ばたき失速した。村から少し離れた場所で地面に降り立つ。顎で促され私が飛び降りると、フィオは人の姿に戻った。


 騒々しい音はまだ鳴っている。村の入り口に近づき、ようやく何の音だか分かった。発生元は、物見台に設置された鐘。外敵が来たことを村中に知らせる警報だ。


「悪魔が来たぞ――ッ!!」

「早く家に戻るんだ! 閂をかけるのを忘れるな!」


 物見台の上で、男達が必死に声を張り上げている。その声に急き立てられるように、女子供が家の中に逃げ込み固く扉を閉ざしている。

 村の門が開き、槍で武装した男達がその前に並んだ。


「ずいぶんと特別な歓迎を受けてるけど、何かしたのか?」

「いや、いつものことだ。嫌になるだろ?」


 心配になって尋ねてみたが、フィオは平然としていた。

 最も年配に見える男が前に進み出る。品位のある人に見えるが、厳しい表情をしていた。村人達は彼を中心に武器を構えている。きっと村長のような立場の人だろう。


「十三日と二時間。ずいぶんと早い再訪ですな」


 村長はちらりと私を見て不思議そうな顔をしたが、すぐにフィオの方に向き直った。


「まぁね。元気にしてた?」

「あと百年放っておいて下されば、少しは村の活気も戻ったやもしれません」

「遠まわしに、二度と来るなって言いたいのか?」


 互いに棘のある笑顔を浮かべている。後ろに立っている男達も、今にも爆発しそうなほどに額に血管を浮かべている。

 今まで感覚が麻痺していたのか、急に嫌な予感がしてきた。フィオは何もしていないなんて言っていたが、何もしないでこんな歓迎を受けるはずがない。


「いえいえ、滅相もない。それで今日は何の用ですかな?」

「食べ物を二人分用意しろ。前に作らせたアレでいい」


 フィオの言葉に反応して村長が眉をひそめる。男達も槍を構えなおす。


「牛一頭を使った料理を二人前も。……牛一頭を飼育するのに、どれだけの労力と資源、資金がかかっているかご存知ですかな? それにこの村の現状も?」

「知る必要は無いだろ。私は消費する側の人間なんだから」


 唇を噛んで耐えていた男達がとうとう進み出た。


「今年は不作で、俺達も食料には苦労しているんだ。それなのにタダで食わせろって? 世界最強だか何だか知らないが、調子に乗りすぎているんじゃないのか?!」

「これから本格的に寒くなるのに、食べ物を取られたら死んじまう!」


 フィオは必死に訴えかける彼らの姿を、冷ややかな目をして眺めていた。


「あぁ、そう。また地図から村を一つ減らすつもりなのか。人はどこにでもいるから、あたしは別にどうでもいいんだけど」


 村人達は我慢の限界を超えたようだった。怒りを通り越して、口をぱくぱくさせている。男のうちの一人が村長に進言する。


「こんな化け物と話し合いなんて無理です! 指示をお願いします!」

「仕方あるまい、許可する」


 村長が言葉を発した途端に、男達が一斉にフィオに向かって槍を投げつけた。憎悪を込めて放たれたそれらは、足止めが目的ではない。急所を狙って殺すことを目的に投げられている。さらに彼らは空いた手の平を向け、魔法を唱えて雷や炎を浴びせかけた。

 フィオに当たった槍が、肌に弾かれて落ちた。筋肉に覆われていない箇所ですら、刃物が当たっても傷一つついていない。魔術にいたっては当人に届かず掻き消えた。村人の攻撃が終わるまでフィオは直立不動だった。村側が保有している全攻撃は彼女を傷つける域に達しておらず、全然戦いになっていない。

 フィオが手を胸の前にもっていくと、手の平の上に火球が現れた。ほとんど揺るがず、静かに燃えている。さすがに手加減するつもりのようだった。


 ――おかしい。火球付近の景色が歪んでいる。ただの炎にしては温度が異常だ。見たままの火の塊ではない。


「止め……」


 駆け寄ろうとしたが、既に火球はフィオの手を離れていた。目で追える速度で村人達の顔の間を通り、あぜ道を進んで村の中央に着弾する。

 火球が弾け、視界が紅に染まった。

 体を反った男達が空高く吹き飛ばされる。木の家が一瞬で屋根と壁に分離し、木材に瓦解する。たった一発で村が炎に包まれた。

 一呼吸遅れて、村中から悲鳴が上がった。


 立ち位置的にフィオを介していたせいか、私の方には不自然に強風しか吹いてこなかった。

 フィオが守備隊のいなくなった門を悠々とくぐり、村の中に足を踏み入れる。燃え盛る炎の中に姿を消した。


「痛い、痛いよ――」

「ママ~!」

「誰か手を貸して!!」


 倒れる柱。舞い上がる火の粉。生き残った村人達が怪我人に肩を貸して村から逃げ出していく。額から血を流す人。火傷した足を引きずる人。体中が煤だらけの人。まるで地獄のような光景だった。

 私は門の前で一人、呆然として立ち尽くしていた。


「たまに村を潰して立場を分からせてやらないと、すぐあぁいう連中が現れる。近頃甘やかしすぎていたかもしれないな」


 炎の中から声が聞こえた。燃え盛っている火に人の影が浮かぶ。


「ご飯にしよう。すまん、穀類を全部焼いてしまったから、今日はこれしか無いんだ」


 フィオの右手は、括れた細い足を掴んでいた。彼女に引きずられている牛は、たった今死んだばかりのようで首から鮮血を噴き出していた。

 フィオはまるで川で魚を釣ってきたみたいに得意顔をしており、全く悪びれていない。私はぞっとして背筋が冷たくなった。




 どうやって戻ってきたのかよく覚えていない。気付けば、私達は洞窟のある崖の前で焚き火を囲んでいた。

 気持ちが滅入っていても、お腹はいい匂いに反応している。串に刺された肉が薪の周りに立てられ、炙られていた。


「顔色が悪いぞ。肉が足りていないんじゃないか?」


 幸せそうな顔をして肉を頬張っているフィオが話しかけてくる。


「ずっとこんな生活を続けてきたのか?」

「そうだよ。早く食べないと冷めるぞ」


 正義とか悪とかそういう信念的なこと以前に、彼女は考え方が違っているようだった。名前を聞いた際に、放任主義で育ったと言っていた。彼女に生き方を教えてくれた人は今まで誰もいなかったのかもしれない。


「人を傷つけたり、殺すことを何とも思わないのか?」

「怪我をしたら痛そうだと思う」


 フィオが肉から口を離し、苦笑いしながら答えた。ふざけて答えているようには見えない。


「そうじゃなくて、悪いことだとかは……」

「悪い? 何でだ? 動物だって同族や他の種族を殺して食べるだろ」


 フィオは自然界で見て学んだことを実践している。人は自分達の平穏を守ろうとする中で、道徳や神といった規則や考え方を身につけていったと思うが、彼女の場合は他者に脅かされることがないので、そういう考え方をする必要がなかったのだろう。

 自然界のルールが絶対だとするなら、彼女の考え方は正しい気もする。しかし感情が介入する人間の世界は、それで割り切れないものがあると思う。


「なんか違うんだよなぁ……」

「ん?」


 力を持っているからこそ、弱い者達のことを考えなければならないのではないだろうか。漠然とだが、アフウシ村で失敗してしまった神に代わる考え方が見えた気がした。


「それだけの力を持っているんだから、獣とか災害から人を守って、その対価として食べ物を貰えばいいんじゃないか?」


 小宇宙でいうボディーガードみたいなもの、もしくはヤクザのショバ代みたいなものだろうか。


「そんな回りくどいことをしなくても、絶対に勝てるんだから、力で押さえつけた方が確実だろ」

「食べ物とか金っていうのは、人の幸せを奪って得るものじゃないと思うんだ。皆が幸せでいられる方法があるなら、そっちを選んだ方が良いと思う」

「……尻尾の代わりのクセに、五月蝿い奴だなぁ」


 フィオが食べかけの肉を下げて、ギラギラした金色の瞳を向けてきた。焚き火の炎が強まり、火の粉が散っている。殺されそうになった時の恐怖が蘇り、改めて味方ではないことを実感した。冷や汗が背中を流れる。


「一週間だけでもいいから、やってみないか? 話は俺がつけるから」


 私の座っている位置はフィオの間合いの中だ。これ以上機嫌を悪くさせたら、次の瞬間には心臓を抉られていることだってあり得る。とんでもなく怖いが、平気なふりをして声を喉から絞り出した。


 フィオの手が動く。体がびくっと反応した。


「……勝手にしろ」


 フィオは葉っぱの皿の上に肉を置き、翼をはためかせて飛び上がった。風圧で焚き火が消える。

 洞窟へ戻っていく後ろ姿を見ながら、私はほっと息をついて額の汗を拭った。

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