0109:尻尾の先っぽ代行
私は洋平と愛さんと共に、大きな平屋建ての廃工場にいた。電気は通っていないが、壁のトタンが剥がれ落ちて光が差し込んでいるため明るい。工作機械やクレーンなどは撤去されて土台しか残っておらず、ガラスや壁材の破片が床一面に散らばっている。
今回のターゲットは、よりによってア・バオ・ア・クゥーだった。建物の中央にいる黒い幼虫は、両手で抱えないと持ち上げられないくらいに、また一段と大きくなっている。
洋平がダイナマイトを手にし、幼虫に向かって歩き出した。唇を強く噛み、その後をついて歩く。
「お前がシロだというなら、こいつが殺されるところを黙って見てろ」
洋平はこちらを振り返ってそう言うと、ジッポーで導火線をあぶって火をつけた。ア・バオ・ア・クゥーも異変を感じたのか、こちらに背中を向け、忙しく伸縮を繰り返して前進を始める。スピードが遅く逃げられていないところに、心が揺り動かされる。
導火線は火花を散らして短くなっている。この無防備な神の使いは、魔術を使わなくてもダイナマイトの火力だけで死んでしまうだろう。
化け物が殺されるところを、手を出さずに見守っていれば私の生活は守られる。夢を語るのを諦めることになる代わりに、学校で村田とくだらない話で盛り上がり、バイト先で山下さんや愛さん達と充実した時間を過ごすことができる。手を出してしまえば、洋平と愛さんに止まらず、きっと阿部警備を敵に回すことになる。私が守るべきものは平穏な生活、それとも夢だろうか。自分にとって一番大切なものは。譲れない信念は何だろう。
頭の中に無数の思考が押し寄せる。洋平の手から離れたダイナマイトを、何日間も見続けていた気がした。
弧を描きながら放られたそれは、間に現れた光の鏡の中に吸い込まれていった。
「――ほら、やっぱり裏切り者じゃないか!」
まるで鬼の首を取ったように洋平が叫び、私の方を向いてカードを構えた。
「永田君、あんた……」
愛さんも後ずさって私から離れ、魔法陣の描かれたアームカバーをはめる。
平穏な生活は、山下さんに化け物のことを聞いたあの時に諦めたはずだ。このまま私は自分の信じた通りに走り抜けたい。
「裏切り者か。阿部警備の立場からすれば、そうなるんだろうな。洋平の言ってた通り、俺は化け物を全部元の世界に送り返してた。――こんな風に」
カードに焦点を合わせ、魔法陣を目に焼き付けた。
「我は汝に啓示を与えるもの」
ア・バオ・ア・クゥーを囲って鏡の立方体が現れる。すぐに収縮して消滅し、幼虫は大宇宙へと送られた。
「元の世界? お前は大宇宙の人間なのか?」
「生まれはこっちだけど、こういう立場を選んでしまった以上、多分大宇宙の人間みたいなもんなんじゃないか」
二人がそれぞれヒップバッグからダイナマイトを取り出し、導火線に火をつけた。化け物と同等の扱いをしてくれるらしい。私も覚悟を決めた。
洋平がダイナマイトを放り投げた。この場所で魔術を使ってダイナマイトを大宇宙へ送ったら、ア・バオ・ア・クゥーが巻き込まれて私の決意が無駄になってしまう。地面を蹴って駆け出した。全力で走って着弾点から離れる。
魔術は使っていないようだ。ダイナマイトはごく一般的な物理現象に則って爆発し、爆音と共に、背後から熱気と風が押し寄せてきた。
「我が声を聞け、彼に従いて街を往け」
愛さんが火のついたダイナマイトを片手に、詠唱を始める。いつも化け物に向けられていた鋭い目が私に向けられていた。魔術を習う決心をさせてくれた彼女には、今もとても感謝している。
彼女の魔術は力の転移。ダイナマイトの爆発のエネルギーを移動させ、まるで見えない爆弾を使ったみたいに敵の前で炸裂させる。
「我が聖域から絶滅せよ、――執行!」
「我は汝に啓示を与えるもの!」
転移する衝撃を防ぐことは出来ない。火花を散らしている導火線の先を、小さな鏡で切り落とした。
愛さんが突如出現した刃に驚き、手を引っ込めながら後退した。鏡が光の点になって消える。火の消えたダイナマイトも地面に落ちた。
「へぇ。なかなか汎用性の高そうな魔術だな」
洋平が呟きながら、二本目のダイナマイトを投げつけてきた。身を投げ出して愛さんをかばったと聞き、私は実際に会う前から彼のことを密かに尊敬していた。
「攻城兵よ来たれ、メティスラー!」
カードを掲げて詠唱をしている。実際に見たことはないが、洋平の魔術は二物体間の引力や斥力を強くするらしい。
最初と同じように、放られたダイナマイトから全力で走って逃げた。後ろを振り返って位置を確認すると、落体運動に入っていたダイナマイトが、くっと横から力を受けて軌道を変えていた。底部を私の方に向けて飛んでくる。
地面を横に蹴って走る方向を変える。しかし再び軌道を変えて追尾してきた。私とダイナマイトの間の引力を増加させているようだ。投擲時よりもさらに加速しており、詠唱していたら間に合わない。
導火線が燃え尽き、火薬に火が入る。
瞬間、ダイナマイトは消え失せていた。足を止めて冷や汗を拭う。小夜詠唱でなんとか大宇宙に送った。
振り向くと、洋平は既に次のダイナマイトを手にしていた。導火線が短く、まさに火が入ろうとしている。引力を使った超高速の投擲を警戒した。
「要塞は自壊する、コマホン」
しかしダイナマイトは、彼の手から離れることはなかった。
横から誰かに押されたように感じる。振り向いても当然人はいない。踏ん張るが、耐えられずに体が傾いていく。
とうとう足が地面から離れた。あのダイナマイトは攻撃用ではなく、エネルギー源だ。建物との間の引力を強くされたらしい。体を丸めて腕を組み、せめて頭を守る。
「がっ」
勢いよく壁に背を打ちつけた。肺の空気が強制的に押し出される。息を吸い込むことができなくなり、苦しくて胸を押さえつけた。
愛さんが拳を構えて走り出す。拳打の衝撃を魔術によって転移させる、彼女の十八番を繰り出すつもりだろう。今の体の状態ではとても受けきれそうになかった。
浅い深呼吸を繰り返して、何とか詠唱分だけの酸素を取り込む。
「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ」
魔法陣を目に焼きつけ、上空に複数の鏡を作り出した。大魔法使いから指導を受け、生み出すことができるようになった鏡の数は以前の比ではない。その数、五十。廃工場の天井を覆い、無数の光が煌いている。
「嘘っ、前はそんな魔術使えなかったじゃない?!」
「――これ、あらゆるものの中で最強の力なり!」
一枚一枚を操る集中力は無いが、群として扱えば問題ない。一斉に降下の指示を出した。
防御不能な刃の雨が降り注ぐ。細切れになった元同僚を見るのは忍びない、当たる寸前で消滅させるつもりだ。愛さんが顔を腕でかばい、目を閉じた。
「要塞は自壊する、コマホン」
洋平が詠唱していた。愛さんの体が宙に浮き、猛スピードで廃工場の壁に向かって引き寄せられた。五十枚の鏡が誰もいない地面を穿つ。
「無茶すんじゃねぇよ!」
「ありがと、助かった」
私の時とは違い、斥力でブレーキをかけたのだろう。壁に当たる寸前でぴたりと止まり、愛さんが着地した。
「予想していたよりも手強い。無傷で倒すのは難しいみたいだな」
片手で二本のダイナマイトを持ち、導火線をあぶりながら洋平が言った。先程までの余裕を漂わせた雰囲気とは違っていた。
「洋平、もしかしてまた――」
愛さんが歩み寄ろうとする。彼女の手が肩に触れる前に、洋平の持っていた一本目のダイナマイトに火が入った。
「異なるものの愛を、ターファーッ!!」
もう一本のダイナマイトを所持したまま、爆発のエネルギーを加速度に変えて洋平が真っ直ぐ突っ込んできた。私か、背後の壁との間に引力を発生させているようだ。
あちらは捨て身のつもりで攻撃してきている。鏡の刃を向けても速度を殺すことはできず、無駄に二つの命を散らすだけだ。障害物に巻き込んで動きを止めようとしても、近くに物がないので駄目。一番使いたくない手法に頼ることにした。
「くそっ、我は汝に啓示を与えるもの!」
私の正面で、光が正方形を形どる。一瞬で面が張られ、大きな鏡が現れた。チヒロと約束したことを守り、二度と人間は鏡を通さないつもりだった。
「な――」
洋平が口を開きながら鏡に飛び込んだ。声が途中で途切れる。
「洋平?!」
愛さんが沈痛の叫びをあげて駆け寄ってくる。
罵声を背中に浴びながら、私は洋平を追って鏡に飛び込んだ。通過しながら、彼女が追ってこれないように鏡を発散させた。
小宇宙への第一歩が踏みしめたのは、草原だった。現在地を確認しようと、辺りを見渡す。てっぺんの抉れた山が見えることから、アフウシ村の周辺のようだ。
見通しのよい開けた場所で助かった。洋平の姿を探す。すぐに追いかけたので近くにいるはずだ。
五分ほど歩き回ったが洋平の姿は見つからず、嫌な予感がしてきた。そういえば、アンフィスバエナを送った時は、鏡の前後に立っていてもチヒロと会話することができた。今回は声が途切れており、あの時と様子が違ったように感じる。
地面が揺れ、背後から大きな音がした。洋平かと思い、さっと振り返る。
「見ィつけた!!」
その声に対しては、条件反射に「逃げろ」という指令が与えられていた。
最大まで開かれた翼は身長よりも大きい。赤い鱗の生えた複数の骨の間には、枝状に血管が走った膜が張られている。本能的に恐怖と威圧感が脊髄に叩き込まれた。
澄んだ金色の瞳をした、赤毛の髪の女。うねる尾は以前よりも伸びた気がする。
悪魔はゆっくり周囲に目を走らせて誰もいないことを確認すると、口角を上げた。
「今日は一人みたいだな? 今度は逃がさないよ」
たまたま来ることになった数分間で遭遇するとは、相当運が悪い。悪魔は腕を組んで満足そうに尾を振っていた。
カードを取り出して構えた。抵抗など無意味だと言いたいのだろう、悪魔はぴくりとも動かず、不敵に笑っている。
カードの裏面を眺める。
よくよく考えてみると、以前は村や自身を守る形で魔術を振るったが、今その必要はあるのだろうか。カードをポケットに仕舞い、棒立ちになった。
オフィオモルフォスは急に小宇宙にやって来て、状況が分からず苦しんでいたはずだ。大宇宙に迷い込んでしまい、アフウシ村の人々に助けを求めた私のように。そんな彼女を先に攻撃したのは私達、阿部警備だ。それに一方的に戦いを挑んで尾を切ったのは私なのだから、恨まれるのは当然だろう。彼女が以前私に行った襲撃と何ら変わりは無い。
悪魔は不思議そうな表情をして私の行動を見守っていた。
「お前がどういう気持ちで、小宇宙で暴れていたのか分かった。攻撃したり、大切な尻尾を傷つけて本当にごめん」
彼女に対して頭を下げた。空気が凍ったように沈黙が続いた。
「……は? 訳分からないことを言ってないで、攻撃してこい。ほらッ!」
悪魔が腕を振り上げる。空気を巻き込みながら螺旋状の炎の槍が形作られ、私の顔の横を通り過ぎていった。着弾したようで、背後から熱気が押し寄せてきた。
そういえば、こちらの世界では頭を下げるのが謝罪の意味になるのか分からない。手の平を合わせて謝る気持ちを表現しようとした。
「な、なな、どういうつもりだ?! よりによって、あたしになんて冗談だろ?」
先程にも増して悪魔が慌てている。よく分からないが、このジェスチャーは大宇宙では土下座に近い効果があるのかもしれない。攻撃手段の象徴である手の平を合わせることは、服従ひいては恐縮の意になると考えれば納得できる。
「本気だ。本当に申し訳ないと思っているし、俺のしたことを償わせて欲しい」
一層、強く手を合わせて頭を下げた。
「止めろ! 分かった、分かったから。頼むから止めてくれ!」
悪魔は取り乱して、イメージに似合わない歳相応の表情をしていた。言われた通りに姿勢を正して返事を待つ。
「……子分にだったら、してやってもいい。それで妥協しろ」
世界最強の生物に子分が必要なのだろうか。そもそも子分になることが償いになるのだろうか。よく分からないが、私は考えた末に頷いた。
「分かった。これからよろしく」
「勘違いするなよ。切られた尻尾の分の働きをしてもらうだけだからな」
洋平は小宇宙のどこかにいるはずだ。こちらの世界にいれば、会う機会もあるかもしれない。チヒロとの約束を破るのは気が引けたが、尻尾の先の代わりとして悪魔と共に行動することにした。