表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/40

0107:モーセの双剣

 慎重に腰を上げて、アンフィスバエナから降りてアスファルトの上に立った。同じく降りてきたチヒロと共に前に進み出る。


「兄ちゃん兄ちゃん、僕目がおかしくなったみたいや。人間が化け物に乗っとるように見えるもん」

「阿呆、ほんまに乗っとんねん」


 兄と呼ばれた男が、弟と思われるもう一方をスナップの効かせた手の甲ではたく。二人ともTシャツにジャケットを羽織ったラフな格好をしている。どちらも私達と同じくらいの年齢に見えた。


「なぁ、あんたらも神の使いかなんかか? あー、そもそも日本語通じとるんか?」

「俺は日本人だ。彼女も言葉が分かる」


 日本語で返事をしてやると、二人は余計に怪訝な顔をした。


「なら、なんで化け物引き連れてツーリングしてんねん。さてはエアケントニスか?」


 化け物のことを天使と呼び、歩み寄る姿勢を見せているエアケントニスの連中ならやりかねないと思う。しかし彼らと同じカテゴリに分類されるのは心外だ。


「あんな奴らと一緒にすんな。俺は永田和真。普通の大学生だ」

「私は永田千尋。普通の観測者よ」


 チヒロも私の自己紹介に続いた。こんな時まで夫婦ネタを引きずって苗字を合わせなくてもいいと思う。というか、普通の観測者とは何なのか一瞬考えてしまった。


「そっか。まぁ普通の学生は化け物に乗らんけどな。俺達のことは――、どこまで説明すればええんかな。うちのことなんて知らんやろ」


 兄が車の側面に書かれた『阿部警備保障』の文字を親指で指しながら喋る。突っ込みどころ満載なはずのチヒロのことは、見事にスルーされていた。


「いや、知ってるよ。面妖な脅威を滅ぼすことが生業、だったっけ? 安倍晴明の『あべ』とかいう噂のある」

「なら話は早いわ。俺は阿部警備保障、川崎事務所の酒井ろ……す」

「同じく、僕は酒井れむ……や」


 兄、弟の順で自己紹介をしてくれた。しかし威勢よく話し始めるのだが、二人とも名前を口にするにつれ尻つぼみになっていき、語尾は聞き取れなくなった。双子なので苗字で呼ぶわけにもいかず、折角名乗ってもらったのにお前と呼ぶのも失礼だと思う。仕方がないので聞きなおすことにした。


「悪い、酒井何だって?」

六無琉洲ロムルス零無洲レムス! そこは察して、二度も言わせんな!」


 怒られてしまった。名前を聞いて歯切れが悪かった理由も分かり、申し訳ない気持ちになった。


「ここって日本よね。外国の名前をつけるのが流行っているの?」


 知ってか知らずか、チヒロが追い討ちをかける。


「流行っているのとは違うかな。あれはドキュ――じゃなくてキラキラネームと言って、我が子に人と違う名前をつけたいという親心が生み出した、新しい日本の風物詩だ」

「真面目に説明すんな! 悪かったな! いっそDQNネームって言えや!」


 アンフィスバエナを通させてもらう交渉をするつもりだったのに、すっかり逆上させてしまった。


「もう一度聞くけど、なんで化け物を引き連れてんねん」

「事情があって、このドラゴンを全て橋の向こう側に送り届けたいんだ。街に害を為すつもりはないから見逃して欲しい。なんなら車で併走して確かめてくれても構わない」


 六無琉洲と零無洲は顔を見合わせた。相談を始めるのかと思いきや、馬鹿にするように鼻で笑った。


「それは無理や。うちらは川崎周辺の管轄なんやけどな、この橋を通してしまうと対岸の袖ヶ浦の連中にえらく責められんねん」

「その人達になんとか説明するから……」

「無駄よ。こいつら戦いが好きそうな顔をしてるもの。そうやって交渉したところで、何かと理由をつけて攻撃してくるわ」


 食い下がって何とか交渉しようとしたところ、チヒロが口を挟んできた。


「よぉ分かっとるやないか」


 六無琉洲が二本指を立てて左腕を上げる。胸ポケットから魔法陣の描かれたカードをつまみ出した。


「ルクア、アィスタリイ!」


 チヒロがラワケラムウの言語で声を張り上げた。アンフィスバエナの群れの向こうから、猛スピードで影が飛び出してくる。

 緑色の翼を羽ばたかせ、ルクアが私とチヒロの間に舞い降りた。巻き起こった風が吹き抜ける。

 二メートルを超える巨躯は、青と緑の羽で覆われている。体の各部は赤や黄や青の鮮やかな布や羽飾りで飾られ、頭部の羽飾りの間からは、鱗が生えたトカゲの顔が覗いている。人間の姿をした時の大人しく優しそうな雰囲気とは異なった、怖そうで貫禄のある姿をしていた。


「えらいごっついのが出てきよったな。それもお前らの仲間か?」

「あぁ」

「そんな悪そうな顔をしたやつは、どう見ても害を為す存在にしか見えん。全部排除させてもらうとするわ。……キュー・アール・ダブル」


 六無琉洲が詠唱を始めた。チヒロの言うとおり、戦闘は避けられないようだ。

 どんな魔術を使うか見当もつかないので、不用意に攻撃できない。私の魔術は攻撃力は申し分ないと思うのだが、カウンタータイプの魔術を使われたら、とてもまずいことになる。

 動けない私に代わってルクアが地面を蹴った。飛び立ったかと思えば、羽ばたいて宙で反転した。まるで空を蹴ったようだ。地と空を使ったトリッキーな動きで突進する。あれではどこから攻撃が出てくるか分からない。

 しかし六無琉洲は落ち着いて、詠唱を続けながら拳を振り被った。


「エヌ・エヌ・ワイ・エイチ」


 振られた鉤爪が、突き出された六無琉洲の拳に触れようとした瞬間、何か見えない力が働きルクアの体が弾かれた。強風が吹き抜け、私は思わず顔の前に手をかざした。


 風が起こったということは、衝撃波だろうか。魔術にパンチという動作を組み込んでいるあたり、愛さんの十八番である、アッパーの衝撃を魔術によって転移させる魔術に似ている。

 飛ばされたルクアが空中で体勢を立て直し、アスファルトの上に着地した。弾かれただけで怪我はないようだ。


「うねれ、水の精ウンディーネ」


 チヒロが走り出しながら短い詠唱を行う。みるみる手の中に水が集まり、凝結して氷の槍になった。柄は身長ほどもあり、メインの短刀の横には二つの円弧状の刃が枝のようにつけられている。コルセスカとかいう西洋の槍だ。

 六無琉洲はどちらかというとブロッカー寄りの魔術を使うようだ。恐らく零無洲がアタッカーであり、一人ではチヒロの攻撃を防げない。

 零無洲の前に立つと、チヒロは腰を落とし、柄を長く持って槍を引いた。零無洲がカードを目の前にかざす。


「ワイ・エイチ・ダブル・エイチ」


 氷の槍が突き出される。甲高い金属音が橋の上に響き、氷の破片が舞った。


「ちっ、外れか……」


 私と同じことを考えていたようで、チヒロが舌打ちする。零無洲は無傷だった。盾で防がれでもしたかのように、槍の軌道がずらされていた。

 こちらは山下さんの魔術に似ているが、威力を相殺するのではなく弾いていたので違う原理だと思う。


「キュー・アール・ダブル」


 体勢を崩されたチヒロに向かって、六無琉洲が殴りかかる。こちらがアタッカーだったらしい。


「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ!」


 魔術の詳細は分からないが、跳ね返されることは無さそうだ。カードを表に返し、魔法陣を目に焼き付ける。宙に現れた十個の鏡を、拳を振り被っている六無琉洲に向けて同時に撃ち出した。

 零無洲が六無琉洲の襟を後ろから引っ張る。一直線に向かっていった鏡は六無琉洲のいた場所を横切り、宙を切って海の彼方へ消えていった。


「世話の焼ける兄ちゃんやな。キューエスエムエルワイティー」


 零無洲がポケットからもう一枚のカードを取り出し、詠唱を始めた。


「すまん、油断した。キューエスエムエー」


 六無琉洲も詠唱を重ねる。協奏詠唱だろうか。それとも別々の魔術を使っているのだろうか。

 チヒロが肩幅に足を開く。氷の槍を片手で持ち、体重を後ろ足にかけ、腕をきりきりと引いて斜めに構える。


「ウンディーネは音を立てて流れ寄れ!」


 全身のバネを開放し、六無琉洲に向けて槍を投擲した。手から離れた槍が、後方に幾重にも蒸気のリングを纏って急加速する。


「ビー・アール!」


 拳を突き出しながら六無琉洲が詠唱が終えた。目の前の空間の一部が歪む。全方向に向けて空気が弾けた。氷の槍も、一帯のアスファルトも粉々に砕ける。協奏詠唱による六無琉洲の大規模な魔術だったようだ。

 チヒロが腹部を押さえ、苦痛の声を漏らしていた。


「大丈夫か?」

「破片が当たっただけよ」


 ルクアが地面を蹴り、再び攻撃を仕掛ける。


「キュー・アール・ダブル・エヌ・エヌ・ワイ・エイチ」

「ワイ・エイチ・ダブル・エイチ」


 今度は単体の詠唱だった。ルクアが何者かに背中を押されたかのように六無琉洲の前に突き出され、六無琉洲がパンチと共にルクアを弾き飛ばした。

 ルクアの巨体が回転しながら宙を舞い、壁を突き破って橋から落ちていった。間を空けて水音が鳴った。


「あいつなら飛べるし大丈夫よ。それよりあいつら、しょっぱい魔術でずいぶんと苦しめてくれるじゃない?」


 チヒロが顔を寄せて、双子に聞こえないように話しかけてきた。

 彼らの使う魔術自体の火力は低い。しかしコンビネーションが抜群だ。各人の詠唱と協奏詠唱を混ぜてくるので、どちらから攻撃されるか分からず対応することができない。対照的に、魔術に頼っている私達のでこぼこな関係がはっきりしてしまっていた。


「せめてあいつらの魔術が分かれば、少しはまともな戦いになると思うんだけどな……」


 苦戦している原因の一つに、未だに彼らの魔術の詳細が分かっていないことも挙げられる。相手の立ち回りを予想できないので作戦の立てようがない。


「ホントね? それならリバースエンジニアリングしてあげるわ。適当に攻撃してあいつらに魔術を使わせて」

「リバース、何だそれ?」

「詠唱と魔法陣を解析して、相手がどんな種類の魔術を使っているのか特定する技術よ」


 私の魔法陣は青木さんが描いてくれたものだ。使用者だけのルールに則っているのではなく、誰の魔法陣にも共通したルールがあるのだとすれば、それを読み取ることで範囲や対象、エネルギー源を推定できると思う。


「でも、そんな無茶な」


 口で言うだけなら簡単だが、人の魔法陣ほど読み辛いものはないし、詠唱だって理解するには相手を超える幅広い知識が必要である。魔法陣のプロと言われていた青木さんですらしていなかったのだから、難しさは想像を超えていると思う。


「普通なら読み取り防止のためにパッキングしてあるけど、問題ないわ。私だもの」


 しかし目の前の彼女も想像を超える天才だった。任せてみよう。

 ルクアはまだ上がってこない。魔術師見習いの私には荷が重いが、二人を相手にしなければならない。


「我は汝に啓示を与えるもの!」


 狙うのは霊無洲の横、周辺を照らしている街灯。鏡が支柱を斜めに切断した。


「ワイ・エイチ・ダブル・エイチ」


 零無洲が冷静にカードを目の前にかざして詠唱する。倒れ掛かった街灯が弾かれ、零無洲から逸れてアスファルトの上を転がった。ガラスが散乱する。


「……詠唱形式は『モーセの剣』、知識の扉」


 チヒロは双子の様子を真剣な眼差しで見つめ、ぶつぶつ呟いている。


「キュー・アール・ダブル・エヌ・エヌ・ワイ・エイチ!」


 六無琉洲が拳を振り被って襲い掛かってくる。地面を蹴って、横に身を投げた。私がいた場所のアスファルトが砕ける。


「同じくモーセの剣、輝ける右腕」


 素早く立ち上がって次の攻撃に備える。頬をぬぐうと、破片で切れたようで血がついていた。


「おまたせ、さすが私!」


 テンションを高くしたチヒロが大きな声を出した。


「兄の魔術は空気の圧縮。アスファルトを巻き込んで圧縮したり、急速に戻ろうとする力で攻撃を弾いたりしていたのよ。そして弟は透過膜ね。物質が空間を出入りする際に、サイズによる制限を加えて攻撃を防いでいるわ」


 本当に解読してしまった。それもたった一撃だけ見て、こんな短時間で。この女はどれだけ人間離れしていくのだろう。


「へぇ、驚いた。研究所の連中よりよっぽど優秀やないか。せやけど、それが分かったところで――」


 六無琉洲が拳を握って走り出した。私は前に進み出ながら詠唱を行った。


「火から土を、粗雑なるものから精妙なるものを分離せよ!」


 宙に浮かぶ十の鏡。今度は六無琉洲に向けて時間差で撃ち出す。六無琉洲は一つ一つの鏡を避けながら大きく後退して、舌打ちをした。


「零無洲は、質量のない俺の魔術を防げない。それに攻撃できるのは六無琉洲だけだから、六無琉洲の足を止めていれば『ほとんど』反撃されずに戦える」

「ぎりぎり合格点ね。「キューエスエム」から始まる詠唱は協奏詠唱だから、そっちにも気を払っていれば『まったく』反撃されずに戦えるわ」


 私が誇らしげに宣告すると、チヒロが付け加えた。小夜詠唱インタープリターで二本目の槍を作っている。


「零無洲、アレをやる! めっちゃド派手なのをな! ――ゼットアールワイキューワイ、ビーアール、ケーダブルイーワイエスダブルワイ」


 六無琉洲が片腕を突き出して詠唱を始める。今までのものとは違い、やけに情報量が多かった。


「これは……」

「エスエムエス、ビーアール、エスアールワイエーエス」


 零無洲も詠唱を重ねる。またもや協奏詠唱なのか別々の魔術なのか分からない。

 とはいえ先ほど発覚したように、六無琉洲から離れてさえいれば攻撃を受ける心配はない。落ち着いて状況を見極めようとした。


「まずい、そこから離れなさい!」

「え?」


 チヒロが私に向かって叫んだ。ぽかんとした顔をして返事をする。


「ビーディーエーエイチ、ビーアール、ゼット・ビー・エー・ゼット・エイチ!!」


 口角を歪めて笑った六無琉洲の顔が目に焼きつく。握られた手からオレンジ色の炎が噴き出している。揺らめきながら視界を覆っていく火の動きが、スローモーションに感じた。

 耳をつんざく爆音。橋を覆う熱気。一瞬にして、アスファルトを半球状に抉る大きな傷跡が残された。


「ちょ、和真君?! そんな――」


 チヒロが爆心地を見つめて呆然としている。そんな彼女の背中を、自分の葬式を見守ってでもいるかのような不思議な気持ちで眺めていた。


「ネサミムソモッナン」


 何度もすみませんと、ルクアにお礼を言って自分の足で立った。爆発に巻き込まれるギリギリのところでルクアが助けてくれた。

 チヒロが声に反応してこちらを振り向いた。彼女の取り乱した顔を初めて見た。


「まったく、あんたは――」

「ゼットアールワイキューワイ、ビーアール、ケーダブルイーワイエスダブルワイ」


 チヒロの言葉を遮って、六無琉洲が再び詠唱を始めた。

 どうしていいか分からず、とりあえず走り出す。チヒロが併走する。


「なんなんだ、あの爆発は?」

「透過膜で分子量の大きな分子を追い出して空間の水素濃度を上げてから、空気の圧縮で発火させたのよ。空間の爆弾ってところかしら。この辺り全てを対象にされたら、防ぎようがないわね」

「そんな?! だいたいお前、阿部警備と会ったら私が蹴散らすとか言ってたのに、なんで今日はそんなに控えめなんだよ?」

「悪かったわね、クチザムの濃度が予想以上に少ないのよ。魔法と魔術の併用に慣れているから、魔術だけっていうのが苦手なの」


 言葉を聞き終えた瞬間に足を止めた。チヒロも止まり、不思議そうな顔をしている。


「――我は汝に啓示を与えるもの。これでいいか?」


 鏡をチヒロの上に展開した。大宇宙から濃い奇跡の粒子が流れ込んでくる。


「その手があったのね、ありがとう。さてと、約束を果たすことにしましょうか」


 チヒロが双子と向き合った。


「広やかにみなぎり渡る大気よ、冷気をたっぷりと吹き入れよ。水気を含んだ霧の棚よ、漂い来たって辺りを巡れ。水よ、したたり、ざわめき、雲よ、捲き起れ」


 チヒロが詠唱を始める。水色の光を放つ魔法陣がいくつも宙に浮かぶ。

 海水の水位がぐんぐん上がっていく。ついに橋の高さを越えて、両脇に水の壁を作り出した。壁の向こうに海草やゴミが浮かんでいるのが見え、かなり不気味である。


「なんや、これ?!」

「零無洲、お前の透過膜で防ぐんや!」


 兄の言葉に反応し、零無洲が慌ててカードを目の前にかざす。


「無駄よ。車のバッテリー程度のエネルギーで、これだけの水の位置エネルギーを打ち消すなんて不可能だもの」


 詠唱途中に口を挟んでいる。さすが天才だ。私なら集中が途切れて魔術が解除されてしまうだろう。


「――虚妄の炎の戯れは一条の稲妻の光に」


 海水を塞き止めていた力がふっと消え、水の壁が合わさり呑み込んでいく。不思議なことに私やアンフィスバエナの方には水が流れてこなかった。

 橋の上の水が全てはけた。進行方向には、横転したワンボックスカーが一台しか残っていなかった。




 チヒロと協奏詠唱を行い、帰りの鏡を生み出した。小宇宙側で待機し、乗っている村人に「お疲れ」と声をかけながら通過したアンフィスバエナを数える。

 ――三十二匹。無事全匹送り届けることができた。空が明るくなりかけており、時間的に危ないところだった。

 鏡の向こうは既にナカマルカ砂漠の中だった。海岸まで黄色い砂が続いてる。

 村人達が乗っていたアンフィスバエナの鞍と手綱を外していく。私も乗せてもらったお礼の意味もこめて、村長の作業を手伝った。村人達の真似をして、ぎこちなく竜の首を撫でる。滑らかな手触りで気持ちいい。


「ラノヤサ……」


 村人達が口々に「さよなら」という意味の言葉を口にする。別れであることを理解しているのかは分からないが、アンフィスバエナ達は背中を押されても彼らの前から離れようとしなかった。


「ラノヤサ!」


 村人が口調を強くする。アンフィスバエナ達は何度も振り返りながら走り去っていった。


 誰も言葉を発しようしない。一定のリズムを刻んでいた波の音に、しゃくりあげる音が混ざった。つられるように次々に村人達が泣き出す。

 本当にこれで良かったのだろうか。ボギ砂漠で人間と竜が幸せに暮らし続けることができる選択肢もあったのではないだろうか。神を否定したあの時のように、文化の違いを理解できずにまた失敗したのではないだろうか。


「あんたは、よくやったわ」


 チヒロに肩を叩かれた。思っていたことが顔に出ていたようだ。


「私だけじゃ、小宇宙を使おうなんてアイディアは絶対出てこなかったわ。あんたは、よくやってくれた」


 認めてくれたことが素直に嬉しかった。


「……ありがとう」

「さ、帰りましょうか。この後は――」


 チヒロは照れ隠しをするように、さっと背中を向けた。そして海の向こうを見つめたまま固まった。私もその行動の意味するところに気付き、固まった。


「そういえば帰りのことまで考えてなかったな。足がないから、またアクアラインを通るわけにもいかないし、どうしようか」

「……訂正するわ。やっぱ、ただの馬鹿ね」




 アンフィスバエナの件を解決してから一週間が経った。私とチヒロは、彼女の家の地下室にいた。

 アンフィスバエナをナカマルカ砂漠に送ってから、三日間かけてボギ砂漠まで戻ってきた。残りの四日間は魔術の指導を受け、とうとう帰宅の許可を得ることができた。あの一件で彼女とスムーズにコミュニケーションをとれるようになり、最初の頃のぐだぐだな講習が嘘のように魔術を使えるようになった。


「ありがとう。お世話になりました」


 彼女に出会っていなければ、小宇宙に帰ることはできなかったと思う。言葉で伝えきれない分を補うように深く頭を下げた。


「お世話しました。感謝しているなら、もう私の手を煩わせないでね。もう一度言うけれど、今度こっちに来たら、凍らせてオイクオツ湾に捨てるわよ」

「我は汝に啓示を与えるもの」


 チヒロに背を向けた。カードを表に返し、自分で書き直した魔法陣を目に焼き付ける。数週間前とは比べ物にならない、揺らぎが少なく安定した鏡が現れた。


「――ずっとこっちの世界にいたら駄目かな」


 顔だけ振り向いて尋ねる。


「わがままを言わない。君は偶然こっちの世界に来てしまったけれど、本来なら存在を知ることなく一生を終えなければならないの。君の居場所はあっちの世界なんだから」


 彼女の言う通りだ。諦めて前を向き、鏡を見た。


「……そうそう、これくらいなら持ち帰ってもいいわよ」


 後ろから何かが差し出された。視線を移すと、ボギ砂漠の村から届いた手紙だった。

 しばらく前に届いたもので、その時はチヒロが読んでいたのを横から覗いた。主に村の近況や今後の方針、チヒロに対する侘びの言葉が書かれていたが、私にも感謝の言葉が述べられており心が温まった。興味が無いふりをしていたが、ばれていたようだ。


「ありがとう」


 ポケットに大切に仕舞いこんだ。足を踏み出し、鏡面に体を埋める。そして私は大宇宙を去った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ