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0106:疾走アクアライン

 真っ暗な闇に映える、赤、白、黄、様々な色の光。海岸線に広がる夜景を望む。大宇宙の神秘的で豪快な綺麗さとはまた異なった、冷淡で繊細な綺麗さだ。ここは海上海中を通って神奈川と千葉を結ぶ高速道路、東京湾アクアライン連絡道。

 深夜で車がいないことをいいことに、道路の中央へと歩み進む。私の足音に続いて、ネチャネチャとアスファルトを踏み鳴らす音が無数に聞こえている。振り向くと、三十二匹のアンフィスバエナと目が合った。手綱と鞍がつけられ、一匹に一人ずつ村人が乗っている。さらに後方には、緑の翼を生やした人型の獣まで飛んでいる。この世界にはあまりに似つかわしくない光景。できることなら映画のワンシーンだと思ってしまいたい。

 走り出すための準備が済んだようだ。腕を引っ張って補助してもらい、村長の駆るアンフィスバエナになんとか飛び乗った。触れた部分から冷たさが伝わってきて、不思議な感じがする。しかし呼吸に合わせて腹が膨らんでおり、生き物に乗っていることを実感できた。

 チヒロの乗った竜が近くに寄ってきた。彼女はたかだか三十秒で竜に乗る方法を学び、今も一人で手綱を握っている。

 私達の乗る二匹の竜が先頭に立つ。これから始まるのは、二十キロメートルの行程の大名行列ならぬドラゴン行列。

 こんな形でこちらに戻ってくるとは予想だにしていなかった。時間は七時間ほどさかのぼる。




 村人達の企みが判明し、私達は話し合うために村に戻った。今は村長の家にお邪魔している。机を挟んで座っているのは村長と、真っ先にアンフィスバエナに駆けつけた村長の娘、守備隊長の男である。だいぶ暗くなっていたので、村長が机の上に火を灯した。


「では改めて、なぜ我々にアンフィスバエナを見せないようにしていたのか教えていただけますか?」


 ルクアが口を開いた。砂漠では、彼らは王都に反旗を翻すつもりだったのではなく、逆に放っておいて欲しかったのだと言っていた。真意を確かめる必要がある。


「では、私の口から話しましょう」


 顔を見合わせアイコンタクトを送ってから、村長の娘が話を始めた。年齢は三十台半ばくらいだろうか。質素な感じの美人さんである。


「どこから話せば良いでしょうか……。あぁ、アンフィスバエナは元々、オスオブ半島にあるナカマルカ砂漠の生き物だったというのはご存知でしょうか」

「いえ、それは初耳です」

「私は一度本で目にしたことがあったわ。道理で、ボギ砂漠にアンフィスバエナがいると聞いて不思議に思った訳ね……」


 ルクアとチヒロが答える。私は場違いな気がして、机の隅で小さくなって口を閉じていた。


「ここにいるアンフィスバエナは全て、王都がボギ砂漠で繁殖させたものです。南の防衛力が地形的に薄いので、ドラゴンを放つことで補おうと考えていたようです。この村は彼らを飼育するために作られました」


 村長の娘は「今となっては、村の人間以外の頭からそんなことは忘れられてしまった」と付け加えた。


「最初のうちこそ嫌な仕事を押し付けられたと思っていたようですが、住民の考え方は徐々に変わっていきます。ドラゴン達と接しているうちに第二の娘、息子のように思えてきて、それは手塩にかけて可愛がり、役割を立派に果たしてきました。もちろん彼らの子孫である私達も同じ気持ちです」


 部屋のあちこちに見えるブラシや鞍、桶はアンフィスバエナのためのものなのだろう。人間の使うものと並んでいるあたりに愛情が見て取れる。


「しかしご存知の通り、アンフィスバエナの数は段々と増えていきますが、村人の数は減り始め、管理が行きとどかなくなって事件を起こしてしまいました。これでも全てのアンフィスバエナの所在場所を確認し、砂漠から出そうになった子は村に戻すように注意を払っていたんですよ? それに――」

「今何匹いるの?」


 チヒロが素早く口を挟んだ。娘はまだ言い訳を喋りたそうにしていたが、言葉を切って答えた。


「三十二匹です」

「うへぇ」


 砂漠の面積に対して個体数が少ないように感じるが、足が速いのでその分一匹一匹の縄張りが広いのだろう。チヒロとルクアの反応からして相当多いようだ。


「その後、数を調整するように指示を受けた人間がこの村にやって来るという噂を耳にしました。そこで知覚阻害の魔法を用い、村全体で口裏を合わせることでアンフィスバエナはいないということにしようとしたんです。自分の都合で増やしておいて、また自分の都合で減らそうなんて間違っています。私達はアンフィスバエナを守っていくつもりです」


 話が終わったようだ。娘は木のカップに入った水を口に運んでいる。


「そんなこと言っても、被害が出ている以上なんとかしなくちゃいけないでしょ」

「人間には都心部に移ってもらい、アンフィスバエナの住処を広げてもらう旨を記した請願書を提出するつもりです」


 チヒロの問いに対して村長が答える。


「移る人間の気持ち云々を抜きにしても、今後も生息域は広がる可能性があるんだから解決策にはならないと思うけど……」

「私もそう思います。請願書の内容が実現される可能性も低いでしょうね」


 チヒロとルクアが思いを述べた。私も彼と同意見だ。今まで忘れていた政策の産物を、今更人間よりも優遇するとは思えない。


「じゃあどうすればいいと言うんですか。あの子達の数を減らすつもりなら、私達はあなた達と対峙することも辞しません」


 あなた達という言葉の中に王都も含まれていることは、机の反対側に座っている彼らも分かっているだろう。


「そう生き急がなくてもいいじゃない。こんなのはどう? 今回はあなた達が折れてアンフィスバエナの数を減らして、今後それ以上に数が増えないように生殖を制限するとか」

「そういう弱者や少数が被害を受ける考え方がおかしいと思います。生まれる命を人の手で制限するというのも、神に背く行為でありおこがましいですし」


 また神か。村長の娘の言葉から、ルミソヤさんのことを思い出した。しかし理由を並べて神を否定しても、あの時の二の舞になってしまい解決策にはならないだろう。神についてどうこう口にしようとは思えなかった。




 体感時間で二時間は議論が平行している。村に来てからずっと黙っていたが、とうとう耐え切れなくなり口を挟んだ。


「元々違う場所の生き物なんですよね。本来の居場所に返したらどうなんですか?」

「それもそうよね。あなた達的にはどうなの? 離れたくないとか言い出すなら、議論を止めた方がいいと思うけど」


 チヒロが尋ねながら、さりげなく釘を刺す。あちらも武力の衝突は避けたいと考えているはずだから、ノーと言わざるを得ないだろう。ひょっとしてこの女はその提案を思いついていながら、誰かにトスを上げてもらうのを待っていたのだろうか。


「見くびらないで下さい、私達もそれを考えました。しかしナカマルカ砂漠との間には海峡があります」


 村長の娘が机の上に大きな皮の巻物を広げた。フラクタルみたいな複雑な曲線が描かれており、アフウシの言葉で地名が書き込まれている。地図のようだ。王都ラワケラムウの南西、ボギ砂漠はすぐに見つかった。さらに、彼女に指差された先にナカマルカ砂漠の文字がある。確かに大きな海峡を挟んでおり、直線距離で行くのは難しそうだった。


「連れてくる時はどうしたんですか?」

「陸地を通ってきたようです。最初は数匹の幼体だけだったので」


 娘が海岸線に沿って指を動かす。距離は倍近く長くなるが、行けないこともなさそうだ。


「迂回するとしても王都を通らなければならないので、それだけの数のアンフィスバエナを連れて行くのは無理でしょうね。さらに王都を迂回しても、隣国との国境付近を通過しなければならない。余計な緊張を生まないためにも、それは絶対に避けなければなりません」


 ルクアが顎を撫でながら呟く。さすが一国を守る騎士団長らしい意見だ。


「海峡を通れればいいんでしょう。私が海を凍らせるわ」


 チヒロが海峡を通った直線に沿って指を動かした。こちらもさすが唯我独尊、自信過剰な意見だ。


「確かにそれなら――いや、アンフィスバエナは乾燥帯の冷血動物なので移動速度が大幅に低下するでしょうし、あそこは強い暖流がある不凍港ですから無謀でしょう」

「私は出来ると思うんだけど、あんたがそこまで言うなら、そうなんでしょうねぇ……」


 さすがのチヒロも、ルクアの意見には大人しく従った。

 こちらの世界では、全てのアンフィスバエナを積載できるような船は用意できないだろう。飛行機なんて尚更だ。こんな距離では橋も作ることはできない。

 地図を眺めていてふと疑問に思うことがあった。オスオブ半島の形、湾の窪み方がどこかで見たことのある地形に似ている。

 地図を凝視していたチヒロに耳打ちする。


「小宇宙と大宇宙の地形は一致しているのか?」

「だいたい同じよ。平行世界といっても、世界の始まり方は同じだったはずだから」


 そう、王都周辺は南関東の地形と対応しているのだ。


「それなら俺の魔術で小宇宙を通らせればいいんじゃないか? あっちの世界なら、ボギ砂漠からナカマルカ砂漠まで一気に橋が通っているはずだ」

「確かに新しいアイディアだけど、自分一人ですらまともに送れないでしょうが」


 耳が痛い。しかしすぐに、小宇宙での魔術師見習いの経験を思い出した。


「お前が協力してくれたら、協奏詠唱マルチスレッドでいけると思う」

「協奏詠唱、ね。私の魔力を足せば少しはマシになるか。……分かった、やりましょう」


 予想外にすんなり意見が通ってしまった。チヒロが皆に話そうと息を吸ったので、思わず引き止めた。


「自分で提案しておいてなんだけど、平行世界のことって大宇宙の人間に知られても大丈夫なのか? お前一応、観測者なんだろ?」

「何で? 別に問題ないじゃない。それぞれの世界の住民の生活を守る方がよっぽど重要よ」


 さも不思議そうに答えている。思っていた反応と全く異なっていたので笑ってしまった。


「お前のこと、頭が固い人間だと思ってたよ」

「土地に縛られてこんなことしているんだもの、間違っていないわ」


 チヒロも苦笑いを浮かべている。目に付きにくく、車の走行量が減る深夜に決行することになった。




 一旦解散した後も、私は村長の家で一人で地図を眺めていた。ここは小宇宙でいう川崎の辺りで、ナカマルカ砂漠は千葉県の南西の辺りである。これなら都合よくアクアラインが通っている。道は広いし、交通量は少ないし、アンフィスバエナの速度なら高速道の車にも見劣りしない。ジグソーパズルのピースのように、条件が怖いくらいピンポイントにクリアされていった。


「発案者がそんな不安そうな顔を見せるんじゃないわよ」


 家の入り口を潜ってチヒロがやって来た。わざとらしい笑顔を見せてやったところ、鼻で笑われた。


「竜と騎手が集まったわ。始めましょう」


 村長の家から出ると、既にアンフィスバエナに乗った村人達が池のほとりに集まっていた。


「アクツオハミアヂ、この作戦は本当に大丈夫なんですかい。世界が二つあるなんて、何度聞いても信じられんです」


 守備隊長がチヒロに話しかけた。近くにいた村人達も大きく頷いている。ルクアや村人達に私達のことを簡単に説明したが、まだ半信半疑という人が多いようだ。


「そのもう一つの世界に、こんなことわざがあるわ。百聞は一見にしかず、ってね。腰を抜かさない程度に気合入れてついて来なさい」


 そんな説得の仕方があるか、と思うが、村人は納得しているようだった。私はルクアを見つけたので話しかけに行った。


「遅くなってしまいましたけど、昼間は助けてくれてありがとうございました」

「どういたしまして。あなたのことを不思議な雰囲気をした方だと思っていましたが、違う世界の方だったんですね。それにしても、アクツオハミアヂの夫というのは本当だと思っていたので、そちらの方が驚きましたよ」

「本当ですか? てっきりバレバレだと思ってたんですが……」


 改めて思い起こしても、夫婦というよりただの主人と雑用係の関係だった気がする。ともかく、小宇宙に行くにあたって気にしていたことを伝えておくことにした。


「悪魔から聞いた話によると、獣の血が濃いと人間の姿を保てないみたいなんで、一応気にしておいて下さい」

「そうですか……。悪魔と違って私はクオーターなので、影響は多少違うと思いますが、分かりました」


 ルクアとの会話を終えると、チヒロが話しかけてきた。


協奏詠唱マルチスレッドを始めようと思うんだけど、準備はいい?」

「いつでも大丈夫」


 魔法陣の描かれたカードをポケットから取り出した。村人達とルクアが不思議そうに眺めている。


「会得すべし、一を十とせよ。二は去らしむべし」


 チヒロが宙に光の魔法陣を展開して詠唱を始めた。ジャストインタイムをかじった今なら、その凄さが分かる。耳をすませて裏返したカードに集中した。


「ただちに三を作れ。しからば汝、富むべし。四は手放せ。五と六により、七と八とを作れ。これ魔女の勤めなり。それにて成就疑いなし」


 莫大な魔力が流れ込んでいる、気がする。深部に意識を傾ける必要がなく、高揚が始まった。


「九は一にして、十は無。――これぞ魔女の九々」

「――我は汝に啓示を与えるもの!」


 チヒロの詠唱が終わった。カードを表に返し、魔法陣を目に焼き付ける。宙に現れた白い光の点が、四つの辺を形成しながら急速に広がる。一人で生み出すのとは比べ物にならないような巨大な鏡が地面と垂直に現れた。

 砕けないように意識を向けながら、鏡に向かって歩く。鏡面には幅の広い片側二車線の道路が映っている。見えているのに触れた感覚が無い、気味の悪い思いをしながら通り抜けた。


「久しぶりの小宇宙だけど、感想は?」


 現在地を確認しようと思い辺りを見渡していると、鏡の向こうからチヒロの声がした。


「何も変わってないな。……フライングだけど、ただいま」




 万が一車と遭遇した時のことも考え、道路交通法に従って二列になって左車線を走る。すれ違ったとしても、大半の人間には認識することができないだろうが。ルクアはウィツィロポチトリの姿でしんがりを努めてくれていた。


「どうです、爽快でしょう?」


 前でアンフィスバエナを御している村長が話しかけてきた。緊張ですっかり乗り心地を確かめるのを忘れていた。心地よい間隔の揺れや、うごめいている筋肉を除けば、風を切って走る様はバイクに乗っているようだ。


「さすが速いですね。気を抜いたら振り落とされそうです」

「はは、気をつけてくださいね。まだ全速力の半分くらいのスピードですよ」



 ようやくスリルを楽しめるようになってきた頃、進行方向にトンネルが見えた。村人から驚きの声が上がっている。トンネル自体見るのが初めてだろうし、それが海の中に潜っているのだから尚更だろう。

 先頭を走っていた私の乗るアンフィスバエナが、ナトリウムランプの照らすトンネル内に突入した。


「真夜中だというのに、随分と明るいんですね。四柱クラスの魔力の持ち主が管理しているんでしょうか」

「いや、こっちの世界に魔法は無いんですよ。これは電気って言って、あっちでいう……雷みたいなものです」

「ほう、雷ですか。上級の魔法使いでないと扱えないと聞いています」


 魔法が無いというのに魔法から離れてくれない。私の言語能力では説明しきれないことを悟った。


「毒ガスのような臭いがしますが……」

「排気ガスですね。説明する時に話していた、『車』の呼気みたいなものです。直接の被害があるわけじゃないんで、大丈夫ですよ」


 言われてみれば、微かに胸が重くなるような臭いがしていた。解説しながら、常に空気の綺麗なところにいる大宇宙の人間にはきついかもしれないと思った。



「何の話? 私も混ぜなさいよ」


 チヒロの駆るアンフィスバエナが幅寄せし、並走を始めた。初めての乗竜とは思えないくらい自在に走らせている。


「乗りこなしてるな」

「ほとんど馬に乗るときと同じ要領よ」


 そもそも馬に乗ったことがないので分からないが、そんなものなのだろうか。


「こんなところを阿部警備に見られたら、腰を抜かすほど驚くだろうな」

「もう見つかってるわよ。あそこの本部にも、私の家にあるようなクチザムの計測器があるはずだもの」

「は? 聞いてないぞ」

「そりゃ、話してないからねぇ。知ったところで、先を急ぐ以外の選択肢は無いでしょう。遭遇しなければ良し、遭遇したところで私が全部蹴散らしてあげるわ」


 どのみち引き返すという選択肢はない。やり込められたと思いながら走り続けた。




 トンネルを抜け、再び橋の上に出た。行程の半分は越えただろう。あとはオスオブ半島にあたる千葉県に上陸したところで、再び協奏詠唱で出入り口を作って、全てのアンフィスバエナを大宇宙に戻すだけだ。

 進行方向に、道を塞ぐように横付けされたワンボックスカーが見えた。このままではぶつかってしまう。村長が止まるように大きな声で号令を出し、皆一斉に手綱を引いた。


 白い車体の側面には、黒い文字で『阿部警備保障』と書かれていた。走り出してから車と会っていないので、目撃情報があったとは考えにくい。チヒロが言っていたようにクチザムの計測器のせいで見つかったのだろう。何事もなく終われば良かったが、こうなったら仕方がない。戦闘が始まってもいいように気合を入れた。

 運転席と助手席のドアが開き、二人の男が降りてきた。二人とも髪をもっさり内側に巻いた、俗に言うキノコヘアーをしている。体格も顔立ちもよく似ており、双子に見えた。

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