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第6話 夢じゃなかった

朝。


鳥の声が聞こえ、窓の外は白み始めていた。


けれど、私はまだ一睡もできていない。


寝台は広く、枕もふかふかで、絹のシーツはまだ体温を知らないまま。


私は、できるだけ隣の部屋から遠い場所で、ひとり膝を抱えていた。


目を閉じ、耳を塞ぎながら――

扉の向こうから漏れてくる、夫と「私ではない女性ひと」が奏でる音を、

なかったことにしようとしていた。


……そしてただ、これが夢であってほしいと、祈るように願っていた。


どのぐらいの時間が経ったのだろう――

扉が開く音が、どこか遠くから聞こえた気がした。


「アリステリア様……?」


鈴が転がるような声とともに、誰かの指がそっと肩に触れた。


顔をゆっくりと上げると、霞む視界に、朝の光を受けたソフィア様の姿が映った。

薄絹のような白いナイトローブを身にまとい、長い睫毛を伏せて、優しく微笑んでいた。


ぽつりと言葉が零れた。


「……わたくし……」


涼やかな笑顔を浮かべ、彼女はこう言った。


「朝ですわ。今日からは、公務が始まります。

 さあ、ご自分のお部屋に戻ってくださいな」


まるで何事もなかったかのように。


ぼんやりしたままソフィア様に促され、扉をくぐる。

そこには、既に着替えを済ましたエルネスト様が微笑んでいた。


「アリステリア、おはよう。昨日はよく眠れたかい?」


これまでのようにやさしい声。

私は混乱した。

昨日、ここで起きたこと――あの悪夢は、夢だったのではないか……と。


「さあ、準備を整えなさい」


頭が働かない。ふらつきながら、衣装棚の前で支度を整える。

その瞬間、ほのかに甘い香が漂ってきて、寝台に視線が移った。


何事も無かったかのように豪奢な寝台は整っている。


どこか、さまようように視線を移す。

ソフィア様の部屋と通じる扉のあったはずの場所には、本棚。

やっぱり……夢だったのに違いない。


ノックの音――エルネスト様が扉を開き、使用人が朝の挨拶と共に入室した。



朝食の時間になっても、私は何も食べたいと思えなかった。


使用人は淡々と支度を整え、侍女は「よくおやすみになれましたか?」と微笑んだ。


まるで、昨日の夜などなかったかのように。

……そう、あれは夢だった。そうに決まっている。


私はそう思いながら、ふらつく足元を律して食堂へ足を運んだ。


后妃専用の食卓は清らかで、美しく整っていて、

その中に――彼女がいた。


今日もソフィア様は可憐で清楚だった。

王妃としての礼装に身を包み、いつも通りの気品と慈愛に満ちた笑みをたたえていた。


少し首を傾げながら、彼女は私に言った。


「おはようございます、アリステリア様。

 昨夜は、ぐっすりとおやすみになれましたか?」


声も笑顔も、昨日と変わらぬ穏やかさだった。

まるで、朝露のように澄んだ気配。


その声は優しかった。

あまりにも、優しかった。


未だにはっきりしない意識の中、彼女の言葉だけが頭に響く。


「初めて王宮に入った日は、緊張して眠れないものですよね。

 わたくしも、そうでしたのよ?」


私は何も答えられなかった。


けれど――

次の瞬間、彼女はほんのりと頬を染めながら、声をひそめてそっと言った。


「……昨夜、少し物音がしたかもしれませんわね。

 なるべく静かにしていたのですが……気になってしまわれたなら、ごめんなさいね」


ソフィア様は、恥じらうように眉を下げ、微笑んだ。


「大丈夫です。エルネスト様は、誰よりも優しいお方ですから」


にこりと笑い、カップに手を添える。


周囲に控える侍女たちが、小声で囁き合う。


「なんてお優しい王妃様……」

「あのような深い慈愛……やはり聖女と讃えられるお方……」

「新しい妃殿下の方こそ、あんなに緊張なさって……」


私は、ただ、座っているしかなかった。


「わたくし、アリステリア様で……本当によかったと思ってますの。

 これからは、家族として。どうぞよろしくお願いいたしますわね」


……ああ。

夢なんかじゃなかった……。


やっぱり、全部――本当だったのですね……。

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