あの夜を越えて、はじまりの朝(幕間:第17.5話):セイランSide【前編】
本編では触れられなかった、静かな余白を綴る一篇です。
狂ってしまった運命の歯車――初夜ののち、セイランの胸に去来した想いとは――。
夜更けの寝室。
月明かりが、薄く揺れるカーテン越しに差し込み、彼女の金糸の髪を柔らかに包み込む。
彼女――アリステリアは、静かにセイランの胸の中で眠っていた。
その柔らかな髪にそっと指を滑らせながら、彼はふと、あの日のことを思い出そうとしていた。
彼女の眉間がふと、わずかに寄る。夢の中で何かを思い出しているのか、それとも――。
(さっきも、そうだったな)
◆
そのとき、彼女の肩はかすかに震えていた。
少し躊躇した俺に――
「……大丈夫です……」
震えながらも、そっと指が絡まる。
その小さな温もりは、言葉以上に雄弁だった。
「……俺がいるから」
耳元で囁くと、彼女の表情が少しだけ和らぐ。
その震えは恐れでも羞恥でもない。
それが俺を求める温度だと気づいたとき、俺は強く誓った。
君を二度と孤独にさせはしない、と。
言葉は交わさなくても、触れるたび、心は確かに通じ合っていった。
彼女の抜けるように白い肌は、近づくほどにやわらかくたゆたう。
震えながら交わす唇と、しがみつくように交わされた腕。
「……セイラン、恐れないで」
かすれた声で名を呼ぶと同時に、背に指が触れる感覚。
俺のほうこそ、彼女を失うのが恐ろしくてたまらなかった。
なのに、彼女はこんなにも強い。
もう後戻りはしない。
俺は息を呑み、彼女を深く抱き寄せると、吐息が月明かりに溶けた
互いの鼓動が重なり、月明かりの下、影だけが緩やかに彷徨う。
夜は静かに深まり、ただ二人だけの世界を包み込んでいった――。
やがて――静かに、その涙に濡れた瞳で俺を見つめると、彼女は囁いた。
「……愛しています」
その一言で、俺の過去も罪も、すべて赦された気がした。
レース越しの月明かりに、淡く浮かぶ曲線が揺れ、その影までも甘やかな夢のようだった。
◆
思わず、眠る彼女の頬に唇を寄せ――そこで一度、言葉をのみ込む。
こんな時も「愛してる」と言えない自分が、可笑しくも情けなくも思えた。
唇が触れた瞬間、身体の芯がじんと熱くなる。
(俺で良かったんだよな?)
口には出さない。きっと笑われてしまうから。
セイランが小さく息をのむと、彼女が寝返りをうつ。
長いまつげが揺れて、唇にかすかな笑みが浮かぶ。
彼女の笑みがそっと肯定している気がした。
その無防備な表情に、思わず胸が熱くなる。
(……こんな夜を、俺は望んでいたのかもしれない)
過去の罪、救えなかった者たち。
それでも――彼女だけは、手放したくなかった。
一息、彼は喉の奥で笑う。
彼女は夢の中でも、きっと気高く、美しいままだ。
そして、遠く過ぎた、彼女と出会った日のことを思い出す――。
17.5話 セイランSide、前・中・後編でお送りします。




