あの夜を越えて、はじまりの朝(幕間:第17.5話)
本編の終盤、ふたりの結婚式のあとにそっと差し込む、“しあわせ”な幕間です。
派手な展開はありませんが、愛する人とともに彼女が迎えた、はじまりの朝を綴ってみました。
朝靄が薄く差し込む窓辺に、白いレースのカーテンがそよいでいた。
アリステリアは、ふわりと瞬きをした。
視界に広がるのは、見慣れない天蓋と、柔らかな朝の光。
(……ああ、そうだわ)
昨夜、式のあと――
この部屋で、彼と……。
思い出した瞬間、胸の奥がふっと熱くなった。
泣きたくなるほど、あたたかくて――。
体に残る熱と、かすかな違和感。
柔らかなシーツの感触が、素肌に心地よい。
無意識に身じろぎしながら、そっとシーツを胸元まで引き寄せた。
(……本当に、こんな朝が来るなんて)
隣に視線を移すと、眠るセイランの横顔があった。
深い眠りの中にいるらしく、その眉間はわずかに力が抜けている。
その寝顔が――少しだけ、幼く見えて。
(なんだか、子どもみたい……)
くすっと笑って、そっと指先で彼の頬をつついてみる。
起きる気配はないけれど、眉をひそめて寝返りを打った。
「ふふ、ごめんなさい」
思わず声が漏れて、私は小さく口元を押さえた。
(本当に……不思議な人)
優しく触れてくれた手。
名前を呼んでくれたときの声音。
傷を、痛みを、すべて抱きしめてくれた体温。
(……はじめての、わたくしの夜……)
なんだか恥ずかしくなって、思わず顔を背けてしまう。
でも、やっぱり。
私は彼の胸にそっと顔を添えた。
あたたかな鼓動――
今なら、心から甘えていいと思えたから。
……聞こえてくる、かすかな寝息。
それが、心地いい。
私はそっと、彼の頬に顔を寄せる。
小さく息を吸って――
「……おはよう、セイラン」
小さく囁いたその声に、彼が目を開ける。
「……おはよう。……よく眠れた?」
「ええ、とても」
恥ずかしさと幸せが混じった声でそう答えると、彼は少しだけ微笑んで、
眠たげなまま私の髪に手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。
そのまま、やさしく髪に口づけてくれた。
熱ではなく、静かなぬくもりが、心の奥に染み込んでゆく。
「……よかった。昨夜……寒くなかったか?」
「ふふ、そうね。すこしだけ。でも、あなたがすぐ……」
言葉を紡ごうとしたとき、ふと、封印していたあの夜のことが脳裏をよぎる。
あのとき私は、“愛される”ことを、信じて疑わなかった。
けれどその期待は――「あなたではない」と、ほんの一瞬で裏切られた。
それからというもの、触れる手も、呼ばれる声も、夜の囁きも……すべてが、痛みになった。
(でも、あなたは……)
セイランは、どこまでもやさしく、静かに抱きしめてくれた。
その腕に身を預けた瞬間、過去がほどけてゆくのを、たしかに感じた。
――彼は私をじっと見つめながら、少し怪訝な顔をした。
「……その……もしかして、俺……君に、その……」
「……ばか」
私は、思わず照れ隠しに視線を逸らし、そっと微笑むと、彼の鼻を指先でつん、とつつく。
「今、鼻をかこうとしたでしょ?」
「あ、バレた?」
「いけませんわ。
そんな癖のままでは、“困ったら鼻をかく王様”として歴史に残ってしまいますもの。
……私の前だけに、してくださいましね」
困ったように苦笑する彼と目が合って、ふたりでくすくすと笑いあう。
「……なんだか、夢みたい」
「夢?」
「ええ……」
少しだけ息を整えて、私は微笑んだ。
「だって……あんなふうに、大切にされるなんて……」
セイランは言葉を返す代わりに、私の額に静かに唇を落とすと――
「君を泣かせる夜は、もう二度と来ない」
その言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
「私、昨日は……少し泣いてしまったかも」
「嬉し涙なら、いくらでも流してくれて構わないさ」
私ははにかみながら、ゆるく肘に頬を預けた。
そのまま、ちょっと調子のいいことを言う旦那様を、じっと見つめる。
「なんだか、今日のセイラン、いつものおじさんじゃないみたい」
「……それなら、今日だけは“若者”扱いで頼むよ」
「ふふ。いいわよ、ほんのすこしだけなら」
(そんなふうに、やさしく微笑むから……
つい、からかいたくなってしまうじゃない。
ふふ、では私からも……)
「……じゃあ、今日は……笑顔でいられますようにって、願ってもいい?」
「いいとも。それは、俺の願いでもあるから」
頬がほんのり赤くなるのが、自分でもわかった。
私はそっと顔を伏せる。
すると彼が、髪に唇を寄せる気配――
そして耳元に、やさしい囁きが落ちた。
「また今夜も……君の傍にいていいかな?」
「……もう」
(……意地悪。聞かなくてもわかってるくせに)
自然に、笑みがこぼれる。
こんなにも静かに笑える朝があるなんて――
微笑み合うふたり。
新しい朝。
ようやく手にした、静かで、穏やかな“最初の朝”。
私はこの時、心から思った。
(ようやく私は、はじまりに立てた。
もう、誰にも奪わせたりしない。
私たちの未来も、幸せも――)
「初夜」は、あの夜に置いてきた。
この朝こそが、私にとっての“はじまり”だった。
*
朝の静けさが、ゆっくりと日常の音に変わっていく。
遠くから鳥のさえずりが聞こえ、庭の芝には朝露がきらめいていた。
執務室から遠ざかった離宮の一室。
侍女の気配も、まだ遠い。
私は、軽やかなドレスの裾を整えて、窓辺のソファに腰を下ろした。
すると、王の礼装に身を包んだセイランが、小さな銀盆に紅茶を注いで、私の前に置く。
「今朝くらいは、執務より君を優先させてもらおうかな」
「……王としてあるまじき発言ね」
そんなことを言いながらも、思わず笑みがこぼれてしまう。
彼の手で淹れられた紅茶が、とても贅沢なものに思えた。
「甘いものがあったほうが良かったか?」
「あなたが淹れてくれた紅茶の香りだけで、十分よ」
「……そうか。じゃあ次は、苺のジャムを取り寄せておこう」
「気遣いが細かすぎて、臣下の目が怖いわ」
「王妃の機嫌を取るのは、王の特権だ」
そう言って笑う彼の顔が、朝の光にやわらかく照らされている。
カップ越しに交わした視線が、思わず胸をあたためた。
*
そのとき、ノックの音がして、侍女が一通の手紙を持ってくる。
修道院から――。
セイランが手紙を開き、眉をひそめる。
「……“ソフィア様の姿が見えません”?」
私は反射的に尋ねていた。
「……お一人で?」
「……いや……。今は、騒ぎ立てず様子を見る。必要があれば動こう」
その声に、私もわずかに胸をなで下ろす。
けれど、どこか引っかかるような、予感のようなものが胸に残った。
「……なんとなく、彼女らしい気もするわね」
セイランが手紙を静かに伏せた。
二人のあいだに、ほんの一瞬、緊張のような沈黙が流れる。
けれどそれは長く続かず、朝の光がまた私たちを包み込む。
「ねえ、セイラン」
「なんだい」
「……こんなふうに、朝からあなたと紅茶を飲むのが日課になったら……」
そう言いかけて、思わず頬が熱くなってしまう。
私はカップのふちに視線を落としながら、そっと目を伏せた。
けれどセイランは、やさしく微笑んで、穏やかに言った。
「ならば、すべての朝を君のために用意しよう」
彼の手が、静かに私の手に重なる。
言葉の代わりに――やさしい口づけがそっと、朝の光の中に落ちた。
過去を越えた“ふたりの時間”が、
王と王妃の静かな日常が――たしかに、ここに始まった。
遠く、教会の鐘が朝を告げている。
……そう、きっとこの朝のことは、
いつか誰かに――
小さな手を握りながら、話して聞かせる日が来るだろう。
あの夜を越えて、ようやく辿り着いた、このはじまりの朝を。
そして私は、
この穏やかな日々が、これからも続いていくと――そう、信じている。
……あなたとなら、
どんな夜も、どんな朝も、
きっとこうして笑い合える気がするの。
Fin. Et leur amour continue.
(終幕。そして、彼らの愛は続いていく)
お読みくださり、ありがとうございました。
本編では描ききれなかった“はじまりの朝”を、筆の向くまま綴らせていただきました。
これでようやく、アリステリアの物語が、本当の意味で完結したような気がしています。
このお話が、ほんの少しでも、皆さまの心に残りますように。
※もし物語を気に入っていただけましたら、ブクマ・評価・感想など頂けますと嬉しいです。
※完結したばかりの『婚約破棄に祝砲を』、連載中の『悪役令嬢、ちょいちょい社畜、のちヒロイン』も、毛色は違う作品ですが、よろしければ覗いてみてくださいね(=^・^=)




