第15話 断罪
目を見開き、冷汗をにじませながら、私を見つめる――夫。
……私は、あなたを愛していたのよ。
どんなに冷たくされても。
どんなに惨めでも。
「私は妃だから」――そう自分に言い聞かせて、すべてを堪えてきた。
でもね。
それでもなお耐えていた私の、その“矜持”すら――
あなたは、踏みにじったの。
……だから今、私は“妃として”。あなたを裁く。
玉座の間は、静寂に包まれていた。
*
セイランは、静かにアリステリアを見つめていた。
あの、甥の婚約者として現れた少女が、今――堂々たる妃として、玉座の間に立っている。
あのとき。
少し緊張した微笑みを浮かべながら、希望に胸を膨らませて――
裾をつまんで兄王や俺、先立たれた先の王妃に礼儀正しく挨拶をしたあの少女。
(この子は王家にふさわしい、素晴らしい妃になると兄と語り合ったのも懐かしい……。
……君は、やはり強い女性だ。俺は、君を誇りに思うよ)
アリステリアは、静かに玉座の前に立ちすくむエルネストの前へ歩み出た。
ひとつひとつの言葉を、かつての夫、いまや罪人となった男へと紡ぎ出す。
「……あなたの側にいた年月は、嘘でしたか?」
彼女の声は穏やかだった。
けれど、その瞳は氷のように冷たく、まっすぐにエルネストを射抜いていた。
「十年――いいえ、もっと前から、私はあなたのために生きてきました。
未来の王を支える妃として、すべてを捧げる覚悟で、子供の頃から」
誰も動かない。誰も口を開かない。
「なのに、婚姻初夜、あなたは私たち夫婦の部屋に、その“王妃”を連れてきて――
……“今夜は部屋を空けてくれ”と、私に言いましたね」
貴族たちの間にざわめきが走る。
「毎晩、隣室から響く声に、耳を塞いで眠れぬ夜を越えて、
私はそれでも、あなたをお支えしました。
……だって、あなたは私の“王”だったから」
一筋、涙が彼女の頬を伝う。けれど、その声は揺るがない。
「でも――私は、知らなかったのです。
あなたが、己の愛する人を、自分の子供までも見捨てるほどの男だったと」
ソフィアが顔を伏せ、嗚咽を漏らす。
「私に“子ができないのかもしれない”と、陰口を叩かせながら、
実際に子を授かったのは、他人の妻。あまつさえ、義理の母、王妃でした。
それだけではない。あなたは、罪をわたくしだけでなく、彼女にまでなすりつけようとした……」
「エルネスト殿下。いいえ――王殺しの反逆者、エルネスト」
玉座の間に、凛と響く声。
その静かな響きは、怒号よりも重く、誰よりも冷たく。
「この罪深き男に、正しき裁きを」
言い終えると、アリステリアは俺の隣に立ち、一礼した。
その姿には怨嗟も怒りもなく、ただ静かに、祈りのような決意だけが宿っていた。
俺は頷き、ゆっくりと歩み出る。
「この者は、王妃ソフィアが姦通の罪で放逐されると思い込んだ」
一拍の間。
「そして、玉座と王妃の両方を手に入れようと企み――
あまつさえ、その罪をアリステリア妃殿下になすりつけようとした」
淡々と、だが、決して逃さぬように。
「王の盃に毒を混ぜたのは、王妃ソフィアではなく――
王太子エルネスト、あなたです」
――ざわっ。
その場にいた誰もが、息を呑んだ。
それでも彼女は、静かに、ただまっすぐにエルネストを見つめ――言葉を紡いだ。
「見目麗しかろうと。
言葉巧みに女性を操ろうと。
あなたの本性は、自らの私欲で父を殺し、
愛人を捨て、妻を玩具にした――最低の裏切り者です」
その声には、怒りも、悲しみも、もうなかった。
あるのはただ、決意――そして終わりの宣告。
アリステリアは最後に、静かに頭を下げる。
「……ただ、ひとつだけ」
ゆっくりと顔を上げ、目の前の夫――罪人に向かって、最後の言葉を告げた。
「私は、間違いなく、あなたを愛していました。
だからこそ――その愛を、今、この場で……地の底に捨てます」
一歩だけ踏み出す。
その姿は、かつて夫に寄り添った“妃”ではなく、正義を示す“ひとりの女”だった。
「あなたがこれ以上、誰の未来も奪わぬように!」
彼女の言葉が終わった瞬間――
顔を真っ赤に染め、膝をついたままの男を、俺は黙って見下ろしていた。
やがて、静かに右手を掲げ、俺は宣告の言葉を口にする。
「エルネスト」
短く、名を呼ぶ。その響きに、玉座の間の空気がぴんと張りつめる。
「貴殿を――王位簒奪未遂、および、我が兄、フリードリヒ五世陛下を殺害した大罪により。
ここに、拘束を命ずる」
その瞬間――
白銀の鎧を身にまとった近衛騎士たちが、一斉に動き出した。
重厚な甲冑の音が鳴り響き、玉座の間に断罪の刻が訪れた。




