第14話 王の真実
セイラン様は、そっとソフィア様に歩み寄ると――
静かに膝をつき、彼女の傍らに腰を下ろした。
そして、傷ついた身体を労わるように、
そっと手を取り、無理のない姿勢へと支える。
「……ソフィア様。ひとつ、質問させてください」
静かな、けれど誰もが耳を澄ますような声だった。
「王の侍医は……兄上は“近年は子を授けられぬ身体になられていた”と記しています。
けれど、あなたは今、ご懐妊されている。
その子が“王の子”でないとすれば――」
わずかに言葉を切り、しかし揺るがぬ瞳で彼女を見つめる。
「その子は、王太子殿下の子――そういうことで、よろしいのですね?」
静まり返る玉座の間。
ソフィア様はうつむいたまま、震える肩を小さく動かし、
ゆっくりと――小さく、けれど確かに頷いた。
「はい。この子はエルネストの子で間違いありません」
ざわつく貴族や重臣たち。
セイラン様は、そっとソフィア様の肩に手を添え、優しく頷いた。
そして、よく通る、けれど静かな声で語りかける。
「――先王陛下は、このことをすでにご存知でした」
ソフィア様の瞳が揺れる。
「私は事前に、すべてをお話ししました。
けれど陛下は……不貞を咎めず、あなたを赦すと、はっきりと仰ったのです」
一拍置き、静かに続ける。
「ご承知のとおり、陛下は生涯、あなたを“妃”として寝所に招くことはなかった。
むしろ、娘のように慈しみ、ただ傍に置かれていた……」
「……それを、陛下はずっと気にしておられた。
“己にも責がある”と……ご自身を責めておられたのです」
セイラン様の声が、ふっと柔らかくなる。
「だからこそ――これはむしろ、喜ばしいことなのだと。
“彼女がようやく、愛される相手を見つけたのだ”と微笑まれていた。
そして、いずれ正式に、あなたと王太子殿下の婚姻を認めようと……そう仰っておられたのです」
その言葉に、ソフィア様ははっと顔を上げた。
瞳が大きく見開かれ――そして、次の瞬間。
堰を切ったように、涙がこぼれ落ちた。
唇が震え、声にならぬ嗚咽が漏れる。
そして彼女は、ただその場に崩れるように手をついた。
「不貞を許す……? ば、馬鹿な……! 誰がそんな――そんなことを……!」
言葉に詰まるエルネスト様をよそに、
セイラン様は、静かに――一人の名を呼んだ。
「……アリステリア妃殿下」
私は、床に崩れたまま――静かに顔を上げた。
――ソフィア様は、やはり“怪物”だった。
ソフィア様は、本当に……わたくしを深く愛しておられた。
たとえ、それがどれほど歪んだものだったとしても――
その“愛”だけは、確かに本物だった。
けれど。
その“愛”という名のもとに、何もかもを呑み込み、
壊し、踏み躙り……それでもなお、微笑んでいられる。
そんな、恐ろしい“怪物”が――
今、母のように……人間のように、涙を流して崩れ落ちた。
……私は、その涙を、見てしまったのだ。
恨みが晴れた――などという、生易しい感情ではない。
これは、理解できないもの。
――いや、理解したくなかったものを、理解してしまった。
そんな、感覚だった。
まるで、音のない水中にでもいるような。
セイラン様の声も、どこか遠くで響いてはいたが――
それは、ただ耳に届くだけで、思考には届かなかった。
私の様子を見た彼は、静かに近づくと――
腰をかがめ、じっと私の顔を覗き込んだ。
そして、肩にそっと手を添え、
うつろな目の奥を、まるで何かを確かめるように覗き込む。
その眼差しは、あたたかく、それでいて――鋭かった。
言葉など、要らなかった。
その瞳だけで、彼はすべてを悟っているようだった。
……わたくしの目が、ゆっくりと見開かれる。
その瞬間、まるで世界が巻き戻ったかのように――
音が戻り、色が差し込む。
胸の奥に、ふっと温かさが広がった。
視界に映る彼の顔が、くっきりと蘇る。
それは、懐かしくて、どこまでもまっすぐな――
セイラン様、そのものだった。
彼は、微笑みながら、小さく一言だけ告げた。
「さあ、あなたの想いを、すべてぶつけてください」
セイラン様は背筋を伸ばすと、広間に向けて、凛とした声を響かせた。
「――その子が、誰の子か。
その真実を知っているのは、彼女ただ一人です」
その言葉とともに、私はセイラン様の手を借り、静かに立ち上がった。
その手のぬくもりが、背中を押してくれるようだった。
膝の震えを必死に堪えながら、私は玉座の前に歩み出る。
そして――
エルネスト様を、逃げ場なく、真っ直ぐに見据えた。
もう、迷いはなかった。
息を呑む気配が、玉座の間を満たす。
まるで、時が止まったかのように。
私は静かに口を開いた。
「……はい。すべてを、知っております」




