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第12話 逆転

新王となるエルネスト様は、静かに私に視線を移した。


彼と目を合わせるのはずいぶん久しぶりだった……でも、もはや何も感じなかった。


「アリステリア……なんということだ……。妃にまでしてやったというのに。

 あれだけ愛してやったというのに……」


エルネスト様は、あくまで“施しを与えた者”の顔で言った。


「――本当に、お前が……?」


重臣たちがざわめき、ソフィア様は、口元を手で押さえながら、潤んだ瞳で私を見つめていた。

まるで、「あなたを信じています」とでも言わんばかりに。


静かに一歩近づいたエルネスト様が、私を見下ろして笑う。


「……さては、王妃の座をソフィアから奪うつもりだったのだな……?

 なんという浅ましい女だ。

 傍に置いてやってもよいと思っていたというのに」


その瞳には、かつて見せた優しさの片鱗もなかった。

まるで――最初から、すべてが幻だったかのように。


「まさか本気で、自分が相応しいとでも思っていたのか?

 はは……それは滑稽だな」


私は、エルネスト様を見つめたまま、口を開こうとした。


――違います、と言いたかった。


けれど、声にならなかった。

喉が凍りついたようで、ただ息を呑むことしかできなかった。


だめだ。言葉が、届くはずがない。


そう、あの日、噴水の前でまっすぐな瞳でわたくしを見つめてくださった方……。

セイラン様までもがお味方ではないのかも知れない……。


(……そう、私が否定しても、誰も信じはしない)


きっと、何をしても無駄。


そう思った瞬間、私は考えることをやめた。自らやめた。


ええ、私ということでかまいません……。

この茶番に、真実なんて要らないのでしょう。


もう、いいのです。


全てがどうでもいい。


私は床に静かに膝を折った――もはや、すべての音が聞こえなかった。


頭上のステンドグラスから差し込む光は、まるで誰かを祝福するかのように明るく――

けれど、私の足元だけは、影の中だった。


エルネスト様は、わずかに口角を上げ――

冷ややかな声で告げた。


「そうか……膝を折ったか。それはつまり、認めるということだな」


広間に、ぴたりと静寂が落ちる。


それは、裁きの刃が振り下ろされる直前の、ひとときの沈黙。

そして――夫であるはずの人の、無慈悲な声が広間に響いた。


「ならば――王として命ずる。

 今すぐこの罪人を捕らえ、即刻処刑せよ!」


ざわめく重臣たち。

そして、ソフィア様が口もとを押さえながら、一歩、前へと進み出た。


……彼女は、きっと私を救おうとする。

だって――彼女は、聖女なのだから。


でも、もうあなたの施しなんていらない。


がちゃがちゃと鎧を打ち鳴らす音が響き、私の両手に無慈悲な手が回されようとしていた。


ああ……これで苦しみが終わる。

でも、こんなことならいっそ、もっと早く……。



「それは異な」


――その声が、玉座の間の空気を一変させた。


セイラン様の声が、静かに――しかし、はっきりと広間に響いた。

一歩。広間の床に、その足音が小さく反響する。


声を荒げることはなく、むしろ平坦な口調で。

それでいて、誰の耳にも否応なく届く、研ぎ澄まされた声音で問いかける。


「あなたは、まだ“王”ではない。

 正式な戴冠の儀を経てはじめて、王位は確定する。

 それまでは――王の代理権限は、宰相たる私にある」


静まり返る空気の中、誰かが小さく息を呑む。


「控えよ。……宰相の命令である」


その言葉が下された瞬間、

ガチャリ、と音を立てて、私に手を伸ばしかけていた近衛騎士たちが動きを止めた。

そして、揃って姿勢を正し、直立の姿勢を取る。

王太子の命令ではなく、宰相の声に、彼らは従ったのだった。


私は、霞む視界の中でぼんやりとセイラン様を見上げた。


エルネスト様は一瞬呆けたような顔をしたが、そのままセイラン様は続けた。


「殿下……ひとつ、確認しておきたい。

 なぜ、アリステリア様が犯人だと断定できるのです?

 先王陛下が毒を盛られたとき、彼女はどこにいたかご存知ですか?」


「それは……そなた自身が、この女の化粧台から毒が見つかったと申した……のではないか……?」


エルネスト様の声が、かすかに揺れた。

――まるで、自分でも確信が持てていないかのように。


セイラン様は、その声に重ねるように続けた。


「……王太子殿下、確かに私は“あなたの部屋で毒が見つかった”と言いました。

 しかし、あの日――“あの時間”、彼女はその部屋にいませんでした」


玉座の間がふたたびざわめいた。

セイラン様はその瞳を細め、懐から数通の手紙を取り出す。


――あれは……私の手紙……。


金の蝋で封を綴じた、見覚えのある紙片が何枚も、彼の手の中にあった。


「これは、アリステリア様から私に宛てた手紙――。

 毎晩、決まった時間に、ソフィア殿下の寝室から届けられていたものです」


ざわり、と空気が揺れる。

視線が一斉に、手紙と、私と、そしてエルネスト様へと注がれた。


セイラン様は視線を逸らさず、静かに言葉を継ぐ。


「そして私はそれを、毎晩、彼女から直接、受け取っていた。

 つまり、彼女がその時間、殿下の部屋に“いなかった”ことを示す――動かぬ証拠です」


涙で霞む彼の姿が、まるで遠く離れた光のように見えた。


彼は、噴水の前で言ってくれたのに。

「とにかく、何があっても……私を信じてください」と。

なのに、私は、信じきれなかった。


心の中で何度も――何度も謝罪した。

「あなたを疑ってしまい、ごめんなさい」と。


そして、セイラン様はじっとエルネスト様を見据え、

低く、しかし静かに告げた。


「――あの日、殿下が夜を共に過ごしていたのは、アリステリア様ではなく……」


わずかに間を置き、視線をそっと移す。

口元に手を添えたまま沈黙していた“王妃”――その姿を真っ直ぐに見つめた。


「――ソフィア様。あなただ」


その瞬間、空気が止まった。

セイランがすべてを語り終えた玉座の間に、

誰も、息をすることすら許されぬような――深く冷たい沈黙が落ちた。

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