第11話 裏切り
――その後。
あてもなく彷徨い、気付けば噴水のある中庭に来ていた。
脚が震えていた。
喉が焼けるように痛かった。
そして――ひどくみじめだった。
でも、涙だけは、どうしても流せなかった。
なぜなら――
この国で一番の“敗者”になったと、誰にも悟られたくなかったから。
……私の心はもう限界だった。
泣いてしまう前に、誰にも見られない場所で――いっそのこと。
そう思ったその時、ふと目の前に“あの人”の影があった。
庭の噴水前に立つ背の高い男性――王弟セイランだった。
追いかけて来たのだろうか。
彼は少し息を切らせながら立ち止まり、私を見つめた。
(お願い。これ以上、見ないで……)
私は、彼に見られまいと涙を堪えながら、ひたすらに俯いていた。
彼は困ったように髪をかき、意を決したように私に語り掛けた。
「アリステリア様……あと少しだけ、待っていてください。
……あなたが耐えてきたすべてに、誰かが報いなければならない」
その瞬間、涙があふれて止まらなくなった。
視界が揺れ、崩れ落ちそうになる膝を必死で支えた。
私は、濡れた目をゆっくりと上げる。
彼のおだやかな眼差しが視界に入った瞬間――
胸に熱いものが宿り、この方に抱きしめてほしいと思ってしまった……。
私の身体は、ずっと、あたたかさを求めていた。
でも、彼にそれを求めるのは筋違いだし、叶わないこともわかっていた。
彼の眼差しは小さく揺れながらも、強い意思を持ち、まっすぐだった。
「王家の名の下に、ではなく――私の名の下に。
……とにかく、何があっても……私を信じてください」
それだけを残し、足早に去っていった後ろ姿。
私は――なぜか、その言葉だけで、全てが報われた気がした。
人を……信じる?
彼の眼差しを思い出す。
そんなこと、本当にこの私に出来るのかしら?
でも――信じたい……その思いだけは本物だった。
***
私は、その夜の手紙を最後にすることにした。
一言。
「これまで、ありがとう」と。
震える手で書き綴ったその一言には、今の私のありったけが詰まっていた。
そっと廊下側の扉の下に差し入れると――
翌朝には消えていた。
……まるで、風が攫っていったかのように。
***
王城・玉座の間。
――即位式を一週間後に控えた日
荘厳な玉座の間には、重々しい空気が満ちていた。
中央には即位を待つ王太子エルネスト。
その隣に控えるのは、新たな「正妃」となる予定のソフィア様。
そして、正妃ではなくなる予定の私は横に控えていた。
玉座の間の両脇には、重臣たちが沈黙のまま立ち並び、
重臣たちの一番前で控えているのは――寡黙な王弟、セイラン殿下だった。
「……そなたは、何を言いたいのだ。セイラン」
エルネストの声は苛立ちを隠せず、玉座の階段を数段降りてセイラン様に詰め寄る。
「我が父王の崩御に、不審な点があると申すのか?」
セイラン様は無言のまま、懐からひとつの書状を取り出した。
王の侍医が記した、毒殺の可能性を示す記録。
そして、父王が亡くなる直前に口にした最後の酒杯――そこから検出された微量の毒。
「――これらは、すべて事実に基づいたものです」
エルネスト様は声を荒らげた。
「なんだと……。恐れ多くも父王を毒殺した者がいると……!
なんという反逆、なんという大罪!」
その瞬間、玉座の間はざわめきに包まれた。
「……それは真か!?」
「毒殺……とな……!!」
「……誰が!?」
ざわめきを制するように、後方に控える近衛騎士が一斉に槍を地面へ打ち鳴らした。
誰もが俯く中、私だけが目を見開き、セイラン様を見つめていた。
「して、証拠はあるのか?」
セイラン様はただ静かに、甥――王太子の顔を見つめた。
その瞳の奥に、長く押し殺してきたものが、ひとすじだけ揺らいだ気がした。
「はい、証拠はございます」
静寂の中、息を呑む音が聞こえた。
「……申し上げにくいのですが。王太子殿下のご寝室……」
一拍置いてセイラン様は続けた。
「王太子妃殿下の化粧箱より――毒の瓶が見つかりました」
その瞬間、私に視線が突き刺さり、ざわめきが王の間を満たした。
私は、思わずセイラン様の顔を見つめたまま動けなかった。
彼は視線をそらし、私と目を合わせようとはしない。
まさか……彼までも……?
私は顔から血の気が引き、気が遠くなるのを感じた。
はめられた……、誰に? エルネスト様? 信じたくないけどセイラン様も……?
けれど、「何があっても、信じてください」と言った彼の眼差しは……。
いいえ、忘れてはいけない。
私は、これまでずっと、信じたものに裏切られてきたのだから。
そう思った瞬間、世界の“床”が静かに抜け落ちた気がした。
そして、私は、そのまま底知れぬ闇に――堕ちていった。




